ページ

2016年8月21日日曜日

◆【THE REAL】元日本代表・内田篤人は絶対に下を向かない…不死鳥のごとき復活劇を果たすために(CYCLE)


http://cyclestyle.net/article/2016/08/20/39917.html

内田篤人 参考画像

どのような思いを抱きながら、日本へ帰ってきたのだろうか。ブンデスリーガの強豪シャルケが運営する日本語版クラブ公式ツイッターが18日、DF内田篤人が治療のために一時帰国するとつぶやいたのを見て、複雑な思いを抱かずにはいられなかった。

長く痛みを抱えてきた右ひざに、自らの判断でメスを入れたのは昨年6月。以来、内田は2015‐16シーズンのすべての公式戦を欠場して、孤独かつ過酷なリハビリ生活を積み重ねてきた。

◆だいぶ上がってきてはいる。

古巣の鹿島アントラーズがアビスパ福岡を下し、J1のファーストステージを制した6月25日。内田は同じくアントラーズ出身のFW大迫勇也(ケルン)とともに、カシマサッカースタジアムへ足を運んでいる。

この試合限りでアントラーズを退団し、サガン鳥栖へ完全移籍する33歳のベテランDF青木剛のユニフォームを身にまとい、試合後には青木本人からサインもしたためてもらった内田は、明るい表情を浮かべながらリハビリが順調に進んでいることを明かしていた。

「だいぶ(コンディションが)上がってきてはいるので。もう少し練習を積み重ねていくなかで、不安などがなくなってくれば、いけるかなという感じはしますけどね。(シャルケの)監督が代わりましたけど、その判断で合宿に参加できたらするし、そういう流れかなという感じがしますけど」

再びドイツへわたったのは7月9日。中国遠征から戻ったチームと合流し、今シーズンから指揮を執るマルクス・ヴァインツィール監督と話し合ったうえで、内田は同12日からのオーストリア合宿に参加した。

いきなりトップチームに合流せず、まずはU‐23(23歳以下)チームの練習に部分的に参加。元気にランニングする姿を、日本語版クラブ公式ツイッターはこんなつぶやきで祝福している。

「ウッチーが、ウッチーがシャルケで走っている!」

完全移籍でシャルケの一員となって、実に7シーズン目に入った。すでに2018年6月まで契約を延長するなど、クラブとサポーターからこよなく愛される存在であることが伝わってくる。

◆残念ながら、少しぶり返した

もっとも、順風満帆に映っていたリハビリのステップが、開幕を目前に控えた段階で暗転してしまったのか。前出のツイッターは、内田の右ひざが再び悲鳴をあげたと伝えている。

「残念ながら、少しぶり返したようだ。トレーニング後に再び痛みがあった。短期間、日本で彼が信頼する医師の治療を受けることになる」

現地時間27日には、ブンデスリーガの2016‐17シーズンが開幕。シャルケは日本代表のキャプテン、MF長谷部誠が所属するフランクフルトの本拠地に乗り込む。残念ながら出場はかなわなくなったが、焦りは禁物とばかりに、内田はドイツへ発つ前にこうも語っていた。

「長いこと休んでいるので、頭(開幕)からいけるかどうかはわからないですけど」

内田がシャルケの右サイドバックとしてプレーしたのは2015年3月10日、レアル・マドリー(スペイン)とのUEFAチャンピオンズリーグ1回戦までさかのぼってしまう。

その後は右ひざの違和感もあってリーグ戦でリザーブに回っていたが、バヒド・ハリルホジッチ新監督が就任した新生日本代表に招集され、初陣となった3月27日のチュニジア代表との国際親善試合(大分銀行ドーム)で残り6分から途中出場する。

さらには、同31日のウズベキスタン代表との国際親善試合(味の素スタジアム)で先発出場。予定通りに前半だけで退いたが、ドイツに戻った後に右ひざの状態が悪化してしまった。

◆ワールドカップ・南アフリカ大会

サッカーだけではなく、ひどいときには痛みを恐れるあまり、日常生活でもしっかりと足を踏みしめられなかったこともある右ひざのけがをたどっていくと、2014年2月9日にたどり着く。

この日に行われたハノーファー戦で右太ももの裏に肉離れを起こした内田は、その後の精密検査で右ひざの腱も断裂していることが判明。シャルケのチームドクターからは手術を勧められた。

完治させて翌シーズンを目指すのであれば、もちろん手術が最善策となる。しかし、利き足のひざにメスを入れれば、約4ヶ月後にはじまるワールドカップ・ブラジル大会の舞台にはおそらく立てない。

シャルケへ移籍する直前の2010年6月に開催されたワールドカップ・南アフリカ大会。岡田武史監督が下した戦術変更のもとで、当時22歳の内田は開幕直前になってレギュラーの座を剥奪されている。

胸中に悔しさを募らせながら、それでも内田は岡田監督に理由を聞かなかった。意地もあったのだろう。心のなかで「自分に本当の力がなかったからだ」と言い聞かせながら、必死に前を向き続けた。

新天地ドイツで心技体を磨き続けたその後の4年間。首脳陣およびチームメイトの信頼を勝ち取り、右サイドバックのレギュラーとして活躍してきた軌跡を、こんな言葉で振り返ったことがある。

「苦しかったけど、あの(ワールドカップ・南アフリカ大会の)経験を無駄にしちゃいけない、自分に返さなきゃいけないと思ってきた。ドイツで4年間頑張ってきて、いろいろな大会に出てきたことが力になっているのかなと思う」

ドイツでの日々に対する真価が問われるワールドカップ・ブラジル大会の舞台に、どうしても立ちたい。すぐには手術を受け入れられなかった内田は、セカンド・オピニオンを求めて2月14日に緊急帰国する。

おりしも関東地方が大雪に見舞われたなかで、成田空港から目指したのは東京・新宿区にある東京医科大学病院。アントラーズのチームドクターを長く務めてきた、香取庸一助教の診察を受けるためだった。

◆岩政さんと森本の分まで

「ドイツで手術と言われたときは、ワールドカップに間に合うのかなと思ったけど…大雪の影響で病院に着いた時間もすごく遅くなったけど、翌日の朝には(香取)先生が『大丈夫だよ』と言ってくれて」

厚い信頼を寄せる香取氏から保存療法へGOサインが出されたときの心境を、内田はこう明かしている。日本とドイツで自らに過酷なリハビリを課しながら迎えた5月12日、アルベルト・ザッケローニ監督が読み上げた代表メンバー23人のなかに内田も含まれていた。

真っ先に感謝の思いを香取氏へ伝えた内田は、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアの各代表と同じグループに入ったワールドカップを全身全霊で戦う覚悟を固めている。

「代表のスタッフの方とは常に連絡を取っていたし、代表のドクターやトレーナーの方がわざわざドイツまで来て治療もしてくれた。本当にたくさんの人が関わってくれたので、試合に出て勝つことが恩返しだと思っている。こうやってチャンスをもらえたいま、個人的には岩政さんと森本の分まで、というのは自分でも気にかけている。今回23人に入れなかった選手もいるし、そういう人たちの思いを少しでも背負ってブラジルに行きたい」

内田が名前をあげたDF岩政大樹(当時テロ・サーサナ)とFW森本貴幸(当時ジェフユナイテッド千葉)は、ともに代表に選ばれた南アフリカ大会で、出場機会がなかったフィールドプレーヤーだ。

◆膝蓋腱炎

端正でクールなマスクを脱ぎ捨てれば、そこには熱すぎるほどの浪花節が脈打っている。悔しい思いを共有したからこそ、彼らが選ばれなかったブラジル大会へかける内田の思いはさらに大きく膨らんだ。

残念ながらザックジャパンは1勝もあげられずにブラジルの地を去ったが、誰よりも孤軍奮闘したのは内田だった。グループリーグの3試合すべてに先発フル出場。持ち前のスピードで右サイドを活性化させ、インテリジェンスあふれるプレーでチャンスを作り続けた。

その一方で、ある意味で強行出場だった270分間のプレーは、内田の身体にダメージを蓄積させる。特に右ひざには、無意識のうちに大きな負担がかかっていたのだろう。

続く2014‐15シーズンが進むにつれて、再び右ひざに激みを覚えはじめる。診断の結果は膝蓋腱炎。お皿の下にくっついている腱が炎症を起こすもので、長年にわたって過度の負荷がかかることが原因とされる。

特に内田の場合はプロになってから、幾度となく右足に大けがを負ってきた。ブラジル大会における出色のプレーが引き金になって、限界値を超えたとしたら。それでも内田の心に「後悔」の二文字はない。

ヨーロッパ組のみを集めて、5月下旬に千葉県内で行われた短期キャンプ。リハビリでいいから一緒にやらないかと、ハリルホジッチ監督から声をかけられ、参加した内田はこんな言葉を残している。

「自分のなかでは(ワールドカップ・ブラジル大会を)休むつもりはなかったですし、こうなるっていうのはある程度、覚悟してやってきた。変な話、あのときに休んでおけばという気持ちはまったくありません」

◆普通の人間の体からアスリートの体へ

すべてを運命として受け入れ、前へ進むためのパワーに変える。シャイであることを自任し、公の場で決意や覚悟を明かすのをはばかる内田は、実は誰よりもサムライの心を奥底に秘めている。

アントラーズのファーストステージ制覇を見届けた直後のこと。無邪気に笑いながら「僕も早くグラウンドでやらないと、という気持ちになるよね」と語った内田は、こうつけ加えてもいる。

「やっぱり普通の人間の体からアスリートの体へ戻すというか、1年半も休んでから急に1ヶ月、2ヶ月の練習をポンとやると、またちょっと違う感じもあると思うので」

シャルケで練習を開始してから1ヶ月あまり。反動が出てくることを内田は覚悟していたし、完全復活のためには避けて通れない痛みだと、努めてポジティブにとらえて帰国したのかもしれない。

シャルケ側の説明によれば、日本での滞在期間は2週間ほど。おそらく今回も香取氏の診察および治療を受けて、必要とあれば今後のトレーニングメニューの内容なども再検討するのだろう。

リハビリにブランクが生じた関係で、もしかするとブンデスリーガ前半戦での復帰は難しくなるかもしれない。それでも右ひざの痛みを完ぺきに取り除き、そのうえで再発を防ぐための筋肉の鎧をまとい、試合勘も取り戻した先に待つ不死鳥のごときストーリーを信じて、内田は前へ進み続ける。