日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年11月27日金曜日

◆錦織圭も登場、LIXILが東京オリンピック・パラリンピックゴールドパートナーに(CYCLE)


http://cyclestyle.net/article/2015/11/26/30226.html

錦織圭も登場、LIXILが東京オリンピック・パラリンピックゴールドパートナーに

LIXILは11月26日、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会とともに都内で会見を開き、東京2020スポンサーシップ契約について発表した。同社は、東京2020ゴールドパートナーとして大会支援に取り組む。


(LIXIL藤森義明社長)

LIXILは、150カ国、8万人の企業に成長しております。2020年東京の準備を進める中、世界でもっとも価値の高いリビングテクノロジー企業になることを目指しています。

LIXILはさまざまなスポーツを支援していました。鹿島アントラーズには20年以上のスポンサー、テニス錦織圭選手、ラグビー、アマチュアなど幅広く支援をしております。

パラバドミントンの長島理選手は弊社に所属しており、活躍を続けています。

スポーツ支援を続けることで、より良い世界を築くということへ歩みを進めます。

世界レベルで競う一流アスリート、観客、視聴者、大会スタッフ、すべての人に心躍る瞬間が訪れるのがオリンピック、パラリンピックであると思います。東京2020競技大会の成功に貢献したいと考え「Feel the Moment」というスローガンを掲げて、支援につなげます。


(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 森喜朗会長)

住宅設備部材、水回り備品カテゴリにおきましてゴールドパートナー契約が行われました。ゴールドパートナー契約は15社目です。

11月26日「いい風呂の日」に、このLIXILさんとの契約を発表できるのはご縁があるなと思っております。

鹿島アントラーズだけでなく、多方面でスポーツ界をご支援いただいております。また藤森社長のお言葉で、心強く感じております。5年間、どうぞ宜しくお願いします。


(質疑応答)

Q、LIXILは具体的にどのように動くのか。

(藤森社長)

東京2020はある意味で今後の都市、東京がどういう形になっていくのか、ユニバーサルデザイン、省エネ、耐震という家の形が見えてきます。要素技術を使うことでそうしたことに貢献していきます。

◆DF鈴木隆雅とGK佐藤昭大も今季限りで鹿島と別れ(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177290-177290-fl



 鹿島アントラーズは26日、DF鈴木隆雅とGK佐藤昭大が今季限りで退団すると発表した。鹿島は同日、MF本山雅志とFWダヴィの退団も発表していた。

 鹿島ユース出身の鈴木はクラブを通じて「ユース時代からお世話になった鹿島アントラーズを離れることとなり、寂しさと残念な気持ちでいっぱいです。試合に出場して勝利に貢献することで、クラブ関係者やサポーターの皆さんに恩返しがしたかったのですが、思うように力が発揮できなかった自分を不甲斐なく思います。いつの日か胸を張ってアントラーズに戻れるよう、このクラブで学んだことを今後のサッカー人生に活かしたいと思います」とこれからの活躍を誓った。

 また、10年に加入したGK佐藤は、「6年間、本当にありがとうございました。これまで自分を支えてくれたチームメイト、スタッフ、そしてサポーターの皆さんに深く感謝します。競争力が高いチームの中で日々練習し、カシマスタジアムのピッチで戦えたことは自分にとってかけがえのない財産です。このクラブの想いや哲学に触れ、選手としても人としても大きく成長できたと感じています。感謝の気持ちを忘れず、アントラーズでの経験をベースに新たなチャレンジに臨みたいと思います」とコメントしている。

 以下、クラブ発表のプロフィール

●DF鈴木隆雅
(すずき りゅうが)
■生年月日
1994年2月28日
■背番号
17
■出身地
宮城県
■身長/体重
180cm/68kg
■経歴
マリソル松島SSS-FCみやぎバルセロナJr.ユース-鹿島ユース-鹿島-千葉-栃木
■通算出場記録
J1リーグ:2試合
J2リーグ:12試合
天皇杯:3試合

●GK佐藤昭大
(さとう あきひろ)
■生年月日
1986年8月30日
■背番号
1
■出身地
三重県
■身長/体重
185cm/73kg
■経歴
朝日SSS-朝日中-広島ユース-広島-愛媛-広島
■通算出場記録
J1リーグ:24試合
J2リーグ:52試合
ナビスコ杯:7試合
天皇杯:10試合

◆鹿島FWダヴィが契約満了で退団「これからもアントラーズファン」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177288-177288-fl



 鹿島アントラーズは26日、契約満了に伴い、FWダヴィと来季の契約を結ばないことが決まったと発表した。同選手は今季リーグ戦に10試合出場していた。

 13年に加入したダヴィはクラブを通じて「私はアントラーズが大好きです。自分にとって日本での所属歴が最も長いクラブとなりましたが、アントラーズはブラジル人が多く、充実した環境の中でサッカーに打ち込むことができる最高の場所でした。大きな負傷に直面してからはピッチでチームに貢献することができず、すごく申し訳ないと思います。それだけに、悔いが残りますし、これからもっと貢献したかったという思いがあります。チームを離れますが、私はこれからも変わらずアントラーズファンであり続けます。今後もアントラーズの飛躍と成功を願っています」とコメントしている。

 以下、クラブ発表のプロフィール

●FWダヴィ
(DAVI Jose Silva Do Nascimento)
■生年月日
1984年3月10日
■国籍
ブラジル
■身長/体重
183cm/85kg
■経歴
セアラ-アラングアペ-イピタンガ-ヴィトーリア-ピアウイ-札幌-名古屋-ウム・サラルSC(カタール)-北京国安(中国)-甲府
■通算成績
J1リーグ:114試合46得点
J2リーグ:77試合49得点
ナビスコ杯:22試合7得点
天皇杯:7試合2得点
ACL:6試合2得点

◆鹿島、FWダヴィらが退団「これからも変わらずアントラーズファン」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151126/374161.html



 鹿島アントラーズは26日、GK佐藤昭大、DF鈴木隆雅、FWダヴィが退団することを発表した。

 退団に際し、3選手はクラブを通じて以下のようにコメントしている。

(佐藤昭大)
「6年間、本当にありがとうございました。これまで自分を支えてくれたチームメイト、スタッフ、そしてサポーターの皆さんに深く感謝します。競争力が高いチームの中で日々練習し、カシマスタジアムのピッチで戦えたことは自分にとってかけがえのない財産です。このクラブの想いや哲学に触れ、選手としても人としても大きく成長できたと感じています。感謝の気持ちを忘れず、アントラーズでの経験をベースに新たなチャレンジに臨みたいと思います。最後になりましたが、これからも鹿島アントラーズが強くあり続けることを願っています。ありがとうございました」

(鈴木隆雅)
「ユース時代からお世話になった鹿島アントラーズを離れることとなり、寂しさと残念な気持ちでいっぱいです。試合に出場して勝利に貢献することで、クラブ関係者やサポーターの皆さんに恩返しがしたかったのですが、思うように力が発揮できなかった自分を不甲斐なく思います。いつの日か胸を張ってアントラーズに戻れるよう、このクラブで学んだことを今後のサッカー人生に活かしたいと思います。短い間でしたが、ありがとうございました。これからも応援のほどよろしくお願いします」

(ダヴィ)
「多くのサポーターの方々の優しさに囲まれ、3年間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。また、アントラーズでタイトルを獲ることができて、とても幸せでした。正直なところ、このクラブを離れたくはありません。私はアントラーズが大好きです。自分にとって日本での所属歴が最も長いクラブとなりましたが、アントラーズはブラジル人が多く、充実した環境の中でサッカーに打ち込むことができる最高の場所でした。大きな負傷に直面してからはピッチでチームに貢献することができず、すごく申し訳ないと思います。それだけに、悔いが残りますし、これからもっと貢献したかったという思いがあります。チームを離れますが、私はこれからも変わらずアントラーズファンであり続けます。今後もアントラーズの飛躍と成功を願っています」

 現在29歳の佐藤はサンフレッチェ広島の下部組織出身で、2005年にトップチームに昇格した。2007年には愛媛FCに期限付き移籍を果たし、2010年から鹿島でプレー。J1通算成績は24試合。J2では52試合出場となっている。

 現在21歳の鈴木は鹿島の下部組織出身で、2012年にトップチームへ昇格。2013年7月にジェフユナイテッド千葉へ、2014年には栃木SCへ期限付き移籍し、今季は鹿島に復帰していた。J1通算成績は2試合出場、J2では通算12試合に出場している。

 現在31歳のダヴィは2007年にブラジルのCSアラゴアーノからコンサドーレ札幌へ加入。2009年からは名古屋グランパスでプレーしたが、同年7月にカタールのウム・サラルへ移籍した。その後、中国の北京国安へ移籍すると、2011年7月にヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍で加入。2013年から鹿島でプレーしていた。J1通算成績は114試合出場で46得点を記録。J2では通算77試合に出場して49得点を挙げている。

◆さらば鹿島の10番「天才」本山雅志/写真特集(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1571606.html

 鹿島の10番を背負ったファンタジスタMF本山雅志(36)が今季限りで退団することが26日、決まった。

高校時代

「雪の決勝」と呼ばれた帝京高校との試合
雪の国立で中田浩二(左)と競り合う東福岡の本山雅志(写真は1998年1月)
雪の国立で中田浩二(左)と競り合う東福岡の本山雅志(写真は1998年1月)

鹿島入団

黄金世代と呼ばれる本山、小笠原、中田浩、曽ケ端
鹿島新入団会見で記念撮影に納まる曽ケ端準(後列左)、中田浩二(後列右)前列左から山口武士、本山雅志、中村祥朗、小笠原満男(写真は1998年2月)

鹿島新入団会見で記念撮影に納まる曽ケ端準(後列左)、中田浩二(後列右)前列左から山口武士、本山雅志、中村祥朗、小笠原満男(写真は1998年2月)

日本代表

ワールドユースで準優勝に貢献しベストイレブンに選出
U19アジアユース選手権決勝に出場した本山雅志(手前右)(写真は1998年)
U19アジアユース選手権決勝に出場した本山雅志(手前右)(写真は1998年)
シドニー五輪スロバキア戦で必死でボールを追う本山雅志
シドニー五輪スロバキア戦で必死でボールを追う本山雅志

A代表はボリビア戦でデビュー
ボリビア戦でA代表デビュー 左から柳沢敦、トルシエ監督、本山雅志(写真は00年6月18日)
ボリビア戦でA代表デビュー 左から柳沢敦、トルシエ監督、本山雅志(写真は00年6月18日)
親善試合マレーシア戦でドリブルであがる本山雅志(写真は2004年2月7日)
親善試合マレーシア戦でドリブルであがる本山雅志(写真は2004年2月7日)

鹿島伝統の背番号10

02年から鹿島の日本人では初の背番号10
ビスマルクから背番号10を受け継いだ本山雅志(中央)(写真は2002年2月1日)
ビスマルクから背番号10を受け継いだ本山雅志(中央)(写真は2002年2月1日)

王者鹿島

鹿島全17冠中14タイトル奪取に貢献
天皇杯を制してスタンドのファンに笑顔で応える本山雅志(左)と鈴木隆行(写真は01年)

天皇杯を制してスタンドのファンに笑顔で応える本山雅志(左)と鈴木隆行(写真は01年)
天皇杯を制して盛り上がる鹿島イレブン。本山雅志(右から4人目)(写真は2008年1月1日)
天皇杯を制して盛り上がる鹿島イレブン。本山雅志(右から4人目)(写真は2008年1月1日)
親善試合マンチェスターUで本山雅志は先制のゴールを決めガッツポーズ(写真は05年7月28日)
親善試合マンチェスターUで本山雅志は先制のゴールを決めガッツポーズ(写真は05年7月28日)
中田浩二、柳沢敦、新井場徹合同引退試合 98年入団同期で記念撮影する中田浩二(左から4人目)。左から本山雅志、小笠原満男、山口武士、1人おいて中村祥朗、曽ケ端準(写真は2015年7月5日)
中田浩二、柳沢敦、新井場徹合同引退試合 98年入団同期で記念撮影する中田浩二(左から4人目)。左から本山雅志、小笠原満男、山口武士、1人おいて中村祥朗、曽ケ端準(写真は2015年7月5日)

◆【鹿島】本山、今季限りで退団 新天地で再起目指す!クラブ最長18年在籍(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20151126-OHT1T50124.html



 鹿島は26日、元日本代表MF本山雅志(36)が契約満了に伴い、今季限りで退団すると発表した。11月中旬からクラブ側と話し合いを重ね、退団の結論に至った。本山は現役続行を希望。今後は鹿島協力の下、移籍先を探す。国内以外にも、念願だった海外クラブでのプレーも視野に入れる。また、FWダヴィ(31)、GK佐藤昭大(29)、DF鈴木隆雅(21)が契約満了に伴い、退団することも発表された。

 本山は98年に東福岡高から鹿島入り。以降、クラブ最長となる18年、在籍した。かつてジーコが鹿島で背負った10番を、初めて託された日本人選手。切れ味鋭いドリブル、広い視野と正確な技術でクラブに14個のタイトルをもたらした。ピッチ外でも貢献度が高く、DF内田篤人(27)=シャルケ04=が「お母さんのような存在」とたとえる気遣いで、チームをまとめあげた。

 クラブ側との話し合いの中で、本山は「もう一度、ピッチで輝きたい」と伝えたという。出場時間は年々減少傾向にあり、今季はリーグ戦で6試合、139分の出場にとどまった。ただ、同僚のMF小笠原満男が「今、練習をやっていても一番うまいのは、モト(本山)」という技術と、常勝軍団を支えた経験を武器に、新天地で再起を目指すことになった。

◆本山 18年過ごした鹿島を退団…J2北九州などが獲得に興味(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/11/27/kiji/K20151127011581010.html

鹿島を退団することになった元日本代表MF本山

 鹿島は元日本代表MF本山雅志(36)と来季契約を更新しないことを発表した。98年の加入から18年間鹿島一筋。02年から背番号10をつけ14の国内タイトル獲得に貢献したが、今季リーグ戦は6試合139分の出場にとどまった。日本代表としては99年にはU―20世界ユース選手権で準優勝。国際Aマッチは28試合に出場している。

 クラブ側は本山と数年前からキャリアについての話し合いを続け、今月中旬に来季契約を結ばない方針を決定。出場機会が激減しても真摯(しんし)に練習に取り組む姿勢などを高く評価した上で「もう一度ピッチで輝きたい。1年でも長く現役で」との本山の希望を受け、新天地を探すことが最良の選択と判断した。既にJ2北九州など国内外の複数クラブが興味を示している。本山はクラブを通じ、「まだピッチに立ち続けたいという気持ちが残った。アントラーズで得たもの全てを次の挑戦につなげたい」とコメントした。

◆鹿島・本山、退団も現役続行の意向「まだピッチに立ち続けたい」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20151127/jle15112705000003-n1.html

 J1鹿島は26日、元日本代表MF本山雅志(36)の退団を発表した。1998年に入団し、18年間鹿島ひと筋。リーグ優勝6度など14冠に貢献したが、近年はけがや水腎症の影響で出番が減っていた。

 J1通算365試合出場38得点、日本代表通算28試合出場0得点。鹿島で14年間背番号「10」を背負った本山は、「まだピッチに立ち続けたい」としており、現役は続行する意向だ。

◆鹿島本山退団「まだまだ」現役希望に複数クラブ食指(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1571577.html

鹿島本山退団「まだまだ」現役希望に複数クラブ食指

 鹿島の元日本代表MF本山雅志(36)が今季限りで退団することが26日、決まった。

 98年の入団以降、同一クラブへの18年連続在籍は、同期のGK曽ケ端準(36)と並ぶJ1史上最長タイ記録。

 02年から鹿島の10番を背負ったファンタジスタが、チームを離れることになった。

 「1年でも長くピッチの上で輝きたい」と現役続行を希望しており、出場機会を増やすため、愛着あるクラブを去る決断をした。来季の所属先は現段階で未定だが、興味を示しているクラブは複数あるという。今季はJ1で6試合139分の出場にとどまっていた。

 本山は東福岡高から98年に鹿島入り。鹿島が誇っている通算17冠のうち、14のタイトル(リーグ6度、ナビスコ杯5度、天皇杯3度)獲得に貢献した。

 日本代表では、99年のワールドユース(現U-20W杯)で史上最高の準優勝に導き、日本からは小野伸二と2人だけベストイレブンに選ばれた。00年のシドニー五輪8強。W杯出場は果たせなかったが、主にスーパーサブとして国際Aマッチ28試合に出た。

 鈴木満常務取締役強化部長(58)は「2、3年前からモト(本山)とは何度も話し合ってきた。鹿島に残れば多くの経験を腐ることなく伝えてくれる存在だが、1年でも長くプレーしたいという本人の思いを尊重した」と説明。今後について「いくつかのクラブが興味は持ってくれているので、できるだけ早く話をまとめて、国内外のクラブからモトが選べるような形にしてあげたい」と話した。

 以下、クラブが発表した本山のコメント全文。

 「高校卒業からプロの世界に飛び込み、鹿島アントラーズという最高の環境で18年もの間、サッカーができたことは本当に幸せでした。試合前の空気、ピッチで戦う誇り、サポーターの声、タイトルの歓喜。今後を考える上で自分のキャリアを振り返った時、いろいろな情景や感情が沸いてきました。しかし、最後にはやはり『まだピッチに立ち続けたい』という気持ちが残りました。試合に出場してチームに貢献したい。プロ選手としてあるべき姿を追い求めたいという願いから、退団を決意しました。ここから新たな挑戦が始まります。これまで、ともに戦ってきたチームやクラブスタッフ、スポンサーや地域の皆さま、そして最愛なるサポーターの皆さんには、本当にお世話になりました。皆さんへの感謝の気持ちを表現しようとしても、言葉ではとても伝えきれません。いつの日か恩返しができるよう、アントラーズで得たものすべてを次の挑戦につなげたいと思います。18年間、素晴らしい経験をありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」。

 ◆本山雅志(もとやま・まさし)1979年(昭54)6月20日、北九州市生まれ。東福岡高3年時に全国総体、全日本ユース、全国選手権の高校3冠を史上初めて達成。鹿島に入団した98年の7月29日市原(現千葉)戦でデビューし、00年5月6日磐田戦で初得点した。攻撃的MFとしてドリブルとスルーパスを武器に活躍し、「天才」と呼ばれた。J1通算365試合38得点。日本代表は00年6月18日の親善試合ボリビア戦で初出場した。W杯出場は果たせなかったものの、02年の日韓大会や06年ドイツ大会の予選、優勝した04年のアジア杯中国大会などで活躍した。国際Aマッチ通算28試合無得点。175センチ、65キロ。血液型A。

◆鹿島一筋18年の本山が退団…「まだピッチに立ち続けたい」と現役続行へ(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177287-177287-fl



 鹿島アントラーズは26日、MF本山雅志が今季限りで退団すると発表した。

 東福岡高から98年に加入した本山は、同期のGK曽ケ端準と並ぶJ1史上最長タイの18年連続で鹿島に在籍。これまでJ1リーグに365試合出場し、6回のリーグ優勝を経験した。また、2000年にはA代表に初選出され、28試合に出場した。

 クラブを通じて本山は、「高校卒業からプロの世界に飛び込み、鹿島アントラーズという最高の環境で18年もの間サッカーができたことは、本当に幸せでした」とコメント。今季はリーグ戦で6試合の出場にとどまったが、「『まだピッチに立ち続けたい』という気持ちが残りました。試合に出場して、チームに貢献したい。プロ選手としてあるべき姿を追い求めたいという願いから、退団を決意しました」と、現役続行を希望しているようだ。

 最後に本山は、「ここから新たな挑戦が始まります。これまでともに戦ってきたチームやクラブスタッフ、スポンサーや地域の皆さま、そして最愛なるサポーターの皆さんには、本当にお世話になりました。皆さんへの感謝の気持ちを表現しようとしても、言葉ではとても伝えきれません。いつの日か恩返しができるよう、アントラーズで得たものすべてを次の挑戦につなげたいと思います。18年間、素晴らしい経験をありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」と感謝の気持ちを述べている。

●MF本山雅志
(もとやま まさし)
■生年月日
1979年6月20日
■背番号
10
■出身地
福岡県
■身長/体重
175cm/65kg
■経歴
二島中-東福岡高
■通算出場記録
J1:365試合38得点
ナビスコ杯:57試合9得点
天皇杯:53試合12得点
ACL:21試合4得点

◆本山が18年間過ごした鹿島を退団「プロとしてあるべき姿を追い求めたい」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151126/374152.html


鹿島からの退団を発表した本山雅志 [写真]=Getty Images


 鹿島アントラーズは26日、MF本山雅志が今季限りで退団することを発表した。

 退団に際し本山は、クラブを通じて以下のようにコメントしている。

「高校卒業からプロの世界に飛び込み、鹿島アントラーズという最高の環境で18年もの間サッカーができたことは、本当に幸せでした。試合前の空気、ピッチで戦う誇り、サポーターの声、タイトルの歓喜。今後を考えるうえで自分のキャリアを振り返ったとき、色々な情景や感情が沸いてきました。しかし、最後には、やはり『まだピッチに立ち続けたい』という気持ちが残りました。試合に出場して、チームに貢献したい。プロ選手としてあるべき姿を追い求めたいという願いから、退団を決意しました」

「ここから新たな挑戦が始まります。これまでともに戦ってきたチームやクラブスタッフ、スポンサーや地域の皆さま、そして最愛なるサポーターの皆さんには、本当にお世話になりました。皆さんへの感謝の気持ちを表現しようとしても、言葉ではとても伝えきれません。いつの日か恩返しができるよう、アントラーズで得たものすべてを次の挑戦につなげたいと思います。18年間、素晴らしい経験をありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

 現在36歳の本山は1998年に東福岡高から鹿島に入団。同年7月に行われたJリーグ1stステージ第14節のジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)戦でJリーグ初出場を飾った。また、世代別日本代表にも選出され、1999年のワールドユース(現・U-20ワールドカップ)では大会得点王を獲得し、日本の準優勝に貢献。2000年にはシドニー・オリンピックに出場し、A代表にも選出された。鹿島でも主力として同年のリーグ優勝、翌年の連覇にも貢献。その後も鹿島一筋でプレーを続け、2014年7月の浦和レッズ戦では公式戦通算500試合出場に到達した。鹿島での総獲得タイトルは6度のリーグ優勝を含む21個で、リーグ戦での成績は365試合出場で38得点となっている。

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