常勝・鹿島の監督とは、どんなものなのか。
サッカーの未来について考える。語る。
対談連載の第4回は、石井正忠さんにお話を伺いました。
石井さんは鹿島アントラーズが1993年のJリーグ初年度を戦った時の初代キャプテンです。現役を引退された1999年には、すぐに鹿島のコーチ(ユース)として帰還され、トップチームのフィジカルコーチ、ヘッドコーチと歴任されました。そして、2015年のシーズンの途中からは鹿島では21年ぶり2人目となる日本人監督として指揮されました。
1991年に住友金属工業(鹿島の前身)に加入されてから、現役最後の年となった1998年の1年間を除いて、実に26年もの時を鹿島と歩んだことになります。鹿島の歴史そのものとも言える存在です。
私が鹿島に入団したのが2004年。石井さんはフィジカルコーチでした。ひと言で言い表すと「いい人」。選手に一番近い存在で、気軽に相談できる兄貴分でした。それから少しずつ立場を変えられ、より重要な役割を任されるコーチになっていかれましたが、それでも選手にとって話しやすい存在というのは変わりませんでした。
私は2013年シーズンをもって鹿島を離れ、石井さんは2015年シーズンの途中から監督になられました。私にとっては「選手に近いコーチ」というイメージができあがっていたので、石井さんが監督としてどんな日々を送られたのか、とても興味がありました。そして、常勝・鹿島の監督というものがどんなものなのか、ほんのわずかの人しかまだ経験していない、その重職について伺いたいと願い、お会いしてきました。
石井正忠 毎週大変ですね。解説業に指導者、プレーヤーとしても活動していますし。
岩政大樹 大変です(笑)。でも、プレーのほうは減ってきました。練習をオーガナイズする時に自分も一緒にプレーしていると指示が難しいじゃないですか。そうなると、少し運動量が足りなくて……。毎週の試合で、なんとか体力をキープしています。仕方ないですよね。コーチングのほうが気になってしまうので。
石井 ひとに任せると、ちょっとしたニュアンスが違って来ますからね。
岩政 そうなんです。石井さんは、どんな日々を過ごされていますか?
石井 ゆっくりしています。平日は初めて娘との夏休みを満喫し、週末はひとりで試合観戦。鹿島のホームゲームだけでなく、いろんな競技場でサッカー観戦を楽しんでいます。
監督解任後、初めて観に行ったのが鹿島のホームゲーム。バックスタンドで観戦した。
岩政 何か発見はありましたか?
石井 サッカー専用スタジアムは、やっぱり観やすい。それに観客として観ていると、展開の多いサッカーでないと面白くないとも感じました。
岩政 スピード感のあるサッカーですか?
石井 そうですね。自分が現場に戻ったら、そういうサッカーを見せたいと思っています。
岩政 コーチ時代は分析担当としてスタンドから観ることもあったと思いますが、とはいえコーチ目線ですから、今とは違いますよね。
石井 相手チームはどうか、うちのチームはどうすればいいか、という視点でポイントを絞って観ていましたが、今は全体を俯瞰して楽しんでいます。
岩政 鹿島を離れてから2か月半が経ちます。その間に気持ちは変わってきましたか? 仕事がパッとなくなったわけですよね。
石井 最初の3、4日は意識してサッカーのことを考えないようにしていました。その時に「1日ってこんなに長いんだな」と感じました。それが過ぎてからは、鹿島のことも他のサッカーのことも気になり始めて、現実に戻って「仕事がなくなったんだ」と考えるようになりました。
岩政 旅行などの息抜きは?
石井 旅行はまだできていません。いつも週末の試合が気になって見に行っていました(笑)。
岩政 鹿島の試合を見る時の気持ちは変わりましたか?
石井 監督を解任されて、初めて観に行った試合が鹿島のホームゲームでした。バックスタンドの自分が持っているシーズンチケットの席で観たんですが、純粋に応援しようという気持ちに切り替えられました。ただ、場面によっては「サイドバックがもっと絞ったほうがいい」とか、思わず声を出しそうになりましたが(笑)。
岩政 今は外からクラブを客観的に見る形になりましたが、鹿島はどんなクラブだったなと振り返る時はありますか?
石井 私は現役最後の年にアビスパ福岡に1年在籍し、引退後にコーチとして帰ってきたんです。その時にも感じたんですが、やはり鹿島はクラブの考え方が一貫してブレない。現場とフロントが同じ方向を向いている。その辺が常に上位争いに加わり、タイトルを獲得できる要因じゃないかと、客観的に見ても思いますね。
あと1年現役を続けていたら、鹿島のコーチになっていなかったかもしれない。
岩政 噂で聞いたんですが、石井さんは2015年に鹿島退団を考えたそうですね。コーチを辞めて違うチームで監督をしたいと。
石井 2015年はそういう気持ちでいました。S級ライセンスを取ったし、コーチではなく監督として挑戦したいとフロントに伝えていました。そのタイミングで、たまたま鹿島の監督交代があったんです。
岩政 監督在任中にもっと「こうしておけば良かった」と思うことは?
石井 毎試合ありましたよ。最初の半年でナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を獲れましたが、天皇杯は早期敗退してオフの期間が長かった。もっとどん欲にタイトルを獲らなければと思いました。
それにコーチと監督では、本当に差がある。決断の数が多いし、その決断が正しくなければ良い方向に向かわない。その重要性が分かった年でした。
岩政 現役を引退された直後に鹿島のコーチに就任しましたが、その時はどういった形で声がかかったんですか?
石井 福岡をクビになったタイミングで、すぐに(強化責任者の鈴木)満さんに「コーチとして鹿島に戻りたい」と相談しました。その時にたまたまユースの監督が空いていたんです。
岩政 たまたまタイミングが良かったと?
石井 タイミングは大事だと思います。私があと1年現役を続けていたら、鹿島のコーチになっていないかもしれません。
岩政 指導者になろうと思ったのは、引退を決めた後ですか?
石井 その前から、引退後は指導者になろうと決めていました。大学の頃は学校の先生になりたいと思っていたんです。私の時代はプロリーグもなかったし、高校選手権に出るようなチームを指揮したいなと。
岩政 プロの監督まではにらんでいましたか?
石井 その頃はまったく。まずは、どんな形でも指導者として踏み出したいと思っていました。
岩政 私が鹿島に入団した時、石井さんの肩書はフィジカルコーチでしたね?
石井 そう。アシスタントでした。
岩政 そこからヘッドコーチになり、監督と進んでいきます。
石井 ブラジルのやり方を参考にしました。ブラジルでは、フィジカルコーチを経験してから監督にステップアップしていく人が多いんです。
フィジカルコーチの経験は監督になった時に役立つ。
岩政 確かに多いですね。
石井 フィジカルコーチの経験は監督になった時に役立つ。フロントともそんな話をしました。私は体育大学を出ているし、運動生理学には興味があったから、良いスタートだったと思います。
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【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。
岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。
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