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2017年8月30日水曜日

◆元鹿島・岩政が語る「勝てるチーム」の思考法(東洋経済)


「自分たちのサッカー」とは、一体何なのか


スポーツで強いチームと弱いチームを分ける差。それは一体、何なのだろうか。その違いを形作る要素は、スポーツに限らず、ビジネスなども含めたさまざまな組織やチームにも共通するものではないだろうか。サッカー元日本代表DFの岩政大樹が今回、その違いを生み出す思考法を説き明かしていく。

スポーツを伝える"言葉"を探求しようと、毎月1回行われている「ALE14(エイルフォーティーン)」というイベントがある。各スポーツのスペシャリストが、自身の経験から導き出した独自のロジックやメソッド、フィロソフィなどをプレゼンショーの形で披露する。ナビゲーターを務めるのは、元Jリーガーで、スポーツジャーナリストの中西哲生だ。

これまで参加してきたのは、元プロ野球選手の古田敦也、ロンドン五輪卓球団体銀メダルの平野早矢香、北京・ロンドン五輪競泳日本代表の伊藤華英らといった顔ぶれである。

このイベントにサッカー界から登場したのが、元日本代表DFの岩政大樹だ。35歳になった今季は、選手兼コーチとして東京ユナイテッドFC(関東サッカーリーグ1部)に所属している。その岩政が6月にプレゼンしたテーマ――。それは「勝てるチーム、勝てないチーム、どこが違うのか?」だった。

Jリーグの「常勝軍団」鹿島アントラーズの実績

岩政が大卒ルーキーだった2003年から10年間在籍した鹿島アントラーズは、国内屈指の常勝クラブである。アントラーズが獲得した3大タイトル(J1リーグ、リーグカップ、天皇杯)の数は実に19個。2位のガンバ大阪が9個、3位のジュビロ磐田と東京ヴェルディが8個だから、いかに抜きん出た数字かがわかる。

ある時期に優れた選手が揃い、黄金時代と呼ばれる時期を過ごしても、その選手たちが去るとチームが低迷する、というのはよくあることだ。しかし、アントラーズの場合は、そうした浮き沈みがほとんどない。

1993年のJリーグ創設以来、アントラーズがタイトルを獲れなかったのは1993〜1995年の3年間、2003〜2006年の4年間、2013~2014年の2年間だけだ。わずか1年でも無冠に終われば大問題――。それが、アントラーズというクラブなのだ。

なぜ、アントラーズは勝ち続けることができるのか。その謎を解き明かすうえで、岩政が最初に取り上げたのは「自分たちのサッカー」というキーワードだった。

自分たちのサッカー――。この言葉が一般的に注目を浴びたのは、2014年のブラジル・ワールドカップのときだろう。「自分たちのサッカーができれば勝てる」「自分たちのサッカーをさせてもらえなかった」といった代表選手のコメントがたびたび報道された。

実際には、その何年も前から、この言葉はサッカーの現場でよく聞かれている。だが、そもそもこの言葉が使われるようになったのは、「選手にとって便利だったからではないか」と岩政は考察する。

ひとり歩きを始めてしまった「便利」な言葉



例えば、試合前や試合後のインタビュー。「明日の試合はどのような試合にしたいですか?」「今日の試合はどのような試合でしたか?」と選手はよく聞かれる。チームの勝敗を左右しかねないチーム内の約束事や作戦を事細かに話すことができない選手たちからすると、「自分たちのサッカー」という言葉は、なんとなくのイメージを伝え、その場をやり過ごすことができる使い勝手のいいフレーズ、というわけだ。

だが、「『自分たちのサッカー』という言葉が、少しひとり歩きしているように思えてならない」と、岩政は警鐘を鳴らす。

どのチームにも、それぞれ得意なスタイルはあるものだ。パスを繋いで攻撃を組み立てるのが得意なチームもあれば、こぼれ球を拾うことでリズムを掴むチームもある。理想とするスタイルを監督が提示する場合もあるだろう。

だが、「自分たちのサッカー」へのこだわりが自らの足かせになってしまうこともある。

「得意なスタイルで結果を収めるようになると、それを『自分たちのサッカー』と捉えるチームがあります。勝っているときはそれでも構いません。しかし、このようなチームは、結果がついてこなくなったときに、『自分たちのサッカー』をすることが大切だと考えるようになっていくことがあります」

ここで、大きな間違いが起こる。「自分たちのサッカー」をすることが、一番重要なことだろうか? いや、サッカーが勝負事である以上、大切なのはいつだって勝利のはずだ。自分たちの得意なスタイルというものがあるとすれば、それは勝つための手段に過ぎない。

「『自分たちのサッカー』をするために全力を尽くすことと、勝つために全力を尽くすことは、似ているようで、実は違います」と岩政は言う。「なぜなら、『自分たちのサッカー』にこだわるうちに、相手がだんだん見えなくなります。相手のいるスポーツで、相手が見えなくなってしまっては勝つことはできません」。

長いシーズンを戦っていれば、いい流れのときもあれば、悪い流れのときもある。その過程のなかで、いつの間にか目的が勝つことから「自分たちのサッカー」をすることへとすり替わってしまったチームには、何が起きるのか。

岩政は続ける。「『自分たちのサッカー』を貫いて負けたらしょうがない、と考えるようになるんです。でも、これは絶対に間違っています。本来の目的は勝つことですから。皆さんの周りにもいませんか? 自分のやり方はこうだ、自分にはこれしかできない、と決めつけてしまい、結果、うまくいかなくて嘆いている人が」。

つまり、当初の目的を忘れ、手段が目的と化し、本末転倒になってしまうのだ。では、常勝クラブの場合は、どう違うのだろうか。

「勝つこと」から逆算して考える意味

「アントラーズの場合、『勝つこと』からブレない。勝つことからスタートし、勝つことから逆算して考えます」

プロなのだから当たり前のことだ、と思うかもしれないが、実はそれができるクラブは意外と少ない。「勝つことからブレないというのは、具体的に言うと、自分たちのスタイルで今日はダメだと思ったら、『変える』ということです」。

その試合で、その相手に対して、どうすれば勝てるのかを常に肌で感じる。そして、その日のベストの戦い方を求めて変化していく。実際、アントラーズの強みは、パスを繋いで攻撃を組み立てることも、相手陣内でボールを奪ってショートカウンターを仕掛けることも、引いて守ってカウンターを繰り出すこともできるフレキシブルな戦い方にある。

「3連覇したとき(2007〜2009年)は、僕が後ろにいて、前にマルキーニョス、興梠(慎三)という速い選手がいて、引いて守ってカウンター、というのが得意だったんです。ですから、後ろで守るのが得意だったんですけど、高い位置で奪うのも得意でした。流れによって、どちらでも選択しますよと」

試合の状況や相手の状態、自分たちの状態によって戦い方を使い分ける。つまり、「勝つための手段=選択肢」が多いのだ。アントラーズがチャンピオンシップ決勝や天皇杯決勝といった一発勝負で無類の強さを誇るのは、そのためでもあるだろう。

逆に考えれば「自分たちのサッカー」にこだわるのは、勝つための手段がひとつしかないということになる。「自分たちのサッカー」を貫いて負けたらしょうがないという思考は、「当たって砕けろ」の精神に近い、と岩政は指摘する。

「当たって砕けろ、とはいわば思考停止。考えることをやめてしまっては、勝負に勝つことはできません。当たってダメだと思ったら、当たり方を変えてみたり、タイミングを変えてみたり。あるいは、かわしてみるのもいいかもしれません。とにかく、目の前の相手に勝つための方法を考えなくてはいけないんです」

とは言え、やはりアントラーズにも「自分たちのサッカー」はあるのだという。

アントラーズのロッカールームには、クラブの礎を築いたジーコの教えである「献身・尊重・誠実」という3カ条が貼られている。秋田豊に柳沢敦、小笠原満男、そして岩政も、この3カ条を胸に刻み、戦ってきた。

鹿島アントラーズの「自分たちのサッカー」

岩政は、こう表現する。「アントラーズでは、その3カ条を体現できたときの空気感、チームの一体感、チームのリズムが『自分たちのサッカー』であるという風に捉えています」。

例えば、献身とは一人ひとりがチームのために頑張ること。尊重とは味方を尊重し、相手を尊重すること。「相手を尊重するというのは、相手のレベルを尊重すること。自分たちのスタイルで押し切れるような相手でないなら、泥臭く戦うしかない。それがある意味、相手を尊重するということです」。

そして、誠実とは自分に対しても、試合に対しても誠実に向き合うこと。「最初から簡単な試合も、難しい試合もない。自分たち次第で難しくなるか、簡単になるかであって、相手が優勝争いをしていようが、残留争いをしていようが、天皇杯で格下と当たろうが、その勝負に対して誠実に向き合えるかどうか。それが、勝負強さにつながると僕は考えています」。

つまり、常勝のキモとは、何かひとつのスタイルや何かひとつの戦い方ではないのだ。勝つことから逆算して選択肢をたくさん用意し、勝つためにフレキシブルに戦う――。そこにアントラーズの強さの理由がある。

(文中敬称略)


元鹿島・岩政が語る「勝てるチーム」の思考法