日刊鹿島アントラーズニュース

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2013年7月27日土曜日

◆大迫2発 危機救った(トーチュウ)


http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/soccer/news/CK2013072602000187.html

◇東アジア杯 日本3-2オーストラリア

 サッカーの東アジア・カップは25日、ソウル近郊の華城競技場で男女各1試合を行い、男子の日本代表はオーストラリアに3-2で競り勝った。中国戦からスタメンを総入れ替え。前半26分にMF斎藤学(23)=横浜M=が先制点。2点先行しながら一時は追い付かれたが、後半34分にFW大迫勇也(23)=鹿島=が自身2点目を決めて、勝ち越した。3連覇を狙う女子のなでしこジャパンは北朝鮮と0-0で引き分けた。男子は28日、女子は27日にそれぞれ最終戦で韓国と対戦する。

 FW大迫の右脚が強烈にしなった。鋭く振り抜き、ペナルティーエリア右から低弾道で突き進んだボールは、ゴール左隅に吸い込まれた。「冷静でしたね。この時間帯で決めることができたのは良かった」。2点のリードを追いつかれた直後の後半34分、この日の自身2点目かつ決勝点を豪快に決めた。

 軽くジャンプして右拳を握った。決意を込めた一発だった。第1戦の中国戦から先発全員が入れ替わった。「ベンチに座るために来たわけではない。やってやろうと思った」。プレーは冷静沈着だった。後半11分の1点目は、エリア内でトラップ。キックフェイントで相手GKの体勢を崩して流し込んだ。

 鹿島では2トップだが、この日はトップ下で出場した。FWの自負はある。しかし、自らの思いを押し殺して「(チームを)うまく回す」と割り切った。前日の練習ではザック監督から直接指導を受けていた。「点を取るためにゴールの幅から動くな」。指令はトップ下でも得点を奪うことだった。
◆「もっと取れた」

 期待に応えた23歳は、6月11日のイラク戦以来、5試合ぶりの勝利を指揮官にプレゼントした。だが、ゴールへの渇望は満たされなかった。

 「(2得点は)うれしかったけど、もっと取れたし、もっと取りたい」

 生粋の点取り屋は額の汗を拭きながら、ネットを揺らす快感を求めていた。

◆【東アジア杯】大迫2発!1トップも任せろ“二刀流”あるぞ(報知)


http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/japan/news/20130726-OHT1T00016.htm

 ◆男子東アジア杯2013 ▽第2戦 日本3―2オーストラリア(25日、韓国・華城競技場) オレが新戦力だ! 国際サッカー連盟のランク37位の日本は同40位のオーストラリアを3―2で下した。代表初先発のFW大迫勇也(23)=鹿島=が後半10分、34分と代表初ゴールを含む2得点。本来の1トップでなくトップ下での起用で結果を残し二刀流での代表定着を強烈にアピールした。日本は国際Aマッチ5戦ぶりの白星。2戦を終え今大会、首位に浮上した日本は、最終戦の韓国戦(28日)で勝てば初優勝が決まる。

 FW大迫の口から素直な感情が飛び出した。「今日はやってやろうという感じだった。やっていて楽しかったし、もっとプレーしたかったくらいですね」。ブラジルW杯へ生き残りをかけたオーストラリア戦。最初で最後かもしれないチャンスで2ゴールを挙げた。蒸し暑さの中でもなお、再びピッチに戻りたがるほど手応えを得ていた。



 後半10分、FW豊田のパスを受け、相手GKと1対1の場面をつくった。相手GKが先に倒れた瞬間、右足で浮かせ、ゴール左に突き刺した。圧巻は、同点とされた同34分だ。右45度でボールを受けると、複数の相手DFを前に、右足を振り抜く。地をはう弾道で決勝点。「ここで取れれば相手も勢いがなくなる。いい時間帯に取れた」と笑った。

 ポジションは、慣れ親しんだFWではなく経験のないトップ下だった。ザッケローニ監督がJリーグを視察したときにトップ下でも起用できると判断した。「FWでプレーしたいけど、そこは割り切って。ゴールに向かう姿勢は出せたかなと思う」。トップ下でも決定力を発揮。FWとしても相手を背負いボールを収める能力がある。柿谷、豊田と1トップでのサバイバル戦がし烈な今大会。二刀流で高い能力を示し生き残りへ一歩リードしたといえる。この適応力はMF本田圭佑らベストメンバーがそろう日本代表でも必要とされることもアピール。ザッケローニ監督は「大迫はボールを受けるよりもらいにいった方が得意。セカンドトップ的な選手だと思う。ポジションよりも仲間が前を向いたときに相手ゴールに向かって走ることが大事になる」と評価した。



 幼い頃にゴール感覚を養った。鹿児島の自宅前、大迫の誕生と時期を同じくして人工芝ピッチのグラウンドが出来上がった。学校から帰宅すればすぐにボールを蹴った。鹿児島城西高3年時の高校選手権では1大会最多記録となる10ゴールを記録。争奪戦の末、鳴り物入りで鹿島入りした。給料の大部分は両親が管理する口座に振り込まれているという。「ゴールするのが自分の仕事」「鹿島で優勝すること」「代表に入ること」。全てはサッカーに集中するため。そして、自分のためだ。

 ピッチに戻りたかった理由は、最後に明かした。「ミスがあったので、もっと奪えたと思う」。生粋の点取り屋が、ブラジルW杯メンバー入りへ名乗りを上げた。

 ◆大迫 勇也(おおさこ・ゆうや)1990年5月18日、鹿児島県加世田市(現南さつま市)生まれ。23歳。3歳からサッカーを始め、鹿児島育英館中からFWに転向。鹿児島城西高3年で準優勝し1大会個人最多得点(10点)を樹立。09年に6クラブの争奪戦の末に鹿島に入団。10年1月のイエメン戦で代表初選出。21日の中国戦で代表初出場。182センチ、73キロ。独身。

◆豪州戦2ゴール、カップ戦に相性抜群のストライカー・大迫勇也とは?(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20130726/125518.html



 日本代表は25日、韓国で行われているEAFF東アジアカップ2013の第2戦でオーストラリア代表と対戦し、3-2と競り勝った。今大会2試合を終えて、1勝1分けの勝ち点4として、首位に浮上した。

 日本代表を勝利に導いたのは、2得点を挙げたFW大迫勇也。A代表初先発の一戦で見事に結果を残し、ポジション争いに名乗りを上げた。

 大迫は1990年生まれ、プロ入り5年目のストライカー。2009年、鹿児島城西高校の一員として出場した全国高校選手権で、歴代個人最多記録となる10得点をマーク。対戦相手の選手が「大迫半端ないって!」と叫んだエピソードは有名だ。同校の準優勝に大きく貢献し、鳴り物入りで鹿島アントラーズに入団した。当時リーグ2連覇中の名門でも、大迫は1年目から順調に出場機会を確保。2年目には背番号「9」を託された。昨年は、常連だったU-23代表のメンバーから、ロンドン・オリンピック直前に落選する挫折も経験。悔しさをばねに、今シーズンはダヴィと並び、チームトップタイの7得点(J1第17節終了時)を挙げ、鹿島をけん引している。

 大迫の特長は、巧みなポストプレーと、“活かす”、“活かされる”の両面をそつなくこなす器用さ、そして、振りの速い左右両足でのシュートだ。オーストラリア戦でも、前線から少し下がった位置でパスを引き出し、起点として機能した。視野が広いため、パスを受ける役割だけでなく、展開力も期待できる。そして、オーストラリア戦の決勝弾に象徴される、コンパクトな足の振りから放たれるシュート。シュートレンジも広く、鹿島では無回転のミドルシュートを突き刺す場面もあった。

 そして、大迫はカップ戦に強い。高校選手権での得点記録樹立はもちろんのこと、プロ入り後の成績には目を見張るものがある。ヤマザキナビスコカップと天皇杯で通算33試合出場、17得点。リーグ戦では122試合で28得点のため、カップ戦への相性の良さは群を抜いている。東アジア「カップ」での鮮烈なデビュー。そして、来年のブラジル・ワールド「カップ」―。本大会まで1年を切った今、23歳の点取り屋に、期待は高まる。

◆大迫2発!初ゴール&V弾/東アジア杯(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20130726-1163132.html

<東アジア杯:日本3-2オーストラリア>◇25日◇韓国・華城競技場

 日本代表FW大迫勇也(23=鹿島)が、抜群の決定力を見せつけた! オーストラリア戦で、勝ち越し点を含む2ゴールと大活躍した。21日の中国戦に続き、デビュー2戦目での初先発。勝利に貢献し、ザックジャパン生き残りへ猛アピールを見せた。

 電光石火の勝ち越し弾だった。2-2と同点にされた直後の後半34分。チーム2点目を決めていた大迫が、再びゴールを奪った。中央のFW工藤が右に開いたFW豊田へパス。大迫は豊田の後ろから走り込んでボールを受けると、右足で地面をはう低いシュートをゴール左へ突き刺した。

 流れがオーストラリアへ傾きかけていた場面での値千金の一撃。終盤にドローに持ち込まれた21日の中国戦の二の舞いは演じなかった。大迫は「あそこで点が取れて、チームとしても大きかった。豊田さんと良い関係でゴールに向かうことができました」と喜んだ。

 本来、1トップが得意。豊田とはポジションがかぶるため、併用は難しいところだった。だが13日の柏-鹿島戦(国立)を観戦したザッケローニ監督には確信があった。ダビと2トップを組みながら、時に下がってボールを受ける様子を見て「大迫は裏へ抜けるより(低い位置に下がって)パスを受ける方が得意。セカンドトップでもいける」。豊田を1トップに、大迫を少し下げて配置する形を機能させた。

 挫折を乗り越えたところに輝く瞬間が待っていた。ロンドン五輪へ向けた関塚ジャパンではアジア予選のレギュラー。当然、本大会でも主力として活躍が期待されていた。ところがまさかの最終メンバー落選。その後は、五輪について聞かれても「それはもういいでしょ」と口を閉ざす。

 だが、そんな悪夢をA代表での活躍で払拭(ふっしょく)することを原動力に、この日を信じてやってきた。試合前には「ベンチに座るのはイヤ。やってやろうという感じだった」と言う。挫折を糧に一皮むけた期待のストライカー。ザックジャパンに、また新たなスター候補が誕生した。【千葉修宏】

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