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2016年6月29日水曜日

◆【THE REAL】植田直通が放つ威風堂々としたオーラ…王者・鹿島アントラーズと日本代表で際立つ存在感(CYCLE)


http://cyclestyle.net/article/2016/06/28/37667.html

植田直通 参考画像(2016年5月27日)

記録だけでなく、記憶にも残る夜となった。聖地カシマサッカースタジアムに、21歳にして威風堂々としたオーラを放つ鹿島アントラーズの植田直通の雄叫びがとどろく。

手渡された優勝トロフィーが、天へと掲げられる。それを合図として、頂点に立った選手たちが勝ちどきを響かせる恒例のセレモニーが、6月25日は趣がやや異なった。

■故郷熊本を想いトロフィーを掲げる

ナビスコカップや天皇杯を含めて、セレモニーの音頭はキャプテンが取ってきた。ファーストステージを制したアントラーズも、キャプテンのMF小笠原満男がJリーグの村井満チェアマンからトロフィーを受け取っている。

しかし、小笠原は次の瞬間、植田にトロフィーを託してゆっくりと後列へさがっていった。主役を任された植田が、照れ笑いを浮かべながら舞台裏を明かしてくれた。

「優勝を決めた直後から『熊本の方々がたくさん見ているから、お前がトロフィーを掲げろ』と言われていました。本当に(小笠原)満男さんに感謝したい」



1994年10月24日に熊本県宇土市で産声をあげた植田は、地元の強豪・大津高校から2013シーズンにアントラーズへ入団。お披露目となる入団会見では自身を獰猛なワニにたとえて、周囲を驚かせている。

「ワニは獲物を水中に引きずり込んで仕留める。自分も得意とする空中戦や1対1にもち込んで、相手を仕留めたい」

186cm、77kgの筋骨隆々としたボディ。小学生時代はサッカーとの二刀流で挑んでいたテコンドーで、世界大会の舞台にも立った。高さと強さを身にまとう強面の九州男児が、ひと目をはばかることなく号泣したのは4月16日の湘南ベルマーレ戦後だった。

敵地で行われた一戦で、植田はセンターバックを組んだ日本代表・昌子源とのコンビで、ベルマーレ攻撃陣に何ひとつ仕事をさせなかった。3-0の完封勝利を飾り、お立ち台に呼ばれた直後だった。

「植田選手にとって、今日は特別な思いでのプレーだったと思います。胸の内を聞かせてください」

沈黙が続くこと数十秒。右手で必死に目頭を押さえても、とめどもなくあふれてくる涙を止めることができない。震えながらも何とか絞り出した声に、優勝への決意を込めた。

「僕にはそれしかないので…頑張ります」

■大地震が故郷を襲う

ベルマーレ戦の2日前。故郷がマグニチュード6.5、最大震度7の「平成28年熊本地震」に襲われた。幸いにも家族は無事だったが、時間の経過とともに甚大な被害が伝わってくる。

一夜明けた17日。午前中の練習を終えた植田は、アントラーズのフロントへ熊本行きを直訴。依然として余震が続いていたなかで、18日のオフを含めた1泊2日の強行日程を認めさせた。

被災地の力になりたいと思い立った植田に、小笠原、選手会長のDF西大伍、2年目のFW鈴木優磨をはじめとする若手も胸を打たれる。空路でともに福岡へ入り、陸路で熊本へ向かって飲料水や支援物資を届けた。実は地震が発生した直後から、小笠原はこんな言葉を植田へかけている。

「手伝えることがあれば何でもする。遠慮なく言ってくれ」

岩手県出身の小笠原もまた、2011年3月に発生した東日本大震災に心を痛め、東北出身の選手たちと「東北人魂を持つJ選手の会」を発足。J被災地の救援及び慰問活動に、率先して取り組んできた。

だからこそ植田の気持ちを理解し、行動をともにした。セレモニーの音頭取り役を託した理由も然り。トロフィーを掲げる植田の雄々しい姿が、復興を目指す熊本の力になると背中を押したのだろう。

「僕の家族や友だちを含めてたくさんの人がアントラーズを応援してくれたし、そういう人たちへこの優勝を届けられたことは、本当によかったと思います」

植田はあらためて小笠原への感謝の気持ちを口にしたが、川崎フロンターレとのデッドヒートを制したファーストステージの軌跡を振り返れば、立役者のひとりにあげられる活躍を演じてきた。

■U-23日本代表でも存在感を見せる

センターバックとして15試合に先発してフル出場。欠場した2試合はU-23日本代表に招集され、5月下旬にフランスで開催されたトゥーロン国際大会に出場したことに伴うものだった。

そして、アントラーズが許した失点はわずか「10」。もちろんリーグ最少で、2位のフロンターレとサガン鳥栖に「5」もの差をつけている。完封は半分を超える9試合で、植田はそのうち8試合に出場している。

最終ラインで文字通り壁となって相手の攻撃をはね返し、圧倒的な存在感で畏怖させた。前半に奪った2点のリードを守り、優勝を決めたアビスパ福岡戦を観戦した村井チェアマンも植田を絶賛している。

「あの若さで、あの堂々たる戦いぶり。危ないところもなかったですね」

昨シーズンのセカンドステージは出場わずか2試合、151分間にとどまっていた。ベンチ入りすら果たせない試合が「6」を数えるなど、高さと強さをもてあます状況が続いていた。

ターニングポイントが訪れたのは今年1月。「23歳以下のアジア王者」という肩書を添えたうえで、リオデジャネイロ五輪切符を獲得したU-23アジア選手権でくぐりぬけてきた死闘の数々にある。


手倉森誠監督に率いられたU-23日本代表の前評判は、残念ながら芳しいものではなかった。年代別の世界大会を経験した選手が少ないがゆえに、五輪への連続出場が5大会で途切れるとさえ危惧された。

しかし、U-23北朝鮮代表とのグループリーグ初戦を、最後は防戦一方ながら1-0でものにすると、破竹の快進撃が幕を開ける。開始5分に虎の子のゴールを決めたのは植田だった。

決勝トーナメントではU-23カタール代表を延長戦の末に、最大の強敵だったU-23イラク代表を終了間際の劇的ゴールで連破。U-23韓国代表との決勝では、2点のビハインドをはね返して頂点に立った。

カタールの地から凱旋した植田が漂わせる雰囲気は、明らかに出発前と変わっていた。プレッシャーを背負いながら確固たる結果を残したことで、くすぶっていた自分自身への不安が自信へと昇華したのだろう。

そして、植田はチームから打診されたオフを返上したうえで、自分自身にノルマを課しながら、すでに始まっていたアントラーズのキャンプに合流する。

「アントラーズで試合に出られなければ、リオデジャネイロ五輪の代表に選ばれる可能性も低くなる。本当に大事なのはこれから。オリンピック本番はオーバーエイジもあるし、再び競争も始まる。まずはアントラーズでスタメンを張って、しっかりと結果を出したい」

果たして、アントラーズでも最終ラインに君臨する。昨シーズンのレギュラー、元韓国代表のファン・ソッコがけがで出遅れていなかったとしても、覚醒した感のある植田に軍配があがったはずだ。

昌子とのコンビで鉄壁の守備網を築きあげ、ファーストステージの上位戦線につけていた4月のこと。好調の理由を植田にたずねると、こんな言葉が返ってきた。

「どの試合に出ても、余裕をもって前が見えていると自分でも思っている。やっぱり最終予選。あの試合を戦ってきたことで、余裕ができたのかなと」

他のJクラブの追随を許さない17個ものタイトルを獲得。常勝軍団の歴史と伝統が凝縮されたバトンを握ってきた37歳の小笠原は、かねてからこんな言葉を繰り返し残してきた。

「自分が若いころも上の人に支えられながら、タイトルを取って成長できた部分がある。タイトルを取らなければ見えてこないものがあるし、タイトルをひとつ取れば『またああいう経験をしたい』という気持ちも芽生えてくる。その積み重ねでチームは強くなっていく」

■リーグ優勝、そしてリオデジャネイロへ

ステージ優勝はタイトル数にカウントされないものの、前人未到の三連覇を達成した2009シーズン以来、7年ぶりに「リーグ優勝」と名のつくものを手にする軌跡は、すでにアントラーズのなかに化学反応を起こしつつある。

「優勝を決められる試合で、無失点で勝てたことが嬉しい。ステージ優勝ですけど、アントラーズとしてリーグのタイトルを取れていなかったので。タイトルを取ればみんなの意識も変わると思いますし、僕自身、もっとタイトルが欲しいという気持ちにもなっている。次はセカンドステージ、そして年間チャンピオンを狙って、頭を切り替えて新たなスタートを切りたい」


アビスパ戦は累積警告による出場停止で昌子を欠いていた。出場わずか3試合目となる20歳のブエノを引っ張り、勝ち取った優勝を喜んだのは一瞬だけ。植田は新たな課題を掲げることを忘れなかった。

「失点が二桁にいってしまったので、そこはまた改善しなければいけないところだと思う。セカンドステージでは、もっと減らしていかないといけない」

いざ、セレモニーの音頭を取る瞬間。優勝トロフィーを天へ掲げると見せかけて、植田はまるで悪戯小僧のようにフェイントを二度もかけては周囲を焦らしている。

「すべてクシ君の指示です」

背後にいたU-23日本代表のチームメート、GK櫛引政敏が耳元でささやいていたことを明かした植田は、表情を引き締めながら決意を新たにしている。

「満男さんやソガさん(GK曽ヶ端準)を筆頭に大勢の先輩に支えられていますし、まだまだ吸収していかなければいけないところもたくさんある。すぐに代表活動があるし、頭を切り替えていかないと。オリンピックのメンバー選考も大詰めなので。しっかりと自分をアピールしてメンバーに入れるように準備していきたい」

1月のU-23日本代表を戦ったセンターバックからは、岩波拓也(ヴィッセル神戸)と奈良竜樹(川崎フロンターレ)がケガで戦列を離れている。前者は間に合いそうだが、後者はリオデジャネイロ五輪を断念した。


手倉森監督はオーバーエイジ枠で塩谷司(サンフレッチェ広島)の招集を内定させたが、ケガといっさい無縁で、試合を重ねるごとに成長も遂げている植田が最終ラインの中心を担うことは間違いない。

29日にはU-23南アフリカ代表との国際親善試合が長野・松本平運動公園総合球技場で行われ、7月1日にはリオデジャネイロ五輪に臨む代表メンバー18人が発表される。

4年に一度のスポーツ界最大の祭典を戦い終えれば、年齢制限にとらわれないA代表での戦いへとターゲットが移っていく。すでにバヒド・ハリルホジッチ監督も、植田の存在を気に留めている。

「植田はかなりのポテンシャルがあり、パワーもある。A代表にはパワーが足りないので彼が必要だ」

2年後にワールドカップが開催されるロシアの地への、マイルストーンとなるかもしれないリオデジャネイロでの戦いへ。心技体のすべてを充実させながら、植田の熱い夏が幕を開けようとしている。