サッカー王国ブラジルで本田フィーバーが起きている。ボタフォゴに完全移籍したサッカー元日本代表MF本田圭佑(33)が本拠地、ニウトン・サントス・スタジアムで行った入団セレモニー(8日=日本時間9日)でも大歓迎を受けた。背番号は日本代表で慣れ親しんだ「4番」で、契約期間は12月31日まで。現役最後の地ともいえる場所にサッカー王国を選んだまさかの決断の背景には、ブラジルサッカー界でも重鎮の2人、J1柏・ネルシーニョ監督(69)とJ1鹿島テクニカルディレクター(TD)のジーコ氏(66)の強力な後押しがあった。(夕刊フジ編集委員・久保武司)
◇
オーバーエージ枠(24歳以上)による東京五輪に出場を念頭に置いた最後のチャレンジ。入団会見で本田も「このプロジェクト(移籍)の先にオリンピックがある」と言い切った。
新天地はフラメンゴ、フルミネンセ、バスコ・ダ・ガマと並ぶリオ4大クラブのひとつ。ブラジルで最も熱狂的で目の肥えたファンがいる。しかし昨年は1部リーグ20クラブ中15位と長期低迷中。降ってわいた日本屈指のビッグネームの加入に、現地サポーターは「ホンダがボタフォゴを救ってくれる!」と早くも救世主扱いだ。
クラブはサポーターにスタジアムへ「集合せよ!」とSNSなどで配信。入団セレモニーには1万人以上が集まった。また本田の到着便もあえて告知し、空港には3000人近くのファンが殺到し大騒ぎになった。
現地の熱狂をよそに、前所属のオランダ1部フィセッテをわずか48日間で去った本田の、選手としての価値に悲観的な声が多い。ボタフォゴとの入団交渉も条件面をめぐって一時は破談寸前となったが、日本とブラジルのサッカーを熟知する2人の大物が現地メディアを通じて太鼓判。ボタフォゴのフロントを大きく後押しした。
まずはJ1名古屋監督時代に本田をプロの世界に引き込んだ恩師、ネルシーニョ監督だ。星稜高時代の本田はさほど目立った選手ではなかったが、プレーを見て「あの選手だけは必ず獲得してほしい」と名古屋のフロント陣を説き伏せた。
今回の移籍に際し、当時を振り返り「(気に入ったのは)何よりも左足のキックの精度の高さ。そしてブラジル人のメンタルに近かった。目が鋭く、若いのに年上にひるまず“主張”をしている姿に驚いた。こういうことをする日本人は本田以外、見たことはなかった」と絶賛している。
そのネルシーニョ監督が「極秘に見せたい選手がいる。名古屋まで来てほしい」と呼び出し、プロに入りたての本田と引き合わせたのが、当時日本代表監督だったジーコTDだ。
ジーコTDは「あのとき、『日本の高校生にすごくいい選手がいるんだ』と言ったネルシーニョの言葉通りだった。当時の日本代表はメンバーが充実していて、呼ぶ機会はなかったが…」と回想。「日本の後に私がCSKAモスクワで監督をしたとき、なんとか獲得しようとフロントにお願いしたんだ。(2010年に)晴れてホンダの入団が決まったとたん、私が監督をクビになっちゃったというオチもあるんだけどね」と明かす。
本田も入団会見で「ジーコが僕ら日本人にしてくれたことには感謝しかない。彼を落胆させないためにもボタフォゴでいいプレーをしたい」と恩人2人へ活躍を誓っていた。
ブラジル1部リーグの平均年俸は1億円にかかるかどうか。暗礁に乗りかけたボタフォゴ移籍だったが、世論の後押しも受け両者が歩み寄った。本田も1年契約で年俸1億円以下が確実だが、付帯条項を追加。定価249・90ブラジルレアル(約6500円)で発売が決まったオフィシャルユニホームの第1弾はわずか2日で完売。グッズの売り上げの20%が本田の取り分になる。またボタフォゴのファンクラブの新規登録も大幅にアップ中だ。
ブラジルでは昨今、かつてカナリア軍団で一時代を築いた元代表のビッグネームたちの復帰がブームになっている。11年にはスペインのバルセロナで一世を風靡したMFロナウジーニョがフラメンゴに加入。14年にはイタリアのACミランでエースだったMFカカが、現役最後に古巣サンパウロで半年間プレーした。
日本代表の森保一監督(51)は7日から、東京五輪メンバーの招集を要請するため欧州クラブの行脚中。ブラジルに出向く予定はない。
ジーコTDは「Jリーグは30代の選手をベテラン扱いする。それはよくないことだ」と本田のブラジルでの復活に太鼓判を押すが、サッカー王国でも手のひら返しは日常茶飯事。今は救世主として歓迎されても、活躍しなければボロクソなバッシングが待っている。現役生活の晩年にさしかかってそんなハイリスクを背負う。本田は「日本人の代表としてブラジル人に認められたい」と意気軒高だ。