日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年2月6日火曜日

◆解き明かされる一流Jリーガーの転機…書籍『黄金の1年』を3名様にプレゼント!(ゲキサカ)



 一流Jリーガー19人の“黄金の1年”を描いた『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(飯尾篤史著、ソル・メディア刊)の発売を記念し、ゲキサカ読者に書籍ををプレゼントします。

 あのシーズンがあったから今がある。Jリーグの歴史を動かしてきた男たちの「心の声」を徹底取材で解き明かす。レギュラー獲得、代表入り、移籍、ケガ、監督との確執、サッカー選手にはポジティブな意味でもネガティブな意味でも、のちのキャリアに決定的な影響を及ぼした転機のシーズンがある。一流Jリーガー19人の「黄金の1年」とは。人がもがき苦しみ自分の殻を破る時、そこには“感動的なドラマ”がある。

▼内容紹介
2002年の佐藤寿人
「J2で出られない選手」が築いたストライカーとしての礎

2003年の阿部勇樹
恩師オシムと出会い、過ごした濃密な1年

2004年の田中隼磨
常勝チームで経験したプロフェッショナルの神髄

2005年の大久保嘉人
自信がかげり、プレーが変化した波乱万丈のスペイン時代

2005年の橋本英郎
「便利屋」を究めた男、プロキャリア20年の重み

2006年の青山敏弘
ミシャに見出され、怒られた幸せな時間

2006年の中村俊輔
セルティックでの幸福な日々と、少しの後悔

2007年の小笠原満男
オガサが変わって、鹿島も変わった

2007年の中村憲剛
代表デビュー、激変した環境の中で…

2007年の増嶋竜也
FC東京とU‐22代表、2つの挫折と1つの決意

2008年の大谷秀和
23歳のキャプテン就任、金髪の若者が変わる時

2008年の太田宏介
底辺スタート、2人の恩人、そしてある言葉

2009年の今野泰幸
ボランチ失格の通達…センターバックをめぐる葛藤

2010年の森重真人
「年間ワーストプレーヤー」甘い自分との決別

2010年の鄭大世
失意のヨーロッパ挑戦、「人間ブルドーザー」の過去を捨てて

2011年の柏木陽介
運命の福岡戦、“奇跡の一撃”はなぜ生まれたのか?

2011年の槙野智章
ケルン2季目の葛藤、欧州挑戦の末に至った境地

2012年の川又堅碁
4年間ノーゴール、岡山で取り戻したストライカーの精神

2013年の岩政大樹
ベテランのレギュラー落ち、自分自身との孤独な戦い

付録年表
日本サッカー界の歴史/本編に登場するエピソード


 ゲキサカでは、この『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』の発売を記念し、合計3名様にプレゼントします。応募方法はゲキサカの公式Twitter @gekisaka をフォローしたうえで、こちらの「該当ツイート」をリツイート(RT)するだけ。RTいただいた方の中から抽選で各3名様にプレゼントします。
 
応募期間は2月11日(日)23時59分まで。詳細は下記をご参照ください。皆さまのご応募をお待ちしております。

■応募期間
2018年2月4日(日)~2018年2月11日(日)23:59
■参加方法
応募期間内にゲキサカの公式Twitter @gekisaka をフォローし、こちらの「該当ツイート」をリツイート(RT)してください。
■当選発表
当選者様にTwitterのDMにて、ご連絡させていただきます。

【利用規約】
・投稿にはTwitterへの登録が必要となります。
・投稿頂いた内容はTwitterタイムラインに投稿されます。
・「該当ツイート」のリツイート(RT)のご投稿して頂いたお客様のみ、キャンペーンの当選権利がございます。
・当選者の決定前に@gekisakaのフォローを解除されると抽選、選考の対象外となります。
・すでに@gekisakaをフォローされている場合は、抽選、選考の対象となります。
・記載メンション、#タグ、URLの変更・削除は抽選、選考の対象外となります。
・プログラム等による自動投稿は抽選、選考の対象外とさせて頂く場合がございます。
・当選した権利を第三者に対し譲渡・転売することはできません。オークションへの出展等転売行為は固く禁止させていただきます。
・当選者には、DM(ダイレクトメッセージ)にてご連絡いたします。
・賞品のお届け先は、日本国内に限らせて頂きます。
・Twitterもしくは当サイトの外部サーバー、ネットワーク環境などの不具合により投稿できなかった場合、本キャンペーンの一切の責任を負いかねますので、予めご了承ください。

解き明かされる一流Jリーガーの転機…書籍『黄金の1年』を3名様にプレゼント!

◆柴崎岳、スペイン適応の裏側とは…当時のテネリフェ同僚が明かす(GOAL)



テネリフェの強化部門担当者や当時のチームメイトのコメントを紹介した。

ヘタフェのMF柴崎岳に関する特集をスペイン『エル・ムンド』が組み、関係者のコメントを紹介している。

柴崎は2017年1月にスペイン2部テネリフェへ移籍。当時は鹿島アントラーズから1部ラス・パルマスといったクラブへ移籍のうわさもありながら、1年目はスペインの2部で経験を積むことになった。テネリフェの強化部門担当者は、クラブ・ワールドカップでの一戦を見て、柴崎に興味を持ったと振り返る。

「(レアル)マドリーとの試合を見て興味を持った。2部の私たちにとっては、近寄り難い選手だったがね。だが昨年1月の市場が開いた際、1部の複数のクラブが彼を獲得するか決めあぐねたか、または欧州圏外枠が空いていなかった。だから彼の代理人は私たちにオファーを提示した」

しかし、当初はスペインへの適応に苦しんだ柴崎。それでもバルセロナで一度休養を取ったことが大きな分かれ目となったようだ。当時のチームメイトで、現在はナスティックでプレーするオマール・ペルドモはこう語る。

「彼にとって最初の日々は難しいものだった。でも、友人たちとバルセロナに行く許可を取り、戻ってくると別人になっていた。そうして僕たちに謝ったんだ。彼はグループの集中を乱したくなかったんだよ」

さらに、アーロン・ニゲス(現オビエド)も柴崎は適応のための努力を惜しまなかったことを認める。

「彼は、僕たちがほかの日本人を探すことを拒んだ。英語を学ぶ方が簡単だったろうに、彼はスペイン語を話すことを望んだ」

柴崎のこういった見えない努力もあり、リーグ終盤でフィットすると昇格プレーオフでは大活躍。そして後のヘタフェ移籍へとつながっている。

柴崎岳、スペイン適応の裏側とは…当時のテネリフェ同僚が明かす

◆鹿島で躍動する内田篤人。コンディションは良好、「背番号2」が早くも示す存在感(フットボールチャンネル)



約7年半ぶりに鹿島アントラーズへ復帰した内田篤人(前ウニオン・ベルリン)が、開幕へ向けてしっかりと居場所を築きあげている。敵地で3日に行われた、J2水戸ホーリーホックとのプレシーズンマッチで右サイドバックして先発。移籍後では最長となる81分間のプレーのなかで、キャプテンのMF小笠原満男とのホットラインを蘇らせただけでなく、途中出場の安西幸輝を背後から上手くフォロー。「使われる側」と「使う側」の両方で、まばゆい輝きを放ちつつある。(取材・文:藤江直人)

猛然とスプリントを開始した背番号2

たったひとつの言葉で、7年半にもおよぶブランクを埋めてみせた。鹿島アントラーズのDF内田篤人は、キックオフを前にしてキャプテンのMF小笠原満男に幾度となくこう耳打ちしている。

「最終ラインの裏ではなくて、相手のキーパーのところまで斜め前に入っていくので、そこを見ていてください」

 同じ茨城県内にホームタウンを置く、水戸ホーリーホックとプレシーズンマッチで対峙する恒例のいばらきサッカーフェスティバル。敵地ケーズデンキスタジアム水戸で3日に開催された第13回大会のハイライトのひとつが、37分に飛び出したビッグプレーだった。

 ハーフウェイラインからちょっとだけ敵陣に入った右サイドで、小笠原がボールを受けて前を向いた瞬間だった。右タッチライン際にポジションを取っていた内田が、猛然とスプリントを駆け始める。

 試合前の言葉通りに縦ではなく斜め前へ、右角付近からペナルティーエリア内へ侵入するルートをたどりながらどんどん加速していく。そこへ寸分の狂いもなく、約30メートルはあった小笠原からの縦パスが入ってきた。

「試合前からずっと言っていたことなんですけど、ああやってボールが出てくるのはやっぱりすごいと思いますね」

 トラップしながらさらに前へ抜け出した時点で、相手ゴールとキーパー松井謙弥の姿がはっきりと見えた。マークを受け渡すのか。あるいは、そのまま追走するのか。一瞬で生まれたアントラーズのチャンスに、ホーリーホックの守備陣が混乱をきたす。

 最終的には対面にいた左サイドバック、田向泰輝が必死にアントラーズの「2番」を追った。間に合わないと察したのか。最後は背後から、一か八かのスライディングタックルを仕掛ける。

 ペナルティーエリア内で激しく倒されたものの、主審のホイッスルは鳴らない。起きあがりざまに思わず苦笑いを浮かべた内田だったが、小笠原と久しぶりに開通させた“ホットライン”に感じた決して小さくはない手応えは、試合後に残した短い言葉のなかに凝縮されていた。

「まあ、(小笠原)満男さんとは(前にも)一緒にやっているからね」

「これからもっとよくなると思う」

内田は水戸ホーリーホックとの1戦で先発出場し81分までプレーした

 ブンデスリーガ1部の古豪シャルケ04へ旅立ったのが2010年7月。当時のフィールドプレーヤーで、2018シーズンに臨むいま現在もプレーしているのは小笠原と、あとは親しみを込めて「ヤス」と呼んでいるMF遠藤康しかいない。

 その遠藤が、あわやPK獲得かと思われたビッグプレーの直前に内田の右前方にポジションを取っていた。しかも、巧みに内側へスライドして相手の関心を引きつけながら、内田が前へ駆け抜けるスペースを作り出していた。

 小笠原と同じく、旧知の間柄に育まれた“あうんの呼吸”のなせる業なのか。再び苦笑いを浮かべながら、内田は意外な言葉を返してきた。

「ぶっちゃけ、僕はヤスとは一緒にやっていないんですよ。仲がいいからやっているように思われるけど。だから僕とヤスとか、右の前の選手との関係がもっとよくなれば、僕もその選手ももっとボールをもらえるようになるので」

 同じ1988年生まれでも内田は3月27日の早生まれで、11日後の4月7日に産声をあげた遠藤は一学年後輩になる。ルーキーイヤーの2006シーズンから活躍した内田と、5年目の2011シーズンから台頭した遠藤は同じピッチ上でほとんど共演を果たしていなかった。

 もっとも、性格はお互いに熟知し合っているからこそ、時間が積み重ねられるごとにコンビネーションも熟成される。自身の経験を踏まえながら、内田は毅然とした表情で前を見すえた。

「僕がシャルケに入ったときも、最初は何ヶ月かかかったから。そこは時間がかかる。しょうがない。後半にはレオ(・シルバ)からも何本かあった。あとちょっと届かないんだけど、あれが届くようになれば裏にも抜けられる。まだまだだけど、だからこそこれからもっとよくなると思う」

才能豊かな後輩たちの姿に感じた頼もしさ

 昨シーズンにアルビレックス新潟から加入し、中盤の底で必要不可欠な存在となっているレオ・シルバだけではない。鹿島アントラーズユースから昇格して4年目の21歳で、スーパーサブからレギュラーの一角を狙うFW鈴木優磨との可能性も感じさせた。

 1‐1で迎えた63分。直前にFWペドロ・ジュニオールに代わって投入されていた鈴木が、敵陣の中央でボールを受ける。数人の相手に囲まれながらもボールをキープしている間に、内田はスルスルとポジションを上げていった。

 その姿を視界の片隅にとらえていたのだろう。相手を引きつけたうえで、鈴木が絶妙の横パスを右サイドへ通す。そのまま駆けあがった内田は、ペナルティーエリアに入ったところで左へ急旋回。シュートコースが空いたのを見極めたうえで、左足を一閃した。

 ゴール右隅を狙った一撃はやや当たり損ねたこともあって、後半開始から出場していたキーパーの本間幸司に横っ飛びでキャッチされてしまった。それでもシュートに至る過程が、未知の選手たちと知り合えている手応えが内田の表情を綻ばせる。

「アイツ(鈴木は)ボールも要求するけど、いいポイントというのもやっぱりわかっているからね」

 69分からは遠藤に代わって、東京ヴェルディから完全移籍で加入した安西幸輝が投入された。登録はディフェンダーで、内田と同じ右サイドバックを本職とする22歳は、攻撃的なセンスを買われて右サイドの攻撃的なポジションでも試されている。

 ジュニアからヴェルディひと筋で育ってきた安西は、いつしか目標とする右サイドバックとして内田の存在を掲げるようになった。はからずも憧れの存在と、同じ時間を共有できるようになった1月の宮崎キャンプ。安西は勇気を出して内田に尋ねた。

「海外でどのように守備をしていたのかが聞きたかった。外国人の動かし方ってすごく難しいと思うんですけど、すごく上手くやっていたので。そのときに右サイドで篤人さんが後ろにいるときには、僕の背中で相手のパスコースを消しながらディフェンスをしてほしいと言われました」

 事前に意思の疎通がしっかりと図られていたこともあって、右サイドで縦の関係を築きあげたホーリーホック戦の69分以降も混乱をきたすことはなかった。迷いや不安がなかったからこそ、安西の攻撃力がより輝きを放つ。

 79分には3‐3の同点に追いつくボレーを決めたのが安西ならば、86分のDF山本脩斗の決勝ゴールをアシストしたのも、内田がベンチへ下がった後は右サイドバックに回っていた安西だった。

 自らとの交代でピッチに入り、攻撃にアクセントを加えた2年目のMF安部裕葵を含めて、才能豊かな後輩たちの躍動する姿に内田も頼もしさを感じている。

「アイツ(安西)は前のポジションでもいけるからね。(安部)裕葵を含めて、ボールをもってから相手に突っかけられる。2人とも小さいけど、右も左もできるのですごく面白いんじゃないですか」

「デュエルっていま流行っているんでしょう」

コンディションは良好。2015年以来となる日本代表復帰へも期待は高まる

 安部との交代でベンチに下がったのは81分だった。宮崎キャンプ中に行われたJFLのデゲバジャーロ宮崎、J2の徳島ヴォルティスとの練習試合を超えて、アントラーズに復帰後では最長となるプレー時間をマークした。試合前から自身を鼓舞するサポーターのチャントも耳に入った。

「久しぶりにお客さんが入ったなかでやると、練習やキャンプで45分間やるのとはやっぱり違うからね。こういう寒いなかで足を運んでもらって、ユニフォームを着て応援してもらえるのは、サッカー選手として嬉しいこと。今シーズンはもっと勝って、喜びを分かち合いたいですね。

 プレー時間は特に気にしていなかったけど、6人まで代えられるので、試合前は『いけるところまでやろう』という話はしていました。90分間あればどこかでごまかせる時間も生まれてくるので、90分間もたせようと思えばもたせられる、という感じですかね」

 小笠原とのコンビネーションを蘇らせ、遠藤や鈴木とも意思の疎通が図られつつあることを示した81分間。もちろん「使われる」だけではない。背後から安西を「使った」手応えを含めて、すべてが順調に進んでいるからこそ言葉も弾む。

「何かデュエル、デュエルっていま流行っているんでしょう、って感じですよね。デュエルしたって書きたいんでしょう、って感じだけど、別に昔からやっていることだから」

 誰もが気にしていて、内田本人をして「まったく問題ない」と言わしめている右ひざの古傷。それに関する質問を先読みするかのように、帰りのバスに乗り込む際には、日本代表を率いるヴァイッド・ハリルホジッチ監督が日本サッカー界に広めた、「デュエル」を駆使しながら報道陣の笑いを誘った。

 上海申花(中国)をカシマサッカースタジアムに迎える、14日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループリーグ初戦へ。そして、敵地で清水エスパルスと対戦する25日のJ1開幕戦へ。7年半もの時空を超えて、愛してやまないアントラーズのなかに内田はしっかりと居場所を築きつつある。

(取材・文:藤江直人)

【了】

鹿島で躍動する内田篤人。コンディションは良好、「背番号2」が早くも示す存在感

鹿島アントラーズに復帰したDF内田篤人

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