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2020年1月28日火曜日

◆タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。 日本人指導者への期待と現地事情。(Number)







2015年途中から鹿島アントラーズを率い、翌シーズンにリーグ王者へと導いた石井正忠氏が、2020シーズンからタイ1部リーグのサムットプラーカーン・シティの監督に就任した。タイ代表の西野朗監督を筆頭にアジア各国に日本人指導者が渡る中で、石井監督は何を考え、タイの地で指導しているのか。前編では就任の経緯、現地での期待値、強化に向けての施策を聞いた。


――大宮アルディージャの監督を退任してから約1年休養されて、再び現場復帰に向けて動き出したとき、最初にオファーをくれたのが、このサムットプラーカーン・シティだったそうですね。

「昨年10月ですかね。勤めていたところを辞めて現場に復帰するための準備を始めた頃、オファーをいただいて。海外のクラブからオファーが来るなんて、考えてもいなかったので驚きました。オーナーの話を聞くと、私に興味を持っていると。

 日本人監督というだけではなくて、私個人に興味を持ってくれていると言っていただいた。『契約どうこうではなく、試合を一度見に来ませんか』と招待されたので、10月にタイに行って、試合を見たんです。ホーム最終戦でした」

――どんな印象を受けましたか?

「そのときの順位は6位で、ホーム最終戦のわりに少し覇気がなかったんですよね。なんでなんだろうなと。攻撃面はアグレッシブだけど、守備のところではもう少し組織を作ったほうがいいなとも。どんな選手がいるのかもチェックして、試合後、自分が感じたことをまとめてオーナーに渡して帰国したんです。まだ仕事がありましたから」


年齢的に、最後のチャンスだなと。


――その時点では、契約を決めたわけではなかったんですね。

「そうですね。ただ、実際に現地まで行ってみて、海外のクラブで仕事をするのもありだな、という考えになりました。でも、私ひとりでは決められないですから」

――ご家族のことですね。

「はい。海外からのオファーがあったという話は家族にもしていて、『それはありがたい話だね』と言ってくれたんですけど、実際に私が契約したいという気持ちになって、家内と娘に伝えたら、『まずはJリーグで仕事を探してほしい』と。小学6年生の娘からはLINEで『海外に行きたくない理由』が送られてきました(笑)」

――娘さんにとっては切実な問題ですもんね(笑)。

「それで、いったんお断りすることにして、Jリーグで探していたんですけど、なかなか決まらなかった。一方、サムットプラーカーン・シティも日本人監督と交渉していたみたいですけど決まらなくて、11月の終わり頃かな、もう一度、『まだ決まっていないなら、どうですか?』という連絡を頂いて。私も年齢的に若くはないですから、最後のチャンスだなと。

 家内もその1カ月の間にタイのことをいろいろ調べて理解を深めてくれて、私が単身赴任する形で、『チャレンジしてみたら』と背中を押してくれたんです。それで12月半ばから指揮を執っています」


2017年、鹿島のタイ遠征での縁。


――では、ひとりでバンコクにお住まいなんですね。生活面で苦労はないですか?

「ないですね。近くにショッピングモールがあって買い物もすぐできますし、ここからバンコクまで車で30分くらい。運転手を付けてもらっているので問題ないです。強いて言うなら、言葉の問題。せめて英語くらいは勉強しておけばよかったなと(笑)。今さら言ってもしょうがないですけど、英語とタイ語を少しずつ勉強しながら、選手とコミュニケーションを取っていこうと思っています」

――12月の半ばから指導されていたというのは、始動がずいぶん早いですね。新シーズンの開幕は2月半ばですよね?

「10月いっぱいでシーズンが終わって、11月から12月に掛けてがオフなのかな。それで12月16日からスタートしたんですけど、契約の関係で最初2日間は加藤くん(光男/サムットプラーカーン・シティコーチ)に見てもらって、私は18日にタイに来たんです。それから26日まで指導して、いったん帰国して、1月1日に再びタイに来ました。5日にはU-23日本代表との練習試合が組まれていましたから」

――先ほど、オーナーの方は、石井さん個人に興味を持ってくれていたと。それは、クラブ・ワールドカップで鹿島アントラーズを準優勝に導いた経歴などに興味を持ってくれたのでしょうか?

「それもあると思うんですけど、私が聞いたのは、2017年に鹿島がタイ遠征をして2試合やったとき、ここの練習場を使わせてもらったそうなんです。予定していたグラウンドの状態が悪くて急きょ変更になって、別の場所を使わせてもらったことは覚えているんですけど、それがどこかは覚えてなかった。そうしたら、ここだと。で、オーナーがそのときのことを覚えていてくれて。それ以降、興味があって私の動向を追ってくれていたそうなんです」


「ゆったり」した雰囲気への理解。


――4年前からの縁だったんですね。石井さん自身は、タイのサッカーシーンについて、事前にどなたかに聞かれたんですか?

「加藤くんがタイに長くいるので、彼に聞いたり、(順天堂)大学の先輩で今、(ツエーゲン)金沢の強化アカデミー本部長をされている和田さん(昌裕/チョンブリやヴィッセル神戸などの元監督)が以前、タイで監督をしていたので電話をして。文化が違うから、契約などで面倒なこともあるし、そっちに気持ちを持っていかれてしまうと辛いことになるけど、そういうのを含めて理解したうえで行くんだったら問題ないよ、と話してくれたので、それなら、と」

――今日の練習を見ていても、ちょっとダラダラした感じがありました。

「確かに少し緩いところはありますよね。ゆったりしているというか。ただ、タイは暑いので、そうなるのも仕方がないのかな、ということも理解してきました。一方で、ボールの奪い合いになると、かなりのテンションでやってくれる。それこそケガが心配になるくらい激しいので、むしろ大事なのはスイッチの入れさせ方かなと」


日本人の考え方に好感、との声。


――サムットプラーカーン・シティの選手たちの技術レベルや個人戦術のレベルは、どう感じていますか?

「日本人選手と比べると、やっぱり差はありますね。個人戦術のところも、もっと上げていかないと難しい。時間は掛かると思うんですけどね。開幕戦で昨シーズンの王者であるチェンライ・ユナイテッドと対戦するんですよ。

 相手の監督は滝(雅美)さんで、日本人監督対決として注目されていて。他の開幕戦に先駆けて、我々の試合だけ金曜のナイターなんです。しかも、ホームゲームなので、なんとか結果を出したい。そこまでに、どれだけ持っていけるかだと思っています」





――滝さんはタイでのキャリアも長いですし、昨季のサムットプラーカーン・シティの監督は村山哲也さん(元サンフレッチェ広島強化部スカウトなど)。そして、西野朗さんがタイ代表監督と、日本人指導者への評価や期待が高まっているんでしょうか?

「そう思いますね。私がオファーをいただいたときも、オーナーがそうした話をしていました。日本サッカー界から学びたいというだけでなく、オーナーはビジネスで日本人と仕事をしたことがあるそうで、そのとき、日本人の働き方や考え方に好感を覚えたと。だから、自分のクラブチームも日本人に任せたくて、村山さんや私に声を掛けたんだと思います」

――西野さんと会う機会はあったんですか?

「いえ、まだないですね。加藤くんがお父さん(元日本代表GKの加藤好男さん)の関係でよく知っているそうなので、今度会わせていただこうかなって(笑)」


日本語が書かれたクラブハウス。


――それにしても、こんな郊外にあるのに、施設がしっかりしていて驚きました。このクラブハウスの隣にあるのは宿泊施設ですか?

「そうなんです。最初は私も、ここで暮らそうかと思ったくらいで(笑)。クラブハウスの各扉にも、『マッサージルーム』とか『ロッカールーム』とか、日本語で書かれていて。日本のチームがこの施設で合宿を張れるように、というオーナーの考えだそうです」

――オーナーの方は石井さんにどんなミッションを与えたんですか? タイ王者にしてほしいとか?

「いや、順位をひとつでも上げてほしいと。タイリーグには強いチームが5つある。その5強に食い込んでいきたい、という話をされました。チャンピオンになるとか、ACLに出るといった話は一切なかった。逆に、私のほうから『ぜひチャンピオンを目指しましょう。ACLに出場し、日本のチームと対戦したいです』と話したくらいで」


ペドロ・ジュニオール、小野悠斗を。


――上位を目指すうえで、元FC岐阜の小野悠斗選手、さらにかつて鹿島で一緒に仕事をしたペドロ・ジュニオール選手を獲得しましたね。

「もちろん、彼らの能力がチームにプラスになるのは間違いないです。私の考えていることを伝えやすいし、それをチームメイトにも伝えてくれると思うんです。そういう役割も、彼らには期待しています。とにかく彼らには、このチームを引っ張っていくという気持ちでプレーしてもらいたい。特にペドロは経験豊富ですからね」




――今、日本人、ブラジル人、そしてセルビア人選手がいますが、外国籍選手はもうひとり獲れますよね? ご予定は?

「そこは予算と相談しながらですけど、日本人をもうひとり獲得できればと。ディフェンスの選手を獲れたらいいなと思っているところです」


給食センター職員に応募した理由。


――ところで、大宮アルディージャの監督を退任されてからの1年、鹿嶋市の給食センターで働かれていたそうですね。少し前にクラブ・ワールドカップの舞台に立った指揮官が給食センターで働くというのはピンと来ませんが、どういった経緯で?

「現役を引退してすぐ指導者になったので、これまで家族との時間が取れなかったんです。娘も中学生になったら、自然と離れていくじゃないですか。部活が始まったり、友だちも増えたりするので。その前に一度、家族との時間をゆっくり作りたいな、と思っていて。そんなときに、新聞のチラシで給食センターの職員を募集していたんです。

 土日は休みだし、夏休みもしっかり取れるので、これはいいなと。それに、自分の中で、鹿嶋の子どもたちが運動する場所を作りたいという思いもあって。そういう活動に取り組むにも、長い休みがあったほうがいい。まだ実現してないんですけど、これから先の人生を考える意味でも、休みがしっかりあるのはいいかなと」

――それで応募したわけですね。

「履歴書を出して、面接も受けました」

――職歴の欄には鹿島アントラーズ選手とか、監督とか。

「はい。書きました。驚いていましたね(笑)」

(給食センター勤務で学んだこと、鹿島への思いとは? 後編に続く)


◆タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。 日本人指導者への期待と現地事情。(Number)