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2017年7月8日土曜日
◆スペインから帰国の柴崎岳、独占告白。 「新しいシーズンもスペインで……」(Number)
2016-2017シーズンは柴崎岳にとって変化の年だった。
鹿島アントラーズでJリーグを制し、その後挑んだFIFAクラブワールドカップでは決勝に進出。欧州王者レアル・マドリーを相手に2ゴールを決める活躍を見せ、世界に名を轟かせた。
冬の移籍市場ではスペイン2部のテネリフェへ移籍。加入当初はコンディションを崩し、デビューは春になったが、終盤戦では11試合連続先発し、チームを1部昇格プレーオフに導く原動力となった。プレーオフ準決勝、決勝とも活躍したが、チームの1部昇格はならなかった。
様々なことがあったシーズンを、柴崎はこう振り返る。
「長かったな、と思いますね。日本とスペインでのシーズンを足すと、1シーズン半だったから。それも休みなくだったから長く感じた。鹿島でやっていたことと、スペインでの半年間でやってできたことは、自分の中ではある程度満足いくものでした。もちろん、全ての面で結果を出しているわけではないから、100%満足できるわけじゃない。でも充実感は持てるシーズンだったかな」
新天地で……すべてを変えようとしていた柴崎。
日本とスペイン。
言葉も、食事も、生活環境も、何もかもが違う。初の海外挑戦の中で、テネリフェの攻撃の軸となり、得点やアシストの結果も出した。
「手応えを感じたのは、特にスペインに来てからかな。もちろん鹿島での積み重ねがあってこそで、それをスペインで証明できたのは良かったなと。ただ、スペインに行ってからは、自分なりに変えなきゃいけないこともあったりして、それを考えたり、日々の練習の中に落とし込んでいく作業をしました。徐々にスペイン2部のサッカーに適応していくことができて、最後は結果も出せました」
自分なりに変えなきゃいけない――。
日本サッカーからスペインサッカーの中へと飛び込んだ柴崎は、異なる現実の中で、多くの部分を意識的に変えようとした。
「変えようとしたのは、漠然というと『意識』です。スペインだと、自分がゲームを組み立てることに重きをおくよりは、ゴールやアシスト、パスで得点に繋がることをやっていかないと、と思った。中盤で低い位置に引いて、ボールを触って、組み立てて、というのは十分できる。でももっと自分を出していくために、無理やりでも前でボールを受けようとも考えたんです」
「自分が主導権を持っていると見せるため……」
テネリフェでの柴崎のプレーを見ていると、テンポよくつなぐパサーという印象よりも、より総合的なミッドフィルダーとしての色が濃くなっているように思う。ドリブルで中盤を駆け上がるようなシーンもあった。より積極的なプレーも目につく。
その裏には、スペインに到着後、彼が心に決めていたことがあった。
「3タッチ以上でプレーする、ということです。ちょっと自分で持って、わざと(相手に)当たったりキープしたりというのをやろうと。1タッチ、2タッチでのプレーはもともとできるし、小気味よく見えるけど、逆にプレーが淡白に見える部分も出てくるんです。見え方として、自分がボールを持ってる、という印象を与えたかった。自分が主導権を持っているところを見せるために、3タッチや4タッチ、またはドリブルの割合を増やそうと。無理やりドリブルでこじ開けていったりというプレーも出てきたし、徐々に変化は出てきたと思います」
元ボランチの監督とは、戦術も価値観も共感できた。
決して慌てることなく、クールに淡々とプレーする――。
柴崎には昔からそんなイメージがある。視野の広さと冷静さ、確かな技術が必然的にそうさせた。彼のスタイルはすでに出来あがっていた。
しかし彼はそこにあえて変化を加え、ボールタッチを増やし、時にはドリブルで駆け上がった。
テネリフェのマルティ監督はそんな彼をチームの中心に置いた。
トップ下、左サイド、ボランチ。
「柴崎はゲームに落ち着きを与えられる」と繰り返した。この半年間、会見やインタビューでその言葉を何度耳にしたことだろう。
指揮官は絶大な信頼を置き、柴崎はそれに応えた。スペイン1年目にして感覚の近い監督に巡り会えたのは、柴崎にとっては幸運だったのかもしれない。
「もともとマルティ監督もボランチだったし、最近まで現役だったから、近い距離感で話してくれたから楽でしたね。話していることも自分の価値観に近い部分がありましたし。
僕が入る前も、彼がやりたいサッカーはあったんだけど、そのスタイルにはまる選手が少なかった。だから自分が入ることで、そこに近づけようと、落ち着きをゲームに与えようとしました。
ただ、サッカーは速攻も遅攻もできた方が理想的じゃないですか。状況に合わせていくことが大事で、シーズン終盤は、やっているサッカーに幅ができたと思う。監督の言っていることは結構好きでしたよ。もちろん、人としても」
「なるべくスペイン語で話すようにしています」
監督や選手と柴崎とのコミュニケーションには問題はなかった。Jリーグでプレーしていた頃から、いつの日かのスペイン移籍のためにスペイン語習得に励んでいたからだ。
テネリフェの地元記者を喜ばせたのが、記者会見や囲み取材の場で、できるだけスペイン語を使おうとする柴崎の姿勢だ。
多くの日本人は(それが選手であれ一般人であれ)海外に出た際は、現地の人に囲まれた中での現地語による発言には尻込みするものだ。
しかし柴崎は会見の初めは、ほぼ必ずスペイン語で話すようにしている。
「特に意識はしてないけど、でもスペイン語を使うと、現地の人も喜ぶんです。感じもいいと思うし、訳したら“頑張る”とか“もっとこうしていきたい”とか簡単な言葉なのかもしれないけど、スペイン語で話してくれた方が嬉しいという気持ちはわかるから、なるべく話せることは話していこうと思っています。
でも自分の表現したいことが間違って伝わっても仕方がないから、しっかり伝えたいことは、日本語で話したのを訳してもらって。
スペインに半年いて……選手や監督が言っていることはなんとなくわかるようになりました。日本でも家庭教師をつけるまではしなかったけど、自分でスペイン語の参考書を買って、こういう感じなんだなと勉強していたんです。あとは、現地行ってなんとかなると」
生活環境、そしてスパイクが新しくなった柴崎。
サッカーと環境。柴崎に訪れた多くの変化がある。そしてそれは、足下にも訪れた。
柴崎はこの夏、新たにアンブロと契約した。
今後はアンブロのスパイク、アクセレイターを履いて試合に出場することになる。
この変化について、柴崎はこう語る。
「スパイクも、メーカーもたくさんある。その中で自分が心地よくプレーできるスパイクはどれだろうと思って、もう一度フラットに見てみたんです。その中で“アクセレイター”がいいなと思った。決め手としては、フィット感、動きやすさ、ボールタッチ、スキルを出しやすいところ、ですね。自分が快適に気持ち良くプレーすることを考えると、いいスパイクだと思った。実際に芝の上で履いてみても感触は良かったです。総合的に考えて、自分の理想のスパイクに近く、やりたいことや、やってほしいことが実現できる環境もあると思い、アンブロを選びました」
柴崎がこだわる、スパイク用のある「革」とは?
テネリフェではセットプレーを全て任されていた。キックの精度の高さは、チームメイトの中でも評判だった。柴崎のこだわりのひとつは、革にある。
「革にはこだわります。やっぱり革にしか出せない履きやすさや、フィット感がある。今のところ、カンガルー革に勝るものはないかな。
自分はどちらかというと感覚にうるさいというか、繊細というか、スパイクはなんでもいいというわけじゃない。快適にプレーするために、なるべくいいものを使いたい。それで革に行き着いた感じですね。キックに関しても、自分の頭の中のイメージを、正直にボールに伝えてくれるスパイクであってほしいので」
意識、環境、プレー、そしてスパイク。
あらゆることが変わった1年を経て、これからの柴崎には何が待っているのか。
「結果的にテネリフェでは1部に上がれなかった。理想は、もちろんスペイン1部でプレーすることです。この半年間で、ある程度結果も出すことができて、スペインサッカー、環境に慣れることもできたと思う。まだ次のクラブがどうなるかはわからないけれど、新しいシーズンもスペインで頑張りたいと思います」
http://number.bunshun.jp/articles/-/828418