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2017年9月16日土曜日
◇優しき脳外科医が描く、壮大な“仕返し計画” 小山記念病院・脳神経外科部長の河合拓也さん(zakzak)
★小山記念病院 脳神経外科部長 河合拓也さん(41)
茨城県のJR鹿島神宮駅のホームから見える小高い丘の上に立つ小山記念病院は、サッカーJリーグ鹿島アントラーズの本拠地、同県鹿嶋市を代表する市の基幹病院。同市を中心に県南東部に広がる「鹿行地域」(鉾田市、神栖市、潮来市、行方市、香取市)のほか、稲敷市や千葉県香取市までを医療圏とし、14の診療科と224の病床でカバーしている。
ここの脳神経外科部長の河合拓也医師は、中学から大学までラグビーで蓄えた体力を武器に、激務をこなす巨漢ドクター。
「小学生の頃、かわいがってくれていた父の親友が、交通事故で急死したんです。その時から“生きるって何だろう”と考えるようになり、人の生死に関わる仕事に興味を持つようになりました」
もう一つ理由がある。当時イジメに遭っていた時に、担任教師から言われた言葉だ。
「仕返しをすればいい。ただ、“殴る”以外の手段があるんじゃないか?」
そこで河合少年は考えた。医師になって、イジメた相手がいつか病気になった時に治してあげて、「ありがとう」と礼を言わせてやろう-と。
壮大な仕返し計画の実現に向けて猛勉強をして医学部を卒業。数ある診療科の中から「忙しそう」という理由で脳神経外科を専門に選んだ。
「忙しいほうが性に合っているんです」と笑いながら、目の前の仕事を片端から手を抜くことなく片付けていく。あえて専門性を追求せず、“オールマイティーに診療できる脳外科医”を目指してきたことが、今の職場で役立っている。
救急車で運ばれてくる脳卒中も診れば、めまいや片頭痛も診る。月20件以上の手術もすれば、高齢者施設にも行く。まさに八面六臂(ろっぴ)の活躍ぶりだ。
「若い頃に思い描いていた仕事ができていると思います」と満足そうに笑う。
「心掛けているのは“オープンドア”。いつでも扉を開けておいて、出入り自由の診療スタイルがモットー」と語る河合医師。
いじめられっ子だったからこそ持つ繊細さと優しさを、医療という形で地域に還元する河合医師。市民にとって、これほど頼りになる存在もない。 (長田昭二)
■河合拓也(かわい・たくや) 1976年、山梨県山梨市生まれ。2001年、杏林大学医学部卒業。同大医学部脳神経外科入局。同大学病院、公立阿伎留病院(現公立阿伎留医療センター)等に勤務を経て、13年より現職。日本脳神経外科学会、日本神経内視鏡学会専門医。趣味は「『ガチャガチャ』のおもちゃやおまけを集めること」
優しき脳外科医が描く、壮大な“仕返し計画” 小山記念病院・脳神経外科部長の河合拓也さん