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2015年3月26日木曜日

◆指導者として追求する自分の考え 柳沢敦が語るキャリアと未来<後編>(Sportiva)


http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2015/columndtl/201503210003-spnavi

約8年ぶりに鹿島へ復帰



 2014年シーズン終了2日前の12月4日、現役引退が発表された時点で、柳沢敦の今後の身の振り方は一切決まっていなかった。彼自身は「いったんリセットする意味でも頭の中も体も休ませたい」という気持ちが強く、年内は取材活動もほとんど受けずにいた。

 その柳沢が古巣・鹿島アントラーズのトップチームのコーチに就任するという情報が流れたのが1月5日。「まずは約8年ぶりに鹿島アントラーズの一員になれたことに大きな喜びを感じています。19年の選手キャリアを経て、プロとして第一歩を踏み出したクラブに戻り、指導者として新たなキャリアをスタートできることを大変光栄に思います。立場や役割は大きく変わりますが、チームに貢献したいという気持ちは何一つ変わりません。今までの経験を生かし、コーチとして全力でチームをサポートしていきたいと考えていますので、よろしくお願いします」というコメントが鹿島の公式HPで発表されたが、同じタイミングで引退したかつての盟友・中田浩二(現鹿島CRO、クラブ・リレーションズ・オフィサー)とともに恩のあるクラブを支えていけることに新たなエネルギーを感じたことだろう。

 コーチ就任から2カ月半。トニーニョ・セレーゾ監督の下で指導者としての一歩を踏み出した柳沢は、練習中にボールを出したり、メモを取ったり、選手を盛り上げたりと日夜格闘している。そんな現状を本人に聞いた。

自分の時間はほとんどない状態



――コーチ就任後、生活はどう変わりましたか?

 生活面は練習があって、休みがあってという部分は選手と変わらないんですけれど、役割が変わったところは大きな変化。終わった後も少し自分の作業をする感じで、自分の時間は選手の時に比べるとほとんどない状態ですね。慣れるのに少し時間がかかったかなという感じ。いろんなことに気付いていかないといけないし、まだ勉強が始まったところだと思っています。

――選手のデータ管理もしているんですか?

 それはまだです。チームとして管理しているので。コーチにはそれぞれの担当、役割があるんですけれど、僕自身は今は見習いというか、見て勉強する立場ですね。まだスカウティングにも参加していません。スカウティング担当がいるので、話を聞いて、自分の中で整理するくらいです。

――長年、一緒にプレーしていた小笠原満男選手や本山雅志選手らとの距離感は難しいのでは?

 距離感はちゃんと保ちながらやっています。もちろんコーチになったからといって、突然、人間関係がガラッと変わるわけではないし、今までのつき合いとか人間関係もありますから。ただ、選手とコーチの立場というのはお互いに理解しているつもりです。

自分の考えを作っていかないといけない



――今シーズンの鹿島はAFCチャンピオンズリーグ序盤で連敗し、J1も開幕2連敗と苦境が続いています(編注:取材当時)。柳沢コーチはどんな声をかけるのですか?

 具体的な声はかけてないんですけれど、こういう時こそ前向きにしないとどうしようもない。試合が詰まっていて、リセットする時間もない状況で次から次へと試合が来てしまう。本当に難しいと思うんですけれど、終わったことはどうしようもない。次の試合に向けて前向きな気持ちでいけるようにすることはコーチとして大事かなと思います。

――セレーゾ監督はチームが厳しい時、どんなチームマネジメントをするのですか?

 普段と変わらずですね。セレーゾ監督は良い時も悪い時も求めるものが変わらない。勝ってないから何かするってことじゃないのかなと見ていて思います。そのスタンスは自分の選手時代から変わらないですね。

――セレーゾ監督から学ぶことは多いと思いますが?

 セレーゾがどういうことを求めているのかは見ていて一番考えるところかな。選手時代には聞けなかった部分をコーチになってから聞けるようになったのは大きいです。例えば、「選手にはこれはわざと言わなくていい」とか、言っていいこととよくないことの判断がセレーゾの中にあるみたいなので、そこは選手時代は聞けなかった部分。指導者によってその部分は違うと思うので、見ていて勉強になりますね。

――柳沢コーチは今まで富山第一高校の長峰俊之監督や(ヘスス・)ロドリゲスコーチ、鹿島加入当時の監督だったジョアン・カルロス、日本代表の(フィリップ・)トルシエやジーコなど、さまざまな指揮官の下でプレーしました。自分の理想の指導者像をこれからどう追求していくのでしょうか?

 やっぱり選手の時もそうですけれど、まねごとじゃダメなのかなと。自分のしっかりとした考えというのを作っていかないといけないと思いますね。これまで指導を受けた監督はみんなインパクトありましたよ(笑)。選手時代には分からない部分もあったけれど、それぞれに良さがあった。そういう経験を踏まえたうえで、自分っていうものを作っていかなければいけない。指導者として追求していかなければいけない部分があるのかなと思います。

「もう2度と戻れないのかな」と思った



――引退前から指導者になろうと考えていたんですか?

 いや。思ってなかったです。

――引退発表直後は「とにかく休もう」と思っていたんですよね?

 そうですね。だけど、改めて鹿島から話をもらって、そういう気持ちが湧いてきた。コーチをやりたいという気持ちがね。

――強化本部長の鈴木満さんも昨季最終節(12月6日)・サガン鳥栖戦の後に「いずれヤナギ(柳沢)も戻さなきゃいけない」と言っていました。鹿島に帰ることは頭の中で思い描いていましたか?

 いや。出ていく時には「もう2度と戻れないのかな」っていう思いがありました。そのくらいの覚悟を持って自分自身、ここを離れた。そんな自分がこういう形でもう1回、チャンスをもらうことができた。もちろん選手として呼ばれるのが理想でした。それがかなわなかったのは残念なんですけれど、新たなスタートを切るにあたっては、ここ(鹿島)でプロサッカー人生を始めて、良いサッカー人生を送らせてもらったので、次の人生もまたここからスタートできれば最高かなと。それで決めましたね。

――みんな喜んで迎えてくれたのでは?

 そうならいいんですけどね(笑)。でも、戻って来た時には「お帰り」ってみんなが声をかけてくれて、本当にうれしかった。「本当に戻ってきたんだな」って気持ちになりましたね。

指導者として力をつけることが大事



――コーチとしての新たな人生を踏み出したわけですが、この先の自分が目指すところは?

 まず自分自身が第2の人生でしっかりと成長して力をつけることが大事。自分の今までの経験を伝えていけるような存在になれればと思います。

――最終的には監督として勝負したい?

 今はそこまではいかないですけど(苦笑)。とにかく指導する場を与えてもらって自分がどう感じるか……。そういうふうに思えば、監督という方向を目指していくだろうし。鹿島の先輩たちも監督になっている人が多いけれど、まず監督になれたこと自体が僕からしたらすごいなと思う。それだけの能力を持った人たちだというのも間違いない。なおかつ結果を出すことがより一層、大変なことなんだろうなと想像できますね。

――いつか「宮本恒靖監督、柳沢敦ヘッドコーチ」といった02年日韓ワールドカップ経験者がけん引する日本代表チームが見られるんですかね?

 ……(笑)。とにかくしっかり努力して力をつけないと。僕の指導者としての力はまだ初心者レベル。JFAの公認指導者ライセンスは今まだB級で、これからA級、S級とより高いものを取っていかないといけない。今、ここでいろいろ経験して、そこからですね。上のライセンスを取る準備はしていかなければいけないと思っています。

――FWとして紆余(うよ)曲折を経験し、世界レベルを体感してきた人として、優れたFWを育てることが柳沢コーチの重要な仕事になるのでは? 岡崎慎司(マインツ05/ドイツ)選手みたいなFWは1つの完成形ですか?

 彼はオフ・ザ・ボールも素晴らしい。それとゴール前の泥臭さも兼ね備えた素晴らしいFWだと思います。そういう選手を育てられるように僕も頑張ります。