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2020年5月12日火曜日

◆柳沢敦「急にボールが来たので」/あのときの一言(ニッカン)



柳沢敦 Atsushi.Yanagisawa


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<サッカー、あのときの一言~11>

「急にボールが来たので」。06年6月18日。W杯ドイツ大会1次リーグ第2戦のクロアチア戦でそれは起こった。後半6分。FW柳沢敦がDF加地亮からの右クロスをゴール前で右足アウトサイドで合わせた。相手GKは加地につられゴールは無人。だが、シュートは右に外れ、試合は0-0のドローに終わった。

試合後、柳沢は「うまくいかなかった。インサイドで蹴れば、また違った結果になったかも」と振り返り、言った。「急にボールがきたので」。あの時、加地のクロスはシュート性の強いもの。サッカー関係者には「サッカーを知っている人だったら難しいプレー」と語る人もいた。だが、舞台はW杯。それも1次リーグ第1戦で敗れていた日本にとって絶対に落とせない試合だった。インターネット上の掲示板では言葉の頭文字をつなげ「Q(急に)B(ボールが)K(来た)」と表現されるなど、ファンの脳裏にも残るシーンとなった。

大会直後は「W杯のことは振り返りたくない過去のことです」と口を閉ざした柳沢だったが、時間がたつにつれてあの場面に触れるようにもなった。この言葉については「そう言ったかは記憶にないんだよね。まあ言ったから、そう出てるんだろうけど」と振り返り、「QBK」については「1年以上そう言われていたことは知らなかった。(ネットは)あまり見ないようにしてた部分もある。見たくなかった」と話した。

17年にはJリーグの企画に登場し、当時の日本代表監督だったジーコ氏にあの場面を謝罪したこともあった。ジーコ氏は「謝ることは何もないよ。ああいうことは、サッカーにはつきものだから」と優しく返した。忘れられがちだが、あの時、柳沢は大会直前の練習で右太もも裏に軽い肉離れを負い、急ピッチで調整していた。同年3月には右足小指を骨折しており、メンバー入りもギリギリ。ジーコ氏もそれはわかっており「果たして間に合うかどうかという状況だったけど、ヤナギは精神力でリカバリーして、間に合わせてくれた。だから、こっちが感謝したいくらいだよ」と語った。そして、後輩選手たちにその経験を伝えるよう付け加えた。

現在、柳沢は古巣鹿島のユースチームのコーチを務めている。ジーコ氏の言葉にもあるように、きっといつの日か、同じ舞台で後輩たちがその悔しさを晴らしてくれるだろう。




◆柳沢敦「急にボールが来たので」/あのときの一言(ニッカン)





◆鹿島がアプリでラジオ配信、初回は内田が選手を斬る(ニッカン)






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鹿島アントラーズが12日、Jクラブとして初めて音声配信アプリ「stand.fm」に公式チャンネルを立ち上げる。

初回配信ではDF内田篤人(32)が「チームメート一言斬り」に挑戦するという。「実はOBの方たちも斬っていて、後で怒られるかも…(笑い)。僕の企画だけじゃなく、これからいろいろな選手が登場すると思うので、アントラーズを知ってる人もそうでない人も、ぜひ聞いてみてください」と呼びかけている。

同アプリは「スマホで作る自分のラジオ番組」がコンセプト。ラジオのストリーミング感覚で、誰でも自由に配信ができる。離れた場所にいる相手とのコラボ収録も可能で、“三密”を避けながら新たなコンテンツを制作できるのが魅力。鹿島としては、これまでサッカーとの接点がなかった新規ファン層にアプローチするのも狙いのひとつだ。


stand.fm(Android)




◆鹿島がアプリでラジオ配信、初回は内田が選手を斬る(ニッカン)





◆長野から鹿嶋に移住の伊藤さん 原動力はアントラーズ「愛」(茨城新聞)






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情報発信で「恩返し」


鹿島アントラーズへの「愛」が高じて、今年1月に鹿嶋市へ移住した男性がいる。長野県松本市出身でサポーター歴27年の伊藤拓真さん(32)。これまで同市から鹿島の情報を発信してきたが、「こちらの方が貢献度が増す」と移住を決意。現在はユーチューバーなど三足のわらじを履いて「鹿島に恩返しして鹿嶋市も盛り上げたい」と意気込んでいる。

伊藤さんと鹿島の出合いは、Jリーグが開幕した1993年。熱心な鹿島サポーターの叔父に連れられて試合を観戦して以来、その魅力のとりこになった。

社会人になってからも頻繁に試合観戦しており、4年前には民間企業で働く傍ら、鹿島に関する情報を発信するブログを開設。昨年には動画投稿サイトのユーチューブに「かしまわりチャンネル」をつくった。ユーチューバーとしてチームの戦術分析、移籍情報、スタジアム情報などを発信している。

こうした活動がホームタウンにも伝わり、昨年秋にエフエムかしま市民放送(FMかしま)の鹿島関連番組「ホームタウンドリーム」に出演。家族の勧めもあって本格的に移住を検討し、約2カ月後には鹿嶋市民となった。

伊藤さんの背中を最後に押したのは、ユーチューブを見た市民の「引っ越しておいで」という一言。伊藤さんは「ユーチューブから生まれたご縁に導かれた。現代的ですね」と笑う。

新居の壁や棚にも多数の鹿島グッズ。伊藤さんはJリーグ開幕年のジーコのユニホームを手にしながら、鹿島の魅力について「ジーコスピリッツがぶれていない。開幕当時から一本芯が通っているところ」と熱く語る。

現在はユーチューバーに加え、FMかしまの情報番組「おはよう76・7(ナルナ)」月曜パーソナリティーとコンサルティング業も展開。最大の目的は鹿島の情報発信だが、移住でお世話になった人への恩返しもしたいという。

「鹿嶋は人も街も本当に魅力的」と伊藤さん。今後はまちおこし事業も計画中で、新天地での挑戦に意欲を見せる。「アントラーズはもちろん、自分を受け入れてくれた鹿嶋市にも喜んでもらいたい」

鹿島アントラーズと鹿嶋市。二つの「愛」が伊藤さんの原動力だ。







◆長野から鹿嶋に移住の伊藤さん 原動力はアントラーズ「愛」(茨城新聞)