ページ

2024年5月6日月曜日

◆鹿島初の欧州出身選手・チャヴリッチはなぜ日本へ「確信があった。それはもはや愛」(Sportiva)






鹿島アントラーズ初のヨーロッパ出身選手
アレクサンダル・チャヴリッチ(前編)


 ジーコを筆頭に、鹿島アントラーズは多くのブラジル人選手がチームを牽引し、数々のタイトルを獲得してきた伝統がある。そうした歴史のあるクラブに今季、初のヨーロッパ出身選手として加わり、新風を吹かせているのがFWアレクサンダル・チャヴリッチ(セルビア/29歳)だ。

「キャリアの通過点にするつもりで来たわけではなく、自分はアントラーズで何かを勝ち獲るために来た」

 そう力強く語るストライカーは、J1リーグ開幕戦でさっそく初ゴールを決めるなど、大きな期待を抱かせている。そのチャヴリッチが鹿島への移籍を決めた理由、自身の歩み、そして期待とプレッシャーに応える決意を聞かせてくれた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 来日から2カ月が経ち、茨城・鹿嶋での生活には慣れましたか?

「だいぶ慣れました。もともと自分は静かな場所で暮らすのが好きな性格なので、鹿嶋での生活はとても気に入っています。

 鹿嶋は自然が豊かで、近くには海もある。それこそ、鹿島神宮は早くもお気に入りのスポットです。チームのスタッフとも一緒に行きましたが、ひとりで行くこともあるくらい。まだ日本で生活して3カ月ほどですが、すでに5回以上は足を運んでいると思います」

── 鹿島アントラーズというクラブの印象はいかがですか?

「アントラーズはファン・サポーターの人数も多く、クラブとしてしっかりとオーガナイズされています。僕が今までプレーしてきたなかでも、一番のビッグクラブ。これほど多くのスタッフが働いているクラブを、僕は見たことがありませんでしたから。

 そのうえでアントラーズは、クラブに関わっているひとりひとりが、タイトルを獲得することに貪欲な姿勢を持っています。日々の練習においても、そうした空気感はひしひしと伝わってくるので、シーズンが終わったときに、クラブの人たちが目指している形で締めくくることができればと思っています」


【鹿島への移籍はキャリアの通過点ではない】


── 8年間を過ごしたSKスロヴァン・ブラチスラヴァ(スロバキア)から鹿島に加入しました。なぜ、鹿島だったのでしょうか?

「なぜ、何でしょうね(笑)。なかなか言葉では説明できない感情や感覚があります。ひとつ言えることがあるとすれば、自分のなかに目に見えない"確信"がありました。

 もともと日本の文化や食事に関心があったことは事実ですが、それが移籍の決め手になったかというと、決してそうじゃない。8年という年月を過ごしたクラブを離れるのは、決して簡単なことではありませんでしたが、アントラーズからのオファーが届いたときに『自分はここに来る』という確信めいたものがありました。

 本当に言葉では言い表わせない感情なので、自分にとって、それはもはや『愛』なのではないかと思っています。それくらいアントラーズの一員になることに、自分のなかの"何か"を見出したと思っています」

── SKスロヴァン・ブラチスラヴァもかなり引き留めていたと聞きました。

「そうですね。クラブ史上、類を見ないほどの契約内容を提示してくれました。アントラーズとの話が進み、日本に向かうときも、『飛行機のなかで気持ちが変わるかもしれないから』と再提示してくれるくらい、引き留めてくれました。

 ただ、個人的には長く在籍していたため、クラブ全体と良好な関係を築いていた一方で、どこかで自分が守りに入ってしまっているような感覚も抱いていました。安定を選んでしまうと、人の成長はそこで止まってしまいます。自分がさらに成長するために、あえて居心地のいい場所から離れ、もう一度、勝負する時期なのではないかとも思っていました」

── 環境を変えることが自身の成長につながると考えたことも、決め手のひとつだったんですね。これまでにも国をまたぐ移籍を経験していますが、新天地に日本を選ぶというのは大きな変化だったのではないでしょうか?

「過去にはベルギーからデンマーク、デンマークからスロバキアと、ヨーロッパ内での移籍を経験したことはありますが、ヨーロッパとアジアでは、自分にとって別世界。変化という意味では、今回の移籍は過去とは比べられないくらいの違いがあると思っています。

 また、なぜ自分がアントラーズへの移籍を決めたかに触れると、自分はここをキャリアの通過点にするつもりで来たわけではありません。自分はアントラーズで何かを勝ち獲るために、ここに来ました。それはみなさんに伝えられたらと思っています」


【選ばれた存在だから違いを見せなければ】


── Jリーグについては、どのくらいの知識があったのでしょうか?

「Jリーグのクラブについては、アントラーズをはじめ、浦和レッズ、川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸など、名前は知っていましたが、アントラーズからオファーをもらってから、初めて詳しく調べました。そのタイミングで、アントラーズが日本で最もタイトルを獲っているクラブであること、また近年はタイトルから遠ざかっていることも知りました。

 自分自身もここまで、ただ試合に勝ってきただけではなく、勝ち続けることによってタイトルという大きな功績を手にしてきたので、クラブのフィロソフィーと自分のフィロソフィーは合致しているとも思いました。

 タイトルを獲ったことのあるクラブは、一度でも優勝すると、またひとつ、もうひとつと、タイトルへの欲が出てくるもの。そうした貪欲さは、新たな挑戦をする自分にとっても、大きなモチベーションであり、選手として成長するために必要な要素だと思いました」

── 鹿島がここ数年、タイトルから遠ざかっている状況で、自分がチームに加わる意味についても考えたのではないでしょうか?

「外国籍の選手は、Jリーグで言えば日本人選手よりも多くのこと、多くのものを求められる存在だと思っています。人数が限られている『選ばれた存在』だからこそ、プレーで違いを見せなければいけない。限られた1枠に自分を選んでもらえたことに対して、誇りに感じていますし、なおさら結果で示さなければいけないと思っています」

── J1リーグ開幕の名古屋グランパス戦でゴールを決めたことは、自身にとって大きかったのでは?

「新天地で迎えた最初の試合でゴールという結果を残せたことは、自分にとって大きかったと思っています。新しい環境でプレーするときには、周りに対して強いインパクトを残す必要があります。

 自分がどんな選手なのか、何ができるのかを、チームメートや対戦相手、さらにはファン・サポーターに植えつけるには、最初の印象というのは重要ですからね。だから、リーグ開幕戦で、自分がアントラーズに"何か"をもたらすことができる選手なのではないか、という期待を与えられたと思っています」


【サッカーは数字だけに表われないスポーツ】


── 開幕戦でゴールを決めたことで、多少はプレッシャーからも解放されたのではないですか?

「シーズンが開幕する前は、自分の力を示したい、自分の能力を発揮したいと、自分で自分にもプレッシャーをかけていましたからね。そのプレッシャーがまた、開幕戦での結果にもつながったように思います」

── キャリアについても聞かせてください。選手として自信を掴んだのは、どの時期だったのでしょうか?

「ベルギーのKRCゲンクでプレーしたときですかね」

── プロとしてのキャリアをスタートさせたFKバナト・ズレニャニンやOFKベオグラードでプレーしたセルビア時代ではなく?

「もちろん、セルビアでも自信は得ました。たとえばゴールを決めたり、アシストをしたりすれば、選手として自信がつき、監督やサポーターからも信頼を得られたと思っています。

 自信を持ってピッチに入るのと、不安なままピッチに立つのとでは、少なくとも半分以上はプレーに違いが出ると思っています。それくらい自信とは大きくパフォーマンスに影響を及ぼすものだと思っています」

── 記録だけを見ると、KRCゲンクには1シーズンのみの在籍で、16試合に出場して無得点だっただけに、そこで自信を得たという発言に驚きました。

「KRCゲンクに移籍したときは、自分もまだ年齢的に若く、当時もっとも多くチームで得点を決めていた選手と入れ替わるようにして加入した状況でした。そういう意味で、自分にかかる期待やプレッシャーも大きかった。ストライカーとしてゴールを決められなければ交代させられる機会も多く、苦しんだ時期もありました。

 たしかに数字だけを見れば、大きな結果や満足のいく成績は残せていませんが、サッカーは数字だけに表われないスポーツ。ベルギーでは日々の練習で自信を深めることができ、試合でゴールを決められなくても、アシストができなくても、自信を持ってプレーすることができるようになりました。

 だから、その時期に得られた経験は、今の自分を形成するのに大きな財産になっています」


【プレッシャーを感じることがなくなったら引退】


── プレッシャーに打ち勝つ術(すべ)を身につけた、ということでしょうか?

「年齢が若いときには、プレッシャーとの向き合い方や扱い方がわからず、戸惑った時期もありました。試合が終わったあと、何度も、何度も、繰り返し映像を見て、自分のプレーを振り返り、この場面ではこうすべきだったのではないか、あの場面ではああすればよかったのではないかと、後悔し、考えたこともありました。

 でも、映像を見ても、過ぎたことは変えられないし、取り返すことはできない。ここ数年で、そうした気持ち的な切り替えがうまくできるようになり、徐々にプレッシャーとの向き合い方がうまくできるようになってきたと思います。今も、試合の映像は見返しますが、終わったことは終わったこととして受け入れたうえで、次に生かすために見ています。

 自分の年齢が若い時に、経験のある選手から『過去を振り返るのではなく、顔を上げて前を見ろ』と言われていたのですが、その意味や大切さがようやく理解できるようになってきたと思います。経験は決してお金で買えるものではないので、自分がここまで経験してきたすべてが実となり、プレッシャーに向き合える自分になれたように思います」

── Jリーグ開幕戦では自分で自分にプレッシャーをかけていたと話していましたが、過去の話を聞くと、なおさらメンタル面の成長を知ることができます。

「たしかにそのとおりですね。今季の開幕戦は、今まで自分が経験してきた試合とは大きく状況が異なっていました。

 アントラーズにとって自分が初のヨーロッパ出身選手であるということ、自分にとって8年間プレーしたクラブを離れて迎える初めての公式戦だったということ。特別な心境で迎えただけに、自分で自分にかけたプレッシャーに打ち勝ち、結果を残せたことはうれしく、安堵しました。

 ただし、開幕戦で結果を残したことに満足することなく、その後も結果を残し続けていかなければならいというプレッシャーに、シーズンを通して向き合っていかなければならないと考えています。でも、そうしたプレッシャーを感じることがなくなってしまったら、自分の成長はなく、その時はきっと、サッカー選手を引退する時なのではないかと思います」

(後編につづく)




◆鹿島初の欧州出身選手・チャヴリッチはなぜ日本へ「確信があった。それはもはや愛」(Sportiva)