日刊鹿島アントラーズニュース

Ads by Google

2018年7月8日日曜日

◇ブラジル代表MFパウリーニョが広州恒大に復帰?バルセロナが昨夏以上の移籍金で放出か(GOAL)





バルセロナのブラジル代表MFパウリーニョは広州恒大に復帰するのだろうか。

バルセロナに所属するブラジル代表MFパウリーニョの中国復帰が取りざたされている。

パウリーニョは2015年にトッテナムから中国の広州恒大に加入。ここで活躍すると、昨年の夏には4000万ユーロ(約52億円)の移籍金でバルセロナ入りした。バルセロナのファンからは懐疑的な見方もされた移籍だったが、リーグ戦34試合の出場で9得点を記録するなど結果を残した。

ロシア・ワールドカップでもブラジル代表のレギュラーとしてプレーしたパウリーニョだが、1年で広州恒大に復帰する可能性があるようだ。『Todomercado』などによれば、バルセロナの公式『ウェイボー』が6日、パウリーニョに関して広州恒大と買い取り義務付きのレンタル移籍で合意したと誤って発表。投稿はすぐに削除されたとのことだ。

また、スペイン紙『ムンド・デポルティボ』などもパウリーニョの中国移籍に関して報道している。伝えられるところによれば、バルセロナは昨夏にパウリーニョを引き入れた4000万ユーロを上回る、5000万ユーロ(約65億円)ほどのオファーを受けており、放出を検討。パウリーニョ自身も中国復帰に前向きとのことだ。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]
食は広州に在り改版 (中公文庫) [ 邱永漢 ]
価格:699円(税込、送料無料) (2018/7/8時点)


ブラジル代表MFパウリーニョが広州恒大に復帰?バルセロナが昨夏以上の移籍金で放出か

◇サッカーW杯日本代表支えた西シェフ「選手喜ぶ料理心掛けた」/東北スポーツ(サンスポ)



西芳照 yoshiteru.nishi


 サッカーW杯ロシア大会に日本代表の専属シェフとして同行した西芳照さん(56)が6日、地元の福島県広野町で取材に応じ「選手が喜ぶ料理を心掛けた。十分な仕事ができたのかな」と快進撃を支えた日々を振り返った。

 西さんにとってロシア大会は4度目のW杯。海外で活躍する選手らから食事に玄米や雑穀米などを加えてほしいと要望があったと明かし「これまでにない食に対する意識の高さを感じた」。ごま好きの西野朗監督(63)のために、現地ですり鉢とすりこぎを入手。ロシア語に苦労したが「スパシーバ(ありがとう)とダーダーダー(オーケー)で大体通じた」と笑った。

 西さんは5月末のオーストリア直前合宿から同行。約1カ月間、選手やスタッフ約60人分のメニューを1日3食提供した。4年後のカタール大会には「還暦を迎えるがもう一度、出場を目指して頑張りたい」と話した。




サッカーW杯日本代表支えた西シェフ「選手喜ぶ料理心掛けた」/東北スポーツ




◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)



遠藤康 yasushi.endo


遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(19)
遠藤康 前編

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)


 7月5日、ワールドカップロシア大会を終えた日本代表が帰国。そのなかに植田直通の姿はあったが、残念ながら彼がその大会のピッチに立つことはなかった。大会中選手への取材は時間が限定されるため、なかなか彼の話を聞くことはできなかったが、6月27日グループリーグ最終戦となるポーランド戦前日に訊いた。

 「今までとやることは変わらない。(試合に)出ようが出まいが、もう総力戦だと思う。明日もチーム一丸となって戦うことには変わりはない。どの立場でもしっかりとチームをサポートしたい。僕もしっかりと準備をしたい。ピッチに立ちたいという気持ちのない選手はいないと思います。でも、そういうベンチの選手が大事だと僕は思っている。そういった選手たちの気持ちの持ちよう次第で、チームの方向性が変わると思うし、なんで自分が試合に出られないんだと、どこかに当たってしまうようなことがあれば、チームも必ず悪くなると思う。僕もいままでそういう経験をし、やっぱりベンチメンバーに戦える選手たちが揃えば、チームもかなり上のほうまで行ける。だから、自分たちは気持ちを高く持ち、日々の練習を100%で取り組みたい」

 植田自身、鹿島アントラーズではベンチを温める時期を過ごしている。

 「あのときの経験は非常に生きている。(ロシアで)思い出すこともあります。ネガティブな感情の自分を押し殺して、チームのために働くことが、どれだけ大事かっていうのをわかっている。だからこそ、今の自分があると思う。同時に試合に出ている自分も知っている。出られない悔しさもわかるし、どっちも経験しているからこそ、今があると思います。常に悔しい気持ちはある。歯がゆいというか、試合に出たいという気持ちが一番強い」 
 
 その想いをエネルギーにベンチでやるべきことを果たせた。そんな植田たち控え組への賛辞も忘れてはいけない。

 綺羅星(きらぼし)のごとく、将来有望と言われる10代のスター選手が数多く、プロデビューを果たしてきた鹿島アントラーズ。強豪クラブであるがゆえ、そんな選手でも出場機会を得るためには時間を要する。ベンチ入りや途中出場を何度も繰り返し、力を認められたものだけが、先発の座を手にできる。もちろん、ベンチ入りとて容易ではない。自身の力不足を痛感し、トレーニングを重ね、競争を勝ち抜く術を模索する。じれったさと悔しさ、無念。そういうネガティブな感情と戦いながらも、なんとか、闘争心を維持しなければならない。

 そんな作業を繰り返すうちに、気づくことがある。

 たとえ試合には出ていなくとも、自分の存在が「チームの勝利のため」に有益であり、その犠牲心が、チームだけでなく、自分をも成長させてくれるということに。

 昔から、高卒でJリーグ入りを果たした若手の賞味期限は3年と言われている。そのクラブで3年間は育てます。しかしそこでポジションを摑めなければ、移籍やむなし……と。近年ではそういう猶予すらないクラブも多いのが現実だ。

 そんな厳しい競争を強いられるのがプロ選手だが、2007年塩釜FCユースから鹿島入りした遠藤康が、チームの主力と呼ばれるようになったのは2010年ごろだった。4年目にしてやっと花開く準備が整った。





 ――遠藤選手は塩釜FCユース時代から、トップチーム(東北社会人サッカーリーグ1部)でもプレーした経験を持ち、U-18代表候補でもあったわけですが、鹿島からオファーが届いたときの心境を覚えていますか?

「スカウト担当だった熊谷浩二(現・鹿島ユース監督)さんとは話をする機会はあったのかな? でも、正直、鹿島から正式なオファーが来るなんて思ってもいなかった。他のチームのことも検討していたし、大学進学も含めて、進路に迷っている状態でした。そんなときに、鹿島から話をもらい、練習にも参加させてもらって、『これは鹿島へ行くしかないな』と思いましたね」

 ――他の進路が色あせて見えた?

「そうですね、鹿島の練習は楽しかったですから」

 ――しかし、練習が楽しいチームというのは、それだけレベルが高くて、ライバルも強敵ということでもあるのでは?

「それはもちろん想像していました。当時、(小笠原)満男さんは、メッシーナ(イタリア)でいなかったけれど、モトさん(本山雅志)、(野沢)拓也さんをはじめうまい選手がたくさんいたから。いっしょにやって、あらためて『こんなレベルの高いチームで僕がやっていけるのかなぁ』という気持ちは正直ありました。

 でも、そこに至るまでの学生時代の僕は、どのチームでも中心としてプレーさせてもらってきた。いわゆる『できる環境やれる環境』だったので。せっかくプロになるんだし、今まで経験したことのなかった厳しい場所に身を置いたほうが成長できると思ったんです」

 ――鹿島以外で、試合に出られる可能性の高いクラブもあったと思いますが……。

「このチームで試合に出て、活躍したいし、しないとダメだと思いました。鹿島で試合に出るほうが、価値があるだろうと」

 ――しかしというべきか、やはり鹿島では時間がかかりましたね。

「はい。かかりました。今となっては、その時間が非常に重要だったと思えます。試合に出られない選手の気持ちは、同じことを経験している試合に出ていない人にしか、わからないところもあると思います」

 ――そういうサブ組の時期がなにを教えてくれました?

「試合に出られないという悔しさは、どんなクラブに所属していても年齢に関係なく、持っているべきです。悔しさがあっても腐らずにやることがチームのためになる。そして、選手自身のためにも。そういう『サブ組』の姿勢がチームに影響するし、サブ組の前向きにひたむきに頑張っている姿がやっぱりチームにとって大事かな。試合で活躍するのももちろん重要ですけど、それ以上に試合に出ていない人たちの目に見えない頑張りが、チームにとって一番の土台になる」

 ――トップチームが輝くのも、レギュラー選手が大輪の花を開かせられるのも、サブ組が作るチームの土台があるからだと。

「僕はそうだと思いますね」

 ――遠藤選手ご自身がサブ組だったときは、どんなことを考えていましたか?

「大丈夫かなぁという不安ばかりでしたよ。試合に出ていないとクラブと契約が結べなくなる可能性もある。自分の将来が本当に見えないから。だけど、そこで腐っていても意味はないから」

 ――自分の未来は自分で切り開くしかない。

「レギュラー組のグループに割って入っていくには、試合に出ている選手以上の気持ちで、常に練習をしなければ、評価もされない。爪痕を残して、監督の目に留まらないと話は始まらないわけだから」

 ――下積みとも呼べるそういう時間は、やはり我慢の時間なのでしょうか?

「我慢ではなかったかな。今思うと、すごく楽しかったから。紅白戦でダニーロと激しくぶつかり合ったり。BチームはどうにかしてAチームに勝ちたいと思っているから、それが一番のモチベーションだった。試合に出るにはAチームよりもいい試合をしなくちゃいけない。そして、Bチームの中心的な存在にならないと、たとえ試合に出ても、Aチームでは絶対にボールが回ってこないから」

 ――ベンチに入り、徐々に出場を重ねるという過程を経て、レギュラーとなるわけですが、うまくいかないことも多いし、そうなるとベンチからも外される。ある意味非常に不安定な状態だと思うのですが……。

「うまくいかないときはたいてい、自分に腹を立てていましたね。なんとかしなくちゃいけないという気持ちが強かった。だから、たくさんの先輩に相談しましたよ。聞いて回っていましたね」

 ――聞いて回る(笑)。

「はい。周りにいい先輩がたくさんいましたから。それは非常に恵まれた環境でしたね。中田浩二さんや(岩政)大樹さん……。名前を挙げたらきりがない。それくらいいろんな人の意見を聞いていましたね。当時、浩二さんがBチームでボランチをしていたので、いろいろ教えてもらった。たとえば、監督の求めていることだけをやっていても勝てないこともある。とにかく、いろんな対処法を知っている先輩に話を聞きましたね。

 どうすればいいのかと僕はずっと考え続けていた。そういうときにチームメイト、先輩のアドバイスは重要です。いくら自分に厳しくといっても、自分だけでは限界があるから。そういう仲間の声を素直に受け入れることもまたとても大事だと感じます」

 ――今は質問を受ける逆の立場ですね。

「でも、僕はあまり言わないほうだと思います。もちろん、訊ねられたら話しますけど」

 ――それこそ、試合に出られない経験を長くしてきたから、遠藤選手の言葉にはリアリティがあると思います。

「まあそうですね。たとえに出しやすいんですよ。試合に出ていない選手や試合に出たけど、次の試合に出られなくなった選手に『いいじゃん。お前は試合に出られるだけ幸せに思えよ。お前の歳のころなんて俺はまだ、試合に出られなかった。4年目、5年目まで試合に全然出られなかったんだから、お前はいい経験をしているんだよ』って、話がしやすい(笑)。

 やっぱり、今思うとあの時間はすごくいい経験だったので。(力をこめて)若いころにしかできないプレーというのはたくさんあるから。だから無理をしてでも、若いやつには頑張ってほしい。多少チームのバランスが崩れたとしても、ゴールに直結するようなプレーも若い時期なら許されるから。もちろん、あまりやりすぎるのも問題だけど(笑)。

 学生時代はたくさん叱られて育った。自分から動き出さなくて、監督やコーチがいろいろと教えてくれた。でも。プロになると、誰も何も言ってはくれないし、手を差し伸べてくれるわけでもない。そんな甘い世界じゃない。だから、選手自身が考えなくちゃいけない。そのうえで、僕のアドバイスがその選手の力になれたら嬉しいですよ」

 ――ピッチ外での時間が選手としての引き出しを増やしてくれるのかもしれませんね。そういう意味では、ベンチに座る時間、試合に出られない時間は本当に大事。

「選手なんだから、試合に出たいのは当然。でも、たとえ試合に出られなくとも、築けるものはある。僕は鹿島にしかいないから、他のクラブのことはわからない。ただ、長い目で選手生活を見たとき、いわゆる勢いだけで走れる時間は非常に短いと思う。試合に出られない間にその土台を作る時間があって、僕は恵まれていました。いいチームメイトがいて、厳しさもあり、鹿島は選手が育つうえでの環境は整っている。だからこそ、あとは自分次第。今をどう感じ、何をするのか? サッカーで一番大事なのは、気持ちの部分。そこが大きい」

 ――「気持ちって、具体的にはなんでしょうか?」という選手もいるかもしれない。

「そこは自分で考えてほしいなと思います(笑)。言葉だけじゃなくて、先輩の背中や振る舞いにも学びのヒントはたくさん隠されているから。それに気づき、自分で考えないと力にはならないから」

(つづく)




塩釜FC時代の遠藤康は「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」




◆昌子と柴崎、W杯で駆け上がる評価 強豪チームが関心(朝日新聞)



柴崎岳 gaku.shibasaki 昌子源 gen.shoji

 前評判を覆し、ワールドカップ(W杯)ロシア大会で、2大会ぶりの16強入りを果たした日本。躍進を支えた選手に対する世界の視線も熱を帯びている。中でも株を上げたのが、1992年生まれのDF昌子源(25)=鹿島=、MF柴崎岳(26)=スペイン・ヘタフェ=だ。10代で注目と期待を集め、「プラチナ世代」と呼ばれた選手の代表だ。

 2011年にJ1鹿島で同期としてプロのキャリアをスタートさせた2人。ともにW杯直前の親善試合パラグアイ戦で首脳陣の信頼をつかみ、定位置を獲得した。

 昌子は、W杯の主力組で唯一のJリーガーだった。センターバックとしてセネガルの快足FWニャンや、ベルギーの点取り屋ルカクらに対し、足の速さや粘り強い守備で対抗した。

 ドイツの移籍情報サイトによると、昌子の1月現在の「市場価値」は推定170万ユーロ(約2億2千万円)。フランス1部のストラスブールが興味を示していると報道されており、SNSで「ストラスブールに必要な選手かどうか」といったアンケートが実施されるなど、にわかに動向が注目されている。

 柴崎は、全4試合に先発した。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦で長い距離のスルーパスを通して先取点をアシストするなど、緻密(ちみつ)なパスで日本の攻撃をリードし、評価を高めた。

 世界のトップレベルが集まる大会で実力を見せつけ、イタリアの移籍情報専門サイトによると、同国のACミランやドルトムント(独)といった強豪クラブが興味を示しているという。

 2人のほか、プラチナ世代の筆頭と言われたMF宇佐美貴史(デュッセルドルフ)、FW武藤嘉紀(マインツ)もW杯初出場を果たした。93年生まれのDF遠藤航(浦和)、MF大島僚太(川崎)も同学年。当初の期待から見れば「遅咲き」となったが、磨いて来た才能が大舞台で花開いた。(勝見壮史、富山正浩)




昌子と柴崎、W杯で駆け上がる評価 強豪チームが関心

◆W杯の重圧、人生80年分? 日本代表DFが告白「やっぱね…苦しかった」(Football Zone)



昌子源 gen.shoji


コロンビア戦で抜擢、吉田とCBコンビを組んでロシアW杯3試合にフル出場

 日本代表は2日のロシア・ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦でベルギーに2-3と逆転負けを喫し、初のベスト8進出には手が届かなかった。試合直後に拳を何度もピッチに叩きつけ、人目をはばからずに涙を流したDF昌子源は、今大会を通じて最も成長した日本人選手の一人となったが、自身初のW杯を戦った経験について「人生80年間分のプレッシャー」と独特な言い回しで表現している。

 6月19日のW杯グループリーグ初戦コロンビア戦(2-1)で西野朗監督が大抜擢したのは昌子だった。当初、DF槙野智章がスタメンと見られていたが、大会直前の同12日に行った国際親善試合パラグアイ戦(4-2)でフル出場した昌子が定位置を確保。28日の第3戦ポーランド戦(0-1)は槙野が起用されたが、コロンビア戦を皮切りに、24日の第2戦セネガル戦(2-2)、ベルギー戦と昌子は3試合でフル出場を果たした。

 DF吉田麻也とCBコンビを組み、各国の強烈なアタッカー陣と互角の攻防を繰り広げるなど存在感を発揮したが、W杯のプレッシャーは想像以上に大きかったようだ。大会前の日本代表チームに対する下馬評は低く、そうした状況を受けて昌子は「日本にいるサポーターも、もしかしたらW杯に期待を持っていない人も多いと思う。日本はダメだろうと思っている人に手のひらを変えさせるような結果を残したい」と意気込んでいた。

 大会前には「気持ちから勝ちに行く」と言い続けていた昌子だが、ベルギー戦直後には「W杯という大会が今、怖い」と率直な思いを吐露し、W杯で受けた重圧について次のように続けている。

冗談交じりに一言 「このプレッシャーはお勧めしない」

「男の人が80歳ぐらいまで生きるとする。80歳ぐらいまで生きて受けるプレッシャーを、この1カ月で受けた気がする。やっぱね……苦しかった、この大会は」

 J1鹿島アントラーズに所属する昌子は、コロンビア戦やセネガル戦に加え、ベルギー戦のスタメン選手の中で唯一の国内組であり、25歳で最年少という立場だった。「アイツ緊張してるわ、とかチームメイトに伝染したら嫌やなと思っていた」と明かし、人一倍気を遣っていたことを認めている。

 そうした様々なプレッシャーを感じていた昌子にとって、W杯で受けたそれは、まるで人生80年分に相当するような感覚だったようだ。「あんまりこのプレッシャーはお勧めしない」と冗談交じりに口にしている。だがそうしたプレッシャーのなかで力強い守備を見せた昌子のパフォーマンスは高く評価され、海外クラブが獲得に向けて熱視線を送っているという。

 “一生分”の重圧に耐えた男は、今大会を通じて間違いなく一皮むけたようだ。





◆【西野ジャパン86日間の軌跡・4】世代交代の遅れ顕著に リオ五輪世代出場せず…(デイリー)



植田直通 naomichi.ueda


 西野ジャパンの戦いは16強で幕を閉じた。ハリルホジッチ前監督の解任を受け、西野朗新監督(63)の就任が発表されたのが4月9日。親善試合でなかなか勝てず、1次リーグ第3戦のポーランド戦では他者に命運を託すボール回しで批判を浴びるなど、苦しみながら一枚岩になったサムライブルーの舞台裏に迫る。

  ◇  ◇

 28・3歳-。W杯メンバー23人の平均年齢は、日本が出場した過去5大会と比べて最も高くなった。前回ブラジル大会の26・8歳を1・5歳上回り、最年長35歳の川島を筆頭に30代が8人を占め、一部では「おっさんジャパン」と揶揄(やゆ)されることもあった。

 ハリルホジッチ前監督はW杯本大会を見据え、予選を通じて世代交代を推し進めてきた。その結果、久保、浅野、井手口らリオデジャネイロ五輪世代が台頭。一方で長く代表の中核を担ってきた本田、岡崎、香川らは出場機会を失っていった。

 前監督の解任で状況は一変した。本番まで時間が限られた西野監督は「過去の経験、実績はもちろん(必要性が)ある」と時計の針を押し戻し、ベテランの安定感に懸けた。予選突破の功労者だった久保らはメンバー外となり、遠藤、大島、植田、中村といった4人のリオ世代はメンバー入りも出番はなかった。直近の五輪に出場した選手が2年後のW杯で一度も出場機会を得られなかったのは初めてで、世代交代の遅れが顕著となった。

 だが、若い世代からの突き上げが足りなかったことも事実だった。「若い選手はそういう(実績ある)選手を超えないといけない」という指揮官の期待に、若手の成長が及ばなかった。「出られなかったということは何かを変えなければいけない」と、大島は悔しさをにじませた。

 4年後には長谷部も本田もいない。香川、大迫、原口らロンドン五輪世代は30歳を超え、同五輪世代最年少組のプラチナ世代(92年生まれ)では柴崎も30歳に達するなど、今大会の主力は昌子を除く全員が30代となる。

 ロシアの地で躍進を遂げた日本代表だが、22年カタール大会ではメンバーが大きく入れ替わる可能性がある。この成功体験の継承が困難となる恐れもあり、大きな課題を残した。進まなかった世代交代の背景には、日本協会の4年間における迷走も少なからず関係している。




【西野ジャパン86日間の軌跡・4】世代交代の遅れ顕著に リオ五輪世代出場せず…




◆日本代表植田が鹿島合流 4年後へ「危機感持った」(ニッカン)


植田直通 naomichi.ueda


 W杯ロシア大会の日本代表メンバーで、J1鹿島アントラーズのDF植田直通(23)が7日、茨城・鹿嶋市内で、W杯後、初めてチーム練習に参加した。

 5日の帰国からわずか2日での練習復帰で、全体練習はパス回しなど一部のみの参加。残りはランニングなど軽めの調整で汗を流した。W杯では、GK東口順昭(32)と、16年リオ五輪組にあたる植田、GK中村航輔(23)、DF遠藤航(25)、MF大島僚太(25)の5選手に出番がなかった。植田は「歯がゆさもあった。その気持ちを持って、今後の人生につなげていきたいなと思います」と話した。それでも、これまでの自身の経験から先発、控え双方の気持ちが理解できたといい「短期決戦の時こそチームの一体感が大事だというのは分かってるので、ベンチだろうが、チームの勝利のために徹することは変わらない」と振り返った。

 グラウンドでは、チームメートから「お疲れ」などと声をかけられた。「みんなが(W杯を)見てくれてたんだなと思った。やっぱりここ(鹿島)が好きだし、落ち着く場所。帰ってきたなと思うので、学んだことをしっかり出せればいいかなと思います」と意気込んだ。

 4年後のカタール大会では主力としての出場を目指す。初の大舞台で感じた経験は大きく「このままではダメだなという危機感を持ったし、すごく感じる部分があった。日々の練習からどれだけレベルを高くやるかも大事。このままでは絶対だめだと思ってやらないといけない」と気持ちを引き締めていた。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]
ももクロ男祭り2015 in 太宰府【Blu-ray】 [ ももいろクローバーZ ]
価格:7344円(税込、送料無料) (2018/7/8時点)


日本代表植田が鹿島合流 4年後へ「危機感持った」




Ads by Google

日刊鹿島

過去の記事