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上田綺世にとって2019年は、まさに激動の1年だった。
法政大学サッカー部のエースとしてプレーしていた5月にA代表に初選出され、6月のコパ・アメリカに参戦。本気の南米勢を相手に3試合でプレーし、貴重な経験を積んだ。大会終了後には2021年シーズンからの加入が内定していた鹿島アントラーズに前倒しで加わり、7月31日にプロデビューを果たす。約半年間で13試合出場4ゴールという結果を残し、12月には再びA代表としてEAFF E-1サッカー選手権を戦った。
大学生から日本代表、そしてプロサッカー選手へ――。大きな変化を遂げた上田綺世が2019年を振り返り、2020年にかける思いを語った。ピッチ上で見せるプレーのように、力強く頼もしい口調で。
ピッチに立ったあの瞬間に初めて、実感が湧いた
――2019年を振り返ると、やはりA代表に初選出されたことは1つの大きなトピックでしたね。
そうですね。ただ、選ばれはしたけど五輪世代のメンバーも多かったですし、呼ばれた瞬間は特に心境の変化はなかったんです。もちろん、コパ・アメリカとトゥーロン国際でメンバーが分かれるというスタイルのなかで、コパ・アメリカのほうに選ばれたのはすごくうれしかった。A代表としてプレーができるというのは特別なことですからね。
――心境の変化はなかったとのことですが、実際に合宿やトレーニング、試合をやってみて、世代別代表との違いは感じましたか?
A代表はホテルが1人部屋なんですよ(笑)。ピッチ内での練習はバチバチ激しかったし、そのなかでも岡崎(慎司)選手や柴崎(岳)選手はやっぱり雰囲気を出していて、そういった面ではA代表に入り続ける選手の違いが見れたかなと思います。
――大会を通じて学んだことはありますか?
ピンポイントにこれを学びました、というのは難しいですけど、フォワードとしての引き出しの少なさを感じました。もうちょっと自分なりに工夫してやっていかないと厳しいなと感じた大会でしたね。
――コパ・アメリカ終了後、鹿島アントラーズへ加入しました。2021年の内定を前倒しした理由や経緯を教えてください。
タイミングとしてはコパ・アメリカのあとになりましたけど、それが理由ではありません。世代別代表に入って同世代の選手とプレーをするようになってから、周りとの違いを感じていたので、できるだけ早くプロにいきたいという思いと、いくべきだという意思が強くなりました。それがきっかけですね。
――周囲の人へ相談はしましたか?
高校の監督や親に相談しました。大学の監督は最後でしたね。僕は絶対にプロにいくべきだと思っていたけど、このタイミングが合っているのかわからなかったので、そのあたりを相談しました。
――7月23日に鹿島加入が発表され、31日にプロデビューを果たしました。
鳥肌が立ったというのはすごく覚えています。出場時間は短かったですけど、本当に感動しました。自分の名前が呼ばれてプロのピッチに立ったあの瞬間に初めて「自分がここまで来たんだ」、「プロになれたんだ」という実感が湧きました。
――デビューから3試合目の横浜F・マリノス戦では、早くも初ゴールを記録しましたね。
もう頭が真っ白になったというか。あれだけ大勢のファン、サポーターに僕の名前を呼んでもらって、しかも同点という状況で決められたのですごくうれしかったです。会場の雰囲気もすごかったし、とにかく感動しましたね。
――真っ白だったんですね。意外と落ち着いているのかな、という印象だったのですが(笑)。
決めた瞬間はもう、本当に今までに感じたことのない感情でした。
――それからJリーガーとして半年間を過ごしました。これまでプレーしていた世界との違いは感じましたか?
やっぱりレベルは違いますし、練習強度なども含めて環境はガラッと変わりました。サッカーオンリーの生活っていうのも大学時代との大きな違いです。プロとアマチュアの違いという意味では、プレーすることによる影響力ですかね。見ている人の数もそれを物語っていると思いますし、プロの世界は第三者がいてこそ成り立っている。スタジアムに来てくださる方のために最高のパフォーマンスを出せるか。それがプロフェッショナルだと思います。
――自分の武器がプロの世界で通用すると感じた場面はありましたか?
自分の武器を全部試せたわけではないので、自分が通用しているかどうかは五分五分という感じです。でも、ヘディングや抜け出しは、タイミングさえ合えばどんな相手にも負けないという自信はついています。あとはそれを結果につなげたいですね。
――逆に、改善が必要だと感じた部分はありますか?
欠点ではないんですけど、僕はツートップが得意というか。これまでは2人で連係を取りながら、1人が囮になっている間にもう1人が相手の背後を取るという戦術でやってきました。大学からワントップもやりましたが、まだ自分1人でうまくやりくりできない。もうちょっと力をつけていかなきゃいけない部分だと感じています。代表でも同じですね。ワントップに入ったときに、チームの組み立てやリズムを作りながら自分の武器を出すというのは、まだまだ改善していかなければいけないなと思います。
――鹿島は歴史と伝統のあるJ屈指の名門です。このクラブに入ってどんなことを学びましたか?
それは、今の僕には分からないのかなと思います。よく聞かれる質問ですけど、「何を学んだか」っていうのは、例えば小学生が何もない状況で何かを得たときにしか答えられないと思うんです。
――なるほど。そのとおりかもしれません。
サッカーをしている以上、自分の変化はプレーに出ます。でも昨日シュート練習をしたから今日は2本入りました、みたいな形では表れないと思う。今後、鹿島に入る前の自分と、入ってからの自分のプレーを見返したときに、もし違いが出ていたとしたら、それは成長かもしれないですけど。つまり、「何を学んだか」が分かるのは、過去の自分の心境やスタイルを振り返ったときに、今の自分との違いを自覚したり、自分の価値が上がっていることに気づいたときだと思うんです。今の僕はまだ、鹿島に入ってからどう成長して、何を学んだかは分からない段階ですね。
やりにくいのは「セオリーを壊してくる選手」
――一緒にプレーして驚いた選手や影響を受けた選手はいますか?
僕が持っているフォワードとしての感覚が噛み合うなと思ったのは、伊藤翔くんですね。フォワード論みたいなものが会話の中でも噛み合うし、得点を取るポイントの話だったり、その方法やスタイルという部分で共感できたんです。それを感じた人は初めてだったので、すごく親近感が湧いたというか、同じ感覚でプレーできるなと思いました。
――対戦相手で印象に残っている選手はいますか?
今までマッチアップした選手でいうとコパ・アメリカでの経験が印象的ですけど、日本人で一番やりにくかったのは法政大学で一緒にプレーしていた森岡陸です。
――上田選手にとってやりにくい選手とは?
僕の武器は抜け出しなので、それに対して考えてケアしてくるというか、一回起きた事象に対して順応するスピードが速い選手は苦手ですね。僕は相手のセオリーを壊す力があると思っているんですけど、同じように僕の持っているセオリーに対して、それを壊すような武器を備えている選手は嫌です。そういう意味でも大学の同期だった森岡は、僕が今までプレーしてきたなかで一番嫌な選手ですね。
――そんな選手と同じチームで練習できたのはいい経験でしたね。
本当にそう思います。こんなことを言っていいのか分からないですけど、大学時代にやりにくいなと思ったセンターバックは、森岡以外にはいなかった。だから練習で彼とマッチアップするのはすごく楽しかったですね。彼はヘディングが強いだけじゃなく、とにかく体が柔らかくて、普通じゃ考えられないようなタイミングで足を出してくるんです。その普通じゃないというか、セオリーを壊してくる感じがすごく嫌でした。
――改めて2019年を振り返って、この1年のご自身をどのように評価していますか?
全然うまくいかない1年だったなと思います。運がなかったと言えばなかったのかもしれないけど、僕はよく、「運も含めて」っていう話をしているんです。それもすごく大事な要素だと思っているので。そういう意味では、運があったようでなかった1年だった。それで片付けるつもりはないですけど、やっぱりどこかで何かが変わっていたら、今の自分の存在も大きく変わっていたと思いますし、そのチャンスはたくさんありました。“チャンスを逃した年”とは言いたくないですけどね。逆に言えば、ずっとサッカーをやってきて、ようやくそういうチャンスが巡ってきた1年だったかなとも思います。
――2020年は東京オリンピックというビッグイベントが待っています。
東京で開催される大事な大会ですけど、そこに対して僕はどうアプローチしていいのか分からないですし、こうしたら出られるっていう条件もないので、結局は自分次第だと思います。東京五輪を意識するということではなく、目の前の試合で常に100パーセントのパフォーマンスを出して、「自分じゃなきゃいけないんだ」というのを毎試合、証明し続けることが必要になる。僕はヘディングや抜け出し、シュートがなくなってしまったら何もない選手になってしまうので、そこを常に出し続けなければいけない。その上で選ばれなかったら、多分、今の上田綺世は何をしても選ばれないと思うので。とにかく、悔いが残らないところまでトライできれば、僕は満足です。
協力・写真=ナイキジャパン
インタビュー・文=本間慎吾
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