日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年12月28日金曜日

◆アジア王座奪還誓う柴崎「その自信と決意を固めてきた」(ゲキサカ)



柴崎岳 Gaku.Shibasaki


 2大会ぶり5度目のアジア王座奪還へ、決意をにじませた。自身2度目のアジアカップに臨む日本代表MF柴崎岳(ヘタフェ)は「アジアカップは優勝するしかないというか、優勝しか見えていない部分もある。その個人としての自信と決意を固めてきた。アジアNO.1の座を勝ち取りにいきたい」と強い覚悟を口にした。

 柴崎は前回大会の準々決勝UAE戦で後半36分に同点ゴールを記録したが、1-1で突入したPK戦の末に敗退。1996年大会以来、5大会ぶりのベスト8敗退と苦杯をなめた。アジアの難しさを体感した経験を踏まえ、「試合の中での対応力が求められると思う」と指摘。攻守のバランスを取り、ゲームをコントロールする役割が求められるが、「なるべく日本が主導権を握るような展開を僕が導いていけるようにしたい」と力を込めた。

 攻撃面では2列目のMF中島翔哉、MF南野拓実、MF堂安律の個性を生かし、連携を高めていく。「僕のボランチの位置から前線との距離感を適切に保ってサポートしていきたい」と話す一方で、総力戦であることを強調。「今は特定の3人がフォーカスされていますけど、控えにも流れを変える選手もいる。彼らがダメになった時もそうですし、そういったところの舵取りもやっていかないといけない」とイメージを膨らませた。

(取材・文 佐藤亜希子)


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◆アジア王座奪還誓う柴崎「その自信と決意を固めてきた」(ゲキサカ)





◆鹿島がFW補強、横浜FMの伊藤翔を獲得…今季17発の30歳「非常に光栄」(サッカーキング)



伊藤翔 Sho.Ito


 横浜F・マリノスに所属するFW伊藤翔が、鹿島アントラーズへ完全移籍で加入することが決まった。27日に両クラブが発表している。


 伊藤は1988年生まれの30歳。中京大学附属中京高出身で、2007年1月にフランスのグルノーブルへ加入した。2010年6月に清水エスパルスへ移籍し、2014年から横浜FMでプレーしている。今季は明治安田生命J1リーグで26試合出場8得点、JリーグYBCルヴァンカップで9試合出場8得点、天皇杯で3試合出場1得点を記録。シーズン公式戦通算17得点と、キャリアハイの結果を残した。

 完全移籍にあたり、伊藤は横浜FMの公式HPにて以下のようにコメントしている。

「マリノスに関わる全てのみなさん、ありがとうございました。お世話になりました。今年は厳しいシーズンになってしまい申し訳ありませんでした。また、タイトルまであと一歩というところで掴み取ることができなかったのも悔いしか残っていません。ネガティブな感覚になったこともありましたが、その度にサポーター、選手、強化部、スタッフに助けられ、 マリノスで充実した時間を過ごすことができました」

「マリノスは大好きなクラブでしたが、サッカー選手として、人間として、さらに成長するためにこの決断に至りました。このリリースだけではなかなか全部を伝えられませんが、この決断を尊重してくれた強化部、選手、スタッフには感謝しています。頑張ってきます」

 また、加入する鹿島の公式HPでは以下のようにコメントしている。

「初めまして、伊藤翔です。アジアチャンピオンクラブに加入でき、非常に光栄に思っています。タイトル獲得の力になれるよう身を粉にして頑張りたいと思います。よろしくお願いします」







◆鹿島がFW補強、横浜FMの伊藤翔を獲得…今季17発の30歳「非常に光栄」(サッカーキング)





◆「正直信じたくない」“レジェンド”小笠原引退にファン悲痛「鹿島の象徴」20冠中17冠に貢献(スポニチ)






 02年日韓大会、06年ドイツ大会と2度のワールドカップ(W杯)に出場した元日本代表MF小笠原満男(39)が27日、所属先の鹿島を通じて今季限りで現役を引退することを発表した。

 クラブが史上初の3連覇を達成した2009年にJリーグの最優秀選手賞(MVP)に輝くなど、クラブがこれまでに獲得した20冠中、実に17冠獲得に貢献したレジェンドの引退に、ヤフーのリアルタイム検索トップには瞬く間に「小笠原満男」が駆け上がった。

 ツイッターには様々な声が挙がり、「お疲れ様でした」「今までありがとう」という労いの声や「鹿島の象徴」と、小笠原という存在の重さに言及するものも。

 また、「最後の年にACLのトロフィーをあげさせることができて本当によかった」と鹿島のアジア初王者に触れるツイートのほか、「どう受け止めれば良いんだろう」「なんという日だ」 「正直信じたくない」と引退を惜しむ声、まだニュースを受け止めきれない声も多かった。




◆「正直信じたくない」“レジェンド”小笠原引退にファン悲痛「鹿島の象徴」20冠中17冠に貢献(スポニチ)





◆日本代表MF柴崎、鹿島・小笠原の現役引退に「1人の選手として成長させてくれた大先輩」(報知)





 日本代表は27日、千葉県内で来年のアジア杯(UAE)に向けた合宿2日目を行った。この日からMF柴崎岳(ヘタフェ)とDF槙野智章(浦和)の2人が合流。ミニゲームなどで軽く汗を流した。

 この日は元日本代表のMF小笠原満男(鹿島)が現役引退を表明。鹿島で6年間ともにプレーした柴崎は「小学生のころからのアイドルで、満男さんのリストバンドを買って練習していた。2002年で、僕は小学校4年生くらいで…」と、最初に憧れた選手として記憶しているという。

 青森山田高から鹿島に入り、2011年から2016年までともに鹿島の練習場で汗を流し、同じピッチに何度も立ってきた。「1人の選手として成長させてくれた大先輩」と自らの成長になくてはならない人だと語る。

 また、「1人の選手がした決断なので、元チームメートとして、お疲れさまでしたと言いたい。まだできるんじゃないかとは全然思わない」と話した。「まだできるんじゃないかとは全然思わない」とは、小笠原のひざの状態を思っての発言。それでも、6年間ともにプレーできたことに関して「相当うれしかった」と感想を話した。




◆日本代表MF柴崎、鹿島・小笠原の現役引退に「1人の選手として成長させてくれた大先輩」(報知)


◆小笠原引退は森保Jにも衝撃「ロッカールームでも驚く声が」(ゲキサカ)





 元日本代表MF小笠原満男(鹿島)の現役引退は千葉県内で合宿中の森保ジャパンの選手たちにも驚きをもって受け止められた。

 練習を終え、ミックスゾーンに姿を見せたDF槙野智章(浦和)は「今、ロッカールームで聞きました。ロッカールームでも驚く声がいろんな選手から聞かれた」と、ロッカールームの様子を明かした。

「それだけJリーグで経験のある方だし、顔だと思う。代表とリーグ、両方を引っ張っていただいた方」。21年間の現役生活でJ1リーグ525試合出場69得点。7度のリーグ優勝を含め、実に17個のタイトルを獲得し、09年にはJリーグMVPにも輝いたレジェンドの引退に「(小笠原)満男さんに限らず、(川口)能活さんもそうだし、引退のニュースを聞くと、後輩の僕らは寂しく思う」と声を落とした。

 同じボランチのMF青山敏弘(広島)は「常にあこがれだったし、目指すべき存在だった」と神妙な表情を見せた。「そのお手本がいなくなるのは寂しい。そんなことを言える立場じゃないのは分かっているけど、あこがれだったことは変わらないし、残念ですね」と惜しんだ。

 日本サッカー協会の関塚隆技術委員長も練習後に報道陣の取材に対応。93、94年と96年から03年まで鹿島でコーチを務め、98年と99年には一時期、監督代行も務めた。かつての愛弟子の現役引退に「日本代表としてもプレーして、一時代を築いてくれた。お疲れさまでしたと言いたい」と、ねぎらいの言葉を口にした。

 小笠原からは直接、電話で引退の報告を受けたそうで、「まだあと1、2年やれるんじゃないのかと言ったけど、『いろんなことを考えて決断した』と。そういう中での決断はしっかり尊重してあげないといけない」と話した。

(取材・文 西山紘平)




◆小笠原引退は森保Jにも衝撃「ロッカールームでも驚く声が」(ゲキサカ)


◆鹿島FW鈴木優磨、現役引退発表の小笠原満男に感謝「今でも忘れない」(サッカーキング)




鈴木優磨 Yuma.Suzuki


 鹿島アントラーズのMF小笠原満男が27日、今季限りで現役を引退すると発表した。これを受けて、チームメイトのFW鈴木優磨が自身のインスタグラムを更新し、メッセージを綴った。

「今でも忘れない。プロデビュー戦、2-0で負けてるガンバ戦のフリーキックのシーン。交代で入ると同時に俺にスーッとパスをだしてくれた。あのパスがなかったら今の俺はない。練習を休むことは絶対なかったし、口数は少ないけどいつも背中で引っ張ってくれるキャプテンでした!!俺はそんなキャプテンが大好きです(^ ^)長いプロ生活お疲れ様でした」

 さらに、ハッシュタグでは「どこにいようが俺のキャプテン」「来年は俺が引っ張る」と記し、来季へ意気込んだ。






◆鹿島FW鈴木優磨、現役引退発表の小笠原満男に感謝「今でも忘れない」(サッカーキング)





◆引退の小笠原満男「鹿島に関わる全ての方々に感謝」(ニッカン)



小笠原満男 Mitsuo.Ogasawara


鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が今季限りで現役を引退することが27日、クラブ公式ホームページなどで発表された。

98年に入団し、海外挑戦した約1年間を除き鹿島一筋でプレー。日本代表として02年、06年と2度のW杯にも出場した。

クラブを通じて「今シーズンをもって、鹿島アントラーズで現役生活を終えるという決断をしました。これまで自分を支えてくれた方々、一緒に頑張ってきた選手達、応援してくれたサポーター、鹿島アントラーズに関わるすべての方々に感謝しています。鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とてもうれしく、そして誇りに思います。本当にありがとうございました!」とコメントを発表している。




◆引退の小笠原満男「鹿島に関わる全ての方々に感謝」(ニッカン)





◆鹿島MF小笠原が21年間のプロ生活に別れ…「鹿島で引退できることを嬉しく誇りに思う」(ゲキサカ)



小笠原満男 Mitsuo.Ogasawara


 鹿島アントラーズは27日、MF小笠原満男(39)が2018年シーズンをもって現役を引退することを発表した。

 小笠原は岩手県の大船渡高から1998年に鹿島入り。同年にJリーグデビューを果たすと、主力として数々のタイトル獲得に貢献した。2006年8月にはセリエAのメッシーナへ期限付き移籍し、翌2007年7月に復帰。チームをリーグ3連覇に導いた2009年にはJリーグMVPを受賞した。今年はクラブの悲願だったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)初優勝も経験し、自身が獲得した主要タイトルは17個となっている。

 また、日本代表では2002年3月にデビューを果たし、通算55試合に出場して7得点を記録。ワールドカップは2002年日韓大会、2006年ドイツ大会に出場した。

 21年間の現役生活を終える小笠原は、クラブ公式サイトを通じて次のようにコメントしている。

「今シーズンをもって、鹿島アントラーズで現役生活を終えるという決断をしました。これまで自分を支えてくれた方々、一緒に頑張ってきた選手達、応援してくれたサポーター、鹿島アントラーズに関わるすべての方々に感謝しています。鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とても嬉しく、そして誇りに思います。本当にありがとうございました!」

以下、クラブ発表プロフィール

●MF小笠原満男
(おがさわら・みつお)
■生年月日
1979年4月5日(39歳)
■身長/体重
173cm/72kg
■出身地
岩手県
■経歴
大宮中-大船渡高-鹿島-メッシーナ(イタリア)-鹿島
■出場歴
J1リーグ:525試合69得点
カップ戦:63試合8得点
天皇杯:59試合11得点
ACL:44試合3得点
■代表歴 
日本代表:55試合7得点
■獲得タイトル 
Jリーグ優勝(1998、2000、2001、2007、2008、2009、2016) 7回 
リーグカップ優勝(2000、2002、2011、2012、2015) 5回 
天皇杯優勝(2000、2007、2010、2016) 4回 
AFCチャンピオンズリーグ優勝(2018) 1回 
A3マツダチャンピオンズカップ(2003) 1回 
スルガ銀行チャンピオンシップ優勝(2012、2013) 2回 
ゼロックススーパーカップ優勝(1998、1999、2009、2010、2017) 5回 
■個人タイトル 
2009年:JリーグMVP 
2009年:フットボーラーオブザイヤー※ 
2001、2002、2003、2004、2005、2009年:Jリーグベストイレブン 
2000、2001年:JリーグチャンピオンシップMVP 
2002、2015年:JリーグヤマザキナビスコカップMVP 
2000年:天皇杯MVP 
※運動記者クラブ表彰




◆鹿島MF小笠原が21年間のプロ生活に別れ…「鹿島で引退できることを嬉しく誇りに思う」(ゲキサカ)





◆鹿島の元代表MF小笠原満男、39歳で現役引退…J1制覇7度、725試合出場(サッカーキング)



小笠原満男 Mitsuo.Ogasawara


 鹿島アントラーズは27日、MF小笠原満男が今季限りで現役を引退すると発表した。

 小笠原は1979年生まれの39歳。大船渡高校出身で、1998年に鹿島へ加入した。日本代表でもともにプレーすることとなるGK曽ヶ端準やMF本山雅志(現・ギラヴァンツ北九州)、MF中田浩二(現・鹿島C.R.O/クラブ・リレーションズ・オフィサー)らと同期加入で、2006年途中から1年間に渡ってメッシーナでプレーした期間以外は、鹿島で活躍を続けてきた。


 ルーキーイヤーの1998年にJリーグ制覇を経験すると、レギュラーに定着した2000年にはJ1リーグ、ヤマザキナビスコカップ(現・JリーグYBCルヴァンカップ)、天皇杯の国内3冠を達成。史上初の快挙を成し遂げる原動力となった。翌2001年にはJ1連覇、2002年にはナビスコ杯制覇。2007年夏にメッシーナから復帰すると、同年には終盤の9連勝で“奇跡”とも称された大逆転でのJ1優勝を果たし、クラブ通算10冠目を獲得した。2007年は天皇杯も制している。





 2007年から2009年まで史上初のJ1リーグ3連覇を成し遂げ、2009年はJ1の最優秀選手賞(MVP)、フットボーラー・オブ・ザ・イヤーを受賞。2010年は天皇杯を制し、2011年と2012年、2015年にはナビスコ杯を制覇した。2016年は明治安田生命J1リーグと天皇杯の2冠を獲得し、今季はAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を初めて制している。7度ものJ1制覇をはじめ、獲得した主要クラブタイトルは17を数える。Jリーグベストイレブンには2001年~2005年と2009年、計6回も名を連ねている。

 キャリア通算では、明治安田生命J1リーグで525試合出場69得点、JリーグYBCルヴァンカップで63試合出場8得点、天皇杯で59試合出場11得点、Jリーグチャンピオンシップで7試合出場1得点、ACLで44試合出場3得点、アジアクラブ選手権で9試合出場2得点、FIFAクラブワールドカップで4試合出場、アジアカップウィナーズカップで2試合出場1得点、A3マツダチャンピオンズカップで3試合出場1得点、ゼロックススーパーカップで6試合出場、スルガ銀行チャンピオンシップで3試合出場を記録している。クラブでの公式戦通算出場数は725試合、96得点だった。





 また日本代表としても活躍し、U-19代表の一員として1999年のワールドユース準優勝に貢献。2002年にA代表デビューを果たし、国際Aマッチ通算55試合に出場(7得点)した。2002年の日韓共催大会、2006年のドイツ大会と、FIFAワールドカップにも2度出場している。

 今月22日に行われたFIFAクラブワールドカップ UAE 2018の3位決定戦、リーベル・プレート(アルゼンチン)戦での途中出場が現役最後のプレーとなった小笠原。鹿島をけん引し続けた“闘将”が、選手生活にピリオドを打つこととなった。



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