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2024年9月19日木曜日

◆鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島が魅力的な攻防を展開 古豪同士の対決はなぜ人々の心を打つのか(Sportiva)






 そうした優勝争いに関する興味はともかく、鹿島対広島の対戦は互いに技術の高さと戦術的な駆け引き(広島では川辺の起用法。鹿島なら試合途中でのシステム変更)など、非常に面白い試合だった。そして何よりも、両チームの選手たちの勝利を求める気持ちの強さもひしひしと伝わってきた。


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◆鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島が魅力的な攻防を展開 古豪同士の対決はなぜ人々の心を打つのか(Sportiva)





なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。J1第30節の鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島の上位対決は、両チームが魅力的な攻防を展開。歴史ある古豪同士の対戦だった点も、人々の心を打つ好ゲームになった理由だといいます。


【新加入選手が活躍した広島】


 9月14日に行なわれたJ1リーグ第30節の鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島の試合は、見ごたえのある攻防の末に2対2の引き分けに終わった。

 前節までリーグ戦7連勝で首位に立っていた広島は、代表ウィークの中断期間中には天皇杯全日本選手権とYBCルヴァンカップというふたつのカップ戦でともに敗退が決まった。ただし、これからACL2にも参加する広島にとって試合が過多なのは明らかだった。ふたつの国内カップ戦で敗退したのは、リーグ戦に集中できる環境が整うという意味ではポジティブに捉えることもできる。

 それにしても、広島が毎シーズンのように限られた戦力で、ほとんどターンオーバーを使うことなく夏場の連戦を乗りきる底力には驚かされる。ミヒャエル・スキッベ監督のマネージメント能力によるものなのだろう。

 また、FW大橋祐紀(ブラックバーン)をはじめ、何人もの主力級がシーズン途中でチームを離れたのは大きな懸念材料だったが、新たに加わったMFトルガイ・アルスランが活躍し、そしてさらにFWゴンサロ・パシエンシアも加入。3年ぶりに復帰したMF川辺駿も含めて、非常に効率的な補強をした。

 その、注目のパシエンシアは鹿島戦で初めて起用され、その能力の高さを存分に見せつけた。

 開始直後から広島が猛攻をしかけたが、パシエンシアはターゲットとして前線でしっかりとボールを収め、またDFのマークを外してシュートを狙う......。看板通りの本格的なセンターフォワード(CF)だった。

 しかし、先制ゴールを奪ったのは押し込まれていた鹿島だった。17分にCKから知念慶が決めた。知念は現在ボランチとして起用され、ボール奪取能力の高さを示しているが、川崎フロンターレ時代はFWだった。その片鱗を見せたヘディングシュートだった。

 それでもその2分後、広島もCKからのボールをパシエンシアが落ち着いて頭で決めて同点とし、さらに36分には川辺が左サイドを突破して入れたクロスに松本泰志が合わせて広島が再びリードした。

 広島はふたりのセントラルMFのうち塩谷司を最終ラインの前に配置し、川辺はトップ下を任され、左右に大きく動いて相手のマークから離れてプレーし、攻撃の起点を作っていた。

 こうして前半は両チームがオープンに攻め合う展開となり、広島の攻撃力が上回って2対1のスコアで終えたが、後半に入ると流れが一変する。


【鹿島はシステム変更や若いFWの活躍で引き分けに】


 鹿島のランコ・ポポヴィッチ監督は、「準備してきた」というスリーバックに変更。いわゆるミラーゲームに持ち込んで広島のワイドからの攻撃を封じることに成功した(MFの三竿健斗がスリーバックの一角に入り、攻撃時には中盤に上がるという変則的なスリーバックだ)。

 一方、広島側にとってもミラーゲームになったのは守りやすくなったようで、鹿島もほとんどチャンスを作ることができないまま時間が経過した。リードしている広島にとっては決定機が作れなくても問題はないが、追う立場の鹿島には次第に焦りが出てきたようで、本来ならトップに入ってターゲットとなっているはずのFW鈴木優磨がボールをもらいに中盤まで下がってきてしまう。

 そんな膠着状態を変えたのが、74分に投入された鹿島の17歳のFW徳田誉だった。

 典型的な9番タイプの徳田が前線に入ったことで、鈴木は2列目で幅広く動きながらボールを捌いて、鹿島には攻撃の形ができた。そして、82分、左サイドからのボールを鈴木がつないで、徳田が元日本代表のDF佐々木翔を背負ってボールを受け、反転してそのままシュートを決めて土壇場で鹿島が同点に追いついた。

 徳田には、このあとも2度ほどシュートチャンスがあった。CFとしてずっと期待されていた徳田が、ついにその成長ぶりを大舞台で見せた。

 広島は前半には攻撃力が光ったし、後半は守備の安定感を見せつけた。それに対して、鹿島はシステム変更や若いFWの活躍によってうまく引き分けに持ち込んだ。広島は90分を通して優勢に試合を進めていただけに、後半、より積極的に試合を決めにいくべきだったのかもしれない。

 この引き分けによって、広島は再びFC町田ゼルビアに首位の座を渡してしまったもののチーム力の高さは見せつけた。そして、町田との直接対決(9月28日/エディオンピースウイング広島)も残しているのだから、優勝の可能性は大きい。

 一方、鹿島も土壇場で追いついて得た貴重な勝ち点1によって、僅かながらも逆転優勝の可能性を残すことに成功した。


【先人たちが積み重ねてきた様々な蓄積や記憶がある】


 そうした優勝争いに関する興味はともかく、鹿島対広島の対戦は互いに技術の高さと戦術的な駆け引き(広島では川辺の起用法。鹿島なら試合途中でのシステム変更)など、非常に面白い試合だった。そして何よりも、両チームの選手たちの勝利を求める気持ちの強さもひしひしと伝わってきた。

 まるでミドル級ボクサー同士の撃ち合いのような重量感を感じさせる試合だった。

 こうした重量感のある戦いとなった理由は、両チームの戦力や現在置かれた状況によるのももちろんだが、もう一つ、この試合がオリジナル10の古豪同士の戦いだったこともあるかもしれない。

 この日の広島の引き分けによって再び首位に浮上したFC町田ゼルビアは、今シーズンが初めてのJ1挑戦という"新興勢力"だ。だが、鹿島と広島はJリーグ発足当時からの強豪だった。

 1993年に開幕したJリーグでは、スター軍団のヴェルディ川崎(現、東京ヴェルディ)が絶対王者的な存在であり、最初のシーズンにチャンピオンシップ(1シーズン2ステージ制で各優勝チームが年間王者を争った)でそのV川崎に挑戦したのが鹿島であり、2年目のシーズンの挑戦者が広島だった。

 もちろん、30年前とは選手も監督もクラブ役員やスタッフもほぼ全員が入れ替わってはいるが、たとえば、常にタイトルを追い求めてきた鹿島の伝統は若い選手たちにも、また、今シーズンからチームを率いるセルビア人のランコ・ポポヴィッチ監督にも伝わっている。

 そうした、先人たちが積み重ねてきた様々な蓄積や記憶があるからこそ、伝統あるチーム同士の対決は人々の心を打つのだろう。


【広島のスタートは1938年、鹿島は1947年】


「古豪」という意味では、広島はまさに「古豪中の古豪」と言えるチームだ。

 その前身は東洋工業サッカー部(のちに、マツダサッカークラブ)。1965年に発足した日本サッカーリーグ(JSL)では、初年度から4年連続で優勝。日本のトップリーグでの4連覇は、その後、どのチームも達成していない。GKの船本幸路やDF/MFの小城得達、FWの松本育夫、桑原楽之などは日本代表として東京五輪、メキシコ五輪で活躍した。

 いや、東洋工業の歴史はさらに遡ることができる。創立はなんと第2次世界大戦前の1938年というから驚きだ。日本のサッカー界は大学チームがリードしていた時代で、当時のトップリーグは関東、関西の両大学リーグだった。選手たちは大学を卒業すると引退してしまったり、実業団チームでプレーしながら全日本選手権大会(現在の天皇杯)には大学OBチームに加わって戦うことが多かった。

 そんななかで、東洋工業は実業団チームとして初めて全日本選手権に挑戦を始め、1954年には実業団チームとして初めて決勝進出を果たした(慶応義塾大学と再延長まで戦う死闘の末に敗退)。

 大学の時代から実業団の時代への移行のトップを走ったのが東洋工業であり、そして、実業団の時代からプロの時代への先頭を走ったのが、その後継チームであるサンフレッチェ広島だったのである。

 一方、鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団は、JSLではほとんどの期間を2部で過ごしたので新興チームのように思えるかもしれないが、同好会として発足したのが1947年、正式なサッカー部に"昇格"したのが1956年というから、こちらも歴史の古い老舗実業団チームのひとつである。

 そうした歴史の古い「古豪」と、新興勢力の町田が優勝を争うJ1リーグの優勝争いに注目したい。