ページ

2015年11月3日火曜日

◆何度でも甦る鹿島、ナビスコ杯優勝。 2年間の世代交代が実り、黄金期へ。(Number Web)


http://number.bunshun.jp/articles/-/824457



 キャプテンの小笠原満男が貴賓席の前で優勝カップを掲げ、ゴール裏を真紅に染めたサポーターが咆哮する――。まるでデジャヴのような、すっかり見慣れた光景だった。

 それもそのはず、2006年のナビスコカップ決勝でジェフ千葉に敗れて以降、昨年までの8年間で鹿島アントラーズはカップ戦(ナビスコカップと天皇杯)決勝の舞台に4度立っているが、そのすべてで戴冠し、今年のナビスコカップのタイトルも掴んでみせた。

 ファイナルの戦い方を熟知しているチーム――。わずか2シーズン、タイトルを掴めなかっただけで大問題となる、常勝チームたるゆえんだろう。

 浦和レッズを下した'11年のナビスコカップ決勝でも、清水エスパルスを振り切った'12年の同決勝でも、際立ったのは、相手の出方を見定め臨機応変に戦って勝負を決める老獪さだった。

 だが、この日の鹿島は、ひと味違った。

 序盤からガンバ大阪に息つく暇を与えぬ怒涛のラッシュを仕掛ける姿は、チャレンジャーの挑戦を受けて立つ王者ではなく、チャンピオンに戦いを挑む挑戦者のようだった。

宇佐美までも守備に対応せざるを得ない状況に。

 その点で、相手が昨シーズンの三冠王者であるG大阪だったことも、鹿島にとってプラスに働いたのかもしれない。「予想以上に攻め込まれ、多少なりともビビってしまって、本来のガンバらしいサッカーができなかった」とは歴戦の雄、G大阪の元日本代表MF今野泰幸の弁。鹿島の攻撃には王者をひるませるほどの迫力があった。

 G大阪のカウンター封じも完璧だった。

 右サイドバックの西大伍が強気の姿勢でポジショニングを高く取り、右サイドハーフの遠藤康とともにサイドで主導権を握る。そこにFWの金崎夢生も流れていくから、G大阪は左サイドバックの藤春廣輝だけでなく、左サイドハーフの宇佐美貴史までもが守備に対応せざるを得なかった。右サイドからの崩しのキーマンとなった遠藤康が振り返る。

「試合前から意識していたわけではないですけど、あれだけ守備に戻れば、宇佐美は攻撃にパワーを使えなくなるので、これは有効だなと思ってプレーしていました」

 こうしてG大阪の1トップ、パトリックを前線で孤立させると、センターバックの昌子源とファン・ソッコが激しくマークし、ボールを収めさせなかった。

13年ぶり2度目のMVPに輝いた小笠原。

 もちろん、独特のリズムでG大阪DFを撹乱した中村充孝、巧みにボールを引き出し、G大阪DF陣の脅威となった金崎、赤崎秀平の2トップの働きも見逃せないが、ひと際輝いていたのがこの日、13年ぶり2度目のMVPに輝いた小笠原だった。

 セカンドボールを何度も拾えば、狙いすまして遠藤保仁やパトリックからボールを奪い取り、ゴール前まで飛び出していく。

 ピッチ上の誰よりもタイトルを手にしてきたはずの男が、ピッチ上の誰よりもタイトルを渇望しているように見えた。

 前半のシュート数は12対2。決定機の数は5対0。これだけ押し込みながら得点を奪えなければ、サッカーの神様にそっぽを向かれてしまうものだ。

 実際、後半の立ち上がりは、パトリックと宇佐美にフィニッシュまで持ち込まれ、試合の流れがG大阪に傾きつつあるかに思われた。

 だが、鹿島はやはり老獪だった。そして、流れを引き戻したのも、小笠原だった。

 小笠原の右足から放たれた2本のCK。1本目はゴール正面に飛び込んだファン・ソッコが頭で合わせ、2点目はファーサイドで鈴木優磨が折り返し、金崎が頭で押し込んだ。 

 その後、途中出場のカイオが右足で豪快に蹴り込み、最終スコアは3-0。鹿島が隙を見せることは、最後までなかった。「本当に叩きのめされた。まったくと言っていいほど何もできなかった」と、今野も脱帽するしかなかった。

第1ステージと打って変わっての快勝。

 それにしても、第1ステージを一度も連勝することなく中位で終え、シーズン途中でトニーニョ・セレーゾ前監督の解任に踏み切ったのは、わずか3カ月ほど前のことだ。その頃、チームは間違いなく危機的状況を迎えていたはずだった。

 ところが、どうだろう。第2ステージでは優勝争いを繰り広げ、3年ぶりとなるタイトルまで勝ち取ってしまった。

 この復活劇を考えたとき、“戦う姿勢”と“自主性”を選手に取り戻させた石井正忠新監督の指導力も見逃せないが、浮かび上がるのは計画的なチーム作りとリカバリー力だ。

タイトル狙いと育成の割合。

「'13、'14年は若手を徹底的に鍛えてくれ、ってセレーゾにはリクエストしていたんだ」

 そう明かすのは、'96年から鹿島の強化における最高責任者を務める鈴木満氏である。

「うちのように若い選手を育てていこうとすると、どうしても波が出てくる。だから、『今勝つ』というのが大前提だけど、その上で3年後も意識しながらチーム編成を考える必要がある。例えば、100%タイトルを狙いにいくシーズンと、タイトル30、育成70の割合で臨むシーズンと、チーム状況によって重きを置くものの割合を変化させている」

 育成を重視すれば、我慢しなければならない部分も出てくる。それでも、あえてそうした時期を設けなければ、チームは未来に向かって回っていかない。

 まさに'13、'14年は世代交代が重要事項だった。そのため、若手の指導に定評のあるトニーニョ・セレーゾを招聘した。その結果、この2年間は無冠に終わったものの、世代交代が推し進められ、'14年は最終節で勝っていればリーグ優勝の可能性もあった3位でシーズンを終えた。

「タイトルを獲ってくれ、お前にとってもチャンスだよ」

 そこで'15年はいよいよタイトルを狙うシーズンとなる、はずだった。ところが、指揮官が若手の成長を信じ切れていなかったという。

「まだまだ教え足りないという感じで教えすぎて、選手の自主性が薄れている感じがした。あと、固定観念にとらわれすぎて、起用も硬直化していた。このままでは同じことが続くだろうから、決断するしかないなと」

 ここで次の一手をすぐに打てるのが、鹿島の真骨頂だろう。後任としてヘッドコーチ(当時)の石井を指名したのは、あくまでもタイトル獲得にこだわったからである。

「チームを知り尽くしていたし、ミーティングでも『主体性が大事』という発言をしていた。それに、外から監督を招いて意見交換をしていたら、第2ステージが終わってしまう。だから、石井に託したのは立て直しではなく、タイトル。『タイトルを獲ってくれ、お前にとってもチャンスだよ』と」

 実は、石井はシーズン終了後、コーチから監督に転身する予定だったという。

「うちになるか、外になるか分からないけど、そろそろ監督になるタイミングだと思っていた。だから、石井にもシーズン前『コーチは今年が最後だよ』って話していたんだ」

 予定より半年早い監督デビューとなったが、満を持しての登用でもあったのだ。

「満男が戻って、鹿島は変わった」

 オズワルド・オリヴェイラ体制の1年目の'07年。夏に小笠原がイタリアのメッシーナから復帰すると、鹿島はシーズン終盤に破竹の9連勝を飾り、J1逆転優勝を成し遂げた。

 その数日後、鹿島の元キャプテン、本田泰人からこんな話を聞いたことがある。

「『本田さんたちがよく『チームのために』って言っていたことの意味がようやく理解できるようになりました』って、満男が言うんだ。イタリアで試合に出られなくて、いろいろ思うところがあったんだろうね。帰ってきてからの満男はチームのために走り、周りを鼓舞し、戦っていた。満男が戻って、鹿島は変わったと思う」

 自身のプレーだけに集中しがちだった小笠原の意識が変わり、鹿島は'02年以来、5年ぶりとなるタイトルを手に入れた。タイトル獲得に足りなかった“何か”を埋めたのは、小笠原が放った強烈なリーダーシップだったと本田に説かれ、納得したものだった。

 小笠原にとってのきっかけがイタリアでの不遇ならば、鹿島の若い選手たちにとってのきっかけは、2年間の無冠とシーズン途中での監督交代を乗り越えて掴んだ今回のタイトルかもしれない。

世代交代を乗り越えて、黄金期が始まる。

「今日も満男さんは本当に球際で強く、MVPをもらうのも当然のレベルだったと思いますし、ソガさん(曽ヶ端準)ももちろん、モトさん(本山雅志)もベンチから声を掛けてくれて、ああいう先輩の背中を見て学ぶことが多いので、まだまだ現役を続けてほしいと思います。本当に'79年組は偉大だなと思います」

 22歳の昌子の言葉には尊敬の念が込められていたが、その'79年組も栄光とタイトルだけに彩られてきたわけではない。小笠原がひと言、ひと言、噛みしめるように言う。

「俺らだって、いい思いばかりしてきたわけじゃない。チームでも代表でも悔しい思いをしてきた。そういうのを経験して、若い頃にはなかったもの、この年齢になって見えてきたものがある」

 また、キャプテンはこうも言った。

「ひとつ取っただけで満足してもらっては困る。僕はまた優勝したいっていう気持ちなので、みんなもそういう気持ちであってほしい」

 まだまだタイトルへの渇望に陰りのないベテランと、主力として堂々と戦い、タイトルの味を知った若者たち――。

 これまで鹿島は世代交代を乗り越えたあと、黄金期を築いてきた。

 今回のタイトル獲得が、もう何度目にもなる鹿島の黄金期の始まりになるということを、歴史は教えてくれている。