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2016年1月15日金曜日
◆“モノノフ”植田に謎の大声援? 北朝鮮サポのコールに応える獅子奮迅の活躍(サッカーキング)
http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20160114/391287.html
バックスタンドに整然と居並ぶ紅白帽の集団が放つ存在感は、小さなスタジアムにおいて抜きん出たものがあった。12日にカタールのドーハで行われた、リオデジャネイロ・オリンピックのアジア最終予選を兼ねるAFC U-23選手権の初戦。日本と対峙した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側のスタンドでは、統制された迫力ある応援が継続されていた。相手が何を言っているのかは分からずとも、日本の選手が圧力を感じるには十分な声量と異物感がそこにはあった。後半、そんな彼らから大音量の奇妙な声援が聞こえてきた。
「ウ・エ・ダ! ウ・エ・ダ! ウ・エ・ダ!」
……ウエダ? 植田???
もちろん、違う言葉を言っているのだろうけれど、ひたすら放り込まれてくる相手のハイボールに対して獅子奮迅の働きで跳ね返し続ける日本のセンターバックが見せる働きぶりがマッチして、植田直通(鹿島アントラーズ)への声援にしか聞こえない。北朝鮮応援団が色とりどりのサイリウム(蛍光ペンライト)を振っていたこともあり、その様子は植田が大ファンということで知られる『ももいろクローバーZ』のコンサートのよう。
「いや、僕も(植田コールには)驚きました。プレッシャーを与えているのかな、と(笑)」
本人もそう苦笑するしかない熱烈応援(?)を受けながら植田のボルテージは自然と高まり、北朝鮮の攻撃はシャットアウトされていった。長らく「アジアではよくある」(植田)ロングボール攻撃を苦手としてきた日本だが、植田の存在感がその悪しき伝統を打ち砕いた。そういう表現さえできるゲームだった。「跳ね返すだけだった」と本人は言うが、その「跳ね返す」ことを確実にできることが、どれほど頼もしかったことか。
もっとも、ここに至るまでに植田が通ってきた道は平坦ではなかった。そもそもこの試合では先発自体が危うかったのだ。所属の鹿島では監督交替の影響もあり、昨シーズン途中から急速に出場機会を失った。本人の向上心がそれで折れることはなかったが、実戦の機会減少によって試合勘を失ってパフォーマンスが落ちていくのは選手として避けられないこと。五輪代表の合宿に来ても、手倉森監督が首をひねるような内容が続いていた。
大会直前の練習試合でも植田は先発しているのだが、この時の様子を見て手倉森監督はある決断を下していたようでもある。植田を先発から外し、奈良竜樹(川崎フロンターレ)をセンターバックの一角に抜擢することを考えていた。実際、北朝鮮戦前日の紅白戦では、レギュラー組と思われるメンバーに当初、岩波拓也に加えて奈良が入っており、植田の姿はなかった。「直前まで植田ではなく、奈良を先発させるつもりだった」と手倉森監督も率直に認める。
ただ、何か指揮官の中で何かしっくり来ないものがあったのだろう。直感だったのかもしれない。紅白戦の途中から植田は奈良に代わって先発組に復帰。そのまま最後までプレーし、何事もなかったかのように翌日の先発リストに名を連ねることとなった。
そして北朝鮮戦、植田は本番に強い持ち前のメンタリティーを見せた。「みんな緊張していたようだった」と言いつつ、当の本人は良くも悪くも“植田直通”だった。監督から「らしくない」と評されるようなプレーをする主力選手が続出した試合にあって、良いプレーも「植田らしく」、悪いプレーも「植田らしい」、普段着のパフォーマンスを見せ続けた。
開始5分の先制点は相手守備陣のミスでもあったが、あれほど落ち着いてインサイドのボレーシュートで合わせることができたのは、そうした普段着のメンタリティーで試合に入れていたからこそ。この試合で見せた心身両面の「植田らしさ」は、やはり彼がアジアの戦いを勝ち抜いていく上で必要不可欠なタレントであることを、指揮官とサポーターの双方に感じさせたのではないか。
いつもより少しだけ饒舌に、それでもやっぱり言葉少なにミックスゾーンで言葉を紡いだ植田は、「難しい試合をしてしまったが、これが次に生きてくる」と短く結んだ。日本の初戦は勝ったこと以外に褒めるのが難しいような試合内容となってしまったが、しかし光明のない試合では決してなかった。
文=川端暁彦