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2024年5月1日水曜日

◆パリ五輪OA候補に板倉、冨安、町田、伊藤洋、遠藤らDF陣「世界で勝つため」守備を最重要視(ニッカン)






サッカーU-23日本代表が、パリ五輪出場を決めた場合は24歳以上の特別枠オーバーエージ(OA)最大3枠を行使し、候補にセンターバック(CB)板倉滉(27=ボルシアMG)冨安健洋(25=アーセナル)のA代表レギュラーコンビを挙げていることが29日、分かった。

左サイドバック(SB)もこなせる町田浩樹(26=サンジロワーズ)伊藤洋輝(24=シュツットガルト)もリストアップ。A代表主将のMF遠藤航(31=リバプール)も動向を探る。前線は23歳以下にするプランを模索。強い出場意欲を持つMF久保建英や、昨秋10番を背負った鈴木唯人ら欧州組を本大会は結集させる意向で、五輪メダル56年ぶりの獲得へ交渉を継続する。

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最強ジャパンへ、日本協会は昨年からOA枠の人選を進めてきた。パリ五輪アジア最終予選の結果を待ってからでは遅い。突破と本大会の両にらみで、守備陣を中心に優先順位を議論してきた。大岩剛監督(51)も昨秋の段階で「リストを出さなければいけないタイミングなので、こちらも準備している。我々のウイークはハッキリしている。隠すつもりもない」と行使する意向を明言したほどだ。

関係者によると、CB出身の大岩監督はチームづくりでディフェンスを最重要視。「世界で勝つためには守備」を掲げ、候補としてA代表で不動の板倉と冨安の名が挙がった。前回21年の東京五輪でも活躍した2人は欧州5大リーグの強豪で、より磨かれており、経験が安定感に直結するCBでは日本最上級。指揮官の「皆さんが期待しているような名前は当然リストにある」の言葉とも合致する。

同じ守備陣の町田と伊藤もリストに入っている。ともに左SBを兼務できることが魅力。登録人数が予選の23人から本戦で18人に絞り込まれる中、複数ポジションをこなせるかどうかは近年の五輪で必須要素で、特に町田は鹿島時代に大岩監督の薫陶を受けている。

世界屈指のボランチとなった遠藤を招集する案もある。リバプールで世界屈指の過密日程に向き合う男の選出は容易ではないが、森保ジャパンの主将は今や欧州で顔が利く存在。リオデジャネイロ、東京に続く日本史上初の3大会連続五輪が実現すれば、一気にセンターラインが増強される。東京で吉田麻也がA代表と五輪の主将を兼ねた例もある。

一方、障壁となるのはクラブとの交渉だ。選手の移籍が絡むと難易度が増す。板倉や町田は今夏のビッグクラブ挑戦がささやかれており、招集の拘束力がない五輪に向けて、協会欧州駐在員であるA代表とU-23の各代表担当者がコミュニケーションを取り続けている。

移籍があった場合、選手には新天地の定位置争いが待つ。五輪、W杯の後にクラブで冷遇された例も珍しくない。8年前のリオ五輪では、有力候補だったMF清武弘嗣が欧州リーグ王者のセビリアに移籍。水面下で断られた。遠藤も、今夏はクロップ監督の後任の信頼を勝ち得る立場になる。

東京五輪のOA枠は5月20日に発表された。6月にはOA込みの海外遠征プランがあり、最終予選が異例の5月までずれ込んだ今回は、出場権の獲得と交渉が同時に最終局面を迎える。

○… 攻撃陣は23歳以下のパリ世代を育てる方針という。既にA代表で主力を張る久保は、飛び級で参戦した東京五輪で全6戦に出場して3得点も、メキシコとの3位決定戦に1-3で敗れて号泣した。「次こそメダル」の思いが強く、A代表最優先のため1度も大岩ジャパンには参加できていないが、同じ01年生まれ以降の仲間と雪辱したい構えだ。 協会は3月までのA代表期間中に、久保の意思確認を終えており、結果は出場を希望。大岩監督も「行きたいと本人も言っている。あとはクラブ。理解してくれるかどうか」と明かしており、うわさされるRソシエダードからのビッグクラブ移籍が鍵を握りそうだ。 10番を背負ってきた鈴木唯は、ブレンビーで直近6試合6得点4アシスト。斉藤光毅、三戸舜介のスパルタ組やボルシアMGの福田獅王も含め、今回の最終予選に招集できなかったアタッカー陣を本大会では並べられるよう交渉を進める。





◆パリ五輪OA候補に板倉、冨安、町田、伊藤洋、遠藤らDF陣「世界で勝つため」守備を最重要視(ニッカン)



◆【U23日本代表】鹿島前監督の岩政大樹氏「二枚岩」と呼ばれた名コンビの大岩監督を語る(ニッカン)






<U-23アジア杯カタール大会:日本2-0イラク>◇29日(日本時間30日)◇準決勝◇ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム

【ドーハ(カタール)佐藤成】日本がイラクを2-0と下し、8大会連続12度目のオリンピック(五輪)出場を決めた。パリ五輪アジア最終予選(3・5枠)を兼ねた大会で、前半にFW細谷真大(22=柏レイソル)と荒木遼太郎(22=FC東京)がゴールを奪い、決勝進出を果たした。5月3日の決勝では、インドネシアを2-0と下し、初の五輪切符を手にしたウズベキスタンと対戦する。

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ベトナム1部ハノイFCの岩政大樹監督(42)は、鹿島時代にCBを組んだ大岩監督の人柄を「フラット」と表現した。

「二枚岩」と呼ばれた名コンビとして7シーズンともにプレーした元相棒について「誰かに入り込みすぎるわけでも、離れすぎるわけでもなく、必要なときに必要なことができる人。バランス感覚に優れた人」と言った。

鹿島入団1年目には、外国人ストライカーに対する重心の置き方、体の当て方、タイミングを教えてもらったことをよく覚えている。試合中のフィーリングはピッタリだった。現在も今年1月に新井場徹氏を交えて飲みに行くなど交流はあるが、逐一連絡を取るほど深入りはしてこないという。

その姿勢はチームマネジメントにも表れている。大岩監督自身が「ぼくはあまり(選手)本人たちと話をしないので。もうコーチたちに任せている」と明かすように、選手と「近すぎず遠すぎず」の距離を保って自律・成長を促す。岩政氏はそんな大岩ジャパンを遠目から見て「しっかりとした強固な組織の中で安定感のあるチーム。剛さんらしい」と評した。その上で「オーバーエージも含めて五輪に向けてどのようなチームにしていくのか。そこが個人的には楽しみ。チームってだんだん監督の人間そのままになるので」。





◆【U23日本代表】鹿島前監督の岩政大樹氏「二枚岩」と呼ばれた名コンビの大岩監督を語る(ニッカン)



◆パリ行き決定弾の荒木遼太郎、“自分のプレー”を支えた鹿島時代の先輩からの言葉(ゲキサカ)






[4.29 U23アジア杯準決勝 日本 2-0 イラク ドーハ]

 苦しい時間を乗り越え、日の丸を着けた戦いで実力を見せつけた。U-23日本代表MF荒木遼太郎(FC東京)は、パリオリンピック出場が懸かった試合で大岩剛監督体制初ゴール。「チームに何かしらゴールで貢献したいと思っていた。この試合で決められて本当によかった」と喜びを語った。

 準々決勝では途中出場ながらFW細谷真大(柏)の初ゴールを演出。攻撃的センスを見せ、準決勝で先発入りした。「自分のプレーを出しながら日本のために戦おうと思っていた」(荒木)。1-0で迎えた前半42分、MF藤田譲瑠チマ(シントトロイデン)のパスに華麗な反応。ゴール前で相手GKをかわすような右足シュートでゴールネットを揺らした。

「チマからもらったときにファーストタッチで自分の打ちたいところに置こうと思っていた。そこだけにこだわって、あとはGKを見ながら冷静に流し込んだ」

 大岩剛監督体制には発足当初から参加していた。しかし、鹿島アントラーズで出場機会を失うとともに、代表からも遠ざかった。今シーズンは期限付き加入したFC東京で6試合5ゴールの大活躍。3月の代表活動で2年ぶりに日の丸を着けると、パリ五輪を目指すメンバーに滑り込んだ。

「代表から遠ざかりすぎていた。入ればいいなくらいに思っていた」

 パリ五輪決定の喜びとともに、本音ものぞかせた。「試合に出ない時期もあった。自分のプレーに対して悩んだりもした」。心の支えにした言葉があったという。「周りの先輩たちから自分のプレーをやめるなと、自分にしかないものだからやめるなと言われた」。鹿島所属時に広瀬陸斗(現神戸)や鈴木優磨らから背中を押してもらっていた。

「こうやってこの舞台でもやり続けて、ゴールを決めたり、チャンスメイクはできている。本当にやり続けてよかった」

 代表で充実した時間を過ごしている。「どうせやるんだったら、自分のプレーを出して日本に貢献したい」。日本は8年ぶり2度目の優勝を懸け、5月3日の決勝でウズベキスタンと戦う。荒木は「優勝して日本に明るいニュースを届けたい」と静かに力を込めた。

(取材・文 石川祐介)




◆パリ行き決定弾の荒木遼太郎、“自分のプレー”を支えた鹿島時代の先輩からの言葉(ゲキサカ)





◆パリ五輪出場導いた代表監督・大岩剛という男「長所は強さ」…鹿島時代の恩師・鈴木満氏語る人間性、リーダーシップ(報知)






 日本が8大会連続12度目の五輪出場を決めた。準決勝でイラクに2―0で勝って大会3位以上の条件をクリア。大岩剛監督(51)率いる日本が一枚岩となって、1996年アトランタ五輪から途切れることなく今夏のパリ本大会(サッカーは7月24日開幕)への出場権を獲得した。前半にFW細谷真大(まお、22)=柏=の先制弾、FW荒木遼太郎(22)=FC東京=の今大会初ゴールで加点。守備では無失点でしのいで予選を突破した。3日(日本時間4日)の決勝でアジアの頂点をかけてここまで無敗のウズベキスタンと対戦する。1968年メキシコ五輪銅メダル以来となる五輪でのメダル獲得を目指すUー23日本代表の大岩監督が選手、コーチ、監督として鹿島に在籍した2003~19年に強化責任者を務めていた鈴木満氏(66)=現・鹿島強化アドバイザー、Jリーグフットボール委員=がスポーツ報知の取材に応じ、パリ五輪出場に導いた指揮官の素顔を明かした。(取材・構成=岡島 智哉)

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 10年に鹿島で現役を引退した大岩氏は、翌11年からトップチームのコーチに就いた。鹿島が現役引退直後の選手をコーチとして採用したのは、大岩氏が初めてだった。鈴木氏は、大岩氏の指導者としての適正を見抜いていた。

 「(現役の)最後の方は試合になかなか出られず、悔しさもあったはずだが、剛は出れなくてもチームのために、腐らずに黙々とやっていた。他の若い選手にいい影響を与えていて『これは指導者に向いているな』と思った。指導者としての素質、素養を感じていた」

 6年半ほどコーチを務めた大岩氏を、17年のシーズン途中に監督に昇格させた。

 「剛の指導者としての長所は『強さ』があること。選手に対し、毅然とした態度で強い言葉が言える。1番前に出て引っ張っていくタイプの指導者だと評価していた」

 退任した19年までの3年間は2位、3位、3位。18年にクラブ悲願のACL優勝を果たした。

 「初めての監督業で難しさもあったと思うが、1年目は最終節で勝ってたら優勝していたし、2年目もACLを取った。チームが過渡期でメンバーが変わっていく中、難しい時期をコントロールしながらやってくれた。よくやってくれた」

 その後、日本協会の指導者インストラクターを務めた間、複数のJ1クラブから監督就任のオファーを受けたが固辞。パリ世代の監督就任にあたり、鈴木氏に対して協会から相談があった。鈴木氏は「適任だと思う。すごくいい人選だ」と返答した。21年4月に大岩ジャパンが始動。昨年11月と今年3月の活動に団長として参加した鈴木氏は、大岩氏の成長を感じ取った。

 「ミーティングを聞いていても、抑揚があって、言葉の選び方や話し方がブラッシュアップしていた。『お前、うまくなったな』って言いました(笑)。サッカーの面でもすごく整理されている」

 代表のスタッフからは「剛さんのチームって独特の緊張感があるんですけど、これって鹿島の時からですか?」と聞かれたこともあるという。それは、大岩氏の人間性、リーダーシップによるものだ。

 「あのチームには、鹿島が昔強かった時のような雰囲気がある。距離感が絶妙なんだよね。『仲良しクラブ』じゃなく、(選手やスタッフと)距離を置くってことでもなく、一体感と緊張感を生むため、戦うための集団に必要な要素をうまく取り入れた管理の仕方をしている。剛は人間としての包容力、柔軟性があり、人付き合いもうまいから『仲良しクラブ』じゃない組織の作り方ができる」

 パリ五輪では、1968年メキシコ市五輪以来のメダル獲得を狙うことになる。

 「メダルを期待したい。鹿島の関係者も多いし、団長として合宿にも参加させてもらって思い入れも強い。すごく応援しているし(メダルの)期待に応えられるチームだなと。剛には今回結果を出してもらって、最終的にA代表の監督へ…ってなってほしいなと思います」





◆パリ五輪出場導いた代表監督・大岩剛という男「長所は強さ」…鹿島時代の恩師・鈴木満氏語る人間性、リーダーシップ(報知)