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2016年1月17日日曜日

◆鹿島ユース時代に小笠原満男から影響を受けたMF西室隆規、大学を経て富山へ「チームのために走れる選手に」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/sk_column/article/391800.html

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インタビュー・写真=平柳麻衣

 憧れていた高校サッカー部ではなく、鹿島アントラーズユースを選んだMF西室隆規は、トップチームで輝きを放つレジェンドから刺激を受け、「同じ舞台に立ちたい」と夢を抱いた。結局、トップ昇格は叶わなかったが、法政大学での4年間を経てプレーも人間性も成長を遂げ、カターレ富山でプロ生活のスタートを切る。

鹿島に行ったからここまでやってこれた


――本格的にサッカーを始めたのはいつ頃ですか?

西室 5歳上の兄がスポーツ少年団に入っていたので、ずっとついていってサッカーボールを蹴っていて、小学3年生から僕も本格的に入りました。

――鹿島アントラーズユース出身ですが、加入に至った経緯は?

西室 中学校までは山梨県のフォルトゥナサッカークラブという街クラブでサッカーをやっていたのですが、中学の時に鹿島ジュニアユースが遠征で山梨に来て、練習試合をやった時にたまたま自分の調子が良くて目に留まったらしく、誘ってもらいました。

――今までやったことがあるポジションは?

西室 基本的にずっとボランチですが、左利きなので小学生の頃は左サイドハーフをやったり、FWも少しだけやっていました。

――鹿島ユースに入って、印象的だったことはありますか?

西室 やっぱりアントラーズの練習着を着られることがうれしかったです。あと、同学年にレベルが高くてうまい選手が多かったので、「こいつらに負けたくないな」という想いはずっと持っていました。

――当時、憧れていた選手は?

西室 高3の始めにトップチームの春キャンプに参加して、その後もサテライトの試合に出場することが多かったので、トップの選手と話す機会があったのですが、中でも小笠原満男選手に憧れていました。ある時、満男さんがユースの選手たちに「サッカーが好きな人?」と聞いて、みんな手を挙げたんですけど、続けて「誰にも負けないぐらい努力してると胸を張って言える人?」と聞いた時、自分はすんなりと手を挙げることができなかったんです。そして、「プロの選手だって、プロになってからも一生懸命努力しているから、ユースの君たちはもっと努力しないとダメだよ」と言われて、もっとがんばろうと思いました。

――実際、プロの選手やトップチームの練習の雰囲気についてはどう感じていたのですか?

西室 技術的な部分も人間性もすごい選手がたくさんいたので、刺激を受けることばかりでした。特に満男さんや野沢拓也(現ベガルタ仙台)さん、モトさん(本山雅志/現ギラヴァンツ北九州)、中田浩二さん(元日本代表)などは、名前を聞いただけでうまいとわかるんですけど、一緒にやってみて本当にすごいなと感じました。

――小笠原選手からアドバイスをもらうことはあったのですか?

西室 キャンプの時は練習が終わった後にユースの選手のところに来て、話しかけてくれました。例えば、フィジカル一つにしても、「俺は高校時代、『誰よりも速く走ってやる』っていう気持ちでずっとやっていた。だから自分で限界を決めないで、誰にも負けないぐらいやらないとダメだ」といった話をしてもらいました。

――ユースで過ごした3年間で一番の思い出は何ですか?

西室 やっぱりトップチームのキャンプに参加したことが今でもすごく印象に残っています。キャンプでは選手の素の部分も見られるので、「いい選手は人間性もいいんだな」と感じました。あと、プリンスリーグ(高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プリンスリーグ関東)で優勝した瞬間はうれしかったです。

――高校3年の時はキャプテンを務めていました。

西室 元々そんなに責任感が強い方ではないと思うんですけど、キャプテンという肩書きがついただけで「やらなきゃ」という気持ちになりました。また、いろいろな場面で「例えば、満男さんだったらどうするんだろう」とか、「キャプテンとは、どうあるべきか」と客観的に考えるようになりました。それを自分の行動に反映してみたり、「ここでこの選手に声をかけたらいいんじゃないか」といった気遣いができるようになったと思います。

――ユース時代のプレースタイルは?

西室 中学の時は、ボールを持ったら「俺がやってやる」と思ったり、華麗なプレーをすることに美学を感じていたんですけど、鹿島に入ってからは、「陰で効いてる」と思われるような選手、例えば「この選手が走ってくれたから他の選手が活きた」と思われる選手になりたいと思うようになりました。自分が点を取らなくても自分が起点になって点が入ればいいですし、サッカーを知っている人からうまいと言われる選手になりたいです。僕も客観的に見て派手さはないと思うんですけど、チームのために走ったり、体を張れる選手を目指しています。

――鹿島と言えば、戦術や哲学がチームに浸透しているイメージがありますが、ユースの選手たちにも指導されているのですか?

西室 はい。特に3年生になって、ブラジル人のキッカ監督が来て、熊谷(浩二)さんがコーチになってからは私生活もかなり厳しくなって、オンもオフも「サッカーのために」という生活を送っていました。

――ユースは練習時間がそれほど長くないですよね?

西室 2時間くらいです。でも、練習以外の時間も寮で誰かの部屋に集まって前週の試合のビデオを見て、「これ、ナイスプレー」とか「俺、この場面で本当はこうしたかった」と話し合ったりしていました。

――高体連ではなく、クラブユースに入って良かったと思いますか?

西室 中学の時は高校サッカー選手権に憧れていたので、仲がいい先輩が進学した市立船橋(高校)や静岡学園(高校)に行きたいと思っていたんですけど、今振り返ってみると、やっぱり鹿島に行って良かったし、鹿島に行ったからここまでやってこれたと思います。

――鹿島ユースは今年度、高円宮杯U-18サッカーリーグ2015プレミアリーグEASTを制しました。直接、関わりがある後輩ではないですが、どう思いますか?

西室 自分たちの代の時にプレミアリーグに上がったのですが、今も残ってくれていて、優勝してくれるのは誇らしいですし、素直にうれしいです。


チームが勝たなければ自分は評価されない

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――高校を卒業するタイミングでトップ昇格の話はあったのですか?
西室 クラブの人からは、ギリギリまで迷ったと聞きました。でも結局、「このタイミングでは難しい」という話をされて、その時に法政大からオファーをもらったので行くことにしました。

――法政大以外の進路は考えましたか?

西室 他にも声をかけてくれた大学はあったんですけど、鹿島から法政大に入った人がほとんどいなくて、熊谷さんに「今後、鹿島と法政大をつなげる役割をしてほしい」と言われたんです。僕はあまり他の人と同じことをするのが好きじゃないので、「じゃあ、法政で」と。当時の法政大は2部で、声をかけてくれた中には1部の大学もありましたけど、自分が行って上げればいいと思いましたし、それよりも「鹿島から法政」というルートを自分が作りたい気持ちの方が強かったです。実際、1学年下の後輩も一人、鹿島から法政大に入りました。

――大学サッカーとクラブユースの違いはどんなところに感じましたか?

西室 ユースはグラウンドもユニフォームもスパイクも完全に整えられた環境でできるので、それが当たり前とは思っていないつもりでしたけど、やっぱり最初は違和感がありました。上下関係も大学に入ってから学びましたし。「ユースの頃の方が良かったな」と思うこともありましたけど、そういう環境から離れたからこそ、クラブユースのすごさを感じることができたと思います。

――サッカー面で感じたことは?

西室 強さや速さは高校の時より全然レベルが高いなと感じましたけど、僕は速さや強さで勝負するプレースタイルではないので、判断のスピードをもっと上げないといけないと感じました。

――レギュラーになったのはいつ頃ですか?

西室 入学した年の開幕戦からレギュラーとしてずっと試合に絡ませてもらいました。1年生だからといって遠慮することはなかったですし、プロになるために「試合に出なきゃ」という感覚が強かったです。

――大学4年間でターニングポイントになった出来事はありますか?

西室 3年の時に長山(一也)監督が就任したことです。その年の夏に総理大臣杯で準優勝できたことは、僕の大学サッカーでのターニングポイントになったと思います。

――長山監督が来て、チームはどう変わったのですか?

西室 1、2年生の頃もチームにうまい選手はいたんですけど、私生活やサッカーに対する姿勢に甘さがあったと思います。だから苦しい時に勝てなかったり、連敗してしまったり。でも、長山監督が来て「私生活がサッカーにつながる」と言われて、例えば寮の清掃などの細かいところから意識を変えていったら、サッカーも少しずつ変わっていきました。

――私生活が変わると、サッカーも変わるものなのですか?

西室 僕も最初は信じられなかったんですけど、細かいことができる人ってピッチに立った時も気が遣えますし、うまく自分のところにボールがこぼれてくるんですよね。「神様がいる」というわけじゃないですけど、自分のところに運を運んでくるというか。そういう意識を持つことがすごく大事だなと思いました。

――3年生で2部リーグ優勝を経験し、最後の1年は1部に挑戦しました。レベルの差は感じましたか?

西室 2部の時も総理大臣杯で1部のチームに勝っていたので、正直、そこまで変わらないだろう思って、優勝を目標に掲げて臨んだんですけど、開幕戦で負けて(慶應義塾大学に0-3で敗戦)、そんなに甘くないなと感じました。その後、慣れてきたら勝てるようになって、前期リーグは3位で終わったんですけど、「もっとやれる」という気持ちが残りました。

――後期リーグは苦戦し、最終順位は7位でした。

西室 後期リーグ開幕戦に勝ってからは引き分けや負けが続きました。みんな今までどおり練習も私生活もしっかりやっていたのに、なぜか勝てないという状況で。監督がIリーグのメンバーを入れたり、フォーメーションを替えたりしたことで、リーグ終盤は良くなったんですけど、最初にこけてしまったのが痛かったですね。

――最終節は早稲田大学に敗れ、目の前で優勝を見届けました。

西室 今の自分やチームの現状を痛感し、悔しかったです。早稲田大の選手たちには技術の面で負けているとは思いません。でも、チームのためにといった謙虚さや献身性が自分たちよりあり、そこに差があると感じました。来年、あの舞台で勝ちきることができるチームに法政大はなれると思うので、がんばってほしいです。

――新シーズンからカターレ富山に加入しますが、経緯を教えてください。

西室 長山監督が元富山の選手ということもありますが、富山のスカウトが熱心に毎試合観に来てくれて、その度に話しかけてくれたことが加入を決めた理由の一つです。

――富山以外からもオファーはあったのですか?

西室 正式なオファーは富山だけでしたが、興味を持ってくれたクラブはあったので、富山に返事をするのが遅くなりました。でも、富山に行くと決まった今は、このスタートラインからがんばろうという気持ちが強いです。

――最後に、今後の目標を聞かせてください。

西室 大学3年生の総理大臣杯で準優勝した時に、自分を気にかけてくれる人やクラブが増えて、チームの成績が個人の評価も上げてくれることを学びました。今後もチームが勝たなければ自分は評価されないと思うので、まず自分が試合に出て、富山がJ2、そしてJ1に上がっていけばいいなと思います。