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2020年9月22日火曜日

◆「全員が内田篤人になれない」引退J選手の現実(東洋経済オンライン)






NumberPLUS「完全保存版 内田篤人 2006-2020」[本/雑誌] (...


アスリートの「働き方改革」は加速していくか


8月23日のJ1・鹿島アントラーズ対ガンバ大阪戦で現役を引退した元日本代表の内田篤人(32)さんが、日本サッカー協会の「ロールモデルコーチ」として新たな一歩を踏み出したことが話題になった。

日の丸を背負って2007年U−20ワールドカップ(W杯=カナダ)、2008年北京五輪、2010年南アフリカ・2014年ブラジル両W杯に出場し、シャルケ時代にはUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)ベスト4の大舞台に立った高度な経験値を後進の育成に生かしてほしいという協会側のオファーに、本人が応えた形だ。

9月14〜16日に千葉・幕張のJFA夢フィールドで行われたU−19日本代表合宿で指導者デビューを飾った彼は「世界を目指すならもっと要求しなきゃダメだ」と若手に檄を飛ばすなど、さっそく存在感を示していた。

このように、引退直後のサッカー選手に第2の人生が用意されるのは稀有な例。そもそもJリーガーの場合、平均引退年齢は25〜26歳。加入から10年現役を続けられる者は非常に少ない。


引退後の選手を待ち受ける現実


キャリア終了の瞬間から次の人生を模索せざるをえなくなるが、大学生の就職活動と同様、道のりは険しい。内田さんのような有名人は指導者や解説者、タレントといった陽の当たる道を歩めるだろうが、それはほんのひと握りだ。

Jクラブのスタッフやスカウトなど現場に近いところで働いたり、自ら町クラブを起こしたり、学校の教員や事務職員になって指導を続けるなど、サッカー関連の仕事に就ける人はまだ恵まれているほう。

スペイン・バルセロナでうどん店を経営する石塚啓次さん(46)、大分市議会議員になった高松大樹さん(39)といった転身例もあるように、大半はまったく別の生き方を見出す必要に迫られるのだ。

とはいえ、子どものころからボールを蹴ることに邁進してきた選手たちは、学生時代のアルバイト経験さえないケースが少なくない。

現在、セレッソ大阪の社長を務める1998年フランス・2002年日韓W杯日本代表の森島寛晃さん(48)も「2008年にピッチを離れたあとはパソコンも使えなかった。頭のメモリーカードが小さくてホント苦労しました。今はようやくパワーポイントを使って書類作成もできるようになりましたね」と苦笑する。

「プレーヤーはピッチでプレーするのが本分。わずらわしいことはクラブやマネジメント会社の人にやってもらえばいい」と考える選手はまだまだ多いのだ。

最低限のビジネススキルを持たない30歳前後の人間が一般企業に就職しようと思えば、苦労を強いられるのは自明の理。川島永嗣(ストラスブール)や今野泰幸(ジュビロ磐田)らとともに2003年U−20W杯(UAE)に参戦し、2011年末に引退した阿部祐大朗さん(35)もそんな紆余曲折を経験した1人だ。

「好きだったファッション雑誌の会社に『雇ってください』と自ら飛び込みでアピールしたのが第一歩でした。でも一般企業は書類審査、筆記試験、面接と採用過程に何段階もあることを知らずにビックリした(笑)。

ここは受かりませんでしたけど、採用サイトや知り合いの人材会社社長から紹介を受けて、短期間で広告代理店やIT企業の営業、塾講師など8社を立て続けに受験。なんとかブライダル事業の会社に内定をもらいました」

27歳だった2012年から社会人生活がスタートしたが、電話対応や名刺交換がスムーズにできず、高価な花瓶を割ったり、発注ミスを犯すなど最初の1年間は苦労の連続だった。それでも「家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」と奮起。2015年には大手金融会社に転職を果たし、今では立派なサラリーマンとして八面六臂の活躍を見せている。

「現役のころはサッカーに集中していればいいと思って、第2の人生の準備を何ひとつしていませんでした。時間の使い方を考えないとダメですね」と彼は自戒の念を込めて若かりし日々を振り返っていた。


キャリア支援に動き始めた元選手たち


こうした反省を踏まえ、Jリーガーには現役時代からセカンドキャリアに備えてほしいところ。だが、それは傍目から見るほど容易ではない。

「ソルティーロ・サッカー・スクール」の展開や東京、カンボジア、ウガンダなどのクラブ経営、中高生向けのオンライン学校「Now Do(ナウ・ドゥ)」など多角的事業に乗り出す本田圭佑(34、ボタフォゴ)、運動・食事・精神・IT事業を手掛ける「Cuore(クオーレ)」を設立した長友佑都(34、マルセイユ)など、現役選手がデュアルキャリアに乗り出す例も増えている。

ただ、そこまで手広くできるのは、知名度・資金・ブレーンを持つ一部のビッグネームだけ。一般的な選手が現役生活を送りながら、空いた時間に頭を切り替え、時間を管理しつつ、資格取得やITスキルの勉強などをするのは、やはりハードルが高いのだ。

こうした彼らを支援するため、Jリーグは2002年にキャリアサポートセンターを設立。引退後の支援に乗り出している。

そこで2005〜2008年にかけて働いたのが、2003年にセレッソ大阪で引退し、現在は一般社団法人APOLLO PROJECT(アポロ・プロジェクト)代表理事を務める山内貴雄さん(42)だ。

2年間のJリーガー生活のあと、1年間だけヴィッセル神戸でスカウトを務め、2004年にリクルートキャリアへ転職。そこから出向する形で選手のサポートに努めた。

「西日本のJクラブ担当として、現役選手の学びの支援をするのが僕の仕事の1つでした。彼らの意向を聞きながら、インターンシップの機会をできる限りつくって提供したんです。当時の参加者は限られていましたけど、これまで見たことのない世界を見てもらうという意味は大いにあったと思います」

浦和レッズや大宮アルディージャでプレーした2000年代に、同制度を積極活用した1人が水戸ホーリーホックのジェネラルマネージャ(GM)を務める西村卓朗さん(43)。市立船橋サッカー部出身の芸人として知られるワッキー(脇田寧人)の兄が経営するスポーツマネジメント会社やラジオ局、広告代理店などで、12月のオフ期間を利用して短期間就労を経験した。

「僕らが選手だったころは『サッカー選手たる者は競技に集中すべき』という考え方が根強く、『引退後に備えて活動することは悪』ととらえられがちでした。でも僕自身は、インターンシップを通してサッカー選手の存在を客観視できた。多種多様な職場を見せていただき、社会とつながることは選手生活にもプラスに働くと確信したんです」

その経験を踏まえ、西村さんは水戸の強化部長となった2018年から、週1回ペースの選手教育を実行に移した。今年は(1)クラブの構造、(2)専門領域、(3)異業種、(4)脳トレの4テーマを設定し、3〜11月にさまざまな講師を招いて話をしてもらっている。

「Jリーガーとしての使命感を持ってもらうのが第一。そうすれば自ずと行動も変わってきますし、何のためにサッカーをやっているのか、自分がどうやって人々に貢献するのか、今後どう生きるのかというビジョンを描くことにもつながる。サッカーで身につけたことを世の中に還元できる人材になってもらいたいというのが僕の願いなんです」


現役中からキャリアを学ぶ意義


西村さんとともに水戸で選手教育に携わる山内さんもこの7月、ラグビー日本代表元キャプテンの廣瀬俊朗さん(38)らとともにアポロ・プロジェクトを設立。アスリートの価値を最大限に高め、還元するプラットフォームを構築しようと動き始めたところだ。

彼らはアクションプランとして、アスリート向け教育事業「A-MAP」を運営。パートナー企業である大前研一学長のBBT大学(ビジネス・ブレークスルー大学)を通じて現役・元アスリート向けに開発したマインドセットプログラムを提供する。

すでに大相撲の中村親方・嘉風雅継さん(38)が2021年1月からの第1回受講生となることが決定。サッカー界からも希望者を募っているところだ。

「受講生には自らがホストとなって自治体や企業と連携し、それまで競技を通して培ってきた自身の強みやA-MAPで学んだことを生かし、社会課題の解決につながるイベントやプロジェクトを企画・運営するところまで力をつけてもらうつもりです。

そうやって自ら旗を掲げ、発信できるような人材になれれば、現役選手としての価値を高められますし、結果的に引退後も自分らしいキャリアを送れる。僕ら元Jリーガーも経験を踏まえてサポートしていくので、ぜひ積極的に学ぼうという人が増えてほしいですね」

山内さんが前向きに言うように、現役中、あるいは引退直後に自分から何かを学んで発信しようとマインドを変えられる人間が多くなれば、Jリーグの価値も上がり、引退後の活躍の場も広がるはずだ。

冒頭の内田さんのように、現役時代のハイレベルな実績や経験を生かして現場に還元する人ももちろん重要だが、それだけに頼らないセカンドキャリアの成功例がどんどん出て、引退後の選択肢が広がれば、サッカー界はより魅力あるものになる。

令和の時代になった今、一般のビジネスパーソン同様、スポーツの世界においても「アスリートの働き方改革」の必要性は否が応でも高まっている。


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◆シントトロイデン、セルクル・ブリュージュに完敗で5戦勝ちなし 鈴木優磨と植田直通の「鹿島対決」はお預け(報知)






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◆ベルギーリーグ第6節(21日)セルクル・ブリュージュ3―0シントトロイデン

 ベルギー1部のシントトロイデンは0―3でセルクル・ブリュージュに敗れた。日本勢はFW鈴木優磨とDF松原后がフル出場で、GKシュミット・ダニエルとMF伊藤達哉は控え。セルクル・ブルージュのDF植田直通は今季初めてのベンチスタートで出番はなく、4年近くチームメートとしてプレーした鈴木と植田の昨季に次ぐ「鹿島対決」は実現しなかった。

 試合は序盤からセルクル・ブリュージュのペース。この日植田に代わって先発出場した、フランスの20歳DFマルスランが躍動。前半9分には、中央に走り込んで放ったシュートで失点したかと思われた。しかしシントトロイデンがマルスランのハンドを猛アピール。VARの結果、ゴールは取り消された。

 チャンスは同24分、鈴木がコーナーキックにファーサイドで頭を合わせるも、わずかに枠の左。すると直後の同25分、MFホティッチが中央から突き刺し今度こそ先制点を許すと、同31分にはPKで2点目を献上した。今季5試合2得点の鈴木への警戒も強く、味方とかみ合った攻撃をなかなか見せられず。松原は相手MFムサバへの対応に苦しんだ。

 後半30分からは伊藤が登場。左サイドからクロスを送り込み自らもシュートを打つなど、一矢報いようと反撃の姿勢を見せる。しかし同アディショナルタイムにはDFヴィチーニョにダメ押しの3点目を与え、力尽きた。

 チームは完敗で開幕戦以来5戦連続勝ちなしの15位。厳しいスタートをきっている。一方のセルクル・ブリュージュは連敗を「2」でストップする快勝で、7位に順位を押し上げた。




◆シントトロイデン、セルクル・ブリュージュに完敗で5戦勝ちなし 鈴木優磨と植田直通の「鹿島対決」はお預け(報知)




◆【鹿島】6連勝を支えるGK沖悠哉が語る「環境」と「循環」。曽ヶ端準デビューの99年に生まれる(サカノワ)






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鹿島ユース出身、3年目の21歳。「先輩をリスペクトしつつ、責任を持って試合に臨めています」


[J1 17節] C大阪 1-2 鹿島/2020年9月19日/ヤンマースタジアム長居

 J1リーグ鹿島アントラーズのGK沖悠哉が再三のビッグセーブでチームを助け、セレッソ大阪に2-1の勝利を収めた。チームはリーグ6連勝、7試合負けなし(6勝1分)。その7試合全てで先発フル出場しているのが背番号「31」をつける沖だ。

 鹿島ユースから昇格3年目、21歳の新守護神候補は、8月8日のサガン鳥栖戦で初先発を果たすと、2-0の完封勝利を収め結果を残した。

 そして先発復帰したあと、今度は連勝街道を突き進む。

 これまで出場したリーグ8試合は負けなし。最後尾のポジションではあるが躍動感あるプレーで熱量を生み出し、最終ラインからチームを盛り立てている。

「(C大阪戦では)上位のチーム相手に『みんなの力を合わせて勝とう』という話をしていました。(シュートストップについて)まだまだ改善する余地はあると思います」

 沖が試合に出れば試合に負けない。不敗神話が続いている。

「そこは気にしていません。こうしてチームにいい流れが来ていますが、試合に出られずにいる選手もいて、ゴールキーパーのポジションは一つしかありません。ソガさん(曽ヶ端準)、(クォン)スンテさん、山田(大樹)とキーパーがいて、日ごろの練習から手を抜くことはありません。先輩がやっているから、自分もやらなければいけないと思わせてくれます。そういった環境、循環ができています。先輩をリスペクトしつつ、責任を持って試合に臨めています」

 そのように鹿島のGK陣4人の代表としてピッチに立っているというプライドが、自信につながっているという。

 沖が生まれた1999年、奇しくもプロ2年目の曽ヶ端がリーグデビューを果たしている年である。年齢差は実に20歳だ。

 ともに鹿嶋市と鹿島ユース出身であり、沖が物心ついた時から曽ヶ端は憧れの存在だった。「20歳年上の選手が現役でいてくれることが不思議な感覚で、同じグラウンドで練習できているのは幸せなことです」と沖は大先輩について語る。

 41歳の曽ヶ端もまた向上心を持ち続けている。そこに沖も刺激を受け、自身もまだまだ上達できると思う。

「毎日の練習で学ぶことは多いです。コーチングの質、キャッチングの技術、ポジショニング、それは若いうちに完璧にできればいいですが、まだまだ上手くなれると思っています。ソガさん、スンテさんとも35歳を過ぎてもこの暑さの中の練習で手を抜かずやっている後ろ姿を見ると、自分は若いんだからもっとやらないといけないと思います。素晴らしい先輩です」

 連勝を続けるなか、沖もまた変わらず貪欲に、向上心を一段と強めている。

[文:塚越始]


◆【鹿島】6連勝を支えるGK沖悠哉が語る「環境」と「循環」。曽ヶ端準デビューの99年に生まれる(サカノワ)




◆ポルティモネンセSC 安西幸輝インタビューvol.1「海外へ行く際に内田篤人が贈った成功論」(高校サッカードットコム)






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 サッカー日本代表の長友佑都、酒井宏樹の不動の両サイドバックに下剋上を名乗り上げる一人の男がいる。2019年7月からポルトガル1部のポルティモネンセSCでプレーをする日本代表の安西幸輝選手(24歳)だ。

 育成年代を東京ヴェルディで過ごし、プロサッカー選手として東京ヴェルディ、鹿島アントラーズでプレーし、2019年3月から日本代表にも選出され続けている。
 今シーズン、ヨーロッパで飛躍が期待される安西選手に、ポルトガル挑戦記を振り返って、残留争いに巻き込まれながらも這い上がった激動の1年を振り返っていただいた。

 今回は、全2回にわたるインタビューの1回目となります。

ーー安西選手のプレースタイルをみていて、サイドでの運動量豊富な攻撃的なサイドバックみたい言われていると思うのですがプロになってからもポジションは変わらないですか?

 僕はサイドハーフをずっとやっていて、プロに入ってからサイドバック1本でやってきました。

ーー自分が認識しているサイドバックの強みとは?

 サイドハーフ出身のサイドバックなので攻撃は長けているのかなと思いますし、人よりはボール捌けるし、攻撃に参加する回数も多いので、そこは自信持っているかなと思います。

ーー最初ヴェルディでキャリアをスタートさせて、そこから日本一の鹿島に行ったと思うのですが、実際鹿島に行ってどうでしたか?J2の上位からJ1の上位へ行ったと思うのですが。

 鹿島のサイドバックと言ったら、日本代表が見える位置です。同じ時期に内田篤人が帰ってきた年なので内田篤人さんを取ると言っていたので、それもあって子供の頃から憧れていた選手と同じチームになれるっていうのはなかなかないのでそれが一番の決め手でした。僕の中では。

ーー鹿島で1年半プレーされたと思うのですが、その中で掴んだものはどんなものでしたか?

 よく鹿島は常勝軍団と言われますが、正直鹿島入ったところでわからなかった。何が常勝軍団なのかというのは。
 ただあのチームは勝つことに凄いこだわっているし、引き分けただけでお通夜みたいな雰囲気になるチームで、だから勝つことが義務のようなチームで1年半やらせてもらったのは本当に今のキャリアに絶対つながっていると自信持って言えます。

ーー当時の鹿島は上位に食い込んでいて、そのままでも安西選手のステップアップにのぞめたと思うのですが、より海外を目指したきっかけはありますか?

 2019年3月に初めて代表に選ばれて、正直若干行きたくないと思ったのですが(海外)鹿島でずっとやりたかったから10年くらい。だけど代表に行って海外組の選手と一緒に練習していたらレベルが違ってヴェルディから鹿島に行った時のプレースピードの早さと鹿島から代表に行った時のプレースピードがもう一個上がっていて、これ海外でやらないと代表のスタメン取れないなと思って、行こうかなと思いました。

ーーJリーグ組がヨーロッパ組とやると、そういう意識になるという話を聞くのですが

 選手の意識の高さと、海外でやっているその環境だったり、あとは日常の話を聞いているともっとやらないとダメだなとJリーグにいる時は感じていたし。
 僕も鹿島というトップクラブでこれで良いかなと思っていましたが海外組の人たちとやって、もう一個いかないとダメだなと思って、行かないといけないと思いました。

ーーその中でポルティモネンセを選んだ理由とは?

 中島翔哉君があれだけ活躍していて、ステップアップでポルトにいって、僕も海外に移籍したいって思ってから海外の試合を見始めてチャンピオンズリーグにも出たくて、年齢的にも24歳の時に行ったので海外ではギリギリの年かなという感じなので。
 ポルティモネンセで中島翔哉君がステップアップするのをみて、僕も同じような絵を描きたいなと思いました。

ーー昨年の夏からポルティモネンセに移籍されて、入ってみてどんなレベルを感じましたか?

 日本とサッカーが全然違うので、もちろん一人一人の身体能力も高いですし、ここにいたら上手くなれるし強くなれるなと思いました。

ーー実際に練習や試合をしてみて安西選手が、自分のプレースタイルの強みはどんなところになりますか?

 昔から体力に自信があって、運動量で対人の選手に勝つというのが強みであって、走り負けないというのが一番の武器です。日本ではドリブルもできたし、ある程度攻撃の部分は全部できていましたけど、海外でドリブルで抜くっていうことはなかなか難しいことで、やはり足伸びてくるし、対人はすごい強いし、だからプレースタイルは少し変わりましたね。

ーーサイドバックは周囲との連携が大事になってくると思うのですが、チームメイトとは最初からうまく行っていたのですか?

 海外の選手はサイドハーフの選手が自分で行く選手が多いので、日本で当たり前に出てきたボールが出てこないから、すごいフラストレーションがたまっていましたね。でもやっぱりずっと言い続けていたら、最初10本中1本しか出てこなかったところが3,4本は出てくるようになったという感じで、もうちょっと欲しいんですけどね

ーー1シーズンやってイメージのギャップは埋まってない?

 埋まらないですね。ここで僕が一番ストロングが出せるっていうところでボールが来なかったりするから、そこに関してはストレスを感じますね。

ーー昨シーズンでポルト戦のゴールなどハイライトシーンはいっぱいあったと思うのですが、安西選手が成長を感じたエピソードやターニングポイントになった時期はいつでしたか?

 試合に出ている時、選手はメンタルも問題ないし、試合でやればいいだけだし、監督が変わって、1試合目は出れたのですが、アウェイのポルト戦でベンチになって。中島翔哉君とマッチアップできると思っていたので、すごく楽しみにしていましたが...それでも出れなくて。
 監督とちょっと揉めて、練習とかも自分はちゃんとやっていたつもりだったんですけど、周りの人からしたら見えてなくて、そこで練習中に権田さんと喧嘩して。その時に権田さんに言われたのが練習は自分のためにやる、試合はチームのために出すものだと。

 試合に今まではちゃんと使ってもらっていて、初めての経験だったので、出れないのが。「自分がW杯にでたいという目標があるなら、練習は自分のためにやれ」ということを言われて、その時は納得しなかったですが、とりあえず練習やってみようと思って100%でベンチ外になった時も18,19歳と一緒に練習したりもしたし、日本だったら、移籍するっという感じになりますけどとりあえず一生懸命やった。
 そしたら徐々に監督の信頼を取り戻してきて、最後は残留争いしている中でスタメンで使って貰えたので、あそこで権田さんと揉めてなかったら、うまくサッカー選手としても人としても成長できなかったと思います。

ーー安西選手がJリーグ時代と、ヨーロッパでのシーズンで、サッカーに対する捉え方というのはどういうふうに一番変わりましたか?

 やはり結果が全てなので、本当に1点取ったら人生変わるってみんな言っていて初めは理解できなかったのですが、海外行って初めてわかった。ポルト戦で僕も1点とって、ポルトガルの人からの印象がすごい変わったし、だから本当に1点取るだけで人生変わるっていう感覚なんですよね。
 Jリーグは1点取るのが大事ですけど、ちょっと結果出したなと思われるぐらいでそこがすごい違うなと思いました、捉え方が。

ーー今回、外国人枠として参加していると思いますが、その意識はどうですか?

 試合に出ている時はチームメイトも受け入れてくれるし、僕も意見できるんですけど、出られなくなってから、あいつ給料高い外国人だし、払ってるのに稼働率低いなみたいな目で見られる感じはあり、その辺は自分も意外と神経質なので。ただ、自分がやることをしっかり見定めないといけなかったので、権田さんの話に戻りますが、外国人としてやらないといけないことがわかった。
 あとは鹿島が気持ちよく送り出してくれたので、そのためにやらないといけないなと感じました

ーー1年間ヨーロッパでシーズンを経験して、これから海を渡るであろう若手Jリーガーに向けてアドバイスできるとしたらどんな言葉を送りますか?

 内田篤人君が行く前に“結局、最後は根性だ”という話をしたんですよ。どんな意味か分からなくて、我慢強くやったやつが勝つと言っていた。その意味が海外に行ってわかって試合に出ている時は良い、出られなくなってから、メンバーから外された時に自分の人間味としてそこで根性だしてやれとか、悩み事を言える人も近くにいないし、だから根性強くやるっていう、それが一番大事だと思います。

ーーJのチームがより海外のチームと対等に戦っていくためには日本人には何が必要になってきますか?

 難しいですね、1つはプレースピードですかね。日本では守備ブロックを作ってから攻めることが多いですが、海外はブロックを作る前に攻めるのが主流というか多いので、全然やっているサッカーが違う。
 日本には日本の良さがあるし、海外には海外の良さがある。海外・ヨーロッパの方が強いとなると、そっちのプレースタイルに変えていかないといけないのかなと思います。

ーー2年目の抱負は?

 まずはステップアップしたい。1日1日で全力を出して、上手くなることを目標にやっています。




◆ポルティモネンセSC 安西幸輝インタビューvol.1「海外へ行く際に内田篤人が贈った成功論」(高校サッカードットコム)




◆【鹿島】C大阪をねじ伏せた「自然な現象」が、本来のあるべき姿を証明してみせた(サッカーダイジェスト)






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「もっともっと詰めていかなければいけない」(L・シルバ)


 2-1の勝利で6連勝を達成した前節のC大阪戦、秀逸だったのは1点リードで迎えた終盤の戦いぶりだ。

 丁寧にパスをつないで、上手く相手をいなしながら時計の針を進めていく。良い形で敵陣にボールを運べても、無理に3点目を狙いに行かず、リスクを冒さずにポゼッションする。アディショナルタイムには失点してもおかしくない決定的なピンチはあったとはいえ、しっかりと逃げ切ってみせた。

 9月21日のオンライン取材に応じたレオ・シルバにその巧みなゲームマネジメントについて訊けば、「自然な現象だと思います」と応じ、チームの変化を次のように語った。

「(結果を出せなかった)シーズン当初に比べたら、かなり“変わったチーム”になっていると思いますし、やるべきことをみんなが整理しながら、ピッチの中で表現している。学習しながら、次の試合、また次の試合に挑んでいます」

 リードを得ていれば、それを確実に勝利へと結びつける。試合巧者として、本来のあるべき姿を取り戻しつつあるように見える。

「シーズン当初は、自分たちらしからぬ試合だったり、結果でしたけど、誰ひとりあきらめていなかった。微妙なズレをみんなで合わせていったところで、“鹿島らしく”なってきたと言ってもらえれば嬉しい」

 もちろん、攻守の両局面で絶大な存在感を示す中盤のキーマンは現状に満足しているわけではなく、「もっともっと詰めていかなければいけないところがある」と気を引き締め、さらなる高みを目指す。

 11年ぶりの7連勝がかかる次節のホーム湘南戦でも、鹿島らしい勝ちっぷりで勝点を積み上げてほしい。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)




◆【鹿島】C大阪をねじ伏せた「自然な現象」が、本来のあるべき姿を証明してみせた(サッカーダイジェスト)




◆鹿島レオ・シルバ「かなり変わった」7連勝へ自信(ニッカン)






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11年ぶりの7連勝をかけた湘南戦(23日、カシマ)に向けて、鹿島アントラーズの攻守の要MFレオ・シルバは「メディアは7連勝が気になるだろうが、我々はそんなこと気にしていない。重要なのはいい試合をして、結果的に勝利を手にすること」と雑音を振り払った。

湘南には7月の対戦で敗れているが「(鹿島は)シーズン当初に比べてかなり変わったチームになっている。学習しながら次の試合に挑めている」と自信を口にした。




◆鹿島レオ・シルバ「かなり変わった」7連勝へ自信(ニッカン)