これほどドラマチックな関係はあるだろうか。かつて大津高校や鹿島アントラーズで同期だった植田直通と豊川雄太が、ベルギーリーグの舞台で対戦相手になって再会する。今季2度目の両者の対戦は、2人への運命的なクリスマスプレゼントとなった。(取材・文:舩木渉【ベルギー】)
鹿島に同期入団。そしてベルギーで再会
今、欧州主要リーグで最も多くの日本人選手がプレーしているのはベルギーになった。かつてはドイツ・ブンデスリーガで数多くのサムライたちの奮闘を見られたが、今季のベルギー1部リーグには8人もの日本人選手が籍を置いている。
そして街中からクリスマスムードが抜けきらない12月26日、その8人のうち2人が同時にピッチに立ち、しのぎを削った。セルクル・ブルージュのDF植田直通とオイペンのFW豊川雄太。かつて大津高校や鹿島アントラーズで共に戦った、同い年の盟友が欧州の地で2度目の再会を果たした。
植田は21日に行われたベルギー1部第20節のヘント戦を終えた後、次節に控えた豊川との対戦に向けて「次は年内最終節でしっかり勝って今年を終わりたいというのもあるし、あまりそこは意識せず」とは言いつつも、「今回出た反省材料を、しっかりと自分自身練習で改善できなければいけないと思う。でも、前回オイペンに負けているので、そこは借りを返したい」と静かに闘志を燃やしていた。
10月末、オイペンのホームに乗り込んだセルクル・ブルージュは0-2で敗れていた。しかも、その試合で植田は後半アディショナルタイムにオウンゴールを献上している。最近は18節でアンデルレヒトに2-1で勝利したものの、19節はヘントに1-4と完敗を喫しており、セルクル・ブルージュとしては絶対に勝っておきたい試合だった。
植田と豊川、少年時代から多くの時間を共に過ごしてきた戦友にして親友の2人。前者は熊本県宇土市出身で、宇土市立住吉小学校から熊本県立大津高校に進学した、後者は中学時代をFCKマリーゴールド ジュニアユース熊本で過ごし、大津高校へ。ともに1994年生まれで、高校を卒業すると、共に鹿島アントラーズに入団した。
植田が鹿島で揉まれて日本代表まで順調に階段を上り詰めた一方、豊川は2016年から2017年にかけてJ2のファジアーノ岡山に武者修行へ出るなど山あり谷ありのキャリアを歩んできている。2016年にはリオデジャネイロ五輪代表に選ばれた植田に対し、豊川はギリギリで最終メンバーから落選するなど、多少のすれ違いもあった。それでも2018年、2人はチームメイトとしてではなく、対戦相手として再会することになる。しかも日本ではなく、ヨーロッパのトップリーグで。
「たぶんもう運命でしょうね」(豊川)
2度目の対戦を終えた豊川は「たぶんもう運命でしょうね」と、笑顔を見せる。そして「中学校のトレセンから一緒ですし、俺がプロに行けたのもあいつがいて、いろいろなスカウトがあいつを見に来ていたところで…というのがあるので」と続けた。
植田がいなければ、鹿島に入れていないし、今ヨーロッパでプレーしている自分はいなかったかもしれない。豊川はそう感じている。「植田は吊りさがっているボールをずっとヘディングしていた思い出しかない」と冗談を言って笑うが、心の底から信頼しあえる無二の親友に変わりはない。
一方、10年来の戦友とのマッチアップで2連敗となってしまった植田は「あいつには決められませんでしたけど、負けたというのは本当に悔しい」と充実感漂う表情で語った。序盤のゴールが響き、セルクル・ブルージュはあまりいいところを見せられないまま0-1で敗れた。
「本当に嫌な相手ですよ。本当に。前やった時もそうでしたけど、ああいう一瞬でも隙を見せたらそこを狙ってくるようなプレースタイルだから、常にあいつのいるところを確認しながら見ていました」
豊川はオイペンの1トップに入って、積極的に仕掛け続けた。Jリーグ時代は2列目のアタッカーのイメージが強かったが、今は全く違う。自分よりも大柄なDFに対しても果敢に勝負を挑み、必死にボールに食らいつく。最終ラインと駆け引きし続け、チャンスを虎視眈々と狙ってていた。
これまではチームメイトとして見ていたところから、対戦相手になってみて、植田は豊川の明らかな変化を実感していた。
「(豊川とプロで)一緒にやっていたのは鹿島の時だけだったので、そこから岡山に行って、オイペンに行って、かなり成長したなと思う。それが今こうやって結果に出ていて、オイペンのエースとして出ているし、やっぱり試合を一緒にやってみても、すごく怖い選手になったなと僕は思っています」
互いの存在を刺激に飛躍できるか
後半が始まってそれほど経たない頃、豊川は右サイドからのクロスに飛び込んで、シュートモーションに入ったところで相手選手との接触で声をあげて倒れた。ゴール前の相手の嫌がるところに入り込んでくるオイペンの背番号20が痛がる姿を、植田はポジションを上げながら一瞥して少し気遣ったように見えた。直接マッチアップする機会はそれほど多くなかったが、2人は常にお互いのことを意識してプレーしていた。
植田は語る。
「(豊川と)競り合ったりはしたんですけど、前の試合とかは簡単に勝てていても、あいつはやっぱり映像を見て勉強しているんでしょうね、今日とかはかなり。僕も嫌がるような競り合い方をしてきたし、あいつは常に成長しているなと感じました」
一方、豊川は植田の見立て通り、競り合いに無類の強さを発揮する元チームメイトとの戦いをあえて避けるように巧みに駆け引きをしていた。「あいつ(植田)、高かったです。だからあいつのところには行かず、5番のところに行きました」。相方のイサアク・コネが本職のセンターバックでないことを見抜いていたのである。
「あいつは代表にも入って、いろいろな活躍をして、ワールドカップに出たりもしていますけど、俺も負けないように、こっちでしっかりと頑張って…という思いはずっと持っていますので」
植田よりも一足先にヨーロッパで挑戦を始めていた豊川だが、親友が自分と同じリーグにやってきたことで運命的なものを感じ取り、さらなる成長を目指すうえでの刺激にしている。今季はリーグ戦21試合中18試合に出場し、ベンチスタートだった3試合も全て途中投入でピッチに立っている。クロード・マケレレ監督から1トップの大役を任されて4得点、「来年はもっと得点という結果にこだわる」と自信を深めているところだ。
一方、センターバック陣に負傷者が相次いでいることもあるが、植田も欧州初挑戦ながら17試合に出場し、うち13試合で先発起用された。「なかなか自分のやりたいようにやれないもどかしさもあるけれども、そういうのも僕はすごく楽しいし、それを乗り越えて僕ももう一段階レベルアップすると思う。自分がもっと指示を出して、自分がチームを動かしていかなきゃいけない」と最終ラインを引っ張るディフェンスリーダーとしての自覚も芽生えてきている。
余談にはなるが、実は26日のセルクル・ブルージュ対オイペンには2人の大津高校時代の同級生が観戦に訪れていたという。観客席には鹿島のユニフォームを着たファンの姿もあった。それを見た豊川は「植田のユニフォームを着ていたんですよね…俺がいること忘れちゃったのかな?」と冗談めかして笑っていた。
いやいや、そんなはずはない。我々メディアも、大津高校時代の同級生も、植田のユニフォームをまとった鹿島ファンも…皆2人の「運命」に引き寄せられてこの試合に集まったのだ。植田と豊川、1994年生まれで来年25歳になるこの2人の運命的な筋書きのないドラマは、今後どのような物語を描いていくか。続きを見届けるのが楽しみで仕方ない。
(取材・文:舩木渉【ベルギー】)
【了】