ページ

2018年5月23日水曜日

◆【あの代表監督の成功と失敗】誰もが「どっきりカメラでしょ」と疑ったスター、ジーコ氏の監督就任 視聴率高騰と裏腹の得点力不足…(zakzak)





★ジーコ(上) 

 トルシエ監督の下で、2002年日韓共催W杯ベスト16に進出。しかし日本サッカー協会が次期監督としてオファーしたのは、4年前と同じアーセン・ベンゲル氏(68)=当時アーセナル監督。そして、答えもまた4年前と同じ「NON!」だった。

 協会会長に就任したばかりの川淵三郎氏(81)=現キャプテン=は、当時副会長の大仁邦弥名誉会長(73)に「ジーコと交渉してみては?」と提案した。

 しかし、極めて不安定な立場の代表監督を毛嫌いしていたジーコが受諾するとは誰も思わなかった。複数のJ1鹿島関係者も「ジーコが日本代表監督になると聞いた瞬間、みんな『どっきりカメラでしょ』とか言っていました」と苦笑。

 一転首を縦に振った理由を、ジーコは「(現役の最後を飾った)日本サッカーへの恩返しだった」と振り返っている。

 スーパースターのジーコが日本代表監督に就任したというニュースは、あっという間に世界を駆け巡った。さらに中田英寿氏(41)、中村俊輔(39=磐田)、稲本潤一(38=札幌)、小野伸二(38=同)の日本版「黄金のカルテット」も来るべき06年W杯ドイツ大会には旬を迎える。

 人気と期待が高まり、初采配(02年10月16日、ジャマイカ戦)のテレビ平均視聴率は26・7%。これは先月9日に電撃解任されたハリル・ジャパンの約2倍。W杯アジア最終予選開幕戦(05年2月9日、北朝鮮戦)はなんと47・2%に達した。

 一方で、得点力不足に悩まされ、解任の危機もあった。W杯1次予選のアウェーのシンガポール戦(04年3月31日)は分岐点だった。残り6分、中村俊に代わった途中出場の藤田俊哉氏の決勝ゴールで2-1と辛勝。

 川淵キャプテンは「あの試合に負けたら、ジーコは解任と決めていた」と明かす。それほど、ジーコジャパンは追い込まれていた。(夕刊フジ編集委員・久保武司)




【あの代表監督の成功と失敗】誰もが「どっきりカメラでしょ」と疑ったスター、ジーコ氏の監督就任 視聴率高騰と裏腹の得点力不足…