ページ

2016年4月14日木曜日

◆左足骨折、右膝靱帯も痛め…鹿島土居が苦難超え復帰(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/column/writers/news/1631023.html

 鹿島MF土居聖真(23)が帰ってきた。10日のJ1、ホーム広島戦。今季初先発となった一戦で、前半8分に先制ゴールを決めた。右サイドでDF西からの縦パスを受けて反転し、広島DF水本をかわす。ペナルティーエリアに持ち込むと、左サイドのMF中村へラストパス。DF塩谷にはね返されたが、クリアボールを右足でトラップ。浮いて落下した球に右足を合わせ、日本代表経験のあるGK林の左脇を射抜いた。

 決めた瞬間、天を仰いで顔を覆った。「コースとか考えず、思いっ切り、蹴っ飛ばしました」。途中出場だった前節2日の川崎F戦は、後半22分と32分にキックミスで決定機を外していた。決めれば勝っていた-。そして今節、首位に立つことができた-。その後悔、さらには半年前の大けがが胸に去来していた。

 昨年10月3日。リーグのアウェー神戸戦で相手GKに左足を踏まれ、負傷交代。試合後は「もう治った」と冗談を飛ばして会場を後にしたが、精密検査で左第2中足骨の骨折と判明した。チーム医師から、復帰まで3カ月と告げられた。

 その後も失意は続く。昨季は棒に振ったが、もし元日の天皇杯決勝まで勝ち進めば復帰は可能だった。しかし、骨折の診断から6日後、チームは3回戦で敗退してしまう。同期のDF昌子源は「リハビリしていた(土居)聖真の目標をなくしてしまった。その分、聖真が予選で活躍したナビスコカップを贈りたい」と優勝を誓い、同月末のナビスコ杯を制した。素直には喜べなかった。土居にとって11年の入団後3度目の優勝だったが、前2回に続き、またもピッチに立てなかった。リーグ3連覇の主軸だったMF野沢拓也(現仙台)から背番号「8」を受け継いだシーズンでもあり、同じように、ピッチ上でタイトル獲得に貢献することを目標にしてきた。それが何一つ遂げられなかった。

 年が明け、今度は宮崎キャンプ中に右膝の靱帯(じんたい)を痛めてしまう。ニューイヤー杯を含めたプレシーズンマッチ全5試合を欠場。リーグの開幕2戦も出番がなかった。第3節のアウェー仙台戦で161日ぶりに復帰したが、今季初黒星を喫した。入団6年目。苦難が一気に襲いかかったような半年間だった。

 土居 サッカーしたくてもできない。ボールに触れない。すごく嫌いな筋トレもしなきゃいけない。クラブハウスにいても一緒にはプレーできない。白線(サイドライン)を越えるか越えないかは大きな違い。正直に言って、いいことなんて、けがして1つもないと思った。けがする前の自分には戻れないとも言われました。そうグジグジ言いながらも、治った時は、何も怖いものがなくなった。どん底だった時期の生活に比べたら、何が起きようが「小っちぇことだな」って。

 リハビリ中は、鹿島OBのシャルケDF内田篤人とも汗を流した。「メンタルが強くなったと思うし、嫌いだった筋トレも好きに…なりましたね」と苦笑いしつつ「篤人さんとも、やってるうちにランナーズハイみたいに気持ち良くなってきて。『もっともっともっと、もっと上げられる、もっといける、もっと重いのちょうだい』と。おかしくなってました、好きでもないのに」と、また笑った。

 そして、負傷から190日後の広島戦で復活の先制ゴールを決めた。1度は追いつかれたため決勝点こそ同期のMF柴崎岳に譲ったが、約8カ月半ぶりのフル出場。4-1の大勝に貢献すると感情があふれ出た。「復帰して点を決められた時、どんな感情が沸いてくるのかなと想像していた。涙は出なかったけど、心では、もう、泣いていましたね」。あとは、成し遂げられていないピッチ上でのタイトル獲得へ、ここから突き進んでいく。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場も、2年時に後十字靱帯(じんたい)を断裂(全治3カ月)した影響? で最後まで輝けず。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経てスポーツ部。鹿島、U-23代表を担当。