日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年6月27日月曜日

◆[プレミアリーグEAST]青森山田が首位・FC東京U-18に逆転勝ち、市立船橋が首位浮上!!:第6節2日目(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?192712-192712-fl

高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグEAST

 高校年代最高峰のリーグ戦、高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグEASTは26日、第6節2日目の4試合を行った。

 4勝1敗で首位のFC東京U-18(東京)はアウェーで3位・青森山田高(青森)と対戦。前半14分にMF内田宅哉のゴールで先制したが、後半12分に青森山田FW佐々木快に同点ゴールを許すと、その2分後にもMF住永翔に決められて1-2で逆転負けした。FC東京は首位陥落。青森山田は2位へ浮上した。

 前節まで2位の市立船橋高(千葉)がFC東京に代わって首位に浮上した。アウェーで清水エスパルスユース(静岡)と対戦した市立船橋は前半34分にMF野本幸太が先制ゴール。この1点を守って1-0で勝った。

 ホームで流通経済大柏高(千葉)と対戦した鹿島アントラーズユース(茨城)は1-2の後半42分にMF出津真哉が同点ゴール。さらに1分後の43分に注目FW蒔田泰広が決勝点を奪って3-2で逆転勝ちした。流経大柏は開幕6連敗となった。
 
 大宮アルディージャユース(埼玉)はFW奥抜侃志とFW山本剛嗣のゴールによって横浜F・マリノスユース(神奈川)を2-1で下し、2勝目を挙げている。

 26日には第6節1日目のアルビレックス新潟U-18(新潟)対柏レイソルU-18(千葉)戦を行い、柏が2-1で勝った。柏は前半、U-19日本代表の2年生FW中村駿太が2ゴール。新潟は後半32分にMF松岡翔太が1点を返したが、柏が好守で逃げ切り、アウェーで勝ち点3を加えている。

 第6節の残り4試合は26日に開催される

【プレミアリーグEAST第6節】(6月25日)
[デンカスワンフィールド]
アルビレックス新潟U-18 1-2 柏レイソルU-18
[新]松岡翔太(77分)
[柏]中村駿太2(25分、43分)

(6月26日)
[青森山田高]
青森山田高 2-1 FC東京U-18
[青]佐々木快(57分)、住永翔(59分)
[東]内田宅哉(14分)

[県立カシマサッカースタジアム]
鹿島アントラーズユース 3-2 流通経済大柏高
[鹿]前田泰良(49分)、出津真哉(87分)、蒔田泰広(88分)
[流]松浦駿平(10分)、生方ジャラール勇(55分)

[清水ナショナルトレーニングセンター(J-STEP)]
清水エスパルスユース 0-1 市立船橋高
[市]野本幸太(34分)

[NACK5スタジアム大宮]
大宮アルディージャユース 2-1 横浜F・マリノスユース
[大]奥抜侃志(40分)、山本剛嗣(58分)
[横]渡辺力樹(86分)

※日程は3月発表、変更あり

◆【鹿島】植田、完封でV「最高です」鳥栖のオファー断り残留…定位置つかんだ(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160626-OHT1T50022.html



 ◆明治安田生命Jリーグ J1第1ステージ最終節 鹿島2―0福岡(25日・カシマスタジアム)

 最初に優勝トロフィーを掲げたのはDF植田だった。主将のMF小笠原から「熊本の人もたくさん見ているだろうから、お前が掲げろ」と指名を受け中央に立つと、飛び上がるようにして夜空に向けた。「最終節を無失点で優勝できた。DFとしてうれしい。今、最高です」。今季9度目の完封。17試合終了時点で失点10はリーグ最少で、クラブ史上最小タイ。DF昌子とのコンビは屈指だった。

 今季開幕前、鳥栖から獲得オファーを受けた。昨季はセンターバックの主力として期待を受けながら、リーグ戦出場は前年の20試合を大きく下回る12試合。1対1の場面では強さを発揮したものの、課題の連係やポジショニングで失点に絡むことが多かった。今年はリオ五輪が控え、さらに出場機会が減れば代表入りも難しくなる。焦りを感じていた。

 しばらく悩んだが、原点に立ち返ることで結論が出た。「自分は鹿島でプレーするために鹿島に入った。だから鹿島で勝負しないといけない」。物心ついた時から、父・太実男さん(53)に「何事においても負けは許さない」と教わった。ご飯の量、食べるスピードでも常に「1番」を目指してきた。家訓を思い出し、腹をくくった。課題だった指示の声、カバーリングは飛躍的に向上した。

 4月14日、地元・熊本が大震災に見舞われた時も同じだった。直後の湘南戦(同16日・BMWス)の試合後、テレビインタビューで故郷を案じて号泣した。ドラえもんの映画ではよく泣くが、ピッチで泣いたのはプロに入ってから初めて。「熊本の方々がたくさん応援してくださっている。トロフィーを掲げるところを見せられて良かった」

 13年に鹿島入りしてから、リーグ戦でのタイトルは初めてだ。次はメンバー入りが確実なリオ五輪に視線を向ける。「もちろん金メダルを目指す」と話す守備職人が、手倉森ジャパンの最終ラインでも主役を張る。(内田 知宏)

 ◆植田 直通(うえだ・なおみち)1994年10月24日、熊本・宇土市生まれ。21歳。子供の頃からテコンドーに励み、大会で優勝するほどの腕前を持つ。サッカーは小学3年で始め、熊本・大津高では1年夏からレギュラー。各年代別代表に選出され13年に鹿島入り。15年アジア杯では日本代表にも招集された。J1通算47試合1得点。186センチ、80キロ。家族は両親と姉、妹。

◆U-23練習前に鹿島勢の優勝を祝福 植田「年間王者を目指す」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160626/jpn16062620070004-n1.html

調整する植田(中央)ら日本イレブン=長野県松本市

 リオデジャネイロ五輪に出場するサッカー男子のU-23(23歳以下)日本代表は26日、長野県松本市に集合し、五輪前の国内最終戦となるU-23南アフリカ代表との国際親善試合(29日・長野県松本平広域公園総合球技場)に向け、合宿を開始した。

 練習開始前の円陣で、J1第1ステージを制した鹿島勢が拍手で祝福された。中心として活躍したDF植田の表情からは自信がうかがえ「優勝といってもまだ第1ステージだけ。このぐらいじゃ満足できないし、年間王者を目指して頭を切り替えている」という語り口も堂々としていた。

 第1ステージは出場機会がなかったGK櫛引は「ここは鹿島とは別のチーム。代表のときは代表のことだけ。五輪に向けてやっていきたい」と話した。

◆U-23、鹿島のJ1第1S制覇祝福も植田「満足できない」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160627/jpn16062705010002-n1.html

U-23日本代表の植田直通

 サッカー・U-23日本代表強化合宿(26日、長野・松本市内)練習開始前の円陣では、J1第1ステージ優勝を果たした鹿島のDF植田とGK櫛引が拍手で祝福された。今季17試合で失点わずか10とリーグ最強の守備陣を形成した植田は「第1ステージでは満足できない」ときっぱり。五輪本大会のメンバー入りが確実視されているが、「サッカーに絶対はない。気を抜くことは許されない」と南アフリカ戦へ全力を尽くすことを約束した。

◆鹿島植田&櫛引がU23代表合流、手倉森監督V祝福(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/1669161.html



 U-23(23歳以下)日本代表の長野・松本合宿が26日、同市内でスタートした。前日25日にJ1第1ステージを制した鹿島のDF植田直通(21)とGK櫛引政敏(23)が合流。夕方から回復メニューに取り組み、詰めかけたファンのサイン攻めに快く応じた。

 練習前の円陣では手倉森誠監督(48)から「第1ステージ優勝おめでとう」と祝福され、チームメートから拍手された。しかし、前期優勝を決めた福岡戦(2-0)にフル出場し、完封で貢献した植田に浮かれた様子は一切なく「まだ第1ステージなので、チャンピオンだと思っていない。満足もしていない。年間優勝を目指して第2ステージを迎える」。続けて「代表は代表でリオ五輪が近い。18人のメンバー入りをかけた最も大事な選考。アピールしたい」と29日のU-23南アフリカ戦(松本)を見据えた。

 福岡戦でベンチ入りし、歓喜の瞬間をピッチレベルで味わった櫛引も「鹿島と代表は違う。今日からの活動では日本のために戦いたい」と意識を切り替えた。

◆県人選手活躍、鹿島が制覇 J1第1ステージ(岩手日報)


http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/news.cgi?sp=20160626_1



 【茨城県鹿嶋市で運動部・水野哲志】明治安田J1第1ステージ最終節(25日・カシマスタジアムほか=9試合)首位の鹿島が最下位の福岡を2-0で下し、6連勝で勝ち点39としてステージ優勝を決めた。2001年第2ステージ以来6度目のステージ制覇で、最大5チームで年間優勝を争うチャンピオンシップの出場権を最初に獲得した。鹿島は、県人選手が活躍。山本脩斗(盛岡商高-早大)が先制ゴールを決め、小笠原満男(大船渡高)も先発フル出場した。

 山本先制 流れ呼ぶ

 常勝鹿島にまた一つタイトルが加わった。流れを引き寄せたのはDF山本脩斗(盛岡商高-早大)の今季リーグ戦初ゴールだった。

 DF昌子源を警告累積による出場停止で欠いた影響もあり、立ち上がりに守備がばたついた鹿島。しかし、山本が左サイドから切り込み惜しいシュートを放つなど徐々に流れを引き寄せ、迎えた前半27分。右からのCKに山本が見事に頭で合わせゴールネットを揺らした。

 180センチと決して身長が高いわけではないが、タイミングと位置取りで、相手の脅威になっている得意のヘディング。得点について「狙い通りの得点。ゴールが勝利につながってうれしい。岩手の人にも頑張っていることが伝わったかな」と満足そうに振り返った。

◆内田、古巣鹿島のS制覇に「当然。最後に優勝という言葉を見ると“らしいな”と」(フットボールチャンネル)


http://www.footballchannel.jp/2016/06/25/post160240/

内田篤人

 鹿島アントラーズのOBであり日本代表DF内田篤人が古巣のJ1リーグ1stステージ優勝について語った。

 J1リーグ1stステージ最終節が25日に開催され、鹿島はアビスパ福岡に2-0で勝利しステージ優勝を決めた。鹿島のリーグタイトルは2009年以来7年ぶりだ。

 内田は福岡戦をスタジアムで観戦。試合について聞かれると「勝つところが鹿島らしい。他力ではなく、自分の力で勝って終わるところが」と満足感を示した。それでも、優勝についての特別な喜びは少ないようで「鹿島は優勝して当然。勝たないといけないクラブです」と語った。

「ただ、ステージ優勝ですけど、最後に優勝という言葉がでるのは“らしいな”と。結果が出ることで強くなる。勝てないチームはいつも2位。そういうものです」

 最後に内田は長期にわたって負傷で離脱している自身について「僕もピッチで結果を出さないと。口先ばっかりではなくて。笑」と冗談を飛ばした。順調に負傷が回復している内田は、来季序盤にも復帰する予定だ。

 ようやく名門復活の狼煙をあげた鹿島。1stステージ優勝という結果が、クラブを常勝軍団に戻すきっかけとなるのだろうか。

【了】

◆鹿島の指導者柳沢コーチ、現役時代に続くステージV(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1668755.html



<明治安田生命J1:鹿島2-0福岡>◇第1ステージ最終節◇25日◇カシマ

 鹿島が6連勝締めで第1ステージを制した。2位川崎Fと勝ち点1差で迎えたホームでの最終節。前半27分にDF山本脩斗(31)が先制するなど最下位福岡を下し、01年後期以来6度目のステージ優勝を遂げた。3連覇した09年以来7季ぶりとなる年間優勝へ、11月のチャンピオンシップ出場権と賞金5000万円を獲得した。

 元日本代表FWの鹿島柳沢敦コーチ(39)も、現役時代に続くステージ優勝を遂げた。引退と同時に就任した昨季は控え組を担当。トップチームの遠征時、地元に残って教えたMF杉本を大一番の先発に成長させた。今季はトップを担当、試合中はスタンドから分析した情報を現場に落とし込む。「コーチ業を勉強させてもらっている段階。もっと個人も全体も見られるようにならないと」と満足しないが、選手への熱い訓示など昨季はなかった姿だ。

 鹿島の前回ステージ制覇は01年後期。東京V戦で柳沢が2得点し、優勝が決まった。当時は24歳の柳沢、22歳の小笠原、曽ケ端らが躍動。今季は24歳柴崎、23歳昌子、21歳植田が中心になって優勝したが「比較はできない。歴史は過去の先輩が積み重ねたもの。今の若手が、自分たちで新たな歴史を積み上げていかないと」。コーチとして世代交代に貢献しつつあるが「もっと先を見ている」と目標は年間優勝だ。王者のDNAを引き継ぐ作業は続く。

◆常勝軍団鹿島、黄金期再び 通算18冠目の年間Vへ(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1668783.html



<明治安田生命J1:鹿島2-0福岡>◇第1ステージ最終節◇25日◇カシマ

 鹿島が6連勝締めで第1ステージ(S)を制した。2位川崎Fと勝ち点1差で迎えたホームでの最終節。前半27分にDF山本脩斗(31)が先制するなど最下位福岡を2-0で下し、01年後期以来6度目のステージ優勝を遂げた。勝つためにピッチで“ケンカ”する伝統が復活。3連覇した09年以来7季ぶりとなる年間優勝へ、11月のチャンピオンシップ出場権と賞金5000万円を獲得した。

 強い。鹿島が、本調子ではなくても勝ち切った。本拠カシマでの「優勝」は07年のリーグ優勝以来。今季最多の3万1636人が詰めかけた聖地が、8年半ぶりに歓喜の舞台となり、優勝Tシャツを着た選手がビクトリーロードを歩いた。

 勝てば優勝の中、前半27分に先制した。右CK。MF柴崎が柔らかく浮かせるとDF山本が飛び込んだ。手前のDF植田が相手と競り合った背後でフリーになり、教科書のように頭でたたきつけた。ワンバウンドして力強くゴールに突き刺さる。軽々先手を取った。

 10分後に追加点だ。FW金崎が右サイドをドリブルで破り、DFとGKを引きつけてパス。FW土居が難なく合わせた。J1最少の17試合10失点を誇る守備陣に2点もあれば盤石。ホームで過去7勝1分けだった最下位の福岡を一蹴した。

 6度目のステージ優勝は最多タイ。年間、ナビスコ杯、天皇杯の全タイトルで国内1位になった。記録にふさわしい黄金期の姿が戻りつつある。14年に中田が引退、15年に本山が移籍。黄金世代が去り、他人任せだった姿勢が変わった。選手会長のDF西は4月の練習中に土居と怒鳴り合い、6月の神戸戦では金崎と口論した。「今までは嫌な気持ちにならないよう、みんな控えていた。でも変えないと」。チームに波及し、福岡戦2日前には20歳杉本と今季加入の28歳永木が声を荒らげた。強化担当21年目の鈴木常務は「かつての秋田とビスマルクのようだ」。試合を無視してでも問題解決した姿が重なった。

 ナビスコ杯の2連覇が消滅した5月には、昨夏のセレーゾ監督解任以来となる決起集会を開いた。金崎が提案。本人は当日に予定が入って参加できないオチがついたが、中堅がお膳立てし、最後は小笠原が「ズルズルいっていいのか!」と締めた。第15節で天敵浦和から6年半ぶりに勝利。物足りなかった自覚を原動力に、6連勝で優勝した。

 計18冠目の年間優勝を「義務」と位置付けるクラブにとって、前期Vは通過点だ。柴崎は「完全優勝できる権利は鹿島にしかないので第2Sも取る」。今季は創設25周年。まずチャンピオンシップ切符を得たが、黄金時代の再来に向けた序章でしかない。【木下淳】

 ◆鹿島アントラーズ 1947年(昭22)に大阪で発足した住友金属蹴球同好会が母体で、75年に茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に移転した。91年に鹿島アントラーズと改称してJリーグの正会員になる。同年7月にジーコ入団。「アントラーズ」の名称は地元の鹿島神宮名物のシカにちなみ、枝角を意味する英語「アントラー」が由来。14年3月のJ1仙台戦で史上最速のリーグ戦400勝を達成。所在地は茨城県鹿嶋市粟生東山2887。井畑滋社長。

<記録的優勝アラカルト>

 ▼6度目のステージ優勝 鹿島のステージ優勝は01年の第2ステージ以来、通算6度目で磐田の6度と並び最多タイ。J1年間優勝7度、ナビスコ杯優勝6度、天皇杯優勝4度も最多。

 ▼サイド攻撃機能 クロスからの得点が今季リーグ最多10点。「データスタジアム」の調べで、クロス成功(味方に合った回数)は86本でリーグ1位、成功率26・3%もトップだった(16節時)。昨季のクロスからの得点は34試合で12点だったが、今季はサイド攻撃が威力を発揮した。

 ▼GKセーブ率1位 ベテランGK曽ケ端の安定感が光った。GKセーブ率はリーグ1位の79%で、チームの10失点もリーグ最少だった。無失点試合9度は、昨季第1ステージを無敗で制した浦和の6度を上回った。

◆鹿島石井監督がNO1指揮官に 最高勝率7割4分超(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1668779.html

<明治安田生命J1:鹿島2-0福岡>◇第1ステージ最終節◇25日◇カシマ

 鹿島が6連勝締めで第1ステージ(S)を制した。2位川崎Fと勝ち点1差で迎えたホームでの最終節。前半27分にDF山本脩斗(31)が先制するなど最下位福岡を2-0で下し、01年後期以来6度目のステージ優勝を遂げた。

 鹿島の石井正忠監督(49)が、昨季のナビスコ杯に続く2つ目のタイトルを手にした。逃げも隠れもしない、前日練習で示唆した先発11人で福岡戦に臨むと、終盤には今夏で退団するFWジネイ、DF青木を送り出した。3万超の観衆が最高潮に達した中、優勝の笛が鳴ると、両腕を小さく上げてガッツポーズ。「何年もリーグ戦のタイトルを取れていなかった。ステージ優勝でも、優勝です」。そう言うとサプライズのウオーターシャワーを浴びた。

 就任から11カ月。常勝軍団の歴代最高勝率監督になった。前任トニーニョ・セレーゾ監督の電撃解任を受けて昨年7月に急きょコーチから昇格したが、今節まで23勝3分け5敗の勝率7割4分2厘。ジーコ総監督の7割2分7厘を抜き第1S制覇に箔(はく)を付けた。リーグ全体でも黄金期の磐田の鈴木政一、バウミール両監督に次ぐ3位。鹿島にも復活の期待が漂う。

 2年目の今季はキャンプから改革した。ただ走るだけの「素走り」を廃止し、全メニューにボールを絡めた。筋肉の機能性を高める「ファンクショナルトレーニング」も導入。筒型器具バイパー(6~10キロ)を用いて鍛えるもので、序盤は慣れない箇所への刺激で負傷者も出たが、実際のサッカーに則した動作をするため。ステージ6連勝締めが効果を裏付ける。大学時代に運動生理学を専攻し、鹿島で10季、フィジカルコーチを務めた経験でチーム力の底上げに取り組んだ。

 現役時代の93年浦和戦で決勝弾を決め、鹿島をJ元年の第1S初代王者に導いた。23年後に指導者としても戴冠。「監督が誰であれ、選手が素晴らしかったので。それに尽きる。サポーターの皆さんと一緒に勝ち取ることができました」。穏やかな口調で優勝の喜びを分かち合った。【木下淳】

 ◆石井正忠(いしい・まさただ)1967年(昭42)2月1日、千葉県市原市生まれ。現役時代はDF、MF。市原緑高、順大、NTT関東をへて92年に鹿島の前身、住友金属入り。97年までプレーした。98年に福岡移籍も左膝前十字靱帯(じんたい)断裂、引退。J通算95試合3得点。99年に鹿島ユースのコーチ、02年にトップチームのフィジカルコーチ、12年にコーチとなった。家族は夫人と1女。179センチ。血液型B。

◆内田、古巣の第1S制覇に「自力で勝つのが“らしい”」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?192593-192593-fl



[6.25 J1第1ステージ第17節 鹿島 2-0 福岡 カシマ]

 鹿島アントラーズでリハビリに取り組むシャルケDF内田篤人は、スタジアムで古巣の第1ステージ優勝を見届けた。

 勝利すれば自力での第1ステージ優勝が決まる鹿島は、きっちりと福岡から2-0の完封勝利を収めた。内田は「鹿島は優勝して当然というか、勝たないといけないクラブ。他力ではなく、自力で勝つのが鹿島らしい」と勝負強さを発揮したチームを称賛。

 この試合はかつてともにプレーしたMF青木剛の鹿島でのラストマッチということもあり、内田は「ショップで買おうと思っていたら売り切れていたので、無理を言って昔のユニフォームをもらいました」と青木のユニフォームを持参。青木がピッチに入る前に巻き起こった“青木コール”には「サポーターはよく言ってくれたと思いました」と白い歯を見せた。

 前日には練習に参加し、「アップの二人組を青木さんとやらせたもらった」ようだ。「最近試合に絡んでいなかったので、『監督と話するんですか?』と聞いたら、『自分の力が足りないと分かっているから、自分で乗り越えるだけだよ』って。常に自分に厳しい青木さんらしいなと感じたし、ああいう人と一緒のチームでやれてうれしかった」と先輩への感謝を示している。

 自身は昨年3月31日のウズベキスタン戦を最後に実戦から遠ざかっているが、古巣の第1ステージ優勝に刺激を受けたようで、「僕も早くグラウンドでやらないと」と早期復帰に向けてリハビリに励む。

(取材・文 折戸岳彦)

◆鹿島一筋16年青木「出会えて幸せ」第2Sから鳥栖(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1668778.html



<明治安田生命J1:鹿島2-0福岡>◇第1ステージ最終節◇25日◇カシマ

 第1ステージ優勝を置きみやげに、また功労者がチームを去る。鹿島の元日本代表DF青木剛(33)が福岡戦を最後に鳥栖へ完全移籍。16年目、クラブ現役3位の通算376試合に出場した守備職人が後半ロスタイムから出場し、日刊スポーツに惜別メッセージを寄せた。

<惜別メッセージ>

 ベンチで「青木」コールを聞いた時、グッとくるものがありました。出た時は勝って終わらせることだけ考えていたけど、ピッチに石井監督と握手してから入った時に「これで最後か」と。最後、サポーター席に招いてもらい「アントラーズと出会えて幸せでした」と感謝しました。本当にありがとうございます。鹿島と皆さんが大好きでした。

 正式オファーをいただいたのは先週。鹿島でサッカー人生を全うしたい。新天地で自分の力を試したい。2つの思いで葛藤しましたが、選手として幅を広げ、人としても成長するために新たな挑戦を選びました。

 01年に入団してから10度のタイトル(リーグ4度、ナビスコ杯4度、天皇杯2度)に恵まれました。すべてに全力だったので最高の試合は挙げられませんが、2年前(14年4月19日)の神戸戦では、自分がハンドでPKを与えて退場した後に逆転負けしました。サッカーを続けてもいいのか、練習場に行く資格があるのか、本気でやめた方がいいんじゃないか。悩み、苦しみました。でも、ファンが応援してくれて心に響いたことは今でも忘れません。

 初めての移籍ですが、相談した人は誰1人、反対しませんでした。老け込むには、まだ早いと。気付けば年上は(小笠原)満男さんと曽ケ端さんだけ。岩政さんが移籍し、中田さんが引退し、自分も移籍となりますが、今は新たな経験をしたい意欲の方が強いです。

 月曜日に出発します。優勝まで鹿島の一員と思っていたので、まだ荷造りはしていません。新しい人と出会えば新しい自分とも出会える。成長してカシマに帰って来ます。(鹿島DF)

 ◆青木剛(あおき・たけし)1982年(昭57)9月28日、群馬県高崎市生まれ。前橋育英高から01年に鹿島入り。Jリーグ16クラブが争奪戦を繰り広げた。高卒1年目の3月17日東京V戦でデビュー。01年ワールドユース(現U-20W杯)にも出場。04年アテネ五輪予選で主将を務めたが、本大会は落選。J1通算375試合8得点。日本代表は国際Aマッチ2試合無得点。家族は夫人と3男。183センチ、75キロ。血液型O。

◆“大好き”な鹿島でのラストマッチ…鳥栖移籍のMF青木「胸が熱くなった」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?192592-192592-fl



[6.25 J1第1ステージ第17節 鹿島 2-0 福岡 カシマ]

 鹿島アントラーズ一筋で16シーズン目を迎えていた。しかし、福岡戦の2日前、MF青木剛のサガン鳥栖への完全移籍が発表された。鹿島でのラストマッチとなった福岡戦。ベンチで戦況を見つめていた青木がピッチに送り出されたのは、後半アディショナルタイムだった。

 勝利すれば自力での第1ステージ制覇が決まるチームは、2-0とリードを奪っていた。背番号5がピッチに立つ前には、サポーターから大きな“青木コール”が巻き起こる。「あそこまでのコールをしてもらえるとは思わなかったので、すごくうれしかったし、胸が熱くなった。本当にアントラーズの一員としてピッチに立つ最後だと思ったけど、失点をしてはいけない。勝って終わるんだという気持ちで入った」と大歓声に結果で応えようとしていた。

 そして、2-0のまま試合終了のホイッスルが吹かれる。鹿島の勝利、第1ステージ優勝が決まった瞬間だった。「ファン・サポーターの方が本当に喜んでくれている姿が試合が終わったときに目に入った。その姿を見るのは自分としても、すごく喜びを感じた」。しかし同時に青木にとって、鹿島でのラストマッチが終わりを迎えた瞬間でもあったが、「それは試合前から意識していたので。でも、本当に最後にピッチに立てたので、それがすごくありがたかったです」とピッチに立つ機会を与えてくれた指揮官への感謝を示した。

 16シーズン在籍した鹿島は「大好きなチーム」だ。今後はそのチームが手強い対戦相手として待ち構えることになる。「アントラーズは本当に強いチーム。練習や紅白戦でもその強さを感じています。アントラーズと対戦する機会があれば、しっかり準備して戦いたい」と力強く語った。

(取材・文 折戸岳彦)

◆鹿島金崎「すげえうれしい」今季復帰で量産8発(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1668819.html

<明治安田生命J1:鹿島2-0福岡>◇第1ステージ最終節◇25日◇カシマ

 鹿島が6連勝締めで第1ステージ(S)を制した。2位川崎Fと勝ち点1差で迎えたホームでの最終節。前半27分にDF山本脩斗(31)が先制するなど最下位福岡を2-0で下し、01年後期以来6度目のステージ優勝を遂げた。

 攻撃陣の優勝の立役者はFW金崎だった。今季8得点。自己最多の9得点に迫る勢いで得点を量産した。試合後は「すげえうれしい」と満面の笑み。短い言葉に喜びが凝縮されていた。

 昨季はポルトガル2部ポルティモネンセから期限付き移籍でプレー。欧州の強豪への移籍を願い、1月には所属先に戻った。だが、強化担当責任者の鈴木常務は「夢生の代わりは夢生しかいない」とあきらめなかった。欧州主要リーグの移籍市場が締まる1月末まで待ち、再タッグ。計10クラブ(日本3、中国1、欧州6)が興味を示す中、鈴木常務は2月上旬、2泊5日の弾丸行程で極秘渡欧した。条件では鹿島以上のクラブがありながら、直談判に心を打たれた金崎は「日本なら鹿島しか考えられない」と復帰した。第2ステージも金崎が暴れれば年間優勝はおのずと近づいてくる。

◆鹿島が取り戻した伝統の“小競り合い”と“口論”…一触即発の空気で常勝軍団復活へ(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160626/461285.html



 派手なガッツポーズもなければ、勝ちどきの雄叫びも響いてこない。チームカラーのディープレッドに染まったスタンドが狂喜乱舞しているのとは対照的に、ピッチの上にいた鹿島アントラーズの11人は淡々とした反応で試合終了を告げるホイッスルを聞いた。

 最下位のアビスパ福岡に勝てば、2位川崎フロンターレの勝敗に関係なく優勝が決まる明治安田生命J1リーグ・ファーストステージ最終節。場内に正式なアディショナルタイムが表示されないまま、時計の針が94分を20秒ほど回った直後に決着の時が訪れた。

 笑顔こそ浮かべているが、歓喜の輪ができるわけではない。キャプテンのMF小笠原満男は福岡戦を最後に退団するDF青木剛とFWジネイの下へ真っ先に歩み寄り、肩を抱き寄せながら労をねぎらった。

 前半に奪った2点のリードを、9度目となる零封劇で危なげなく守り切った。前節にヴィッセル神戸から逆転勝利を奪い、初めて立った首位の座を盤石の試合運びで譲らなかった90分間を、MF柴崎岳は冷静かつ独特の口調で表現した。

「ひと区切りとなるファーストステージで優勝できてとりあえず喜んではいますけど、そこまで大はしゃぎしているわけでもない。僕たちにはまだ先があるので」

 ステージウィナーは獲得タイトルにはカウントされない。だからこそ、鹿島にとっては通過点となる。それでも前人未到の3連覇を達成した2009シーズン以来、7年ぶりにリーグ戦で「優勝」に絡んだ軌跡がもたらす価値は大きい。

 強化部長を務めて21年目を迎えた鈴木満常務取締役が、感慨深げな表情を浮かべる。

「この先の伸び率というか、成長の度合いというものが違ってくる。これから強くなると思う」

 神様ジーコが現役復帰を果たした25年前に前身の住友金属蹴球団の監督として日本リーグ2部を戦っていた鈴木氏が描いた青写真のとおり、鹿島は他のJクラブと一線を画すチーム作りで常勝軍団を築いた。

 システムはジーコの母国ブラジルが伝統とする「4-4-2」を踏襲。苦境や不振に陥った時に必ず立ち戻れる場所を作った上で、高卒を中心とする新人の有望株を獲得し、チームの主軸がピークに達する3年間と重複させながら哲学を継承させてきた。

 例えばジュビロ磐田との死闘となったチャンピオンシップを制し、第1期黄金時代を迎えた1998シーズン。鹿島には小笠原、今もゴールマウスを守るGK曽ヶ端準、現在はギラヴァンツ北九州でプレーするMF本山雅志、2年前に引退したDF中田浩二の「黄金世代」が加入している。

 当時の鹿島の中盤には司令塔にビスマルク、ボランチには激しい対人守備を武器としていた本田泰人が君臨していた。後に両者のストロングポイントを引き継ぐ小笠原は、プロの世界へ足を踏み入れた直後の心境をこう振り返ったことがある。

「自分が若い頃も上の人に支えられながらタイトルを取って成長できた部分がある。タイトルを取らなければ見えてこないものがあるし、タイトルを一つ取れば『またああいう経験をしたい』という気持ちも芽生えてくる。その積み重ねでチームは強くなっていく」

 決意どおりに21歳にして中心選手となった小笠原は、2000シーズンに史上初の国内三冠制覇、2001シーズンにはJ1連覇の原動力となると、2007シーズンに幕を開けた3連覇でも鹿島をけん引する。

 第30節からの5連勝で川崎を逆転するなど、くしくも今シーズンと同じ軌跡を描いた2009シーズンの時点で「黄金世代」は30歳。かねてから「同じチームで勝てるのは3年間が限度」を持論とする鈴木強化部長の青写真では、次の世代へバトンが託されていく過渡期となるはずだった。

 しかし、日本サッカー界に訪れた新たな潮流がプランを狂わせる。清水東高校から加入して5年目のDF内田篤人が、2010年7月にブンデスリーガのシャルケへ移籍。日本代表でも活躍していたリーダー候補を快く送り出した時の本音を、鈴木強化部長は苦笑しながら振り返ったことがある。

「一時は中田や柳沢(敦)、小笠原も鹿島を離れて海外へ移籍したように、10年のスパンどころか、幹となる選手が3年ないし4年しか在籍しないことを前提に、チームを作らなければいけなくなった。サッカー人生は一度限りだし、海外移籍に対してダメと言うつもりはないけど、内田や大迫(勇也)が今もプレーしていればもっと強い鹿島になっていますよ」

 3連覇を達成した遺産で2010シーズンの天皇杯を制し、2011シーズンからはナビスコカップを連覇した一方で、チームは伸びしろを完全に失っていった。年間を通じて最も安定した力を発揮するチームが頂点に立てるリーグ戦で、優勝争いに絡めなくなった事実が、鹿島の総合力が低下していることを如実に物語っていた。

 危機感を抱いた鈴木強化部長は三冠を獲得した当時の指揮官で、厳しい指導で若手を育成できるトニーニョ・セレーゾ監督を2013シーズンから再招へいする。同時にフロントが主導する形で、半ば強引に世代交代を推し進めた。

 例えば昌子源がディフェンスリーダーを拝命したのは、米子北高校から加入して4年目の2014シーズン。前年オフに当時31歳だった元日本代表DF岩政大樹(現ファジアーノ岡山)との契約更新をあえて見送り、3年間でJ1出場が13試合にとどまっていた昌子へ大役を継がせた。

 本来ならば、世代交代とは若手が実力で勝ち取るもの。フロント主導という異例の形に鹿島が置かれた苦境を悟った岩政は、昌子に熱いエールを託して去っていった。

「お前の潜在能力は高い。必ず鹿島を背負うセンターバックになれる」

 トニーニョ・セレーゾ前監督の下で昌子のほか、FW土居聖真、DF植田直通もチャンスを獲得。MF遠藤康は初の2けたゴールを達成し、ジョルジーニョ元監督時代から主軸を担った柴崎は日本代表に招集されるなど、必要不可欠な存在となった。

 個々が鍛えられた一方で、紅白戦などで真剣勝負が高じて小競り合いに発展することも日常茶飯事だった鹿島伝統の「激しさ」が失われていく。理由は日々の練習にあった。不慮のケガを恐れていたのか。トニーニョ・セレーゾ前監督は紅白戦などでスライディングタックルを厳禁とした。

 しかし、育てることと勝つことの両立を求められるのが鹿島の掟。無冠のままで迎えたトニーニョ・セレーゾ体制の3シーズン目。ファーストステージで8位に甘んじ、セカンドステージでも出遅れた第3節終了後にクラブは決断を下す。ここでトニーニョ・セレーゾ監督を解任し、コーチから石井正忠監督を昇格させたのだ。

 石井監督はまず練習におけるスライディングタックルを解禁する。Jリーグが産声を上げた1993シーズンに中盤でプレーし、鈴木強化部長とともにジーコの薫陶を強く受けた指揮官にその理由を聞くと、こんな言葉が返ってきたことがある。

「サッカーの試合で普通に起こるプレーなので、それをちゃんと練習からやっていこうということ。選手たちには、最初のミーティングで『戦う姿勢を見せてほしい』と言いました」

 1998シーズンこそ福岡でプレーし、その年限りで引退した石井氏は、翌年からユースのコーチ、トップチームのフィジカルコーチやコーチとして鹿島に携わってきた。トップチームの監督経験はなかったが、創成期から紡がれてきた鹿島の伝統を再び具現化させる上で切り札的な存在だったのは間違いない。

 就任からまもなく1年。たとえレクリエーション的なミニゲームでも負けることを拒絶する“勝者のメンタリティー”が、若いチームを蘇らせた。

 今年4月の練習中のこと。おとなしいイメージの強い土居が、練習中に選手会長のDF西大伍と怒鳴り合いを演じている。柴崎や昌子と同じ1992年生まれで、ユースから昇格して6年目を迎えた土居は、鹿島の地でプレーしていたジーコのスピリットを直接知らない。それでも小笠原の頼れる背中に触発されながら、鹿島というチームだけに受け継がれるモノが存在していることは理解できた。

「鹿島らしさと言われてもメンバーが違うので。僕らは僕らのサッカーしかできないし、その意味では新しい僕たちらしさというものを、ちょっとは示せたファーストステージだったのかなとは思います。新しい僕たちらしさですか? 今はちょっと分かりません。今シーズンが終わって、初めてそれを言葉にできるのかなと思います。(小笠原)満男さんにしかできないことがあるし、僕らがマネしろと言われてもできないこともある。僕たちなりの(バトンの)受け取り方をしなければいけないと思っているので」

 前節の神戸戦では西とFW金崎夢生が激しく口論した。チーム内に漂う、いい意味で妥協を許さない一発触発の雰囲気。守備を巡って何度も火花を散らした、第1次黄金時代のビスマルクとDF秋田豊をダブらせながら、鈴木強化部長は目を細める。

「神戸戦も含めて内容が良くなかったし、自分たちのリズムでできていないのにそれでも勝ち切れる点で、ちょっとは成長したかなと。今日の試合を見ていても分かるとおり、まだまだ小笠原のチームだけど、(若手や中堅が)ピッチに立ってリーグ戦で優勝できたという経験を積めたことは大きい。それだけ力になるということです」

 2009シーズンのリーグ優勝を知っているのは、小笠原、曽ヶ端、青木、遠藤の4人だけとなった。もっとも2008シーズンからキャプテンを務めてきた37歳の小笠原は、受け継がれてきたバトンを完全に託すまでには至っていないと力を込める。

「悪い流れの時にコントロールするのが自分の役割。いい流れの時にはどのチームも勝てる。悪い時に『お手上げです』とズルズルいくのではなく、ちょっとやり方を変えてみるなど、どうしなきゃいけないのかをもっと覚える必要がある。一生懸命やるだけでは勝てない。勝ち方というものを覚えた時にこのチームは本当に強くなるし、さらにタイトルを積み重ねていけるチームになる」

 だからこそ、ステージ優勝を経験したことで加速される要素もある。古巣の明るい未来を笑顔で確信したのは、青木のユニフォームを着込み、スタンドでステージ優勝を見届けた内田だ。

「結果が出ることですごく成長するというか、もっと強くなる。だから、勝てないチームはいつも2位になるし、一度でもそこを突き破れば優勝できるチームになる。結果が先に出ることが大事なんです」

 息つく間もなく7月2日からはセカンドステージが始まる。ホームにガンバ大阪を迎える開幕戦を皮切りに、鹿島が両ステージの完全優勝、そして明治安田生命Jリーグチャンピオンシップで年間王者に挑んでいく過程で、試行錯誤を重ねながらも伝統を紡ぎ、打ち上げられた常勝軍団復活への狼煙の真価が問われる。

文=藤江直人

◆雌伏経て「常勝」復活=受け継がれた鹿島の伝統-Jリーグ・ステージ優勝(jiji.com)


http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062500301&g=scr



 鹿島の枕ことばといえば、「常勝軍団」。だが、近年は世代交代が進まず、2000年から10シーズンで5度、リーグ年間優勝を果たした無類の強さは影を潜めた。

 リーグ制覇は史上初の3連覇を果たした09年が最後。12年にはクラブワーストの11位に沈んだ。11季ぶりに2ステージ制が復活した昨季も、第1ステージ8位。トニーニョ・セレーゾ監督解任に発展した。復活の序章となったのが、3年ぶりの国内タイトルとなった昨年のナビスコ杯決勝だ。

 連覇を狙ったG大阪を質の高い内容で圧倒。クラブ草創期に現役でプレーした石井監督は「あの試合で勝負どころが分かった」と振り返る。3連覇を知る選手は今や4人となったが、クラブの伝統を言葉とプレーで体現し続ける37歳の小笠原の存在も大きい。

 第1ステージの優勝戦線生き残りを懸けた5月21日の名古屋戦。チームはその直前にナビスコ杯で早々に敗退決定。ぎくしゃくした空気もあったが、試合前に「この試合は大事」と声を上げたのが小笠原。チームを一つにまとめ、激戦の末、後半ロスタイムのカイオのゴールで逆転勝利。黄金期をほうふつとさせる勝負強さで弾みをつけると浦和との大一番も制し、最後は川崎も蹴落とした。

 雌伏の時も、脈々とチームの精神が受け継がれてきたからこその新たな輝きだ。今季急成長し、リーグ最少失点の守備に貢献した21歳の植田は「入る前から勝たないといけないクラブと知っていた。入ってからも、試合に対する気持ちとか、満男さん(小笠原)とかを見ていれば、僕たちがやらなくてどうするという気持ちになる」。要所では金崎や若い鈴木、土居らが貴重なゴールを挙げ続けた。

 これまで手にしてきた数々のタイトルに比べるとステージ制覇にそれほどの重みはない。だが石井監督は「優勝という文言があるなら、勝ちにこだわるのがチームの伝統。タイトルを知らない選手もいるので、価値はある」。シーズン最後に頂点を極めた時、「完全復活」の文字が躍るはずだ。(2016/06/25-21:56)

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