日刊鹿島アントラーズニュース

Ads by Google

2013年10月2日水曜日

◆サッカー女子 鹿島学園制す 県高校新人大会(茨城新聞)


http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13806385626155

サッカー女子の県高校新人大会は1日、笠松運動公園球技場で代表決定リーグの最終戦を行い、鹿島学園が3戦全勝で2年ぶり2度目の優勝を飾った。

■丁寧につなぎ2G
○…鹿島学園は積極的に仕掛けて前半で2点を挙げ、関東大会の切符を手にした。雨で足元が悪い中でも丁寧につないで左右にボールを回し、好機をつくった。

前半10分、MF大内望実(3年)のシュートのこぼれ球をボランチの富川ゆか(1年)が詰めて先制。同33分には左サイドでフリーになったMF鈴木萌(3年)が追加点を挙げた。「パスをしっかりつなぐことができた」とDF伊藤彩音主将(同)は胸を張った。

後半は全員が積極的に声を掛け合い、体を張ったブレーで2点を守り切った。目標としていた決勝リーグ全3試合での無失点を達成し「次へのステップを踏めた」と伊藤主将。

春を含め関東の舞台では初戦敗退が続いており、伊藤主将は「まずは1勝」と力を込めた。

◆内田フル出場のシャルケ、完封でCL2連勝…グループ単独首位に(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/world/cl/20131002/138384.html



 チャンピオンズリーグ・グループステージ第2節が1日に行われ、グループEではバーゼルと日本代表DF内田篤人の所属するシャルケが対戦。内田は開幕節に続き先発出場した。

 ともに初戦を白星スタートで切った両者の対戦。アウェーでの試合に臨んだシャルケは、ワントップにケヴィン・プリンス・ボアテングを起用した。開始直後の4分、スタジアムのメインスタンド側で、環境保護団体からの巨大な垂れ幕が掲出され、約5分間中断するハプニングがあり、試合がスタートする事態となった。

 シャルケは12分、相手DFのクリアミスをペナルティエリア内でボアテングが左足ダイレクトで狙ったが、枠の右へ逸れた。前半終了間際にはシャルケにアクシデント。45分にジェフェルソン・ファルファンが負傷し、アーダーム・サライとの交代を余儀なくされてしまう。アディショナルタイムにはバーゼルにチャンスが訪れ、右サイドからのクロスをニアサイドでマルコ・シュトレラーが頭で合わせたが、ファーサイドに飛んだボールはゴール左にわずかに外れた。前半は互いに無得点で折り返す。

 後半に入り52分、シャルケはゴール前の混戦からDFのクリアボールをロマン・ノイシュテッターがミドルシュート。これはクロスバーに弾かれ得点とはならなかったが、直後の54分に右CKを得ると、DFがニアでクリアしたボールをペナルティエリア外中央にいたユリアン・ドラクスラーがダイレクトボレーで右足を振り抜き、鮮やかにゴール右へ決めて先制に成功する。

 バーゼルは76分に左サイドのヴァレンティン・シュトッカーからのグラウンダーのパスをニアサイドで後半途中出場のジオヴァンニ・シオが左足で合わせたが、GKティモ・ヒルデブラントが弾き、得点を許さず。その後もシャルケの守備陣はバーゼルの攻撃をシャットアウトし、1-0で勝利した。

 シャルケはグループ2連勝で勝ち点を6とし、単独首位となっている。グループステージ第3節は22日に行われ、バーゼルはアウェーでステアウア・ブカレストと、シャルケはホームでチェルシーと対戦する。

◆藤田俊哉「ジーコの教えをうまく受け継いできた鹿島はすごい。見習うべきことは多い」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/sk_column/article/138102.html

Jリーグ草創期から今に至るまで、藤田俊哉は様々な角度から日本サッカー界を見つめてきた。ジュビロ磐田の背番号10として、日本代表の一員として――。新たなチャレンジに向かう彼にとって、Jリーグが歩んできた20年と、その先に見える未来とは。


――藤田さんはJリーグ開幕からの20年を様々な立場から見てこられたと思います。

藤田俊哉 僕らが子供の頃はサッカー界の最高峰に日本リーグがあって、それが目標だったんだよね。プロのクラブに入りたいなら海外に行かなければならない。そういう時代だった。静岡ではヤマハ発動機と本田技研が実業団として日本リーグ1部に所属していて、2部にはトヨタ自動車東富士FCがあった。だから、高校を卒業したらそういう実業団のクラブに入ってお金をもらいながらサッカーをしたい……今思えば可愛らしい夢だったよね(笑)。

――そんな中でプロ化の話を耳にすることになったと思うのですが。

藤田俊哉 確か、日本リーグがプロ化されるということを初めて聞いたのは1990年くらいだったんじゃないかな。ある人が「俺は清水でプロになる」と言っていて、それを聞いてすごいなと思った。信じられなかったけどね。90年ということは、僕はまだ大学1年生。その頃から漠然と、大学を卒業したらプロになるんだという思いが芽生え始めた気がする。

――Jリーグ ヤマザキナビスコカップが開催されたのは、Jリーグ開幕の前年、92年のことでした。

藤田俊哉 その華やかさにビックリしたことを覚えていますよ。93年5月15日、横浜マリノス対ヴェルディ川崎のJリーグ開幕戦を国立競技場で見たんだけど、あれだけ大きな注目を集めるとは思わなかったし、同時に「俺も来年はあの舞台に行くんだ」という感じでテンションが上がった。

――94年に加入したのはJリーグに昇格したばかりのジュビロ磐田でした。

藤田俊哉 ジュビロは新しいチームだったから、クラブと自分の1年目が重なるということには確かに魅力を感じていた。ただ、正直なところ、情報がほとんどなくてね(笑)。事前にトレーニングに参加するようなこともないまま、何も分からないままジュビロに入った感じだったと思う。

――プロの世界に入って感じたことは?

藤田俊哉 ジュビロは1年目だけど、他の10チームは2年目ですよね。その1年の差がこんなに大きいのかということを感じながらプレーしていた。ヤマハは伝統的に強いチームだったけど、Jリーグに入ったら全く勝てない。ということは、プロの世界で過ごしたたった1年の差がかなり大きいということでしょ? それを痛感した1年目だった。

――それがプロの世界で戦うことの効果と言いますか……。

藤田俊哉 やっぱり、結果を求められる中でプレーすることでクラブも選手も大きく成長しますよね。だから他の10チームとの間にあった1年の差を埋めるのにかなりの時間がかかった。あれだけの盛り上がりの中で試合をすれば必然的にプレッシャーもかかる。試合数も飛躍的に増える。そういう状況に対応するのが難しかったですね。

――当時のJリーグには各クラブに世界的なスター選手が在籍していましたが、ジュビロには元オランダ代表のジェラルド・ファネンブルクや現役ブラジル代表のドゥンガがいました。

藤田俊哉 やっぱり、世界のトップレベルを体感してきた人たちの感覚や言葉は重かったよ。僕自身、ものすごく勉強になった。コーチと選手の間柄じゃないから何かを教わるという感じではないんだけど、身近にいて感じることのすべてが貴重だった。あの頃の外国籍選手は本当の“助っ人”という感じで、何から何まで日本人選手にはないものを持っていたと思う。だから、もしそうじゃない助っ人を呼ぶくらいなら、日本人選手だけでやればいいと僕は思いますね。

――特に印象に残っている選手はいますか?

藤田俊哉 鹿島アントラーズのレオナルドみたいな現役のブラジル代表選手もいたわけだから、どのチームの“助っ人”もすごかったと思うよ。ジーコは選手としてのピークを過ぎていたかもしれないけど、それでもものすごい影響力を持っていたことは対戦相手である僕にも伝わってきた。ジーコ、スキラッチ、ストイコビッチ、ジョルジーニョ、レオナルド、リトバルスキー、カレカ、リネカー……名前を挙げればキリがないよね(笑)。

――生まれたばかりのリーグにあれだけのビッグネームがそろったことの意味というのは、振り返って非常に大きかったのではないかと思います。

藤田俊哉 彼らがJリーグでプレーしたことの効果というのは、何も日本人選手や日本人ファンに与える影響だけじゃないんですよ。彼らがJリーグでプレーしたことで、世界中の注目が集まる。彼らが集まったからこそ、Jリーグが世界で注目され始めたんだと思う。

――藤田さん自身は、ジュビロの外国籍選手から何を学んだのでしょうか。

藤田俊哉 試合に勝つために何をすべきか、そのすべて。ただ、もちろん細かいこともたくさん教えてもらったけど、大切なのは彼らの背中を見て学んだことというか……プロとしての姿勢、と言うのかな。

――例えば、当時の藤田さんが肌で感じたドゥンガの教えは、今のチームにも残っていると感じますか?

藤田俊哉 いや、正直、今はもう残っていないかもしれない。それをうまく伝えられなかったのは僕らの責任でもあると思います。だからこそ、ジーコの教えをうまく受け継いできた鹿島はすごい。見習うべきことは多いよ。たぶん、「絶対に変えられないこと」と「時代に応じて変えなきゃいけないこと」がはっきりしているんだと思う。僕がいくつかのクラブを渡り歩いて感じたのは、歴史を感じられないクラブは寂しいということ。そのクラブで一生懸命に仕事をした人たちのことは、決して忘れちゃいけないと僕は思いますね。監督もそうだし、選手もそう。

――Jリーグの開幕から20年間が経過して、歴史を語り継ぐことの難しさを感じているクラブも少なくないかもしれません。

藤田俊哉 仕方のないことでもあると思いますよ。やっぱり、みんな今を生きているし、それが普通のことだと思う。ただ、だからこそしっかり受け継いでいかなきゃいけないこともあるというか。

――20年の歴史の中で、チーム数はJ2も含めれば約4倍になりました。

藤田俊哉 時代とともにブームは変わるでしょ。Jリーグもそれに合わせて変化してきている。もちろん波があって苦しい時期もあったし、これからもあるかもしれない。でも、それは“サッカー人”みんなで乗り越えていけばいい。日本代表があれだけの盛り上がりを見せているんだから、それをJリーグの人気につなげる策を講じていかないと。

――プロクラブの増加はプロ選手の増加にもつながりました。

藤田俊哉 プロの世界への間口が広がったことはすごくいいこと。ただ、一方でプロ選手の数に反比例してサッカーのレベルが下がるようじゃいけない。Jリーグはすごく高いところにあって、誰もがそこに行ってみたいと思う。そういうリーグにならないといけないと思う。

――藤田さんは磐田を退団後、ロアッソ熊本とジェフユナイテッド千葉でもプレーしました。J2という舞台でプレーすることの難しさを感じませんでしたか?

藤田俊哉 いや、僕にとってはどこに行っても何も変わらないんですよ。所属クラブが変わっても、目指すサッカーの本質は変わらない。だから難しさというのは感じなかった。

――大切なのは選手個々が持つ目標と、クラブの理念。

藤田俊哉 特にクラブの理念は大事だと思いますよ。クラブとしてどういうサッカーを確立したいのか、それを確立したクラブが勝つんじゃないかと思う。1万円のペンを使うのか、それとも100円のペンを使うのかという問題はそれぞれにあるけど、描きたい絵が同じならやることも同じ。もしかしたら、道に落ちていたペンで美しい絵が描けるかもしれないでしょ? 大切なのは「何を描くか」をはっきりさせておくことだと思う。

◆U-17W杯で8強超え狙う吉武監督「良さを発揮するための21人」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20131001/138280.html



 17日からUAEで行われるU-17ワールドカップに臨む、U-17日本代表メンバー21名が発表された。

 U-17日本代表を率いる吉武博文監督は、本大会に向けた意気込みを以下のようにコメントした。

「選手たちと一緒に、できるだけ現地に滞在したいです。できれば、前回大会の結果を超えたいと思っています。多くの試合を行って、体験値を若い選手たちにあげたいですし、決勝や3位決定戦までの7試合を戦いたいです。その目標と同時に、今年に入ってからは選手一人ひとりを作品に見立てて、世界で自分の作品の展覧会を開いてほしいと話してきました。そういうことをピッチで見せてほしいと思っています」

—メンバーを選んだポイントは?
「トータルで選びました。1つだけではなく、総合力で高い数値を持っている選手を選びました。すごく悩みましたが、日本の良さを発揮するための21人だと思っています。96年生まれ以降の選手たちの中で、私が考えるベストメンバーです。集中力や予測力、日本の良さである協調性も持ち合わせている選手たちを選んだつもりです」

—前回大会のチームと比べて仕上がりは?
「手応えは十分にあります。このチームのやり方の話ではなくて、2年経過して日本全体のレベルが下がっているわけがないと私は信じていますし、各々のチームで技術的に精神的に成長しているはずなので、当然、(力は)上がっていると思います。サッカーなので、10回戦ったら1回負けることも当然あります。前回を超えることができるというのは、10回やったら半分以上はいけるんじゃないかということです。それは日本全体の力が上がっているからだと思っています。その後押しは心強いです」

—前回大会は岩波選手や植田選手といった長身のセンターバックがプレーしていたが、今回は身長180cm以上の選手がディフェンスラインにいない。高さが課題だと思うが?
「私としては、高さではなく予測と判断力が選手を選ぶ時に最初に考えることです。植田選手と岩波選手は長身だから選んだわけではなく、予測と集中力があったので選出しました。今回の大会で私がウキウキ、ワクワクしているのは、日本人らしい体格で世界と戦えるかどうか。試合をTVなどで見た体格の近い日本の選手たちに『自分も世界で戦えるんじゃないか』と思ってもらいたいです。高さだけで失点するわけではないですし、我々のチームを分析すると、高さではそれほど多く失点していません。逆に、世界大会では高さで失点するのかどうかを見るということが楽しみでもあります」

—グループステージで対戦する相手の印象は?
「ヨーロッパの予選でロシアは1位でした。強いです。予選は見に行きました。それから、モンテギューの大会で試合をして、1-2で負けています。チュニジアについても、今年行われたUAE遠征で対戦して、1-2で負けています。ベネズエラについてはビデオがあります。三者三様です。それぞれのチームに対して戦い方を変えるつもりはありません。これまでやってきたことが、どれくらい通用するのか見てみたいです。言葉としてはおかしいかもしれませんが、コンパクトでワイドなサッカーをピッチで表現できるか。当然、相手のやり方は分析しますが、そちら側に針が振れることはありません」

—育てるという視点では、どういったことを意識しているか?
「全体で、みんなで、ということを強調しています。ただ、個は必要ないということではありません。個が強ければ、チーム全体も強くなると思っています。個に関しては、強く速くということではなく、精神的な強さを求めています。それは集中力と分析力だと考えています。相手のチームと自分をしっかり分析できるか。自分の力を発揮できるか。そういう部分が5年後、10年後に生きてくると思います。これまでの流れでは、自分の力を十分に発揮することができていません。70パーセント、80パーセントくらいしか発揮できないところに問題があります。それは分析力や集中力が原因だと考えているので、この2年間はピッチやミーティングを通して伝えてきました」

—育成のためにどんな手段をとってきたのか?
「色んな部分の刺激だと思っています。サッカー以外で映画を見たり、グループでディスカッションもやりました。国内キャンプではサッカー以外の課題を与えて、5、6人のグループで問題解決できるかということも行いました。2時間くらいかけて解決できない問題もあります。その中で諦めるのか、考え続けるのか、みんなで協力するのか、ということをやりました。つまり、色んな角度からの刺激を受けて自分で判断するということです。できないことも1つの結果です。将来残っていくのは、自分で考えられる選手だと思っています」

—キャプテンは決まっているのか?
「ゲームキャプテンはいると思いますが、誰かに決めることはしないです。ご存知のとおり、誰が出るかわからないので。試合のピッチに立った選手の中で、誰かがキャプテンマークを付けると思います。ただ、ディフェンスリーダーやオフェンスリーダーはいますし、24時間の中で食事をとる時のリーダーなどもいます。みんながキャプテンだというアプローチです」

—UAEでプレーするという環境について。
「日本人は他の国より暑さに強いと思います。あまり心配はしていません。昨年10月に現地へ試合を見に行きました。キックオフは20時で、そこまで暑くはありません。戦い方を変えるつもりはありませんし、90分間で全て出し切るような試合をしていきたいです。小手先で何かをするつもりはありません」

—前回大会はベスト8に進出して海外から評価された。前回のチームと比べ、こんなサッカーをやってみたいという思いは?
「ボールをたくさん保持して、主導権を握りたいと思いますが、私は質にこだわりたいです。サッカーはミスのスポーツです。ミスがなければバスケットボールのようになります。そこまでは永遠にたどり着かないと思うので、どこまでも追求できると思います。今年に入ってから、このチームは個の質、1つひとつのプレーの質、1歩2歩、10cm、0.1秒にこだわっています。時間とスペースがなくなっている今のサッカーで、どうやって全体で時間を作り、個人で時間を作り、それを誰がどのように使えばチームにとって一番有益なのか。そういうアプローチの中で、選手の個性をたくさん表現したいという願望があります。選手に対して『もっとこうやってほしい』と多くを要求してしまうことには注意していますが、質の高いサッカーをしたいと思います」

—U-17世代の傾向は?
「技術的には、年々向上しています。その反面、自分の判断で、責任で何かをするという自立の点では右肩下がりになっていると感じています。だからこそ、そこにアプローチしていきたい。サッカーだけでも、自分の責任で何かをしてもらいたいと考えています。この大会に向かって選手たちはアプローチしてきたので、ぜひ本大会では、はじけてほしいです。結果を恐れずに戦うことができる明るさは持っていますし、ディスカッションの場ではやり取りができるようになっています。そういう部分は世界に通用すると思っています」

—そのような傾向になった要因は?
「社会全体だと思います。どのチームも社会を反映してのサッカーだと思っていますので。逆に言えば、サッカー界だけでも自立の方向に進めたらと思います」

—目指しているサッカーについて具体的に教えてほしい。
「コンパクトでワイドな形から、攻撃ではできるだけ相手にぶつからず、日本の良さである俊敏性や協調性を生かし、守備でもできるだけ相手に触らずにインターセプトできるようなサッカーを目指しています」

—U-17ワールドカップに出場することが、選手たちの今後にどう影響すると考えているか?
「出場している選手はもちろん、同じ世代の選手たち全員の経験値になると思っています。世界で戦えるのかどうか。戦えないとしても1つの結果。それを披露できるかどうかということは、すごく意味があると思っています。U-19やU-20世代については、世界大会に出場できていないのが悪いとは思わないです。出場していないからこそ、上の世代で結果を残そうとしているという見方もあると思います。5年後、10年後にどうなっているか。結果が出ないということも1つの良い結果だと捉えられることが大事。世界を見ると、この大会に出場して色んなこと感じた選手が生き残っていくのかなと思います。何も感じなければ意味がありません。今回の選考では、感じられる選手を選びました。世界で戦うということに慣れてほしいので、出場することは意味があると思います」

◆東京五輪世代 U―17W杯日本代表に杉本ら21人(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/10/01/kiji/K20131001006726210.html

 日本サッカー協会は1日、アラブ首長国連邦(UAE)で17日に開幕する、U―17(17歳以下)ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーを発表し、来季J1鹿島入りする杉本太郎(岐阜・帝京大可児高)ら21人が選ばれた。吉武博文監督は「選手の体験値を上げたい」と、前回大会のベスト8を上回るベスト4以上を目標にした。

 五輪出場資格は現行では原則23歳以下。1997年生まれの6選手は、2020年東京五輪世代にあたる。吉武監督は「登竜門になる。世界との戦いに慣れていってほしい」と期待を込めた。

 1次リーグD組の日本は18日にロシア、21日にベネズエラ、24日にチュニジアと対戦する。

◆【鹿島】本山台風接近に晴れ男?アピール(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20131001-1198161.html

 鹿島が1日、鹿嶋市内で練習を行った。オフ後のこの日は、約1時間フィジカルトレーニングで汗を流した。

 MF本山雅志(34)は練習後「疲れた!」と一言。「試合に出ない分、コンディションを維持するのは大変。走り込むのは大事」と精力的にこなした。

 2日には関東圏に台風22号が迫るが「小さいころは、サッカーするときには晴れてることが多かったですよ。まあ自然の力には勝てないですけど」と、晴れ男? ぶりをアピールしていた。

Ads by Google

日刊鹿島

過去の記事