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2024年7月27日土曜日

◆鹿島ポポヴィッチ監督が海外紙でJリーグのあれこれ語る「大分時代…」「日本人選手が進化」「優勝争いの予測など不可能」(超WORLDサッカー!)






「地球上のどこを見渡しても起こり得ないことが、日本では起きてしまう。詰まるところ、Jリーグに絶対的な優位性を持つチームはないということだ。誰もが誰にでも勝つことができるのだ。だから、勝者を予測するなど不可能だ」


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◆鹿島ポポヴィッチ監督が海外紙でJリーグのあれこれ語る「大分時代…」「日本人選手が進化」「優勝争いの予測など不可能」(超WORLDサッカー!)





鹿島アントラーズのランコ・ポポヴィッチ監督が、スペイン『Relevo』のインタビューであれこれ語った。

今季からJ1鹿島を率いるポポヴィッチ監督。

ここまでは、リーグ戦第24節を消化して13勝5分け6敗の3位、YBCルヴァンカップは3回戦敗退、天皇杯は8月開催のラウンド16へ進出…という成績となっている。

Jリーグ5クラブ目の指揮として鹿島を率いるポポヴィッチ監督は、来日当初のサンフレッチェ広島時代(2006〜07年)、Jでの初監督となった大分トリニータ時代(09年)を振り返る。

「私は06年以降、何度か期間を空けながらも日本にいるんだ。最初はミハイロ・ペトロヴィッチのアシスタントコーチとして広島で1年半。ミシャは広島、浦和、札幌で700試合以上指揮を執っているんだよ。彼も私も、オーストリアのシュトゥルム・グラーツでプレーしたという共通点がある」

「その後、UEFAプロコーチ・ライセンスを取得するために欧州へ戻り、09年途中に大分へ監督として向かった。私の就任後だけなら、J1の順位は5位あたりだったんだが…来た時点で14連敗の最下位だったチームを救うことはできなかった。大分が非常に困難な時代だ」

大分での約半年(06年7月〜12月)が、Jリーグでの監督キャリア継続に繋がったとも話す。

「結局、大分はJ2へ降格した。だが、当時大分には日本代表にも呼ばれるような選手が5人いてね。うち4人はまだ若く、私はそこでの仕事が今振り返っても好きだった。『日本人フットボーラーと共に仕事をする』ことのイメージを築けたのは大分時代だ」

「この国の精神性に適応することは不可欠だろう。『ボールは丸い、サッカーはサッカー』と言われるが、ボールに触れるヒトをどう扱うかは別問題だ。監督は心を開かねばならない」

また、2024年現在のJリーグ、日本サッカーについても諸々言及する。

「日本のフットボーラーは進化したね。今やヨーロッパの中枢に日本人選手がたくさんいて、国内に残る選手もヨーロッパでのプレーを目標にしている。今いるチームと個人の目標…バランスをとってもらわねばならないが、正しい方向に進んだとは感じているよ」

「彼らにはそもそもの才能があるからね。それも信じられないほどに。技術的には、世界で最も基礎が伴った国のひとつだろう。自発性に欠けるが、物事がうまくいくと、積極性だって増していく。私は選手たちに『最大の間違いは努力しないこと』と毎日言い聞かせているよ」

「ヨーロッパとJリーグを比較? スポンサーシップの点においてラ・リーガなどと比較することはできないが、それでも強力なリーグだ」

「予算はだいたい3000万〜1億ユーロ(約50億〜167億円)か。国家としてのバックアップが充実していて、もし明日から五輪のような主要大会を開催しろと言われても、釘一本打たずして、それを実現できる国だと思うね」

今季のJ1リーグの優勝争いについては、明言を避けつつ、「なんでも起こりうる」とした。

「地球上のどこを見渡しても起こり得ないことが、日本では起きてしまう。詰まるところ、Jリーグに絶対的な優位性を持つチームはないということだ。誰もが誰にでも勝つことができるのだ。だから、勝者を予測するなど不可能だ」



◆J2山形 鹿島から完全移籍したMF土居聖真が加入会見「8ゴール8アシストを目指したい」(報知)






 鹿島では小笠原満男や野沢拓也などが背負った伝統ある背番号「8」を2015年から着用。山形では鹿島の「8」を超えるような思いを込めた背番号「88」を背負い戦っていく。土居は「チームとしてはもちろんJ2優勝、昇格圏内。個人的には8ゴール8アシストを目指したい」と言葉に力を込め、決意を口にした。

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◆J2山形 鹿島から完全移籍したMF土居聖真が加入会見「8ゴール8アシストを目指したい」(報知)





 J2モンテディオ山形は26日、J1鹿島から完全移籍で獲得したMF土居聖真(32)の加入会見を、天童市内にあるNDソフトスタジアム山形で行った。山形市生まれの土居は「勇気や元気を与えられるプレーを見せたい」と躍動を誓った。

 2005年から鹿島ジュニアユースに加入し、約20年も鹿島一筋で過ごしてきた土居。山形はJ1昇格を目指しながらも今季24試合を消化し、13位と低迷している。“常勝軍団”で経験を培ってきたMFに白羽の矢が立った。

 鹿島では小笠原満男や野沢拓也などが背負った伝統ある背番号「8」を2015年から着用。山形では鹿島の「8」を超えるような思いを込めた背番号「88」を背負い戦っていく。土居は「チームとしてはもちろんJ2優勝、昇格圏内。個人的には8ゴール8アシストを目指したい」と言葉に力を込め、決意を口にした。

 ◆土居 聖真(どい・しょうま)1992年5月21日、山形市生まれ。32歳。山形県にある中山町立長崎小学校を卒業後、鹿島ジュニアユースに加入。ユースを経て2011年にトップチームに昇格。15年からクラブ伝統の背番号「8」を着用し、16年のJ1と天皇杯の2冠に貢献。J1通算332試合出場52得点。代表通算2試合0得点。172センチ、63キロ。利き足は右。



◆山形に電撃移籍が決まった鹿島の土居聖真 背景には山形の並外れた熱意があった(報知)






 移籍成立の背景には、山形の並々ならぬ熱意があった。土居は、鹿島との契約が来季以降も残っており、獲得には多額の移籍金がかかる。J2クラブとしては社運をかけた額だが、J1昇格へ向けた切り札として完全移籍、複数年契約でオファーした。山形で強化を担う丹治祥庸GMは仙台在籍時、鹿島からFW柳沢敦、MF野沢拓也を獲得した経験があり、鹿島で主軸を務めた選手がもたらす効果を含めて体感していたことが、オファーへの後押しになったようだ。


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◆山形に電撃移籍が決まった鹿島の土居聖真 背景には山形の並外れた熱意があった(報知)





 鹿島のMF土居聖真(32)がJ2山形に完全移籍することが25日、両クラブから発表された。鹿島のジュニアユースに加入してから約20年のワンクラブマンで、今季J1上位につける鹿島では24試合で11試合(先発3)に出場していた。故郷のクラブとはいえ、試合に絡むJ1上位クラブの選手がシーズン途中、J2クラブに移籍するのは異例と言えるだろう。

 移籍成立の背景には、山形の並々ならぬ熱意があった。土居は、鹿島との契約が来季以降も残っており、獲得には多額の移籍金がかかる。J2クラブとしては社運をかけた額だが、J1昇格へ向けた切り札として完全移籍、複数年契約でオファーした。山形で強化を担う丹治祥庸GMは仙台在籍時、鹿島からFW柳沢敦、MF野沢拓也を獲得した経験があり、鹿島で主軸を務めた選手がもたらす効果を含めて体感していたことが、オファーへの後押しになったようだ。

 「アントラーズは人生そのもの」とコメントしたように、移籍は頭になかった土居も、その熱意に真剣に向き合った。フィジカル的な要素を求められるサッカーへの適応に苦心し、ここ数年は出場機会を減らしていく現状があった。山形が、得意とするトップ下を採用している点も魅力だった。鹿島ユースの先輩で、目標としている野沢が仙台移籍後、鹿島在籍時とは違う立場で活躍し、長く現役を続けた。ピッチ内外で戦力として考えていた鹿島のフロントから強く慰留されたが、土居は最終的には移籍の道を選んだ。

 これまでも出場機会に恵まれない時期はあった。今から5~6年前には同期の柴崎岳、昌子源に続く形で、海外クラブからのオファーを受けた。国内の移籍市場が開くたびに、多くの国内ライバルクラブから獲得の打診が届いた。そのたびに取材に行ったが、答えはいつも同じ。「移籍は考えてないよ。俺はアントラーズで育った選手だから」。基本的にはクラブから提示される契約をそのまま受け入れた。