2000年に3冠を達成するなど、鹿島の黄金時代を支えた。日本代表としても02年日韓など2度のワールドカップに出場。日本中を熱狂させた。そんな名DFは偉そうなそぶりを全く見せず、笑顔でユニフォームを脱いだ。「まだできる。でも、チームに貢献できていない。葛藤はあったが、自分がいつまでも居座るのはよくないと思った」。飾らない言葉が胸を打った。
スタジアムには人気ロックバンド、MrChildrenの「GIFT」が流れていた。NHKの北京五輪テーマ曲としても有名なこの曲を聞きながら、中田はゆっくりとピッチを一周した。
その歌詞にはこんな一節がある。「『白か黒で答えろ』という難題を突きつけられ」。勝つか負けるか、勝負の世界で17年間も生きてきた彼にふさわしい曲に、客席から温かな拍手が重なった。
中田は「79年組」と呼ばれる黄金世代の一人。小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら、1979年生まれの名選手たちと、ここまで日本のサッカーを支えてきた。「皆で素晴らしい時間を過ごせた。彼らと切磋琢磨(せっさたくま)してきたことが今につながっている」。言葉に力を込めたのが印象的だった。
今年、Jリーグでは仙台の柳沢敦も引退した。一つの時代が終わろうとしている中、筆者には彼が「良い仲間をつくれよ。そして、もっともっと競い合えよ」と言い残したように思えてならない。
この日、鹿島の選手たちは涙を浮かべて、中田を見送った。寂しくなる。心細くもある。だが、「贈り物」を後輩たちがしっかりと受け取ったのであれば、救われる。
(谷野哲郎)