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2014年12月23日火曜日

◆【みちのく人旬感トーク】仙台・野沢、J1残留も「充実感ない」(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20141222-OHT1T50173.html


 今季序盤はJ2降格圏内の17位と出遅れながらも、14位でJ1残留を果たしたベガルタ仙台。その原動力の1人となったのが、MF野沢拓也(33)だ。8月に鹿島から完全移籍で加入すると、16試合に出場し2得点3アシスト。仲間から「変態的」と呼ばれるほど正確なトラップと、非凡なパスセンスで攻撃を組み立てた元日本代表MFに、今季を振り返ってもらった。(聞き手・高橋宏磁)

 14位でのJ1残留。チームとして“最低限のノルマ”を達成しても、野沢に充実感や満足感はないという。

 「ないですよ。充実感なんて。そういったことを考えたことはない。1年間を終わって、タイトルを取れなかったら何もない。後悔しか残らない。タイトルを取れば、また来年も取りたいと思う。(今年)満足した試合はないですね」

 シーズン途中の8月に鹿島から完全移籍で加入。勝利という結果を残すため、とにかく必死だった。

 「状況も状況だし。早く(チームに)溶け込まないといけない。時間も限られていた。そんなことを言ってる年齢じゃない。いいチームの中に溶け込みたい思いがあった」

 ホームの清水戦(8月16日)で先発デビュー。前半12分に華麗なスルーパスでFW武藤のゴールをアシストし、3―2での勝利に貢献した。ユアスタの大歓声が忘れられない。

 「あれだけの声援をもらって鳥肌が立った。本当に多くのサポーターがいて、下位争いをしている中でも応援してくれた。来年は、僕たちが力にならないといけない。上位争いでワクワクさせる試合をしたい。みんなで苦しい時も力を出して頑張りたい」

 茨城県笠間市出身。鹿島ユース時代の97年には、高校1年生ながらトップ登録。「ジーコ監督の秘蔵っ子」と呼ばれた。10年以上も在籍したクラブを離れる決断をしたことに、後悔はない。

 「鹿島では出場試合数も少なかった。こうして仙台が声をかけてくれて、サッカーをできる環境を与えてくれたことに感謝しているし、本当にありがたかった。今は、楽しい。仙台に来て楽しい」

 鹿島時代は、主力としてリーグ3連覇(07~09年)に貢献した。頂点に立ちたい思いは、誰よりも強い。

 「仙台は(12年に)2位になったけど、それより上に行くには1位しかない。色々な思いがある。自分がチームの力になりたい。やっぱりタイトルを取らないといけない。僕らはそういう職業。タイトルを取るためにやっている。何位に入るとかそういう考えは捨てた方がいい」

 ◆野沢 拓也(のざわ・たくや)1981年8月12日、茨城・笠間市生まれ。33歳。ジュニアユースから鹿島ひと筋。ユース時代の99年4月10日・京都戦でJリーグ初出場。00年にトップ昇格。ケーラー病などでも伸び悩んだが、05年から主力に定着。06年には日本代表に初選出された。8月に仙台入り。J通算334試合62得点。176センチ、70キロ。