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2020年2月5日水曜日

◆鹿島がどうしても欲しかった男。 MF和泉竜司「中核を担わないと」(Number)



和泉竜司 Ryuji.Izumi


 常勝軍団――。そのイメージはずっと抱いていた。だが、いざ鹿島アントラーズのユニフォームを着て初めてピッチに立ち、それに反する結果を突きつけられると、ズンと重いものがのしかかってきた。

 今季、名古屋グランパスから鹿島に完全移籍をしてきたMF和泉竜司の心境である。

 ACLプレーオフ、鹿島vs.メルボルン・ヴィクトリー。昨季J1リーグで3位だった鹿島は、ACLグループステージ進出に向けて、この一戦をホームで迎えた。激しい風と雨の中で行われた一発勝負は、0-1で敗退。2020年シーズン初戦、いきなりタイトルを1つ失った。

「いつの時も負けることは悔しいのは当たり前ですが、ショックな気持ちがとてつもなく大きいです。鹿島に来たばかりの僕がそこまで大きな衝撃を受けるということは、(三竿)健斗君や(土居)聖真さんのように長く在籍する選手はもっとショックだろうし、鹿島のファン、サポーターの声援を受け続けてきたからこそ、いろんな感情が込み上げているんだろうなと感じました」


ACL敗戦に「心から申し訳ない気持ち」


 この試合、和泉は左サイドハーフでスタメン出場を果たした。インサイド気味にポジションを取り、正確なボールコントロールとパスセンス、攻守の切り替えの早さを発揮して攻撃を活性化した。17分にはペナルティーエリア手前で強烈なシュート。相手GKのファインセーブにあったが、チームのファーストシュートで決定機を作り出した。

 だが、同じく今季新加入の左サイドバック永戸勝也との連係が徐々に噛み合わなくなる。さらに、今季から就任したザーゴ監督のサッカーを浸透させる時間が十分になかったことも重なり、チームとしての機能性が落ちていった。54分に失点を喫すると、72分にこの日チーム最初の交代を告げられたのは和泉だった。

「(天皇杯決勝が行われた)元日まで戦った選手はチームへの合流も遅くて、すり合わせる時間がなかったのは事実です。練習試合も1試合しかやっていないので、試合勘の難しさはありました。それでも、今日は内容どうこうよりも勝つことがすべての試合でした。その認識を持って臨んだのですが、メンバーに対してもそうですし、悪天候でもスタジアムに来てくれた人たちに、心から申し訳ない気持ちでいっぱいです」


器用だからこそ、悩んだ和泉。


 ザーゴ監督のサッカーは後ろからのビルドアップが求められる。特にCBとボランチの関係性からボールを持ち出し、両サイドバックを高い位置に上げる。両サイドハーフはインサイドにポジションを取ったり、縦のバランスを整えて、両サイドと前線の2枚にボールを供給しながら、ゴールに絡む。要するに和泉のポジションはビルドアップ、ポゼッション、そしてアタックの潤滑油にならないといけない重要な役割を担う。

 だが、チームが歩き出したばかりの状態で迎えた「負けてはいけない試合」では、想像以上に難しかった。どこまで落ちていいのか、近づいてきたサイドバックを中に入れるべきか、外で使うべきか。FWに対して近づけばいいのか、ギャップに立てばいいのか。戦術眼が高く、どのポジションも器用にこなせる和泉だからこそ、いろんな局面での選択肢が浮かぶが、今はまだどれを選択することがベストか見出せなかった。

「ザーゴ監督の狙いはキャンプで色濃く出ていたので、自分なりに理解していました。だからこそ、自分がいるべきラインを考えながらプレーしました。基本的にサイドハーフはなるべく落ちずに高い位置を取れとキャンプから言われていたので、そこは意識をしていましたが、ビルドアップのエラーがあった時に距離が遠くなり、そこからもう一度作り直す難しさはありましたし、最初はそうなるのは仕方がない部分もありました。ボランチがボールを持った時の顔出しやサポート、背後や3人目の動き。イメージはありましたが、出しきれずに交代となってしまった。

 自分はスタメンで出場しましたが、それはもともと在籍する選手たちの合流が遅れたことで人数がいなかったから。まだ本当の意味でのスタメン争いは始まっていない。90分間チームのために戦えなかったことは悔しさがあります。常勝軍団である鹿島にやってきて、最初にこの結果は本当に不甲斐ないです」


エリートが決断した初の移籍。


 和泉にとって今回の移籍はプロ入り後、初の経験だった。

 三重県四日市市出身の彼は、高校進学時に強豪・市立船橋高に越境入学。すぐにFWとして頭角を現すと、高校2年の時のインターハイでは得点王に輝いて優勝に貢献。最上級生になってからは「10番」を背負い、全国高校サッカー選手権大会優勝に導いた。

 当時からプロ注目の選手だったが、卒業後は明治大学に進学。右サイドハーフ、トップ下、FWなどでプレーし、攻撃的なポジションならどこでもこなすユーティリティープレーヤーとしての地位を築いていた。

 実はこの当時から鹿島は和泉に注目をしていたという。


和泉を追いかけ続けた鹿島。


「ひと言で表せば『何でもできる選手』。点にも絡める、周りも使える、技術もしっかりしている。サッカーIQがズバ抜けて高く、どうしても欲しい選手の1人だった」

 こう語るのは鹿島の椎本邦一スカウト部長だ。明治大でプレーする和泉の才能に心底惚れ込み、熱烈なオファーを出し続けたが、「ギリギリまで悩んだ」結果、和泉は名古屋を選んだ。

 名古屋では1年目からリーグ14試合に出場するも、チームはまさかのJ2降格。2年目の2017年からは不動のレギュラーとなり、1年でのJ1復帰に貢献するも、一昨年、昨年は2年連続で残留争いに巻き込まれる苦しいシーズンを過ごした。

 だが、その中で本来のトップ下やサイドハーフだけでなく、左サイドバックやウィングバック、ボランチ、3バックの一角など数多くのポジションをそつなくこなしつつ、昨シーズンはキャリアハイのリーグ戦6ゴールをマーク。絶大な存在感を放った。

 残留争いではなく、優勝争いをする。2020年シーズンを迎えるにあたって、名古屋にとって和泉は必要な戦力であることに変わりはなかった。

 だが、そんな彼の元に再び鹿島からオファーが届く。

「前回は振られてしまいましたが、名古屋に行ってからもずっと追いかけていました。名古屋ではいろいろなポジションをやっている姿を見て、『やっぱり彼は前でもっと輝かせたい』と。サイドバックなど、後ろのポジションでは、なかなか彼の特性は出ないと思うのですが、それでもある程度はやれている。どうしても欲しい存在には変わりありませんでした」(椎本スカウト部長)

 一度振られても諦められないほど、和泉は魅力的な存在だった。


名古屋が好きで、愛着もあった。


 熟考に熟考を重ね、和泉は鹿島移籍を決断する。

「鹿島がずっと自分を評価し続けてくれていることは、1人のサッカー選手としては素直に嬉しい。その一方で名古屋はフィッカデンティ監督も凄く僕を評価してくれていましたし、主力として考えてくれていた。ファン、サポーター、クラブの人たちからも必要とされているのも分かりました。社長も強化部もクラブスタッフなどいろんな人から、『残って欲しい』という熱い想いは伝わりましたし、凄く悩みました。

 (プロ生活の)4年という歳月はそんなに長くはありませんし、J2降格、2年連続の残留争いと、チームに大きな結果を残したわけではない自分に対して、そこまで想ってくれる人がたくさんいることには感謝しかありません。名古屋が好きで、愛着もあって、自分を変わらず必要としてくれる。居心地が良すぎるからこそ、『このままでいいのか』というモヤモヤがあった中で、鹿島という選択肢が生まれた。

 もちろん名古屋での今季の出番が確約されたわけではないことはわかっていましたが、新しい環境にチャレンジをしたい、リスクを背負ってでも自分の中で新たな刺激を入れたいという思いがこみ上げてきたんです」


「チームの核を担っていかないと」


 自らを奮い立たせる、奥底から湧き出るエネルギーを大事にしたい。チャレンジをすることは、さらなる飛躍を遂げるために大事なアクションだった。

「短いサッカー人生の中で、チャレンジする機会はそんなに多くないと思います。A代表に入る目標も自分の中では大きく、より成長したいという気持ちが強い。鹿島というクラブは誰が見ても、『チャレンジしに行くんだな』ということが伝わるクラブだと思う。鹿島じゃなかったら残留していたかなという思いは正直、あります。

 必要とされなくなって移籍したわけではないからこそ、新天地でより結果を出さないと叩かれるし、代表が遠ざかるリスクも当然ある。でも、それがあるからより反骨心というか、熱を持ってこの先のサッカー人生を歩いていけると思ったんです」

 大きな覚悟を持って踏み出した。だが、その一歩目で、厳しい現実を突きつけられた。メルボルン戦後、周囲の厳しい声を真摯に受け止め、同時に鹿島の一員になった覚悟を自らに強烈に問いかけた。

「僕は今、26歳。チームの核を担っていかないといけない年齢になってきた。だからこそ、鹿島でもただ出番を掴むだけでなく、下の年代を引っ張って、ベテランと融合させながら、チームを戦う集団として円滑に構築していかないと、本当の意味で鹿島に貢献するとは言えません。初戦でそこを強烈に痛感させられました」

 鹿島は、勝つことで評価されるクラブ。それが常勝軍団たる所以だろう。

「1つのタイトルを失った敗戦は、どんな理由であれ、とてつもなく重い。この重さを胸に刻んで、これから歩んでいきたいです」


◆鹿島がどうしても欲しかった男。 MF和泉竜司「中核を担わないと」(Number)