日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年12月8日火曜日

◆町田J2復帰、相馬監督「おめでとうというゲーム」(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1576065.html

町田J2復帰、相馬監督「おめでとうというゲーム」

<J2・J3入れ替え戦:大分0-1町田>◇第2戦◇6日◇大銀ド

 J3町田が2連勝で4季ぶりのJ2復帰を果たした。第1戦で2得点したFW鈴木孝司(26)が自ら得たPKを決め勝利。2戦合計3-1とした。就任2年目となった相馬直樹監督(44)の下、恵まれない環境の中で工夫を凝らして悲願を達成した。

 昇格を告げるホイッスルが鳴った。腕を突き上げ、抱き合った。そしてサポーターの元に走ると、祝福の花束が贈られた。前半35分にPKを止めたGK高原が花束を天に掲げた。サポーターと一緒に勝利の舞を踊った。J3最終戦後は、昇格と勘違いして、ぬか喜びするハプニングもあったが、今度こそ間違いない。いつまでも余韻に浸った。

 いつもは淡々と話す相馬監督も喜びを隠せない。「長く、もう1度J2を望んでくださった方に『おめでとう』というゲームになったんじゃないかな」。

 14年から監督に再就任。JFLに昇格した09年以降、町田は13年まで監督が2年続いたことはない。2年目で戦術が浸透したことが大きい。昨年から全員攻撃、全員守備を徹底。相馬監督の意向で14年からフィジカルコーチを初めて設け、フィジカルも強化した。

 ただ資金は多くない。自前のジムもグラウンドもない。筋力トレーニングは「ティップネス」町田店で行う。もちろん営業時間内。器具は自由に使えない。だがプラスに考えている。

 「ティップネス」にはサポーターもいれば、サッカーを見ないような70~80代の年配の人もいる。「頑張って」「応援しているよ」などと声をかけられる。地域の人からの励ましは原動力になる。

 この日、決勝のPKを決めたFW鈴木孝も「施設に恵まれないからこそハングリーに出来る。施設がよかったら、甘いところも出る」。悲観する姿はない。「町クラブなのでいろんな方の協力があり今がある」と感謝までした。J2に上がっても、町田は雑草魂で暴れる。【上田悠太】

◆【千葉】02年W杯ゴール鈴木「走りきった」指導者目指す(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20151207-OHT1T50216.html


 元日本代表FW鈴木隆行(39)=千葉=が7日、千葉のクラブハウスで引退会見を開き、今後は指導者を目指す考えを明かした。95年に鹿島から歩み始めたプロの道は、21年間で国内外合わせて10クラブを渡り歩いた。10月に「プレーする気持ちよりも、次に進む気持ちが上回った」と引退を決断。「走りきった。やりきった」とすがすがしい表情で明かした。

 フィジカルの強さを武器に、02年W杯のベルギー戦では1得点を記録をするなど、日本代表でも活躍した。ただ、移籍の回数が示すように苦労も多く、結果と向き合う日々は「とにかく苦しかった」と振り返る。それでも、サッカーの醍醐(だいご)味は「みんなで苦労を乗り越えた時の喜びは、やみつきになる」。今後は監督になるために「勉強していきたい」と語った。

◆元代表FW鈴木隆行 今後は指導者の道(デイリー)


http://www.daily.co.jp/soccer/2015/12/08/0008629288.shtml

 21年間の現役生活に終止符を打ち、指導者への道を歩む元日本代表FW鈴木

 今季限りでの現役引退を表明したサッカーの元日本代表で、今季はJ2千葉に所属したFW鈴木隆行(39)が7日、千葉市内で記者会見し、「やり残したことは全くない。自分は好奇心が強く、チャンスがあればどこへでも行った。すごくいい人生」と振り返った。今後は指導者の道を歩むという。

 1995年にJ1鹿島入りし、21年間の現役生活では日本、ブラジル、ベルギー、米国など5カ国、10クラブでプレー。2002年のW杯日韓大会初戦・ベルギー戦で日本の大会初ゴールを決めるなど、日本代表としても出場55試合で11得点を記録。日韓大会当時は金髪で、ゴールへの貪欲さなどから「金狼(きんろう)」とも呼ばれた。

 「一番の思い出?W杯日韓大会は苦しい思いしかなかった。ベルギーのゲンクで出場機会がなく、移籍したゾルダーでの最終節、ゲンクのホームで華麗に胸トラップから決めたゴールは男としてすごくうれしかったし、それが一番印象に残っている」と笑顔で振り返った。

 日本協会の指導者A級ライセンスを既に持ち、今後はJリーグ監督資格のS級ライセンス取得を目指す。「(自分は)ずっと試合に出て活躍した選手ではなく、いろいろな立場、状況に立ち、苦しんだので、選手の迷い、悩みが分かる。ただ、自分のような選手は人生がつらいから(笑)」と“後継者”育成は考えていないようだった。

◆鈴木隆行、晴れやか引退会見「やり残したことない」今後は指導者へ(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/12/08/kiji/K20151208011645110.html

現役引退会見を行った千葉・鈴木

 今季限りでの現役引退を発表したJ2千葉の元日本代表FW鈴木隆行(39)が千葉市内で会見を行った。国際Aマッチ55試合で11得点したストライカーは「21年間たくさんの人に支えていただき、プレーすることができました。現役でやり残したことはない」とすがすがしい表情を浮かべた。

 引退を決意したのは10月ごろで「ふと“引退しよう”と思った。次に進みたいという気持ちが強くなり、プレーしたいという気持ちを超えたんだと思う」と説明。今後は指導者を目指し「チャンスがあれば、海外に出て行きたいという情熱もある」と海外での指導にも意欲を見せた。

◆鈴木隆行が引退会見「やり残したことない」今後は指導者の道へ(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177983-177983-fl



 今季限りでの現役引退を発表したジェフユナイテッド千葉の元日本代表FW鈴木隆行が7日、ユナイテッドパークで引退会見を行った。クラブの公式サイトによると、今後については「自分の経験を生かしてしっかり勉強して、指導者の道に進みたいという気持ちが非常に強いです」と、指導者を目指す考えを明らかにした。

 95年に茨城県立日立工業高から鹿島に入団。ブラジルのCFZ・ド・リオ、千葉、川崎Fへの期限付き移籍を経て、00年途中から鹿島に復帰した。その後はベルギー、セルビア、アメリカなどのクラブに所属し、Jリーグでも鹿島と横浜FMでプレー。11年6月から水戸に加入し、今季から千葉に在籍していた。

「ずっと試合に出て活躍していた選手ではないし、むしろ試合に出ていなかったことの方が多い。いろいろな状況に立たされてきたので、いろいろな立場の選手の気持ちが理解できたり、今迷っていること、悩んでいること、苦しんでいることはすごく分かると思う。そういう部分を理解して一緒に歩んでいけるような人間、指導者になっていきたい」

 自身のキャリアを踏まえて将来像を語った鈴木。現役時代、最も印象に残っている試合については「ベルギーやセルビアに行ったとき、満員の観客の中で紙吹雪が舞って発煙筒がたかれて、すごい熱気の中で自分が(ピッチに)入場していったときに『サッカーをやっていて良かったな』と強く思った。それがサッカー人生で一番感動したかなと思う場面だった」と振り返った。

 日本代表としても55試合に出場し、11得点を挙げた鈴木だが、語り草となっているのは、やはり02年日韓W杯初戦ベルギー戦でMF小野伸二から送られたボールに走り込んでつま先でゴールに押し込んだ同点ゴールだろう。しかし、本人は「もちろんすごいことだけど、苦しさ(ばかり)があったのでそれほど“良かった”というイメージが僕にはなくて、ヨーロッパでのことが自分の中では良いイメージとして残っている」という。

 引退を決意したのは今年10月ごろ。「練習が終わったあとにふと『引退しよう』と思った」と明かし、「今まで21年間プレーしてきて、(所属する)チームが決まってなくても、どんな状況になったとしても『辞めたくない』とずっと思っていたけど、今年の10月に『辞めよう』と思って決断した。『次に進みたい』という気持ちがすごく強くなって、それが『プレーしたい』という気持ちを超えたのだと思う」と、決断に至る経緯を語った。
 
「やり残したことはあるか?」という質問に「やり残したことはない。後悔もないし、どんなに苦しい状況でも勇気を持って前に進んだ。そういう気持ちはまったくない」と即答した鈴木。晴れやかな表情で21年間のプロ生活にピリウドを打った。

◆“苦しさ”と“好奇心”抱えて「走り切った」21年、元日本代表FW鈴木隆行が引退会見(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20151207/377800.html


引退会見で思いを語った鈴木隆行


 2015年シーズンでの現役引退を発表していたジェフユナイテッド千葉所属の元日本代表FW鈴木隆行が7日、クラブハウスにて引退会見を行った。

「21年間という長い間プレーしてきましたが、たくさんの人たちに支えていただきプレーすることができました。本当にありがとうございました」と、冒頭であいさつをした鈴木。プロとしてプレーした21年間は「本当にずっと苦しくて。試合に出ていないということもあるし、試合に出たとしてもプレッシャーがあって、その中を戦わなければいけない。もちろん結果も求められて、その中で期待に応えなければいけない。代表でプレーしたのに次の年、試合に出られない苦しさもある。今年に限っては、引退も近い中で試合に出られないとか、常にそういう苦しさを伴いながらプレーしていた」と振り返る一方で、「自分の中ではそういう苦しさがすごく嬉しかったというか、そういうものを乗り越えないと、自分を変えられないと思っていたので。こういう経験ができて、とてもいい人生だなとは常に思っていました」と晴れやかな顔で話した。

 引退の理由は、「10月くらいでしたが、練習終わった後にふっと『引退しよう』と。21年間、どんな状況になっても『あー辞めたくないな』とずっと思っていました。でも、次に進みたいという気持ちがすごく強くなって、プレーしたい気持ちを越えたんだと思います」と客観的な視点で話し、誰にも相談しなかった上での決断だったことを明かした。家族に伝えた際も「妻は何も言ってこないですし、一回も(サッカーについて)口を出したことがないです。子どももまだわからない年齢なので。むしろ、家に長時間いることが嬉しいみたいで。家の中に辞めたことへの悲しさみたいなのは全くないですね」と、夫人との信頼関係を垣間見せた。

 1995年に鹿島アントラーズでプロキャリアをスタートさせた鈴木は、「センスやうまさを売りにしているプレーヤーではなくて、球際や競り合いを頑張れる、勝てる、そして気持ちの面で負けないということを自分の中で大切にしてきました。そういうプレー以外ができない選手だったので、それが自分の武器になったと思います」と振り返り、「常に客観的に自分を判断できたことです。試合に出られなくなったりすると、違う方向を向いてしまうプレーヤーもいると思うし、自分が悪いのではなく誰かのせいにしてしまうことが非常に多いと思いますが、そういうところを間違えず、常に自分の悪い部分を直していけたことが長く続けられた理由だと思います」と、39歳まで続いたプロ選手としての長いキャリアを築けた理由を分析している。

 鈴木と言えば、2002年の日韓ワールドカップのベルギー戦での得点が印象に残っているサポーターも多いだろうが、「あのような舞台でゴールを決めたことは自分の中ですごく衝撃的だし、喜ばしいことだとは思いますけど、W杯期間中はあまりにも苦しくて。ゴールを決めたんですけど、そんなにいいイメージがなくて。嬉しかったのはほんの一瞬で。同点になって、試合が終わったわけではなかったので、そういう気持ちはすぐ消えました」と振り返る。

 その鈴木が最も印象的だった出来事して挙げたのは、2002年7月から2006年までベルギーとセルビアでプレーしたこと。「満杯の観客の中、紙吹雪が舞って、発煙筒が焚かれ、すごい熱気の中で自分が入場したとき、『サッカーをやっていて良かった』とすごく強く思ったことを今でも覚えているし、それがサッカー人生の中で一番感動したと思う場面」とコメントし、「海外で入れたときのゴールの方が印象的ですね。違う国の人間がゴールによって認めてもらえる、受け入れてもらえることがすごく嬉しい」とブラジルやアメリカでもプレーした経験が価値あるものだったと話す。

 プロ生活を振り返って感じたサッカーの魅力を問われ、「苦しいものをみんなで乗り越えていって、成功したときにみんなでその喜びを分かち合えることですかね。一人でうまくいったとしても、限られた喜びだと思いますが、関わっている人がたくさんいるほど、喜び合えるし、病みつきになりますね。みんなが喜んでくれるというか。それが忘れられないで今までやってきています」と答えた鈴木は、選手としてやり残したことは「ないです。後悔もないです。どんな苦しい状況でも勇気を持って前に進みましたし、そういう気持ちは全くないです」「走り切った気持ちが強いこともあります。行けるところまで来ました」ときっぱりと語り、今後指導者を目指していくことを明言。

「いろいろな状況に自分が立たされて、たくさんの状況で考えることができる。今、迷っていること、悩んでいること、苦しんでいることはすごくわかると思うので、そういうことを理解して、ともに歩んでいけるような人間、指導者になっていきたい」と理想の指導者像について触れ、「プロのチームの監督を目指してやっていきたいと思っています。国内だけとは言わず、海外もチャンスがあれば出ていきたい情熱もあります。家族はいますが、そこは説得して出ていきたいと思います」と鈴木は力強くコメント。持ち前の好奇心と苦境も跳ね返す強い気持ちでこれからも挑戦を続けていく。

◆[MOM1612]鹿島ユースDF戸田拓海(3年)_「当たり前」の諦めない姿勢が生んだビッグプレーと栄冠(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177940-177940-fl



[高校サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[12.6 高円宮杯プレミアリーグEAST第18節 市立船橋高 1-2 鹿島ユース グラスポ]

 ギリギリの攻防を自分たちに傾ける、まさに鹿島アントラーズユースのサッカーを表現するような2つのゴール。後半4分にMF吉岡樹利也が獲得したPKのシーン含めていずれの場面も各選手の執念が繋がって生まれたようなゴールだったが、その2つにともに絡んだのが右SB戸田拓海と左SB大里優斗の両SBだった。特に戸田は後半26分に“優勝決定弾”。昨年途中までCBだったスピード豊かな右SBが大仕事をしてのけた。

 まずは後半4分。右サイドの混戦から頭でコントロールしたボールはエンドラインを割りそうだったが、「あれは行けると思っていきました」という背番号14がラインすれすれのボールを諦めずに身体を投げ出すような姿勢でクロスを放り込む。このギリギリの状況で残したボールは大里の折り返しを経て吉岡の身体を張ったPK獲得に繋がった。これで同点に追いついた鹿島はさらに26分、左サイドの混戦からFW色摩雄貴が身体を張ってボールを繋ぐと、抜けだした大里がGKとの1対1からシュート。このこぼれ球を「絶対にこぼれ球が来ると思っていたのでゴール前まで走っていました」という戸田がDFと競りながら必死に身体を伸ばして頭で合わせ、決勝点を奪った。

「ヘッドで叩きこもうと思ったんですけどボールも見えなくて、入ったところも見えなかった」という戸田。フワリと浮いたボールはゆっくりとゴールラインを越えたが、その瞬間を見ることができなかった。それでも周囲の歓喜を肌で感じ取ると、拳を握りしめたままベンチ方向へダッシュ。ベンチから飛び出してきた選手たちと抱擁を繰り返した。

 諦めずにボールを追って先制PKに繋がるクロスを上げ、そしてリスクを承知で最終ラインからPAへ侵入してクロスを頭で決めた右SB。トップチームへ昇格するMF田中稔也も「(得意のドリブルでもっと貢献したい気持ちも)実際ありますけれど、チームのために走って、チームが勝てばそれでいい」と語っていたが、戸田自身が示した2つのシーンを含めてチーム全員が諦めずに、身体を張って、チームのために粘り強く戦うということを体現したことが勝利に繋がった。戸田は「当たり前のところを当たり前にやっていこうということで最後もやった結果だと思います」と全員がやるべきことをやり通して勝ち取った優勝を喜んだ

 戸田は守備面でもスピードを活かしたカバーリングを発揮。市立船橋高の快足FW永藤歩が出てきても「対人とかは全然怖くないです」と言い切る。そのSBはチャンピオンシップで対戦するG大阪ユース戦へ向けて「戦う気持ちを全面に出してプレーしたい。今回も勝って終わりたいと思っています」。昨年はシーズン最終戦となったJユースカップ決勝でG大阪ユースに勝って優勝。今年も関西の雄に勝利して笑顔でシーズンを終える。

(取材・文 吉田太郎)

◆[プレミアリーグEAST]「蹴る前に、みんなの顔が浮かんだ」鹿島ユースMF平戸が2戦連続で先制PK!(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177948-177948-fl

 

[12.6 高円宮杯プレミアリーグEAST第18節 市立船橋高 1-2 鹿島ユース グラスポ]
 
 鹿島アントラーズユースはトップチームへ昇格するMF平戸太貴が2試合連続で先制ゴールを決めた。前節の青森山田高戦は敗れれば、相手の優勝が決まる大一番で右足PKを成功。自力で優勝を決めるには勝つしかない市立船橋高戦でも後半4分に再びPKの機会が訪れた。

「PKには自信があったんですけど、こういう大一番で外したら一生言われるんだろうなと(微笑)。蹴る前に、みんなの顔が浮かんで絶対に決めないといけないなと思いました。決められて良かったです」。右足を振りぬくと、GKにコースを読まれながらもボールはゴールネットへ。右手を握りしめた背番号8はチームメートの祝福に応えると、すぐに厳しい表情で自陣へと戻り、試合を再開した。

 高い技術と判断力でゲームをコントロールする司令塔だが、中盤から精力的に前線へ飛び出すなど運動量も光った。チームの核となる部分を徹底。「そこは勝たないといけないというのは分かっていたんですけど、試合前にスタッフからも自分たちのやることをブレずに変えないでやれと言われていた。ブレずに自分たちらしさが出せた」と胸を張った。

 ガンバ大阪ユースとのチャンピオンシップへ向けて「勝って日本一が取れるように頑張っていきたい」と平戸。チームメートのCB町田浩樹やFW垣田裕暉が年代別日本代表に選ばれる中、「自分も」の思いを持つ実力派MFが、重圧かかるチャンピオンシップでも自分の仕事をやり通す。

(取材・文 吉田太郎)

◆[プレミアリーグEAST]鹿島ユースはトップ昇格の188cmCB町田が背後の危機消し去る(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177945-177945-fl



[12.6 高円宮杯プレミアリーグEAST第18節 市立船橋高 1-2 鹿島ユース グラスポ]

 優勝がかかった大一番。前半、緊張からかやや受け身のサッカーになってしまい、どこからしさを欠いた鹿島アントラーズだったが、その中でピンチを救っていたのがトップチーム昇格が決まっているU-18日本代表CB町田浩樹だった。

 前半10分、スルーパスで市立船橋高MF押尾大貴が抜け出しかけたが、スライディングタックルで触り、CKに逃れる。市立船橋はウイングプレーヤーに食いついてきたSBの背後のスペースを活用。そして中央に開きかけたスペースへパスを通してきた。前半30分過ぎには連続で相手にあわやのシーンをつくられた鹿島だが、この場面でも「(自分は)あんまり足速くない。ポジショニングとかで違いをつくらないといけない。成長できたと思います」という188cmDF町田が絶妙なカバーリング。大一番で相手に先制点を与えなかった。

 また特に前半は相手にCFとの競り合いで完勝。前線で起点を作らせなかった。先制直後にセットプレーで失点したことは反省点だが、それでも市立船橋にいい形でのシュートを打たせずに勝利に貢献。1年時から最終ラインを任されてきた町田は「1年の時は残留争いで2年の時も優勝から遠かった。1年のシーズン通して戦うのは難しいし、それでタイトル取れたのは大きいと思います」と高校年代最高峰のリーグ戦を制したことを素直に喜んでいた。

 12月12日にはG大阪ユースとのチャンピオンシップが行われる。G大阪にはMF高木彰人、MF堂安律というU-18日本代表のチームメートたちがいるが、警戒しつつも「楽しみです」とニヤリ。昨年のJユースカップ決勝で勝利している相手に対して「ポゼッション上手くて攻撃力がある。楽な試合ではない。Jユースと同じ展開になると思う。ガンバも成長していると思うんですけど、自分たちも成長している」という町田は、チームメートたちとともに相手以上の成長を示して高校年代日本一を勝ち取る。

(取材・文 吉田太郎)

◆[プレミアリーグEAST]鹿島ユースが初V!“優勝決定戦”でも走って、戦って、紙一重の攻防で上回る!(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177931-177931-fl



[12.6 高円宮杯プレミアリーグEAST第18節 市立船橋高 1-2 鹿島ユース グラスポ]

 高校年代最高峰のリーグ戦、高円宮杯U-18サッカーリーグ2015 プレミアリーグEASTは6日に最終節を行い、船橋市法典公園(グラスポ)球技場では首位の鹿島アントラーズユース(茨城)と3位・市立船橋高(千葉)が激突。右SB戸田拓海の決勝ゴールによって2-1で勝った鹿島が2位・青森山田高(青森)を勝ち点1差で振り切り、初優勝を果たした。鹿島は12月12日のチャンピオンシップ(埼玉)でプレミアリーグWEST優勝のガンバ大阪ユースと高校年代日本一を懸けて戦う。

 引き分けでも優勝を逃す可能性のあった最終節。鹿島は熊谷浩二監督が「子供たちがすごく成長してくれているのは改めて感じました」と評したように、選手37名と熊谷監督をはじめとするスタッフ5名で目指してきたことを全員で表現して自力で優勝を勝ち取った。この日はアウェーの“優勝決定戦”に多くのサポーターが参戦。指揮官は「アウェーですけどたくさん見に来てくれて、前節もホームだったんですけど非常にたくさんのサポーターに入って頂いた。来てくれて嬉しいのと同時に、何かしら足を運びたくなるようなものが、もしかしたら子供たちの中にも熱量というか、伝えられるものができてきているのかなと感じます」と、人々を惹きつけるような熱い戦いを貫いた選手たちに目を細めていた。

 前節、ホームで首位・青森山田との首位決戦を制して初優勝に王手を懸けた鹿島は、トップチーム昇格が決まっているU-18日本代表候補のエースFW垣田裕暉が累積警告のために出場停止。一方の市立船橋は前節のドロー(対柏U-18、0-0)で優勝の可能性が潰えていたが、左SB古屋誠志郎が「前回の対戦で負けているんで『同じ相手に2回負けるのはありえない』『勝たないと何も示せない』と言われていた。勝っていい形で終わろう言っていた」と語ったように、白星をもぎ取りに行った。負傷から回復途上のU-18日本代表FW永藤歩(モンテディオ山形内定)は先発を外れたものの、ベガルタ仙台内定のMF椎橋慧也主将やMF工藤友暉中心に序盤からボールを支配して相手を押し込んだ。

 4分、市立船橋は1トップに起用された2年生FW矢野龍斗が胸トラップから左足ミドル。10分には左サイドからの攻撃で相手の背後を取り、工藤のスルーパスにMF押尾大貴が反応する。鹿島はこれをU-18日本代表CB町田浩樹(トップチーム昇格)がカバーして得点機を阻止したが、球際で怯まず、上回る回数も多かった市立船橋はバランスのいい攻守でゲームをコントロール。14分にはU-17日本代表CB杉岡大暉がドリブルで単騎PAまで持ち込むシーンもあった。鹿島はベンチの熊谷監督から再三「見るな!」の声。優勝のかかった試合で選手たちが硬くなり、出足が鈍ってしまっていた。受け身な展開だったが、MF千葉健太主将が「悪い流れというのを察することのできる選手が多くて、それが全体に声だったりで共有して、アクションを起こすことができてきている」という鹿島は自分たちからアクションを起こして立て直す。前半終盤はセットするディフェンスに加えて、10番MF田中稔也(トップチーム昇格)やMF吉岡樹利也、FW武田諒太、MF西本卓申らが前からがむしゃらにボールを追う持ち味も出て、少しずつ流れ引き戻すことに成功。40分には左サイドで千葉が身体を張ってマイボールにすると、MF平戸太貴(トップチーム昇格)が右足ミドルを放つ。相手左SBの古屋に危険なパスを通されるシーンも続いたが、これは町田の好カバーなどで阻んで前半を0-0で終えた。

 すると後半、田中が「(前半の終盤は)前からプレスをハメて行っていって自分たちからアクションして良くなった。前線で監督からももっとアクションしていけと言われていたので、後半は最初から前からガツガツいってプレッシャーをかけようと思っていた」と説明するようにギアを上げた鹿島が、開始直後にスコアを動かした。4分、敵陣右コーナー付近での攻防から強引に飛び出した戸田がゴールライン際のボールを諦めずに追い、ギリギリのところからクロスを放り込む。これをファーサイドの左SB大里優斗がDFに囲まれながらも必死に折り返すと、身体を投げ出すかのようにゴール前へ飛び込んできた吉岡がGKにファウルされてPK獲得。これを平戸が右足で蹴りこんで先制した。

 だが、市立船橋は8分、工藤の右CKをニアサイドに飛び込んだ杉岡がヘディングシュート。豪快な一撃であっという間に同点に追いついた。市立船橋は直後にも古屋の突破を起点に相手の守りを崩し、最後はGK石川碧人の好守に阻まれたものの、工藤が右足でフィニッシュ。そして20分、市立船橋が永藤を投入すると、鹿島も後半開始から出場していたFW石津駿斗に代えて切り札のFW色摩雄貴を送り出し、さらにDF中野純をCBに入れてCB松浦航洋のポジションを前に押し出す。

 互いに仕掛け合った中で勝ち越しゴールを奪ったのは鹿島の方だった。26分、左サイドの競り合いで色摩が必死に粘ると、混戦を抜けだした左SB大里がGKとの1対1から右足を振りぬく。これはGK岩佐大輝が懸命にブロックしたが、舞い上がったセカンドボールをPAまで詰めていた右SB戸田がDFと競りながらヘディングシュート。これがゆっくりとゴールラインを越えて鹿島が勝ち越した。大興奮の戸田はベンチに向かってダッシュすると、ベンチから飛び出してきた選手たちとタッチライン際で歓喜の抱擁。先制PKをもたらしたシーン同様に、紙一重のプレーから生み出したゴールに千葉は「『細かい、紙一重の部分が勝敗を分けるぞ』と監督も言っていて、その通りになった。そこで一歩頑張れるか、相手よりも一歩先に出られるかというのがウチの強味でもあると思う。それが2点とも出たと思います」と胸を張った。

 苦しい序盤を乗り越えて追いつかれても再び突き放した鹿島はその後も、色摩を中心とした攻撃やセットプレーから決定機をつくり出す。中盤でスプリントを繰り返した平戸が「鹿島ユースの良さは一人ひとりが走って、攻守の切り替え速くして、球際競ってというのが良さで、それを当たり前にやらないと試合に出れないというのがある。『アイツが走っているからオレもやらないといけない』と思うし、それをみんなのことを考えて、チームのことを考えて、そういうプレーが(自然に)出るというのがあります」というチームは最後まで仲間のために走りきった。そして最後の局面で相手の守りを破る部分を欠いていた市立船橋の反撃を振り切った鹿島が、歓喜の初優勝。エース垣田不在の穴を全員で埋め、それぞれが力を出し切って掴んだ充実の白星だった。

 だが、戦いはまだ終わりではない。一週間後には日本一を懸けてG大阪と戦う。町田は「自分たち37人プラススタッフ5人。42人は絶対にまとまって一人も欠けないで戦おうという話をしていた。このユースでの3年間の積み重ねを最後の1試合で全員で発揮できたらいいと思います」。また、熊谷監督と出会って考え方を変えることができたという千葉は「自分では頑張っていたつもりでも、熊さん(熊谷監督)に出会って、その頑張りはちっぽけなことで、もっともっとやっている人は周りにいて、もっともっと違う考えを持っている人はいて、そういう人がプロの世界でも成功しているということを教えてくれた。絶対に胴上げできるように。スタッフ5人全員胴上げできるように頑張ります」。仲間たち、スタッフ、サポーター、全員の力を結集してあと1勝。そして埼玉スタジアムでのチャンピオンシップを歓喜の胴上げで終える。
 
(取材・文 吉田太郎)

◆高円宮杯U-18プレミアリーグEAST 鹿島が粘り強さを発揮し、優勝に輝く(FJA)


http://www.jfa.jp/news/00008194/



ピックアップマッチ

市立船橋高校 1-2(前半0-0、後半1-2) 鹿島アントラーズユース

高円宮杯U-18プレミアリーグのEAST第18節が12月6日(日)に開催され、首位・鹿島アントラーズユース(茨城)は船橋市法典公園(グラスポ)球技場で市立船橋高校(千葉)と対戦しました。勝てば優勝が決まる鹿島と地元の強豪・市立船橋の対戦とあって、会場には試合前から大勢の観客が詰めかけました。

試合は序盤からピッチのいたる場所で激しいバトルが繰り広げられます。「球際では絶対に負けないよう、ここまで練習に取り組んできた」(熊谷浩二監督)という鹿島に対し、市立船橋も「自分たちは球際で引いてはいけない」と各選手が語るように、両チームの選手たちが真っ向からぶつかっていきます。前半、市立船橋はシュート2本、鹿島は1本に終わったことが、中盤での主導権争いの激しさを物語ります。



拮抗した展開が続いた前半とは打って変わり、後半は早々に試合が動きます。48分、攻撃参加を仕掛けた鹿島の右サイドバック、戸田拓海選手がゴールラインぎりぎりのところで粘ってクロスを上げ、これに反応した大里優斗選手が中央にパスを送ると、FW吉岡樹利也選手が相手GKと交錯してPKを獲得。キッカーの平戸太貴選手がゴール左隅に沈めて、鹿島に先制点をもたらします。対するホームの市立船橋もすぐさま反撃に出ます。53分、DF杉岡大暉選手が工藤友暉選手のCKにヘディングで合わせて、スコアを1-1の振り出しに戻しました。

「心が折れそうになる試合展開」(鹿島・熊谷監督)の中、鹿島は積極的に交代のカードを切ることで攻撃を活性化。67分、石津駿斗選手に代わって登場した色摩雄貴選手が俊足を生かして相手DFにプレッシャーをかけます。すると71分、この日一番のビッグプレーが生まれました。色摩選手が市立船橋DFから高い位置で奪ってペナルティーエリア内に持ち込むと、そのこぼれ球を大里選手が拾って角度のないところからシュート、一度はGKに弾かれたものの、戸田選手がヘディングで押し込み、鹿島に再び勝ち越し点をもたらしたのです。

この後、鹿島は市立船橋の攻撃をしのぎ切って、2-1の粘り勝ち。「シーズンを通して楽な試合は一つもなかった。今日もそうだった」と熊谷監督が振り返るように、鹿島が最終節も僅差の勝負をものにしてEASTチャンピオンに輝きました。



監督・選手コメント

永藤歩 選手(市立船橋高校)
前半は相手CBの裏を狙えば、嫌がるのかなと思いながらベンチから見ていました。でも、鹿島の守備は堅いですし、戦えるチームだなと思いました。自分たちも力強くプレーすることを意識しました。何回かチャンスを得た中で、それを決め切れなかったことが敗因だと思います。プレミアリーグは自分の自信につながりましたし、最終学年の今年はEASTで優勝してチャンピオンシップに進みたかったのですが、こういう結果になって残念です。長期のリーグ戦では、1試合1試合が大事なのだと痛感しています。

熊谷浩二 監督(鹿島アントラーズユース)
予想どおり、厳しい戦いになりました。ただ子どもたちは成長してくれたと、あらためて感じました。心が折れそうになる展開の中、勝ち切ることができました。チームとしてたくましくなったように思います。(得点は)2点とも、あきらめていればそこで終わっていたかもしれませんが、自分たちが追求してきた粘り強さを発揮することができました。賢い戦い方も必要なのかもしれませんが、根本的な粘り強さを追求してきた結果、今回の勝利につながったのかなと思います。

戸田拓海 選手(鹿島アントラーズユース)
決勝点の場面は絶対にこぼれ球がくると思ってゴール前に走り込みました。ボールがきた瞬間、ヘディングで叩き込もうと思っていたのですが、ボールが見えなくて、入った瞬間も分からなかったのですが、周りが喜ぶ姿を見て決まったことに気付き、とにかくうれしかったです。勝因は気持ちで相手を上回ったこと。同点とされた後も、まだ時間があるとチーム内で声を掛け合っていましたし、焦りはありませんでした。この勝利は、最後まであきらめずにプレーした結果だと思います。

町田浩樹 選手(鹿島アントラーズユース)
相手の市立船橋はハードワークする上に足元の技術もしっかりしているので、難しい試合になりました。それでも、11人プラス控えの選手、監督をはじめとするスタッフ、そして応援団のメンバーが一丸となって勝利できたことがとてもうれしいです。得点源の垣田裕暉選手がいない中、攻撃的な選手がボールを収めてくれたので、「自分たちはエースがいなくてもできる」ということを証明できたと思います。チャンピオンシップは絶対に楽な試合にはならないと思いますが、自分たちの成長した姿を見せ、ユース生活3年間の集大成に恥じない試合がしたいです。
その他の試合結果

FC東京U-18 1-2(前半1-1、後半0-1) 青森山田高校
大宮アルディージャユース 3-1(前半2-0、後半1-1) JFAアカデミー福島
柏レイソルU-18 2-2(前半1-1、後半1-1) コンサドーレ札幌U-18
流通経済大学付属柏高校 2-2(前半0-0、後半2-2) 清水エスパルスユース

2位・青森山田高校(青森)は神谷優太選手の決勝点でFC東京U-18(東京)を下しましたが、他会場で鹿島が勝点3を加えたため、逆転優勝には一歩及びませんでした。大宮アルディージャユース(埼玉)は川田拳登選手の2得点などでJFAアカデミー福島(静岡)に勝利し、最終節を白星で飾っています。わずかに残留の可能性を残していたコンサドーレ札幌U-18(北海道)は柏レイソルU-18(千葉)と引き分け、降格が決定。流通経済大学付属柏高校(千葉)と清水エスパルスユース(静岡)は後半に点の取り合いを演じた末、2-2で試合を終えました。

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