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2020年1月14日火曜日

◆元鹿島FWペドロ・ジュニオール、タイ1部クラブに移籍決定!監督はあの人…(FOOTBALL TRIBE)






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 タイリーグ1部サムットプラーカーン・シティは13日、鹿島アントラーズなどでプレーしたブラジル人FWペドロジュニオールの獲得を発表した。同クラブは、2017年5月まで鹿島で監督を務めた石井正忠氏が指揮を執っている。

 ペドロ・ジュニオールは2007年にブラジルリーグのヴィラ・ノバから大宮アルディージャに加入。その後国内外の複数クラブを経て、2014年にヴィッセル神戸に移籍する。鹿島には2017年から2018年に在籍し、同クラブで通算28試合で7ゴールを記録している。2019年からUAE(アラブ首長国連邦)のホール・ファカンに所属していたが、石井監督が指揮するサムットプラーカーンに移籍が決定。再び同じクラブで戦うことが決まった。

 現在32歳のペドロ・ジュニオールは石井監督の下でどのようなプレーを見せてくれるのだろうか。今後の活躍に期待したい。


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◆元鹿島FWペドロ・ジュニオール、タイ1部クラブに移籍決定!監督はあの人…(FOOTBALL TRIBE)





◆J2水戸が新体制発表 悲願のJ1昇格、今季こそ(茨城新聞)






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J2水戸は12日、城里町小勝のアツマーレで2020年シーズンの新体制を発表し、新加入選手らの会見を行った。新たに加わった14人を含めた全28選手で悲願のJ1昇格を目指す。

今季のクラブスローガンは「昂(こう)」に決まった。昂には「上がる」「高くなる」などの意味があり、「J1へ上がる」などの目標を達成するという思いを表している。発表した沼田邦郎社長は「われわれが目指すものは上がること。正直、愚直に上がっていくという思いを胸に2020シーズン戦っていく。その思いをこの文字に託した」と話した。

新シーズンに向けた補強について西村卓朗GMは「心強いメンバーが集まった。編成の狙いは継続性。選手は替わったが、続けてきている前向きで関係性がいいチームを継続してやっていきたい」と話した。

新チームはJ1鹿島から期限付きで獲得したFW山口一真が10番を背負うことになった。山口は「強い覚悟を持って加入した。必ずチームに貢献してJ1昇格できるように頑張りたい」とゴール、アシストとも2桁を目標に掲げた。

そのほかの期限付き移籍ではJ1横浜からU-20日本代表のMF山田康太や縦への推進力があるMF山谷侑士が加わった。MFでは攻撃的な深堀隼平と守備的な安東輝、DFは前嶋洋太や乾貴哉とサイドバックが補強された。

完全移籍ではFW中山仁斗や上背のあるGK牲川歩見、MF奥田晃也、DF河野諒祐、大卒ルーキーでは足下の技術に優れる松崎快や身体能力が高い住吉ジェラニレショーンが加入し、ユースからは平田海斗が昇格した。

秋葉忠宏新監督は「ポジションごとに特徴のある選手を取ってほしいとオーダーした。300点満点の最高の補強」と語った。(志賀敦文)




◆J2水戸が新体制発表 悲願のJ1昇格、今季こそ(茨城新聞)





◆[J内定高校生の声_21]“赤い彗星”の10番から鹿島の柱へ。MF荒木遼太郎は同世代のライバルに「負けたくない」(ゲキサカ)



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 ゲキサカでは2020年にプロ入りする高校生選手たちをインタビュー。第21回は鹿島アントラーズ加入の東福岡高MF荒木遼太郎(3年)だ。

 九州の名門・東福岡で下級生時から先発の座を掴んでいたMFは、年代別日本代表としても活躍。18年のAFC U-16選手権でアジア制覇も経験している。視野の広さと高精度のキック、局面で違いを生み出すテクニック、得点力などに注目。“赤い彗星”こと東福岡の10番から“常勝軍団”鹿島の柱、そして世界を見据える荒木が、高校3年間ついてやプロ入り後の意気込みなどを語った。

―鹿島入りの感想について教えて下さい。
「来年からよりレベルの高いところでプレーできるということで、本当に楽しみで仕方ないです」

―鹿島入りを目指して叶えた。
「小さい頃からの憧れのチームだったので、決まった時は嬉しかったです」

―オファーを受けた時の心境。
「あのスタジアムでプレーできることは本当に嬉しくて、『やってやるぞ』という気持ちになりました」

―鹿島入りの決め手は?
「鹿島アントラーズは常勝軍団というところで常に上位のチームだし、自分は小さい頃から赤という色も好きなので、そこも決め手の一つとなって、鹿島アントラーズに決めました」

―イメージの湧いている部分。
「あの大きなスタジアムでどれだけ貢献できるか、難しいところもあると思うんですけれども、サポーターの皆様の前でどれだけ良いプレーができるか楽しみです」

―評価された部分。
「自分はキックが持ち味なので、パス一本や状況判断によって、流れを変えるところやチームの攻撃の組み立てのところを評価されたと思います」

―鹿島のイメージ。
「常に王者としての振る舞いというか、堂々としている感じが強いなと思います」

―憧れはどこから?
「選手一人一人の高いプレーの質や、自分の好きなサッカーをやっている。そういうところに憧れました」

―影響を受けた選手。
「この前までいた選手だと柴崎岳選手。最近は三竿(健斗)選手だったり中盤の選手が自分の好きな選手です」

―特に柴崎選手への憧れが強い。
「試合の中ではやっぱりピッチの中で欠かせない選手。守備の面でも、攻撃の面でも柴崎選手がいるか、いないかでゲームの流れも変わってくる。柴崎選手は本当に憧れています」

―九州を離れる不安はない?
「中学から高校に上がる時も地元(熊本)から少し離れたんですけれども、今回は遠く離れますけれど不安はないですし、逆に楽しみです」

―サッカーに集中できる環境。
「本当に自分はサッカーが大好きなので、鹿島アントラーズの環境というのはサッカーだけに集中できる環境なので、自分に合っているかなと思います」

―現在の覚悟。
「プレッシャーも少しあるんですけれども、自分としては楽しみで仕方ないという感じがしています」

―東福岡での3年間を振り返ると?
「自分はこのチームで3年生の時はキャプテンをやらせて頂いて、本当にみんなを引っ張っていくことの難しさだったり、まとめることの難しさだったり、そういった部分で大きく成長できたと思う。この高体連で学んだことを来年から鹿島で活かしていけたら良い」

―300人の競争を勝ち抜き、10番、主将に。
「サッカー面だけじゃなくて、生活面でも自分は本当に成長できた3年間になったと思う。自分を大きく成長させてくれたと思います」

―人間的にも変わった。
「(地元に)帰った時とか周りの人達からは、『本当に変わったね』とかたまに言われたりしていました」

―どういうところが?
「1年生の頃とか結構“やんちゃ”だったんですけれども、3年生になって大分落ち着くようになったので」

―キャプテンをやって学んだことは?
「チームがあまり良い状況じゃない時に、どれだけみんなを良い方向に持っていけるか、そこが一番難しかったですね。そういったところを学べたと思います」

―キャプテンをやって良かった。
「他の高校に比べて人数も多いですし、そういう面では難しさもあったので、東福岡でやれたのは本当に良かったと思います」

―ヒガシの10番の誇り。
「今までの先輩でも一番上で言ったら本山(雅志)選手だったり、最近で言ったら福田湧矢君だったり、そういう偉大な選手が10番をつけてプロで活躍しているので、これから自分も福田湧矢君たちのように活躍できれば良いかなと思います」

―同級生たちの存在について。
「染野唯月(尚志高)とか西川潤(桐光学園高)とか本当に先にプロ入りを決めて、潤とか試合にも出ていて大きな刺激を受けました」

―負けたくなかった。
「負けたくないという気持ちがありました。潤とかワールドカップで活躍している。来年は同じプロとして自分もやっていくので、来年からまた活躍して負けないように頑張っていきたい」

―これから彼らを逆転する。
「潤とか、唯月とか同じチームで負けたくないですし、『自分が先に出て活躍してやる』というくらいの気持ちでやりたいと思います」

―東福岡の同級生たちの存在について。
「マル(丸山海大)とかタカシ(國府田駿)とか自分が困った時に本当にチームを助けてくれたり、自分をサポートしてくれたりしてくれたし、駿は自分が悪い時にアイツが良いプレーをして引っ張ってくれていた」

―家族の存在について。
「今年はあまり活躍できていない時とかあったんですけれども、あまり会えないですけれども、LINEとかでいっぱい連絡してきてくれていたので、助けになっています」

―どのような言葉をかけられていた?
「『常に前を向いて頑張るだけ。サッカーに集中して頑張れ』という言葉に助けられています」

―コーチ陣からかけられた言葉で印象的なもの。
「(総監督の)志波(芳則)先生には『常にチームにために戦え』と言われているし、チームのために走って、チームのために戦ってというところが本当に大事になる。そういった部分を忘れずに来年から戦っていきたい」

―普段サッカー以外ではどう過ごしている?
「田尻将太や野村佳楠と一緒にご飯食べに行ったり、博多駅の辺りをぶらぶらして遊んだりしています」

―趣味は?
「元々自分、野球が好きで。サッカーが一番好きなんですけれども、野球の試合を見に行くことがありました。(福岡)ソフトバンク(ホークス)の試合とか」

―どのくらいの頻度で?
「夏休みの期間に2回くらい」

―なぜ野球を?
「お父さんが野球好きでソフトバンクホークス好きだったので、その影響で自分も野球が好きになって見るようになりました」

―他の趣味は?
「趣味かどうか分からないですけれども、ゲームのウイニングイレブンにハマっていて、みんなとやっています」

―強い?
「そうですね。結構負けないですね。たまに負けたりすると勝つまでやったりします」

―好きな音楽は?
「自分はベリーグッドマンさんの『ライオン』の歌を試合前に聞いています」

―この歌を聞き出したきっかけ。
「2次予選(AFC U-16選手権)の時にみんなで歌ったりしていて、それで好きになって試合前とかで聞くようになりました」

―優勝後のロッカールームで歌っていたのも有名。
「最初、中野桂太(京都U-18)が言い出したんですけれども。あまり歌を知らなくて、でもそれから調べて聞くようになりました」

―自分の性格を分析すると?
「自分の性格は結構大人しい感じがしています」

―キャプテンになって変わった部分もある。
「3年生になってキャプテンになって、モノを言って伝えるんじゃなくて見せて伝えるようになった」

―改めて選手権を振り返ると?
「自分たちは結構、(福岡)県では負けていなかったので、あの試合に臨むみんなの気持ちは強かったですし、その中で自分たちが100%の力をみんな出せていなかったので、そこで出せる力を持っていなかったというのが自分たちの敗戦の結果になったと思います」

―インハイに出られず特別な気持ちを持って選手権に臨んでいた。
「選手権に懸ける思いは本当に強かったですし、その中で自分は途中で入ってきて、何も結果を出せずに終わってしまったのは本当に悔しい選手権でした」

―この負けはこれからのサッカー人生の糧に。
「試合が終わって志波先生の話で『試合が終わったら次に切り替えて前を向いて行くだけ』という話があったので、自分は来年からプロサッカー選手としてやっていく上で落ち込んでいる場合でもなく、来年良いスタートが切れるように、切り替えてやっていくだけと捉えて前向きに頑張って行こうと思います」

―仲間たちの思いに応える。
「この選手権で良い成績が残せなかったからこそ、、来年自分が活躍して、みんなに良い報告などができればと思っています」

―プロ1年目の目標について教えて下さい。
「1年目から少しでも試合に多く絡んで、自分は代表などにも絡んで行けたらと思っています」

―将来の目標は?
「自分がボランチで試合に出てゲームを作って、リーグ優勝、天皇杯でも優勝してチームを日本一にできるような選手になれれば良いと思っています」

―その先も見据えている。
「自分は海外でサッカーをしたいと思っているので、鹿島で活躍して海外に行って、海外でも活躍できるような選手になりたいです」

―サポーターに見て欲しいところは?
「自分の持ち味であるキックの部分を一番見て欲しいです。ゲームメークの部分でも自分の力を一番出せると思うので見て欲しいです」

―鹿島サポーターへ向けてメッセージを。
「東福岡高校から鹿島アントラーズに入ります荒木遼太郎です。ファンやサポーターの皆様と日本一を目指して頑張りますので、応援よろしくお願い致します!」

(取材・文 吉田太郎)




◆[J内定高校生の声_21]“赤い彗星”の10番から鹿島の柱へ。MF荒木遼太郎は同世代のライバルに「負けたくない」(ゲキサカ)





◆徹底マークも貫いた献身…静岡学園MF松村優太がタイトル手に鹿島へ「開幕からスタメンを」(ゲキサカ)



松村優太 Yuta.Matsumura


【中古】afb_【単品】_世界一に迫った日_鹿島アントラーズ_クラブW杯激闘録_...


[1.13 選手権決勝 青森山田高 2-3 静岡学園高 埼玉]

 前評判どおりの突破力、鋭く精度の高いクロス、絶え間ないハードワーク、勝負どころで決め切る度胸——。さまざまな顔を見せた注目アタッカーの冬は最高の形で終わった。静岡学園高MF松村優太(3年)は「みんなで目指して来たところにたどり着けた。こういう形で終われて本当に良かった」と日本一の味を語った。

 大会前の時点では「やるからには自分の大会にするくらいの気持ちでいた」という。しかし、あらゆる試合で徹底マークを受けたことで「苦しんだこともあった」。それでも、準決勝の決勝ゴールで「チームを助けることができた」。最後は「自分だけでなし得たものではないので、チーム全体の大会だったと言える」と仲間と掴んだ日本一に笑顔で胸を張った。

 決勝までの6試合で残した結果は1ゴール2アシスト。合計19得点を挙げてきた静岡学園において、松村がゴールに直接絡んだ回数はそれほど多くはない。しかし、準決勝の拮抗戦を自身のドリブル突破と冷静なPKゴールで勝利に導いた活躍をはじめ、今大会で背番号10が見せてきたパフォーマンスは決して軽視できるものではなかった。

 ひとたび右サイドでボールを持てば、相手選手が2人、3人と次々に集まり、ファウル覚悟で止めにくる。そんなシーンはどの試合でも幾度となく見られた。大会中には川口修監督をはじめ、多くの味方選手から「マークを集めてくれるので他の選手が空く」という声が聞かれた。それは「自分が自分が…」というかつての課題を乗り越えた姿だった。

「自分が自分が……ってなってしまうとチームがうまくいかないので、できるだけ引きつけることを考えている。その中でスキがあれば自分でも行きたいという考えでプレーしていた」。準決勝で奪ったPKゴールも、3回戦と準々決勝でそれぞれ記録したアシストも、少ないチャンスの中でスキを突き、自身の武器である突破やクロスを披露したものだ。

 決勝の青森山田高戦では、周囲の選手がボールを奪われた際に50m5.8秒の快足を活かしてプレスバックする献身性も目立った。「マークが来ることは分かっていたし、それはこの大会を通してずっと。守備でも役割を果たせばチャンスが来ると思っていたし、まっとうできて良かった」。警戒を受けながらもさまざまな形でチームに貢献できるところを見せた。

 日本一が決まった直後には、いち早くスタンドで応援してくれた部員らのもとに向かい、歓喜を分かち合う姿もあった。「一緒に切磋琢磨してきてメンバーに入れなかった人もいるし、そんな悔しい思いをしてもここまで来て応援してくれる。一般生徒も、他の部活の人たちもいる。そういった人の思いもあって結果が出たので、感謝を伝えに行こうと思った」。仲間想いな一面も垣間見せた。

 そんな行動の裏にはどっぷりと浸かってきた“静学スタイル”への誇りもあった。「日本サッカー界に革命的だと思うし、異質なサッカーをしている。こういうチームが増えていけば面白いサッカーができる」。そんな名門校にもたらした24年ぶりの日本一であり、初の単独優勝。「自分たちが名前を残すことができて光栄なことだと思う」と感慨を語った。

 2020年はそんな濃密な3年間で積み重ねたさまざまな経験を胸に、Jリーグの常勝軍団鹿島アントラーズに加わる。「プロを目指す子供たちに憧れを持ってもらえるような選手になりたい」。大きな野望を語った18歳は「開幕からスタメンを狙う。去年は無冠だったので、自分がタイトルに貢献できれば」と2年連続の王座獲得を高らかに宣言した。

(取材・文 竹内達也)




◆徹底マークも貫いた献身…静岡学園MF松村優太がタイトル手に鹿島へ「開幕からスタメンを」(ゲキサカ)