日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年7月11日木曜日

◆シント=トロイデン日本人選手の「IN&OUT」を整理。冨安ボローニャ移籍決定!(サカノワ)



小池裕太 Yuta.Koike


1%の成功をつかむ99%の「準備力」 [ 霜田正浩 ]


現時点で所属しているのは遠藤航のみ。シュミットは渡欧後に正式契約へ、さらに…。


 サッカーベルギー1部リーグのシント=トロイデンVV(STVV)は7月10日、冨安健洋のセリエAボローニャFCへの完全移籍が決定したと発表した。

 冨安は1998年11月5日生まれ、187センチ84キロ。福岡県出身。アビスパ福岡U-15―アビスパ福岡U-18―アビスパ福岡―シント=トロイデンVV。日本代表15試合1得点。

 冨安はシント=トロインデン広報部を通じて次のようにコメントしている。

「シント=トロイデンVVサポーターの皆さん、冨安健洋です。 1年半、応援ありがとうございました。 この1年半は僕にとって大きな転機になりましたし、シント=トロイデンVVでプレーすることができて幸せでした。

 次のチームに行ってもシント=トロイデンVVで過ごした日々を忘れることはないでしょうし、シント=トロイデンVVでの日々を誇りに思ってプレーしていきたいと思っています。

 シント=トロイデンVVの成功を願っていますし、僕自身も次のチームで成功を収められるよう頑張るので応援よろしくお願いします」

 では改めて、シント=トロイデンでプレーする日本人選手の状況について整理したい。

 現在、シント=トロイデンに所属する日本人選手は遠藤航のみ。

 シュミット・ダニエル(ベガルタ仙台)は、13日の鹿島アントラーズ戦後に渡欧。メディカルチェックを経て移籍が有効になる。 

 このほか、鎌田大地は期限付き移籍終了で、アイントラハト・フランクフルトに復帰。 関根貴大も同じく期限付き移籍終了でFCインゴルシュタット04に復帰し、その後、浦和レッズに完全移籍。木下康介は契約満了となっている。 

 また鹿島アントラーズの鈴木優磨にオファーを出したとも言われている。

 なおシント=トロイデンの新シーズンの開幕戦は日本時間7月28日午前3時から、ホームでREムスクロンと対戦する。

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◆真野恵里菜さんが柴崎岳との結婚生活明かす「カワイイね」に「もう一回言って」(ゲキサカ)






ZERO 真野恵里菜写真集 [ 西田幸樹 ]


 日本代表MF柴崎岳(27)の妻で女優の真野恵里菜(28)さんがバラエティー番組「グータンヌーボ2(グータンヌーボヌーボ)」(カンテレ火曜深夜、Amazonプライム配信)に出演し、ガールズトークの中で柴崎との結婚生活を明かした。

 真野さんは2013年にハロー!プロジェクトを卒業後、女優として活躍。昨年のワールドカップロシア大会後に柴崎と入籍し、2018-19シーズンはスペインに渡って夫を支えた。「(男)友達から恋愛にはなかなかならないタイプ」と自負する真野さんは、連絡先を交換した際の印象を「無ジャンルの人。どっちになるかまだ分からない知り合い」と振り返った。

「気が付いたらっていう感じですね。気が付いたら毎日連絡を取っていて」と馴れ初めを明かすと、「結婚を先に置いて一緒にいてみようかなと初めて考えたので、それを会社に伝えました」と真剣交際の経緯を語った。当初は野球ファンの父親から「サッカー選手は気をつけろ!」との助言もあったという。

 番組MCの田中みな実さん(32)から「旦那さんのことをカッコいいと思うんですか?」と質問されると、「私は思います。家でソファーに座ってて、パッと見て、『カッコいいね』ってたまに言うと、『フンッ』て言われます。ポロっと出る」と赤裸々に語った。

 頻度は少ないと前置きしたうえで、逆に柴崎からも「カワイイね」と「たまに言われる」と明かし、「たまにお食事に行こうって時に、髪を巻いたりすると言ってくれる時があって。『カワイイね』みたいに。『もう一回言って』って言います」と照れながら答えた。

 2人は今月14日に挙式・披露宴を控えている。


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◆真野恵里菜さんが柴崎岳との結婚生活明かす「カワイイね」に「もう一回言って」(ゲキサカ)





◆柴崎岳の指輪キスは…? 真野恵里菜さん「試合のときは考えなくていい」(ゲキサカ)






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 日本代表MF柴崎岳(27)の妻で女優の真野恵里菜(28)さんがバラエティー番組「グータンヌーボ2(グータンヌーボヌーボ)」(カンテレ火曜深夜、Amazonプライム配信)に出演した。

 サッカー選手が得点を決めた際、指輪にキスするパフォーマンスについて、番組MCの田中みな実さん(32)から「チュッてやらないんですか?ご主人は」と水を向けられると、「やらないと思います。やったらびっくりします。試合のときまでこっちのことは考えなくていい」ときっぱり。

 モデルの知花くららさん(37)に「世界中の前で愛を示してくれるなんて幸せじゃないですか?」と聞かれても「それは大丈夫です。恥ずかしい、恥ずかしい」と首を振った真野さん。田中さんに「サッカー選手と結婚する醍醐味じゃないの?」と煽られても、「サッカーをしているときはアスリート、サッカー選手の姿が見たい」と強調し、良妻ぶりをにじませた。




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◆柴崎岳、デポルティボが獲得に再挑戦!移籍間近とスペイン紙報道(ゲキサカ)



柴崎岳 Gaku.Shibasaki


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 ヘタフェに所属する日本代表MF柴崎岳(27)にデポルティボ(スペイン2部)移籍の可能性が浮上している。スペイン『アス』が伝えている。

 昨季、公式戦9試合の出場にとどまった柴崎。不完全燃焼のシーズンとなったが、先月ブラジルで行われたコパ・アメリカでは、3試合すべてに出場するなど、若手主体のチームを引っ張った。

 デポルティボは、1月の移籍市場で柴崎の獲得に迫っていたが、ヘタフェの求める高額な移籍金などを理由に断念。カルメロ・デル・ポソSDは「我々にお金がなかったんだ。すでに合意していた選手(柴崎)を呼び寄せられなかったのは、大きな失望だった。あの補強は1月31日にダメになったんだ」と悔しさをみせていた。

 だが、『アス』によれば、デポルティボが再び獲得に動いており、移籍が間近に迫っているとのこと。デポルティボは、昨季リーガ・エスパニョーラ昇格プレーオフ決勝まで進んだものの、マジョルカに敗れて昇格を逃していた。デル・ポソSD曰く、柴崎はこの試合に駆けつけて観戦。柴崎自身もデポルティボへの移籍を望んでいるようだ。


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◆ワールドクラスのプレーでファンを魅了! Jリーグ“優良助っ人列伝”(AERAdot.)



ジーコ Zico


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 2010年南アフリカワールドカップ優勝の立役者であるアンドレス・イニエスタ、ダビド・ビジャ(ともにヴィッセル神戸)、フェルナンド・トーレス(サガン鳥栖)の3人が揃って参戦している今季のJリーグ。トーレスは8月23日の神戸戦で現役引退することを発表したが、他のビッグネームは健在だ。これまでもJリーグには彼らのような偉大な外国人選手がやってきて、人々を魅了した歴史があった。そんな26年間の歴史の中で『優良外国人選手』と言えるのは誰なのか。それを探ってみることにしたい。

 まず貢献度ナンバーワンと言えるのは、Jの礎を築いたジーコではないだろうか。日本サッカーリーグ(JSL)2部時代の住友金属に加入し、のちの鹿島アントラーズに勝利のメンタリティを植え付けた人物としてよく知られている。この偉大なプレーヤーの参戦がなければ、鹿島が常勝軍団になることも、通算タイトル20冠を獲得することもあり得なかった。

 鹿島は1994年から1996年に当時ブラジル代表のスターだったレオナルド、1995年から1998年に同じくブラジル代表で活躍したジョルジーニョを獲得。彼らの活躍で複数回の優勝を飾っているが、それもジーコの人脈がなければあり得ない話だった。レオナルドが5回のリフティングでDFを振り切って決めた1995年の横浜フリューゲルス戦の華麗なゴールは、今も多くのサッカーファンの脳裏に焼き付いて離れないし、ジョルジーニョも1996年にサイドバックとして唯一のMVPを獲得。強烈な存在感を残している。

 鹿島にはその後もビスマルクなど傑出した存在感を誇るブラジル人選手がいたが、それもジーコが構築したブラジルネットワークによるところが大だろう。ジーコの撒いた種がどれほど大きいものだったか。それを再認識させられることは少なくない。

 ジーコに匹敵する存在感を誇ったのが、名古屋グランパスに1995年天皇杯の初タイトルをもたらした「ピクシー(妖精)」こと、ドラガン・ストイコビッチではないか。

 マルセイユの八百長問題から欧州を離れる決断をした彼は当初、1994年夏から半年間のつもりで名古屋入りしたが、1995年にアーセン・ベンゲル監督が就任したことで契約を延長。2001年まで在籍し、リーグ戦184試合出場57ゴールという記録を残した。

 その後、2008から2013年には指揮官として名古屋に凱旋。2010年にはクラブに初のJリーグタイトルをもたらしている。当時のチームは楢崎正剛や玉田圭司、田中マルクス闘莉王、ジョシュア・ケネディら強烈な個性が揃っていたが、彼らをまとめ、一体感をもたらしたのもピクシーのカリスマ性があってこそ。それは今も、名古屋を支える人々の共通認識に違いない。

 目下、名波浩・前監督の辞任と鈴木秀人・新監督就任で揺れているジュビロ磐田。その黄金期を築いたドゥンガの存在も忘れてはいけない。1994年アメリカワールドカップ優勝時のセレソンのキャプテンは1995年から1998年まで同クラブに在籍。1997年にはJリーグMVPも獲得している。

 中山雅史や藤田俊哉、名波、福西崇史といったタレントたちを容赦なく怒鳴り、鼓舞し、闘争心を植え付けるそのスタイルはまさに“闘将”そのもの。「ドゥンガにサッカーの厳しさを教わった」と藤田や福西は口を揃える。鹿島にとってのジーコ同様、磐田にはドゥンガがいたから、2000年代前半まで圧倒的な強さを維持することができたと言ってもいいだろう。

 J発足から10年間は彼らのような伝道師的な外国人選手が多かったが、その後は知名度的にやや低いものの、効果的なパフォーマンスでチームを勝たせるタイプの助っ人が増えてきた。

 その代表格が浦和レッズに2003年Jリーグナビスコカップの初タイトルをもたらし、自身も2003年JリーグMVPに輝いたエメルソン。2001年夏から2005年6月まで在籍したブラジル人FWは爆発的なスピードと決定力で敵を翻弄すると同時に、観る者を大いに魅了した。独りよがりでわがままな性格に加え、さまざまな問題行動を起こす破天荒男は時に批判の的になることもあったが、熱心なレッズサポーターには深く愛された。本人も日本を気に入り、日本代表への憧れまで口にするようになったが、結局は高額年俸に惹かれてカタールへ移籍。昨年限りで現役を引退している。

 エメルソンの後を引き継いで浦和をアジア最強クラブへと押し上げたロブソン・ポンテも忘れられない名選手だ。2005年から2010年までの在籍期間にJ1・144出場33ゴールを記録し、2007年のAFCアジアチャンピオンズリーグを含む5つのタイトル獲得の原動力になった。高度な技術と戦術眼が凝縮されたスルーパスと鋭いミドルシュートで数々のチャンスを作り、絶対的エースFWワシントンとのホットラインで破壊力抜群の攻撃を組み立てた。若かりし長谷部誠や原口元気も彼に大きな影響を受けたのは確か。「味方の長所を生かせる気の利いた司令塔」はJリーグの歴史にしっかりと名を刻んでいる。

 東京ヴェルディを皮切りに、横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド市原、清水エスパルス、鹿島、ベガルタ仙台、神戸と7つのクラブを渡り歩き、J1通算333試合出場152ゴールという驚異の数字を叩き出したマルキーニョスの存在価値も見逃せない。とりわけ、彼がまばゆいばかりの輝きを放ったのが、2007年から2010年の鹿島時代。オズワルド・オリヴェイラ監督体制の鹿島は2007年から3連覇を飾っているが、その3年間は14、21、13ゴールとコンスタントに2ケタ得点をマーク。2008年には得点王とMVPをダブル受賞した。

 当時まだ若手だった興梠慎三や内田篤人にとってもブラジル人ストライカーの存在は心強かったはず。興梠はマルキーニョスから得点を奪う術の一端を学び、内田も彼のような動き出しの鋭いアタッカーへのクロスの供給を体得し、その後の成功につなげたところがあった。2012年から2013年の横浜時代も、中村俊輔とのホットラインは完成度が高く、「マルキがいるから思うような攻撃ができる」と中村も絶大な信頼を寄せていた。彼の影響力の大きさは我々も今一度、認識すべきだろう。

 この他にも、川崎フロンターレを躍進させたジュニーニョ、2011年の柏レイソルのJ1制覇の立役者となったレアンドロ・ドミンゲス、J2時代の京都サンガから最終的にマンチェスター・ユナイテッドまで飛躍したパク・チソンなど印象深い外国人は少なくない。

 近年はタイのチャナティップ・ソングラシンのようにアジア出身の選手も活躍していて、優良外国人の勢力図も変わってくる可能性も大いにある。Jリーグの外国人枠拡大もあって、多国籍軍化はこの先、一層進むだろう。そんな中、新たな成功を収める選手は誰なのか。我々の度肝を抜くような次なる助っ人の参戦を楽しみに待ちたい。




◆ワールドクラスのプレーでファンを魅了! Jリーグ“優良助っ人列伝”(AERAdot.)





◆鹿島・小池裕太が明かした偽らざる本音。大学から海外へ挑戦の苦悩、「心技体」が整った磐田戦のゴールの裏側(フットボールチャンネル)



小池裕太 Yuta.Koike


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明治安田生命J1リーグ第18節が行われ、6日にジュビロ磐田と対戦した鹿島アントラーズは、2-0で勝利を収めた。この試合で2得点に絡んだのは、3月にシント=トロイデンから期限付き移籍で加入した小池裕太。チームをJ通算500勝へと導いたこの試合で、ベルギーで苦しんだ22歳の左サイドバックは偽らざる本音を明かしている。(取材・文:藤江直人)


大学時代にプレーした鹿島アントラーズ


 忘れかけていた感覚がどんどん蘇ってくる。オーバーラップを仕掛けるタイミング。味方との連携。マークにつく相手選手とのさまざまな駆け引き。何よりも大学時代には何度も感じていた自信が、鹿島アントラーズの左サイドバック、小池裕太の胸中で再び力強く脈打っている。

「この2試合で自分ができるプレー、というものをある程度表現できたので。そのなかでけっこう自信がついてきたのかな、と思っています」

 この2試合とは、リーグ戦初先発を射止めた6月30日のサンフレッチェ広島との明治安田生命J1リーグ第17節と、同じく初めて先発フル出場を果たした今月6日のジュビロ磐田との同第18節。アントラーズの一員になって3か月ちょっと。歩んできた道が正しかったと、小池はあらためて振り返る。

「試合に出られないこともあって、悔しい気持ちはありましたけど、それでもしっかりとサッカーができる喜びというものも実感できていたので。この3か月間はすごくポジティブにできていました」

 異色のルートをたどって、常勝軍団への復帰を果たした。栃木県宇都宮市で生まれ育った小池は、アルビレックス新潟ユースをへて流通経済大学へ進学。2年生だった2016年にJFA・Jリーグ特別指定選手として登録され、アントラーズの選手としてYBCルヴァンカップのピッチにも立った。

 3年生になった2017年には、日本代表として8月の夏季ユニバーシアード台湾大会での金メダル獲得に貢献。優勝した年末の全日本サッカー選手権では全試合でフルタイム出場するなど、世界的にも重宝がられる左利きの左サイドバックに注がれる視線は一気にヒートアップした。


偽らざる日本復帰への本音


 昨年のいまごろは、国内外のクラブによる獲得合戦が繰り広げられていた。ポルトガル1部のポルティモネンセSCの練習に参加し、練習試合でゴールまで決めた大学ナンバーワンの左サイドバックが下した決断は、ベルギー1部のシント=トロイデンへの加入だった。

「ポテンシャルがあり、将来性豊かな選手です。ここで多くのことを学んで成長してほしい」

 Jリーグを飛び越える形で、大学からヨーロッパの舞台へ挑む逸材へ、シント=トロイデンの最高経営責任者(CEO)を務める立石敬之氏は数年先を見すえながら大きな期待を寄せた。背番号「25」を手にした小池も、緊張と興奮を交錯させながらこんなコメントを残している。

「初めての海外挑戦で環境が変わり、苦労することがたくさんあると思いますが、少しでも早く試合に絡めるように頑張ります」

 シント=トロイデンへの加入が発表されたのは、2018/19シーズンが開幕した直後の昨年8月21日。サッカー部を4年の途中で退部し、新潟の開志学園高校からスポーツ推薦で入学した流通経済大学も休学して開始した挑戦は、シーズン途中の今年3月26日に一時停止を余儀なくされる。

 突然発表された、古巣でもあるアントラーズへの期限付き移籍は少なからず日本サッカー界を驚かせた。リーグ戦を含めた公式戦のピッチに一度も立つことがないままくだした、ベルギーの地を一度離れる決意。新天地は「日本以外には考えていなかった」と、小池は当時の偽らざる心境を明かす。

「とにかく自信を取り戻したい、という思いがあって日本を選びました。言葉の面や生活面が明らかに日本と違うし、そういう部分でサッカーにもかなり影響が出てきてしまった。試合にも出られないなかで、(ベンチに入れない)残り組のトレーニングでも正直、自分が納得いくようなプレーができていなかった。だからこそ、ストレスのない日本でもう一回やり直そうと思って」


容易ではなかった鹿島でのプレー


 言葉を含めた文化や風習、食事とすべての環境が変わることは覚悟していた。そびえ立つハードルを乗り越えた先にさらなる成長があると信じて、シント=トロイデンの経営権を取得した日本の合同会社DMM.comが手がける事業のひとつ、DMM英会話で英語の勉強も昨年末からスタートさせた。

 しかし、一度狂った心身の歯車はなかなか元には戻らない。ヨーロッパ帰りという点で日本では好奇の視線を注がれるかもしれない点で、夢半ばで帰国するには勇気がいる。それでも、ボールを蹴る以前の問題を一掃するためには、サッカー人生をリセットすることが必要だと腹をくくった。

「日本でしっかり結果を残せば、周りからの見られ方も変わってくると思うので。その意味でも期限付き移籍している間に、自分の実力というものをJリーグの舞台で表していこう、と」

 特別指定選手として登録された経験から、アントラーズの選手層の厚さは理解している。Jクラブのなかで群を抜く20個のタイトルを獲得し、昨季のアジア王者でもある常勝軍団のなかで、爪痕を残すことは容易ではない。それでも、前を向き続ければ必ず何かが変わると自らに言い聞かせてきた。

 果たして、リザーブに2度名前を連ねただけの軌跡は、特にサイドバックにけが人が続出した6月に入って一変する。14日のセレッソ大阪戦の77分から、MF白崎凌兵に代わって途中出場してリーグ戦デビューを飾ると、前述した30日のサンフレッチェ戦で初先発を勝ち取る。

 しかも、交代で退く3分前の74分には一時は勝ち越しとなる強烈なミドルシュートを突き刺す。プロ初ゴールで前人未踏のJ1通算500勝をアントラーズにもたらした、と思われた試合終了間際に同点とされ、小池の一撃もゴール直前にDF町田浩樹の体に触れていたとして得点者が訂正された。


ジュビロ戦で生まれた驚愕のゴール


 先発して62分までプレーした、北陸大学(石川県代表)との天皇杯全日本サッカー選手権2回戦をはさんで迎えたジュビロ戦。大学時代から自信を寄せてきた、利き足の左足に宿る高精度のキックを見込まれた小池は、大岩剛監督からセットプレーのキッカーを託される。

 果たして、アントラーズが29分にあげた待望の先制点は、ペナルティーエリアの左側で獲得した直接フリーキックから生まれている。

「練習の段階から『速いボールを入れろ』と言われていました。今日は(雨で)ピッチもスリッピーだったので、特に速く蹴ることを意識していました」

 こう振り返る小池の左足から放たれた低く、鋭い弾道はジュビロの選手と競り合ったMFレアンドロの頭をかすめる。コースを変えたボールは、後方にいたジュビロのDF新里亮を急襲。とっさに体勢を整えようとするも間に合わず、新里に当たったボールはゴールネットに突き刺さった。

 そして、40分には世界中へ配信された驚愕の一撃が生まれる。左タッチライン際にいた小池が、白崎とのワンツーで縦へ抜け出す。右ウイングバックの小川大貴が必死に食らいついてきたが、白崎へショートパスを通した直後から縦へ加速していた小池がボールを支配下に置き続ける。

「正直、狙ってはいないんですけど。セルジ(セルジーニョ)が走ってきているのが見えたので、グラウンダーの速いクロスを合わせようと思ったら、たまたまああいう弾道で入って。攻め込まれる時間帯が多かったんですけど、どこかでカウンターで一本あるかなと考えていました」

 小川を抜き去る前に上半身を強烈に右側へねじり、左タッチライン際で左足を思い切り振り抜く。クロスをあげる際の定石となるインサイドキックではなく、インステップキックでボールをミートしたのは、よりスピードのある低空クロスをマイナスの方向へ送ろうと考えていたからだろう。

 しかし、自身が考えていた以上にスピードに乗っていたからか。左足の甲のやや外側にヒットしたボールは宙を切り裂きながら、軌道を左側へと微妙に変えていく。前方へ出ていた名手、カミンスキーの頭上を越えて急降下した軌道は、反対側のゴールネットに突き刺さった。


「自分の特徴というものをまだまだ出せていない」


「サッカー人生のなかで、何回かああいう形のゴールはありました。何て言ったらいいかよくわからないけど、スーパーゴールと言えばスーパーゴールなので、(自分は運を)持っているかな、という感じですけど、満足はしていません。誰が見ても『小池のゴールだ』と言われるような、もっと綺麗な形でちゃんとしたゴールを見せられれば、と思っています」

 仕切り直しのJ1通算500勝を決定づけた角度のない場所からのミドル弾は、実はジュビロ戦で放たれた最初のシュートだった。アントラーズが放ったシュートはわずか3本で、14本のジュビロの後塵を拝した。苦しい時間帯が続いたからこそ、白崎は「あのゴールが大きかった」とこう続けた。

「あのオーバーラップがあいつ(小池)のよさ。今日は守勢に回って難しい部分もあったけど、自分のところでタメを作っていいパスを出せば、あいつの武器をもっと引き出せると思う」

 山本脩斗を筆頭に安西幸輝、小田逸稀と左サイドバックでプレーできる選手にけが人が続出。苦しい台所事情のなかで、9日には安西がポルティモネンセへ完全移籍することが決まった。小池の心技体が整い、国内外のクラブが注目した潜在能力がいよいよ開放されてきたことと無関係ではないだろう。

 ジュビロの攻撃を最後まで封じ、初めてフル出場を果たしたリーグ戦でJ1通算500勝目をもぎ取った瞬間を共有できた。しかもヒーローインタビューまで受けた点で、またしても「持っている」と言いたくなるが、上向きに転じつつあることも認めても小池本人はまったく満足していない。

「正直、得点以外のところで迷惑をかけてばかりだったので。攻守ともにというか、特に攻撃の部分で自分の特徴というものをまだまだ出せていない。けが人が多いなかで、これまで試合に出ていない選手たちが力にならなければいけない。その意味でももっと、もっと頑張っていかないと」


かつての同僚・関根貴大の存在


 メンタルの部分で袋小路に入り込んだシント=トロイデンの日々で、ホームシックにかかったことはなかったという。自身以外に5人を数えた日本人選手が、日本でのプロ経験がなかった小池の相談相手を務めてくれたからだ。そのなかでもドイツ・インゴルシュタットから期限付き移籍していたMF関根貴大に「一番お世話になったと思う」と感謝する。

「自分のことを気にかけてくれて、いつもLINEでメッセージを送ってくれましたし、家へ呼んでくれてご飯を食べさせてもらったこともありました。すごく心の支えになってくれました」

 独身の小池はシント=トロイデンの選手寮暮らしだった。朝食と昼食はチーム側から提供されるものの、夕食は寮内の共有キッチンで自炊するか、外食する形になっていた。そうした日々で妻帯者の関根の自宅に招かれ、夫人の手料理に舌鼓を打つ時間を介してどれだけ勇気づけられたことか。

 その関根も6月末に、2年ぶりに古巣の浦和レッズへ復帰することが発表されている。そして、今後のスケジュールを見れば、ACLの関係で未消化となっているレッズとの明治安田生命J1リーグ第16節が、今月31日に埼玉スタジアムで組まれている。

「やっぱり対戦したい、という気持ちはありますね」

 関根がかつての定位置だった右ウイングバックに入れば、対面同士で直接対決の火花を何度も散らす図式が生まれる。オーバーラップを含めた自慢の攻撃力で関根を凌駕し、恩返しができる瞬間を思い描きながら、小池は生まれ育った日本でようやく右肩上がりに転じさせた成長曲線を加速させていく。

(取材・文:藤江直人)

【了】




◆鹿島・小池裕太が明かした偽らざる本音。大学から海外へ挑戦の苦悩、「心技体」が整った磐田戦のゴールの裏側(フットボールチャンネル)





◆安西幸輝が1年半で得た野心と愛情。 「鹿島のこと好きになっちゃった」(Number)



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 7月に入った途端、鹿島アントラーズに所属する選手たちの欧州移籍に関する情報が、スポーツ紙を中心に報じられるようになった。

 その1人、安西幸輝のポルトガル・ポルティモネンセ移籍が7月9日クラブから発表された。

「シーズン途中に抜けてしまうことに関しては少し悩みましたが、3年後のW杯にスタメンで出場するという自分の目標があるので、そのためには海外で揉まれて、ステップアップしなくちゃいけない。24歳という年齢を考えても、これがラストチャンスだと思った。ひと握りの選手しか手にできないチャンスを無駄にはできない」

 同日、クラブハウスで取材に応じた安西はその決意を語った。念願の海外移籍が叶った形だが、決断を下した直後には不安もあった。

「またゼロからのスタート。しかもポルティモネンセで試合に絡まないと、行った意味がない。そこが一番不安ですね。だけどポルティモネンセは、試合に出て活躍して、いいチームからオファーがあれば、行かせてくれると言ってくれました。ステップアップに使ってくれと。そのためにも、まずはポルティモネンセのために仕事をしたい」


「自分を過大評価していた」ヴェルディ時代。


 1995年に埼玉県川口市で生まれた安西は、小学生4年のとき、東京ヴェルディジュニアのセレクションを受け合格する。ジュニアユース、ユースで活躍し、2014年に見事トップチームとプロ契約を結んだ。

 ルーキーイヤーからレギュラーとしてプレーする中で、「ヴェルディをJ1に昇格させたい」という想いと同時に「もっと上のレベルでやりたい」という欲が芽生えていく。

 そんなとき、後輩の三竿健斗が鹿島へ移籍した。悔しさと同時に、「自分を過大評価していた」ことにも気づかされた。プロ4年目の2017年シーズンには生活をイチから見直し、意識を変えた。

 そして2018年、鹿島からのオファーが届いた。他クラブからの誘いもあったが、鹿島の一員になる魅力は大きかった。J1でのプレーだけでなく、その先の日本代表入りを考えれば、迷いはなかった。


同ポジションの選手獲得を希望した理由。
「当時、(内田)篤人くんが鹿島に戻るかもしれないという話もあったので『是非、内田選手も獲得してください』とお願いしました(笑)。(西)大伍くんもいましたし、(山本)脩斗くんもいました。

 でも、強いライバルを倒さないと代表に入るのは無理です。その点鹿島なら申し分ないし、代表入りという目標達成に鹿島ほど適したクラブはないと思うんです。だって、アントラーズのサイドバックってほとんどみんな代表だから」

 鹿島入りを決めた理由について、かつてそう話していた。そして新加入の2018年シーズンは、リーグ戦やACLなど47試合に出場している。怪我人が続出するチームで、両サイドバック、両サイドハーフ、ボランチとさまざまなポジションで起用された。

 J2時代以上の過密日程を負傷なく乗り越えたが、消化するだけで精いっぱいというのが正直なところだったのかもしれない。シーズン末には「身体よりも頭、メンタルが疲れました」と話している。

 プロとなって初めてのポジション争いも経験した。負傷から復帰したベテランの控えに回る立場に、自分の未熟さを思い知らされた。

「ヴェルディ時代は、ほとんどずっとレギュラーでした。鹿島で初めてポジション争いを経験し、ポジションを獲られてしまった。ライバルの選手は、僕にはないもの、足りないものを持っている。これからそこを補っていこうと思ってました。

 いろんなポジションで使ってもらってなかなか自分の色が出せないという悩みはありましたけど、そのおかげで守備面はよくなったと感じています。週に2試合出続けるというのも経験がなかったし、相手も初めての選手ばかりで当然苦労もしました。でも、想像以上の経験ができたのは、今となっては非常によかったです」


南米の選手の貪欲さに触れて。


 昨シーズンの終盤は先発の座を明け渡したが、ACL王者に輝くチームにとってはメドの立つ「スーパーサブ」的存在として活躍。クラブW杯のピッチにも立った。移籍会見で、もっとも印象的な試合として安西が挙げたのも、クラブW杯でのリバープレート戦だった。

「レアル・マドリー戦にも出場しましたが、レアルよりもリバープレートのほうが衝撃を受けました。あの試合で、本気で自分を変えないといけないと思いました」

 アルゼンチンの強豪に所属する20代前半の選手たちが発散していた貪欲さが、安西を刺激した。

「同世代の選手が多かったんですが、みんな眼の色が違った。ここで活躍して、ビッグクラブへ行くという意思がプレーに出ていた。3位決定戦だけど一切手を抜かない。チームのためにプレーするという気持ちだけでなく、そのうえで、自分の特長を見せるプレーをしていた。僕自身もそういうプレーをしないと上にはいけない」

 安西は、日本代表入りだけではない、新たな目標を定めた。このエピソードは、アルゼンチンのボカ・ジュニオールに敗れて欧州行きを決意した長谷部誠を思い出させる。

「鹿島へ移籍するときにも『海外でプレーしたい』という気持ちはありました。でも、それはまだ漠然としていた。だけど、行きたいじゃなくて、行かなくちゃいけないと思うようになったんです」


鹿島に来て1年で代表、1年半で海外へ。


 そして迎えた今季、安西は開幕から、鹿島で鍛えられた守備だけでなく、自身の特長を意識した攻撃的なプレーを披露。3点というゴール数だけでなく、得点を演出する仕事にも貢献している。3月には日本代表にも選ばれて2試合に出場した。

「代表に招集されて、スピード感の違いを実感しました。でも、海外でプレーしている選手にとってはそれが普通なんです。この経験も、海外へ行かなくちゃいけないという気持ちの後押しとなりました」

 6月に、ポルティモネンセが興味を持っているという話が届いた。上下動と得点に絡むシーンなど、自身が意識したプレーが評価された。

 安西自身、鹿島入り1年での代表入り、1年半での海外移籍は想像してはいなかった。しかし、それだけ密度の濃い1年半でもあった。環境を変えたことで新たな欲を刺激され、成長とその手ごたえがあった。


「好きになっちゃったから、鹿島のこと」


「J1クラブの生え抜き選手が海外へ移籍する例が多いですけど、僕のようにJ2からステップアップしていく例は少ない。鹿島には申し訳ない気持ちもあります。でも、行けるタイミングを逃したら行けなくなる。シーズン途中にもかかわらず送り出してくれたクラブ関係者、監督、チームメイトに感謝しています。

 サポーターにキチンと挨拶ができないのは残念ですし、申し訳ない。短い間でしたけど、鹿島から出ていくからには海外でしっかりと活躍して、日本を代表するサイドバックになって、また鹿島のユニフォームを着れるように頑張りたい」

 わずかな在籍期間だったが、「好きになっちゃったから、鹿島のこと」と安西は照れ臭そうに話した。それでもだからこそ、チームメイトへの挨拶では、胸をはろうと決めた。

「移籍が決まったときはこみ上げるものもありました。でもここで泣いて行くのは、覚悟が弱すぎると思う。海外へシーズン途中で行くと決めたんだから、しっかりとハキハキしゃべって行こうと思っていた。日本では、周りが僕のキャラクターを理解してくれたし、多少調子が悪かったとしても起用してもらえることもあった。でも、ポルティモネンセへ行けば、僕は助っ人の立場。相当の覚悟を持ってやらないといけない」


海外移籍が増え、鹿島も変化の途上にある。


 そんな安西が常に憧れの選手としてその名をあげていた内田篤人からは「行け。行って苦労して来い」と言われた。そして「CLに出てベスト4にまでいったら、俺が認めてやる」とも。

「篤人くんは『行った人にしかわからないことがある』といつも言っている。だから、一番の目標はCLベスト4だった篤人くん。篤人くんを越えたいとずっと思っているし、篤人くんと同じ景色を見たい。見ないといけない。

 確かにドイツ1部のシャルケと比べたら最初のチームは相当差がありますし、まあ、(CLベスト4までは)相当厳しい戦いになると思います。でも、そこまで行けるように努力したい。

 僕自身J2で4年やって、J1では1年半しかやっていないけれど、ここまでこれた。だからこそ、篤人くんを超えることを目指さないといけないと思っています」

 新卒選手を獲得し、戦力に育てるという長年鹿島が掲げてきたチーム強化スタイルは、20代半ばで海外に移籍する選手が増えたことで、形を変えてきている。

 他クラブからの獲得選手で「戦力補強」を想定した編成を組むようになった。そして鹿島で活躍できる選手は、貪欲で野心家だ。その欲を刺激し、成長させる環境が鹿島にはある。その結果として選手が代表に選ばれ、海外のクラブから注目を集め、移籍していく。そのサイクルが速くなっても、タイトル獲得というクラブの方針は変わらない。


「ギラギラした選手がいっぱいいるから大丈夫」


 移籍に反対することは簡単だが、一度きりの選手人生の可能性を摘むことになるし、選手のモチベーション低下がチームに悪影響を及ぼすことにもなりかねない。一時的に戦力が低下したとしても、スタメンを競う選手たちに強い覚悟が生まれ、選手の成長スピードも上がる。

 柴崎岳が移籍したのちに台頭したのが三竿健斗だった。大迫勇也や金崎夢生のあとは鈴木優磨が伸びた。植田直通や昌子源のポジションに入った犬飼智也や町田浩樹は成長の過程にある。

 6月、負傷した安西に代わり出場したのが、1996年生まれで流通経済大学からシント・トロイデンへ加入した小池裕太だった。今季、レンタル移籍で獲得した。

「鹿島にはギラギラした選手がいっぱいいるから、僕は大丈夫かなと思っています」

 安西はそう話す。

 鹿島で活躍し、代表へ、そして海外へ。選手たちが秘める野心の大きさがチーム強化に繋がる。そんな環境を鹿島は作り続けなければならない。




◆安西幸輝が1年半で得た野心と愛情。 「鹿島のこと好きになっちゃった」(Number)





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