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2016年5月12日木曜日

◆【ジーコの想い】ジーコスピリットが生まれた日(ZAKZAK)


http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20160511/soc1605111550002-n1.htm

鹿島のユニホームの左胸裏には「TRABALHO」(献身)、「LEALDADE」(誠実)、「RESPEITO」(尊重)の文字が入っている ((C)ZICONAREDE)

 Jリーグ開幕1カ月前の1993年4月、鹿島アントラーズは3週間に及ぶイタリア遠征を行った。その時、ジーコから「かけがえのない人生の宝物をどうやってゲットするか知りたいか」と聞かれた。答えは「苦汁だよ。たっぷりと苦汁をなめることだ。楽して得た宝物なんて大した価値などありゃしない」だった。

 苦渋を味わったのは遠征2戦目。鹿島は日本代表クラスに加え、ルーキーのDF秋田豊、ブレーク直前のFWアルシンドら当時のベストメンバーをそろえた。とはいってもアマチュアリーグでは名門だった本田技研出身選手と住友金属蹴球団の混合チーム。そんなチームがイタリアの強豪、インテルとクロアチア代表のベストメンバーと練習試合を組めたのはジーコのコネによるものだった。

 2戦目はアルシンドがチームデビューしたクロアチア代表戦で、1-8で惨敗した。この試合について、ジーコは「忘れるわけがない試合のひとつだ」という。「試合は3点差で負けることもできた。でも世界のトップクラスとの実力差をアントラーズの選手、スタッフ全員にわかってもらいたかった。だからあえて何も指示せずにガチンコでやったんだ」と振り返る。

 当時のクロアチア代表は才能のある選手の宝庫だったが、母国は内戦状態にあり、代表戦は国際サッカー連盟(FIFA)から禁じられていた。FWにはシューケル、トップ下にMFボバンがいた。雨でピッチコンディションは最悪だったにもかかわらず、きちんとボールを止めて、しっかりゴールを決めるプレーに、「これが世界だ」といやというほどみせつけられた。前半4失点、後半も全く手を抜かず、90分で8ゴールを奪われた。

 これを機にジーコが本気になった。3週間に及ぶイタリア合宿はオフなし。セリエAの試合を観戦した日も練習した。ジーコ主導でチーム作りが行われ、合宿終盤のインテルとの練習試合は1-1で引き分けた。インテルには後にジュビロ磐田に加入したFWスキラッチがいた。奇跡を見た思いがした。

 ジーコが何度も言っていたのは「チームに献身であれ」、「自分に誠実であれ」、そして「仲間をファミリーと思い尊重せよ」という言葉。ジーコスピリットはこの時、生まれた。

 この言葉は今でも鹿島のクラブハウスに飾ってある。20年以上前、クロアチア代表に負けた日に「目には見えないが確実に存在する伝統という重みが、いつかわかる日がくるよ」とジーコは言った。鹿島がタイトルを獲る度にそれを実感している。 (元日本代表通訳・鈴木國弘)

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「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

◆伊東 神クロス!2点目をアシスト「蹴りやすかった」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/05/12/kiji/K20160512012568160.html

国際親善試合  U―23日本3―0ガーナ (5月11日  ベアスタ)

好クロスを連発した伊東

 伊東は、右サイドバックでフル出場し、2点目をアシストした。前半15分に野津田からボールを受け、右サイドを切り裂くと、逆サイドの矢島に合わせるクロスを配球。 

 「入り方がはっきり見えたので蹴りやすかった。難しいシュートを決めてくれた」と満足げに振り返った。得点シーンだけでなく、前半34分にも浅野にピタリと合わせるなど持ち味の高精度クロスを披露。1月のU―23アジア選手権は選考から外れ悔しい思いもしたが、「大チャンスだと思っている」と大一番で猛アピールした。

◆緊急事態の右SBで猛アピール…U-23代表DF伊東「慎也に感謝したい」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?189236-189236-fl

[5.11 MS&AD杯2016 U-23日本代表 3-0 ガーナ代表 ベアスタ]

 負傷者続出の右SBで存在感を示した。ガーナ戦で右SBのポジションを託されたのは、U-23日本代表DF伊東幸敏(鹿島)。まずは集中力を途切れさせない守備で自サイドからの相手の侵入を防ぐと、機を心得たオーバーラップで攻撃に厚みを加え、正確なクロスから決定機を創出した。

 決してコンスタントに手倉森ジャパンに招集されてきたわけではない。14年8月の福岡合宿に呼ばれた後に招集されたのは、約1年後の15年7月のコスタリカ戦。同年8月の京都合宿には引き続き招集されたものの、次に呼ばれたのは約8か月後の16年4月の静岡合宿となった。しかし、伊東は違和感なくプレーできたと振り返る。

「それなりに合宿には呼ばれているので、全員の特長は分かっているし、自分の特長もそれなりに分かってもらえていると思う。サポートの距離やタイミングがすごく良いので、プレーしやすかった」

 その言葉どおり、伊東がタイミング良くフリーで右サイドを駆け上がると、スペースにボールが送られる。スピードに乗った伊東は右サイドをえぐり、幾度となく好クロスを供給。1点をリードして迎えた前半15分には、MF野津田岳人(新潟)から送られたパスをダイレクトでゴール前に送って、MF矢島慎也(岡山)の2点目をアシストした。

 守備を含めてアピールに成功したが、何よりも自分の送ったクロスから矢島が得点を決めてくれたのが大きかったと語る。「良いクロスを上げてもゴールにつながらなければ、何も残らない。だからこそ、難しいシュートを決めてくれた慎也には感謝したい」。

 最終予選を戦ったDF松原健(新潟)、DF室屋成(FC東京)が負傷離脱中と手薄になっている右SB。伊東は「チャンスだと思っているし、自分が行くべきところだと思う」とサバイバルレースを勝ち抜く覚悟を示した。

(取材・文 折戸岳彦)

◆熊本出身の植田主将!血染め完封 指揮官の粋な計らいに応えた(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/05/12/kiji/K20160512012568120.html

国際親善試合  U―23日本3―0ガーナ (5月11日  ベアスタ)

<U23日本・ガーナ>主将マークを巻き、裂傷した右目を止血してサポーターの声援に応える植田

 不屈の精神を見せた。後半35分。DF植田は激しい空中戦を繰り広げ、相手選手と激突。右まぶたから出血し一瞬、苦悶(くもん)の表情を浮かべた。だが、テーピングを施し、事もなげにプレーを続行。身体能力で勝るガーナを相手に完封を飾った。試合後は9針縫うほどのケガだったが「大したことはない。慣れている」と勝ち誇った。 

 魂が震えた。被災地である熊本県宇土市出身。左腕には、手倉森監督から初めて任されたキャプテンマークが巻かれていた。試合前には黙とう。全員が喪章をつけてプレーした。「ハートは熱く、頭はクール。いつもそう思っている」。高ぶる気持ちをコントロールし、初のアフリカ勢“仮想ナイジェリア”にもひるまなかった。「ゼロに抑えられたのはDFとして良かった。前半の勢いを後半も続けないと」と反省も忘れなかった。

 地震発生からわずか4日後の4月18日に、鹿島の先輩である元日本代表MF小笠原らとともに救援物資を持って被災地を訪れた。そこでは苦境に立たされている被災者から「頑張って」と声を掛けられた。「元気を与えなきゃいけない立場なのに激励された」。胸の奥底に突き刺さった言葉は勇気となった。「熊本出身は僕しかいない。まず僕が戦う姿勢を見せないといけなかった」。熊本のためにも負けるわけにはいかなかった。

 試合後に会場を一周すると、植田コールが湧き起こった。久しぶりに見る知り合いや家族の顔に、気迫のこもった表情が少し和らいだ。試合後、チームメートに向かって言った。「熊本のためにありがとう」。故郷に贈る完封劇だった。

◆故郷・熊本に届け!植田がガーナを流血完封、手倉森Jリオへ手応え(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160512/jpn16051205050001-n1.html

テーピング姿で競り合う植田。被災した故郷・熊本に向けて不屈の精神力を見せつけた(撮影・森田達也)

 MS&ADカップ(11日、U-23日本3-0ガーナ、ベアス)リオデジャネイロ五輪に出場するU-23(23歳以下)日本代表とガーナ代表による熊本地震の慈善試合を兼ねて行われ、熊本出身のDF植田直通(21)=鹿島=がキャプテンマークを巻いて先発出場した。チームとして初めて対戦するアフリカ勢を相手に持ち前の高さを生かして攻守に奮闘。被災地を勇気づける3-0の勝利に貢献した。

相手と接触し、右目付近から流血した植田。仮想ナイジェリア戦で気迫のプレーを披露した(撮影・甘利慈)

 ガーナの攻撃を体を張った守備ではじき返した。故郷・熊本を勇気づける完封勝利。試合後、DF植田は仲間と場内を一周。スタンドから送られる「植田コール」に頭を下げて応えた。

 「チャリティーマッチという位置づけ。熊本のみなさんも見ていてくれたと思う。県民を代表してお礼を言いたい」

 疲労を考慮して招集されなかったMF遠藤(浦和)に代わってキャプテンマークを左腕に巻いてプレー。「熊本のために」と手倉森監督が提案し、選手全員が賛同した。五輪初戦の相手、ナイジェリアを想定した試合では、屈強なガーナ選手を相手に互角以上のプレーで対応。後半35分にはFWアダムスの左肘が右目付近にガツン! 9針ほど縫う裂傷で流血したが、応急処置をしてプレーを続行。その後も味方を鼓舞し、3-0の完封勝利に貢献した。

 普段は寡黙だが、情に厚く責任感は人一倍だ。「(メンバーの中で)熊本出身は僕だけ。戦う姿勢を見せなきゃいけないと思っていた」。熊本から家族を招待し、母・俊子さん(52)もスタンドで観戦。息子のけがを目の当たりにしたが、「けがは慣れてますから」。テーピング姿に注がれた拍手&喝采には「ありがたい。みなさんの気持ちがうれしかった」と目頭を熱くした。

イレブンはTシャツ

 今回の震災で市役所が半壊するなど大きな被害を受けた熊本・宇土市出身。母校・大津高も被災した。現在は両親ともに家に戻ったが、実家は有明海沿いにあり、4月16日未明の地震では、家族は高台に避難。車の中で一晩を過ごしたという。17日に鹿島での練習を終えるとクラブに直談判をし、熊本で支援活動を行った。空路で福岡に入り、水や肉などの食料品やトイレットペーパーを買い込んで被災地に運んだ。

 ガーナ戦前日には監督、スタッフ、チームメートと試合会場で募金活動を実施。会場では「頑張ってください」とファンの声援を受けた。「(みんなのためにも)結果を出せてよかった」。ファンの思いに応える勝利に安堵(あんど)の表情をみせた。

 手倉森ジャパン発足時からメンバー入りする守りの要で、14年12月14日のタイ戦から続く20戦無敗にも貢献。右腕に喪章を巻き、気迫あふれるプレーで愛する故郷を励まし続けた。 (一色伸裕)

植田 直通(うえだ・なおみち)
 1994(平成6)年10月24日生まれ、21歳。熊本・宇土市出身。小3でサッカーを始める。大津高から2013年に鹿島入団。14年3月1日の甲府戦でJ1初出場、昨年4月16日の柏戦で同初得点。11年U-17W杯では過去最高に並ぶ8強入り。昨年1月のアジア杯で日本代表に初選出も不出場。今年1月、U-23日本代表としてリオ五輪最終予選優勝に貢献。J1今季11試合0得点、同通算42試合1得点。1メートル86、77キロ。

◆主将マークの熊本出身・植田「勝利という結果を届けられて良かった」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160511/jpn16051120160004-n1.html

前半、ボールを蹴る植田=ベストアメニティスタジアム(撮影・森田達也)

 MS&ADカップ(11日、U-23日本3-0ガーナ、ベアス)疲労を考慮された主将の遠藤(浦和)が不参加となった中、熊本県宇土市出身のDF植田がキャプテンマークを任された。熊本地震の慈善試合として行われた一戦を快勝に導き「勝利という結果を届けられて良かった」とうなずいた。

 実家や母校の大津高が被災した。試合後には「熊本県民の代表としてお礼を言わせていただいた」とチームメートに感謝の言葉を述べた。両親らもスタンドで見守り、母の俊子さんは会場に響き渡った“植田コール”に「本当にありがたい」と実感を込めた。

◆熊本出身の植田「次に生かしたい」初主将で完封演出(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/1645713.html




<国際親善試合:U-23日本3-0ガーナ>◇11日◇ベアスタ

 熊本県宇土市出身のDF植田直通(21=鹿島)が主将としてチームをけん引し、完封勝利に貢献した。

 手倉森ジャパンでは初めてキャプテンマークを巻いて試合に臨んだ。「九州 熊本震災復興支援チャリティーマッチ がんばるばい熊本」として行われた一戦で無失点に抑え、「前半はみんな、いいプレーができた。みんなで声かけあってできたのでよかった」と話した。

 ガーナはリオデジャネイロ五輪1次リーグB組初戦のナイジェリアを仮想した相手だった。快勝にも「まだまだできることがあった。課題もあった。次に生かしたい」と表情は引き締まったままだった。

◆“キャプテン”植田が伝えた「熊本のためにありがとう」(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?189238-189238-fl

[5.11 MS&AD杯2016 U-23日本代表 3-0 ガーナ代表 ベアスタ]

 誰よりも戦う姿勢を示そうとしていた。熊本県宇土市出身のU-23日本代表DF植田直通(鹿島)は、被災した地元への思いを胸にガーナ戦のピッチに立った。

 試合前日の取材対応で、「僕自身は戦う姿勢を絶対に見せないといけない。戦う姿勢を見せて初めて結果がついてくるものだし、結果にプラスして元気を与えられればと思う。応援してくれる方たちのためにも頑張りたい」と意気込みを示していたように、ピッチ上で奮闘する。ガーナが放り込んでくるロングボールをはね返し続け、地上戦を挑んでくる相手には粘り強く対応してゴール前への侵入を許さない。

 後半35分には相手選手と接触して右まぶたを切って流血するが、一度ピッチの外に出てテーピングを巻くと、再びピッチに戻って最後までゴールを守り抜く。気持ちの入る試合となったが、「ハートは熱く、頭はクールに。あまり熱くなり過ぎても良いプレーはできないので、そこは冷静に」と熱い気持ちを持ちつつ、落ち着いたプレーを披露して3-0の完封勝利へと導いた。

「チャリティーマッチで皆が熊本のために戦ってくれる中で、熊本県民の僕が戦う姿勢を見せないといけないと思っていた。家族や知り合いもスタジアムに来ていたので、勝利という結果を届けられたのは良かった」

 この試合、キャプテンマークは植田の腕に巻かれていた。手倉森誠監督は「今日に関しては本当にリーダーになってもらわないと困るということで託した」と理由を明かすと、「試合後に彼が『熊本にためにありがとう』と締めてくれた。本当に良いリーダーシップを発揮してくれた」とチームのため、そして熊本のために戦う姿勢を示した“キャプテン”を称賛した。

(取材・文 折戸岳彦)

◆故郷・熊本を想い涙…初の主将DF植田「みんなに声をかけてできた」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20160511/441123.html



「MS&ADカップ 2016 〜九州 熊本震災復興支援チャリティーマッチ がんばるばい熊本〜」が11日に佐賀県鳥栖市のベストアメニティスタジアムで開催され、U-23日本代表とガーナ代表が対戦した。試合はMF矢島慎也(ファジアーノ岡山)の2得点とFW富樫敬真(横浜F・マリノス)の得点でU-23日本代表が3-0の快勝を収めた。

 被災地・熊本県出身のDF植田直通(鹿島アントラーズ)は、この試合でゲームキャプテンを務めた。故郷を想い試合を戦った植田は、目に涙を浮かべながら「前半にみんながいいプレーをできて、3点目を決めることができてよかったです」と、まずはしっかりと3点差をつけて勝つことができたことにホッとした様子で語った。

 主将を任されたことについては「こうやってキャプテンマークを巻くのは初めてでしたけど、みんなに声をかけてできたのはよかった」と、本人としてはまずまずのできだったという。

 日本はリオデジャネイロ・オリンピック本大会で、アフリカ王者のナイジェリア代表と同グループに入った。“仮想ナイジェリア”としてガーナ戦に臨んだが、アフリカ勢のパワーを肌で感じる場面もあった。「まだまだできることがあったし、課題も残ったので次に生かしたい」と、快勝にも慢心することなく、早くも次を見据えている。

◆流血しながらも主将を全う…熊本出身DF植田「僕が戦う姿勢を見せないと」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20160512/441132.html



「MS&ADカップ 2016 〜九州 熊本震災復興支援チャリティーマッチ がんばるばい熊本〜」が11日に佐賀県鳥栖市のベストアメニティスタジアムで行われ、U-23日本代表とガーナ代表が対戦した。試合はMF矢島慎也(ファジアーノ岡山)の2得点とFW富樫敬真(横浜F・マリノス)の得点でU-23日本代表が3-0の快勝を収めた。

 初めてキャプテンマークを巻き、完封勝利に大きく貢献したDF植田直通(鹿島アントラーズ)は、「ゼロに抑えられたのはDFとしてよかった」と自己評価しながらも「前半のあの勢いを後半にも続けていかないといけなかった」と後半の動きに課題が出たことを挙げた。

 この試合は4月に被災した地元・熊本のチャリティーマッチということで、気持ちがはいる試合だったが、「ハートは熱く、頭はクールに」をモットーに、冷静なプレーを披露。後半には相手選手と接触して左前頭部から出血したが、応急処置を受けて再びピッチに戻り、最後までピッチの上で戦い続けた。

 それでも試合後には思わず涙がこぼれ落ちる場面もあり、「みんなが熊本のために戦ってくれているなかで、熊本県民は僕だけしかいなかった。まずは僕が戦う姿勢を見せないといけないと思っていました」と故郷のために強い気持ちを見せたという。

 チームはリオデジャネイロ・オリンピックで同組のナイジェリアを想定して試合に臨んだが、この日のガーナはコンディション不良のために十分な成果を得られたとは言い難い。植田自身も「ナイジェリアはもっともっとレベルが高い」とアフリカ王者を警戒。「今日の試合だったらもっとできないといけない」と反省し、「次に活かせれば」と早くも次の試合を見据えた。