日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年7月11日火曜日

◇苦境の浦和をオナイウが救う!先発起用の可能性浮上「いい準備したい」(サンスポ)

オナイウは炎天下での居残り練習でアピール (撮影・宇賀神隆)

 J1浦和は12日に天皇杯3回戦、J2熊本戦(駒場)に臨むが、中2日という日程で主力勢の出場が厳しいことからFWオナイウ阿道(21)が先発起用される可能性が10日、浮上した。

 この日のさいたま市内の練習場はうだるような暑さ。それでもFWオナイウはクールな顔つきで、全体練習後の居残り練習では豪快シュートを連発した。

 「ゴールを決めるため、いい準備をしたい」

 9日のJ1新潟戦(埼玉)の翌日だったため、メニューはランニング中心。オナイウも後半39分から途中出場でJ1初出場を果たしたが21歳のストライカーはボールを追い続けた。巡ってきたチャンスを生かすためだ。

 8位で苦戦中のチームは12日に熊本戦に挑むが攻撃陣は緊急事態。FW李忠成は左ひざを負傷、FWズラタンも万全ではない。FW興梠、FW武藤、FWラファエルシルバは中2日になるため出場は厳しい状況。そんな中、オナイウはナイジェリア人を父に持ち、フィジカルの強さが持ち味。昨年のリオデジャネイロ五輪最終予選で日本代表として活躍した新戦力に白羽の矢が立ちそうだ。

 「先発でも途中出場でも、与えられたところでアピールしたい」

 進退問題がくすぶっているペトロビッチ監督の救世主としても期待がかかる。「負けたら辞任する」と“進退マッチ”に設定した新潟戦は逆転勝利したが、首の皮一枚つながった格好。負けが込んでいるチームは予断を許さない状態にある。

 オナイウは6月21日の天皇杯2回戦(J3盛岡戦、○3-2)で移籍後初得点。熊本戦でもゴールを決めて指揮官の救世主になる。 (宇賀神隆)

オナイウ 阿道(おないう・あど)
1995(平成7)年11月8日生まれ、21歳。埼玉県児玉郡出身。神川パルフェ、FCコルージャ、正智深谷高校を経て2014年にJ2千葉へ入団。17年に浦和移籍。16年リオ五輪バックアップメンバー。今季J1リーグ戦1試合出場0得点。J1通算も同じ。父はナイジェリア人、母は日本人。1メートル80、74キロ。ポジションはFW。

http://www.sanspo.com/soccer/news/20170711/jle17071105020003-n1.html

◇相次ぐ浦和サポの違反行為…ユニ&タオマフ投げ込みで2名に厳重注意、入場自粛を了承(ゲキサカ)




 浦和レッズは10日、5日に等々力陸上競技場で開催されたJ1第13節・川崎フロンターレ戦の試合後、サポーターによる違反行為があったことを発表した。

 浦和サポーターの違反行為が相次いでいる。先月25日に敵地で行われた第16節・鳥栖戦において、入場券の確認を担当していたボランティアスタッフへの暴力行為。5月4日の第10節・鹿島戦では、ホーム自由席で観戦していた観客によるクラブスタッフへの乱暴な行為。4月30日に敵地で行われたJ1第9節・大宮で、緩衝帯フェンスのメッシュのカバーをはがす行為やピッチへのフラッグの投げ込みなどが確認されていた。

 今回は浦和が1-4で敗れた試合後、メインスタンドで観戦していた2名がフィールド上へレプリカユニフォームとタオルマフラーを投げ込んだという。当事者は、クラブとの対話で事実を認めて謝罪し、二度と違反行為をしないことを約束。さらにクラブからの厳重注意に対して、当事者よりホームゲーム2試合の入場自粛の申し出があり、これをクラブも了承した。

 これを受けて浦和は、「当日、ご観戦をされたすべてのみなさま、運営主管である川崎フロンターレ様をはじめ多くの方々にご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪。「スポーツは闘いです。しかし、そこにはルールがあります。浦和レッズは、『SPORTS FOR PEACE!』プロジェクトのもと、安全で快適なスタジアムづくりに取り組んでおります」としている。

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220775-220775-fl

◆J2第22節のベストイレブン発表…徳島と松本から最多3選手(ゲキサカ)

杉本 太郎 - Taro SUGIMOTO

 DAZNは10日、J2第22節の『DAZN週間ベストプレイヤー』を公式ツイッター(@DAZN_JPN)上で発表した。徳島ヴォルティスと松本山雅FCから最多3選手が選出された。J2第22節の『DAZN週間ベストプレイヤー』は以下の通り。

▼GK
長谷川徹(徳島)

▼DF
橋内優也(松本)
金聖基(町田)
井筒陸也(徳島)

▼MF
宮阪政樹(松本)
廣木雄磨(山口)
杉本太郎(徳島)
シシーニョ(岐阜)

▼FW
澤田崇(長崎)
高崎寛之(松本)
杉浦恭平(金沢)

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220790-220790-fl



◆C大阪・山村和也、トップ下で開花した才能。ユン監督の慧眼。本人も知りえなかった潜在能力(フットボールチャンネル)


前半戦を終えたJ1戦線で、最大の発見と言ってもいいだろう。ボランチやセンターバックを主戦場としていた昨シーズンまでと一変して、トップ下として眩い存在感を放っているセレッソ大阪の山村和也。今シーズンから指揮を執るユン・ジョンファン監督の慧眼に導かれ、12年ぶりとなる首位に立ったセレッソを攻守両面でけん引するプロ6年目の27歳の現在地に迫った。(取材・文:藤江直人)



ボランチやCB、「守備の人」という固定観念

セレッソ大阪のMF山村和也。トップ下にコンバートされ躍動している

 相手のゴールマウスに立つ守護神の一挙手一投足がよく見える。センターバックやボランチの息遣いや、ゴールに絡ませてなるものかという殺気も、90分間を通してひしひしと伝わってくる。

 ボランチやセンターバックが主戦場だった昨シーズンまでとは180度異なる景色や感覚を、セレッソ大阪のトップ下として眩い存在感を放っている山村和也は心の底から楽しんでいる。

「実は個人的には攻撃するのが大好きなんですよ。なので、前線でプレーしているのはすごく楽しいけど、守備で入ったときもまた違った面白さを感じているので。今日みたいにしっかり抑えられると、やっぱり嬉しいですよね」

 ホームのキンチョウスタジアムに柏レイソルを迎えた8日のJ1第18節。キックオフ前の時点で、2位のセレッソに対してレイソルは3位。上位への生き残りをかけた大一番で、山村のユーティリティー性が存分に発揮された。

 トップ下で先発し、1点を追ってDF松田陸、キャプテンのFW柿谷曜一朗を同時にベンチへ下げた後半16分からは3トップの右へ。FW杉本健勇、MFソウザのゴールで逆転すると一転して3バックの右に下がり、レイソルが仕掛けてきたパワープレーを跳ね返し続けた。

 ロンドン五輪出場をかけたアジア予選で、U‐22日本代表のキャプテンを務めた流通経済大学時代。即戦力の期待を背負って、2012シーズンから加入した鹿島アントラーズ時代。ロンドン五輪本大会を含めて、ボランチやセンターバックでプレーした山村は、いつしか「守備の人」という固定観念を抱かれていた。

 出場機会を求めて、昨シーズンから完全移籍で加入したセレッソでも然り。チーム統括部長と監督を兼任する形で昨シーズンのJ2を戦い、今シーズンからは前者に専念している大熊清氏も「攻撃が上手いことはわかっていましたけど」と、苦笑いを浮かべながらこう続ける。

「彼をトップ下で使うことまでは、正直、考えたことがなかったし、練習でやらせたこともなかった。ボランチのソウザを、トップ下で使ったことはありましたけど」

「僕よりもキープ力がありますよね」(杉本健勇)

セレッソ大阪のユン・ジョンファン監督

 ターニングポイントは、今シーズンから指揮を執るユン・ジョンファン監督の慧眼に他ならない。開幕へ向けたキャンプ中の練習試合などで山村がトップ下に配置される光景は、ある意味でチーム内に大きな驚きとカルチャーショックを与え、時間の経過とともに全員を「なるほど」とうなずかせた。

「高さを含めて前線で起点になれるし、足元の技術も高い。何よりも守備面で、トップ下の位置から力強くスイッチを入れてくれる。スピードはそれほどないですけど、とにかく運動量はすごい。彼の動きが非常に効いているし、チームにもいい影響をもたらしてくれている」

 セレッソの元祖レジェンドで、いま現在はチーム統括部内のフットボールオペレーショングループのトップを務める森島寛晃氏が目を細めれば、ワントップの位置で山村と縦の関係を築く杉本健勇も「僕よりもキープ力がありますよね」とこう続ける。

「加えてテクニックもあるし、走れるし、守備もできるのですごくやりやすい。お互いに練習の段階からよく話し合うことで、コミュニケーションも取れてきていると思う」

 山村がトップ下として公式戦で“デビュー”したのは3月4日。浦和レッズのホーム、埼玉スタジアムに乗り込んだJ1第2節の後半28分だった。2点を追う状況で投入され、それまで杉本とツートップを組んでいた柿谷が2列目の左サイドに回ってから、にわかにセレッソの攻撃が活性化された。

 前線における起点が増えたことでチーム全体が押し上げられ、さらには187センチの杉本に186センチの山村が加わったことで、クロスやセットプレーにおける「高さ」でも相手の脅威になる。ユン監督をして「特に前半はいいところが何ひとつなかった」と嘆かせた試合展開を劇的に変えた。

すでに7ゴールを記録。試合中のポジション変更も柔軟に

 レッズ戦では新体制発足後に、セビージャから電撃的に加入した清武弘嗣を故障で欠いていた。本来の司令塔が復帰するまでの時限的な措置かと思われた山村のトップ下起用は、実際に清武がピッチに立った北海道コンサドーレ札幌との第3節以降も継続されていく。

 前方にワントップの杉本、左に柿谷、右には清武が配され、後方からはソウザと日本代表の山口蛍に支援される新布陣のなかで、山村は長崎・国見高校時代に務めたことのあるトップ下の感覚を、時間の経過とともに蘇らせていった。

「僕自身も本当に意外だったというか、できるのかなという半信半疑の部分はあったんですけど。でも、最初から楽しみながらプレーすることできたし、周りのいいサポートもあって少しずつ慣れてきてチーム全体が連動するようになり、いい攻撃につながっているのかなと思います。

 たとえば動き出しの部分ではどちらかが裏へ抜けて、どちらかが足元でもらうといった具合に、僕と(杉本)健勇の動きが重ならないことが一番大事にしていますし、僕がサイドに張るときには、バイタルエリアのスペースを(柿谷)曜一朗や(清武)弘嗣が使えるように心がけています」

 チームへフィットした証は記録として刻まれる。コンサドーレ戦以降は先発に定着し、ともに1‐0で勝利したサガン鳥栖との第4節、古巣・アントラーズとの第6節での決勝弾を含めて7ゴールをマーク。杉本の8ゴールに次ぐ数字であり、アントラーズでの4年間であげた4ゴールをあっさり更新した。

 前述したように追いかける展開では最前線で高さを、リードを奪ってからは最終ラインで守備力を生かす一人三役としても貢献。選手交代のカードを使うことなくフォーメーションを変えられる点で、ユン監督の采配を大きく助けてもいる。

「フォーメーションが変わっても、自分がやるべきことはある程度、整理できているつもりなので、その意味では戸惑いはなかったですね。(最終ラインに下がることも)試合の流れのなかでけっこう多いので、その準備は常にしています」

 こう語る山村が三役を務めあげたレイソル戦は2‐1で逃げ切り、キンチョウスタジアムでは歴代2位の1万6759人で埋まり、チームカラーのピンク色で染まったスタンドと勝利の喜びを分かち合った。

「新しい課題が出てきて、自分としては面白いと感じています」

柏レイソル戦に勝利し首位に浮上したセレッソ大阪

 レッズに負けた第2節以降で、喫した黒星はわずかにひとつだけしかない。5月6日に0‐1で苦杯をなめさせられたレイソルにしっかりと借りを返し、FC東京と引き分けたアントラーズを勝ち点1差で上回ってついに単独首位に立った。

 セレッソの歴史を紐解けば、首位に立つのは2005シーズンの第33節以来、実に12年ぶりとなる快挙。攻守両面で抜群のハーモニーが奏でられ、7勝1分けと連続無敗試合を「8」に伸ばした新生・セレッソの中心で大きな存在感を放つ山村はしかし、現状に満足することなく貪欲に前を見つめる。

「レイソル戦の前半は、僕たちがボールを収めることができなかった。相手にボールをもたれる時間が長かったこともあって前半のうちに失点してしまったけど、90分間を通して走り切れるところが僕たちの強みでもあるので、そうした献身的な姿勢が結果につながっているのかなと思う。

 個人的にはボールを受ける部分でスペースがなくて難しくなる試合や、難しくなる時間帯があるので。そうなったときにどのようなタイミングで受ければいいのかを、周りとコミュニケーションを取りながら詰めていきたい。新しい課題が出てきて、自分としては面白いと感じています」

 第18節を最後に、J1は今シーズンから新設されたサマーブレイクに入る。もっともセレッソはセビージャと17日に『StubHub ワールドマッチ2017』で対峙。22日には『スルガ銀行チャンピオンシップ2017』にレッズが出場する関係で、8月13日に開催される第22節が前倒しで行われる。

 セビージャ戦は世界との差を、レッズ戦は開幕直後からどれだけ力を伸ばせたのかをはかれる、それぞれ絶好の機会となる。レッズ戦を終えれば、敵地・市立吹田サッカースタジアムでガンバ大阪との大阪ダービーからリーグ戦が再開。優勝戦線が一気に白熱化していくが、山村はいたって泰然自若としている。

「まだ18試合が終わっただけなので。これからの1試合、1試合をしっかり勝って、終わったときに喜べるようなシーズンにできたらいいなと思っています」

 1995シーズンのJ1初参戦以来、いまだタイトルを獲得していない歴史に、光り輝く1ページを書き込むために。真夏の消耗戦の先に豊穣の秋を見すえるセレッソの中心に、適材適所を見抜くユン監督のもとで本人も知りえなかった潜在能力を開花させ、無欲の心で確実に、力強く前へ進んでいく山村がいる。

(取材・文:藤江直人)

【了】

https://www.footballchannel.jp/2017/07/10/post221307/

◆鹿島の庄野社長、ホームの五輪会場追加に喜び「大変光栄」(スポニチ)


カシマスタジアム 東京五輪サッカー競技追加会場に



 06年からカシマスタジアムの指定管理者となっているJリーグ鹿島の庄野洋社長は「大変光栄。クラブにとって、ホームタウンの地域活性化、国際化に期待できること」と喜んだ。

 さらに「復興を果たした施設での開催は大きな意義と責任を感じる。今後、大会が無事に行われるよう、さらなる機能性の強化、周辺環境の整備が進むことを期待している」と語った。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/07/11/kiji/20170710s00002000332000c.html

◆「サムライだ!」の自己暗示で復活へ…2得点の内田「痛みや不安はない」(サッカーキング)


内田篤人

 シャルケに所属するDF内田篤人が8日に行われた今夏初のテストマッチを振り返った。クラブ公式サイトが9日に伝えた。

 シャルケは8日にプレシーズン初のテストマッチで6部リーグのエアケンシュヴィックと対戦。9-1の大勝でドメニコ・テデスコ新監督の初実戦を白星で飾った

 内田は後半開始から出場し、新しい3-4-3のフォーメーションで右サイドに入った。「より攻撃的なプレーを心がけました」との言葉通り、積極的な攻撃参加を見せて、48分と54分にゴールを決めてドッペルパック(2得点)を達成した。「このポジションではゴールかアシストを必要ですからね(笑)」。

 昨年12月に右ひざの負傷から約1年9カ月ぶりに復帰した内田だが、その後も再びケガを負った影響もあり、2016-17シーズンは復帰戦の1試合のみの出場にとどまった。それでも、新シーズンに向けてコンディションはいいようだ。

 後半の45分間を戦い抜いたが、「試合終了後には痛みはなかったですし、体の調子もいいです」と明かし、「不安はないです。前向きに考えていますし、またチームメイトと練習できるのが嬉しいです」と語った。

 また、長期離脱を強いられていたときの心境を聞かれると、「『ケガをするなんてクソだ! 2年も離脱するなんで本当にクソだ!』って考えていました。でも、いつも自分自身を信じて、『絶対に諦めるな! お前はサムライなんだ!』って自分に言い聞かせていました」とリップサービスを交えつつ話した。

 テデスコ新監督の初陣で2ゴールを挙げる活躍で勝利に貢献。コンディションもよく、新指揮官にもアピールできたことで、ますます完全復活に期待が高まる。内田も「僕の目標は近いうちにまたフェルティンス・アレーナでプレーすることです。本当にあの雰囲気が恋しいんです」と復帰へ意気込んだ。

https://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20170710/610739.html?cx_cat=page2

◆長い苦難を乗り越え復活へ…内田篤人「“お前はサムライ”と言い聞かせていた」(ゲキサカ)




 シャルケに所属するDF内田篤人が、クラブ公式サイトのインタビューに応じた。

 2015年6月上旬に右膝膝蓋腱の手術を受け、長期離脱していた内田は、昨年12月8日に行われたヨーロッパリーグ(EL)グループステージ第6節のザルツブルク戦に出場し、実戦復帰。639日ぶりの公式戦出場を果たしていた。今年1月10日のオーステンデとの強化試合では決勝点をアシストし、シーズン後半戦から出場に期待が高まっていたが、ブンデスリーガ中断期間中に内転筋を痛め、再び離脱。結局、リーグ戦の出場がないままシーズンを終えていた。

 シャルケは8日、新シーズンに向けてエアケンシュビック(ドイツ6部)との今夏初のトレーニングマッチに臨んだ。内田は後半開始から出場。これまで同クラブで104試合に出場して1得点だったが、この試合では2ゴールを記録し、勝利に貢献した。これにはインタビューアーも「FWになるのかい?」と冗談まじりに質問すると、「僕たちは新しいシステム、3-4-3のフォーメーションを試した。これだと僕は普段より攻撃的にプレーすることになるんだ。このポジションではゴールをお膳立てするか、決めないとね」と笑顔で語った。

「試合終了後も全く痛みはなかった」という内田は、現在の状況について質問が及ぶと、「身体の調子はいいよ。そのためにたくさんのことをしているからね。トレーニングの前には毎回コアトレーニングの個人メニューをしている。これがとても役に立っている」と好調の理由を明かし、競り合いについても「不安はない」という。

 また、離脱していた期間を振り返り、「怪我をしているのは本当にクソだ!そのうえ2年も離脱なんて本当にクソだった。でも僕はいつも自分を信じて『ネバーギブアップ、お前はサムライだ』と言い聞かせていた」。自分を奮い立たせ、長い苦難の日々を乗り越えたようだ。

 サポーターも内田の復帰を待ち望んでいた。トレーニングマッチでは内田がボールを持つたびに大声援の「ウシ」コールが送られていた。「嬉しかったし、モチベーションにもなったよ。ファンにはとても感謝しているよ!」と話し、「僕の目標はまた(本拠地の)フェルティンス・アレーナでプレーすることだ。あの雰囲気が恋しいね」。

 2015年3月7日の第24節ホッフェンハイム戦以来、約2年5か月ぶりのブンデスリーガ出場に向けて大きな一歩を踏み出した内田。シャルケファンだけでなく、多くのファンが内田の完全復活を期待している。

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?220763-220763-fl

◆【コラム】背負う責任が進化の証…昌子源、鹿島と代表でさらなる飛躍へ「強くなる」(サッカーキング)




「巻き戻しできるなら巻き戻したいけど、できないものは仕方ない。結果をしっかりと受け止める。失点に絡んだことがないセンターバックはいないと思うし、痛い思いをして強くなっていく」

 6月7日、東京スタジアム。日本代表の一員として3つ目のキャップを刻んだ昌子源は、自らの「マークミス」と言い切った失点と向き合いながら、しかし前を見据えていた。「次も俺で行く保証なんてない」と先発落ちの可能性に自ら言及するほどのミスだったと認めつつ、「周りから何を言われようが、引きずったら負け」と続けた。

「最後の局面は(センターバックの)僕と(吉田)麻也くんのところでやられるわけで、“そこがしっかりやらないと”という思いもある。そういうポジションでやっている自覚もありますからね」

 現実から目を逸らさないこと、そして責任を一身に背負うこと――。プロフットボーラーとして7年目、日本を代表するセンターバックとして日々進化を続ける背番号3の言葉に、成長の跡が刻まれていた。



 国内最多タイトルホルダーの鹿島アントラーズで、今や不動のチームリーダーとして君臨する昌子。輝きを放ち始めたのは加入4年目の2014年だった。開幕スタメンの座を射止めると、順調に出場数を重ね、同年4月にはついにアルベルト・ザッケローニ監督(当時)から声が掛かった。初めての日本代表合宿。候補メンバーではあったが、「周りの見る目が一気に変わった。厳しい言葉も浴びるようになりましたね」と変化の実感を明かしていた。ただ、主力選手としての自覚も芽生えつつあったが、まだまだ駆け出しの若手。失点の恐怖と結果への責任を、こんな言葉で表現していた。

「センターバックは大変なポジションで……。正直な話、自分が関わっていない失点でも、結局は僕らのせいというか、批判されてしまうので。正直、難しいところはありますし、嫌なポジションではあるんですけどね」

「センターバックは10本中9本止めても、1本決められたらダメ。逆にFWは1本でも決めればヒーロー。FWってええな」と冗談めかして笑うこともあった。米子北高校入学後にFWからセンターバックへと主戦場を変えた若武者は、最終ラインを預かる責任を真の意味では消化できていなかったのかもしれない。

「自分が失点に絡んでしまうと、その晩の気持ちは重くて……。チームが勝っても、自分のミスで失点すると落ち込みます。でもまあ、センターバックはそういうポジションなので、いちいち気にしていたら持たなくなりそうなので……」

 21歳の若さで、鹿島のセンターバックを務める。順風満帆に見える道のりだが、昌子はもがき苦しんでいた。対人の強さ、俊足を活かしたカバーリングと卓越した統率力――。万能DFとして日々存在感を高めていったものの、「出始めの頃、ボロカスに言われていたからね」と今になって回想する通り、期待の高さゆえに厳しい言葉を浴びることも少なくなかった。失意の敗戦、自らに降り注がれる罵声。分け隔てなく誰とでも接するフランクな性格で、勝敗を問わず気丈に取材対応を繰り返してきた若武者が「何を話しても言い訳になるから」と、口を閉ざして敗戦後のスタジアムを後にする日もあった。



 今となっては言える。「なんでもネガティブに捉えることは3年前くらいに終わったんでね。周りの目を気にしたりとかね」。しかし当時は、苦しかった。2014年は無冠で終了。個人としてはキャリアの転換点となる1年だったが、常勝軍団はタイトルを獲らないと評価されない。翌2015年にはクラブから託された背番号3とさらなる重荷を背負ってピッチに立ったものの、低空飛行を続けるチームにあって不甲斐なきパフォーマンスが目に付いた。「サポーターの皆さんが怒るのは当然。情けない」。そう言って唇を噛んだこともあった。そして同7月には自らを抜擢してくれたトニーニョ・セレーゾ監督が解任されてしまう。

「自分は期待に応えてきたタイプじゃないから。一段上がって一段戻ったり、そういうサッカー人生だと思う」

 苦しみながらも進み続けた2015年。責任と痛恨の思いを胸に、昌子は石井正忠監督の初陣で決勝点を挙げた。そして同10月、ヤマザキナビスコカップを制覇。レギュラーとして初めてチームタイトルを掴み、“鹿島の3番”として一歩前進した。

 迎えた2016年は、さらに歩みを進めた。1stステージ制覇、2ndステージの低迷。起伏の激しいシーズンとなったが、真価を問われるクライマックスで、昌子はチームリーダーとしての自覚を言葉で示した。「勝負強いと言われるのは、昔の鹿島だから。最近は大事な試合で負けている。それは全部、自分たちが招いたこと」。不退転の決意を紡ぎ、全身で責任を背負った。夏以降の低迷で不穏な雰囲気が漂っていたサポーターに向けて、「一体感を出せたら。“共闘”だから」と言葉を発する。ややもすれば批判の矛先になりかねない発言に、「ブーイングはしんどい」と漏らしていたかつての面影はなかった。

 その後の栄光は改めて言うまでもない。J1制覇を果たし、今後も語り継がれることであろうクリスティアーノ・ロナウドとの対峙で世界中に己の存在を示し、そして天皇杯も制した。「優勝して言いたかった 共闘 ありがとう!!!」。激闘の日々を終えて綴った、感謝のツイート。自らに課した責任を遂行し、背番号3は強く逞しくなった。



「勝負の世界である以上、やられる人もいれば勝つ人もいる。その中で少しずつ強くなっていきたいと思う」

 2017年6月。東京スタジアムで己のミスと向き合った6日後、灼熱のテヘランでサムライブルーを纏い、90分を走り抜いた背番号3の姿があった。その4日後には、慣れ親しんだカシマのピッチで完封勝利に貢献してみせた。全ては、チームのために――。満身創痍の身体を突き動かし、闘い続けていた。

 鹿島では今、腕章を巻く試合もある。加入後3人目の指揮官・大岩剛からは「チームをまとめてくれ」と真っすぐな言葉で信頼を託された。J1前半戦を首位で終えた常勝軍団で、唯一のフルタイム出場。不動の地位を築き上げ、「本当に強いチームを目指しているから」と、さらなる向上を見据えている。昌子源、24歳。その進化に限界などない。

文=内藤悠史

https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20170710/610774.html?cx_cat=page1

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