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2018年2月24日土曜日

◆【コラム】内田篤人、ここに帰還…使命は愛する鹿島を“日本のバイエルン”に(サッカーキング)




 心の奥深くに封印している思いに触れられたからだろうか。日本代表への復帰に関する質問が続いた直後、鹿島アントラーズのDF内田篤人はほんの一瞬ながら語気を強めた。

「よく言われるんですけど、代表にはだいぶ入っていないので。僕が言える立場でもないので、鹿島に戻ってきたからには鹿島で一生懸命やります」

 愛着深い深紅のユニフォームに袖を通し、自身の象徴でもあった「2番」を背負い、慣れ親しんだ茨城県立カシマサッカースタジアムのピッチで7年9カ月ぶりに躍動した、14日の上海緑地申花(中国)とのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループリーグ初戦を戦い終えた後のひとコマだった。

 右サイドバックとして先発した内田は、1-1のドローを告げる主審のホイッスルもピッチの上で聞いた。鹿島復帰後では初めてのフル出場。時計の針をさらに逆回転させていくと、90分間のプレーはブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリン所属だった、昨年9月19日のSVザントハウゼン戦以来となる。

「体もそんなに重くなかった。見ているみんなはどう思っているか分かりませんけど、僕はどんどん良くなっている、という気がします。コンビネーションもそうだけど、自分自身のゲーム体力とかボールタッチというのはある程度戻ってきている。ただ、僕の場合は1試合だけじゃ復帰だなんて言えないからね」

 後半アディショナルタイムにはFW鈴木優磨へクサビのパスを入れて、そのまま相手ペナルティーエリア内へスプリント。相手GKの美技に防がれたものの、鈴木が落としたパスにダイレクトで右足を振り抜き、強烈なシュートも放ってみせた。


 試合終了間際になっても落ちないスタミナ。何よりも長期にわたって戦列から離れる原因にもなっていた、右ひざへの不安を微塵にも感じさせないシーンだった。そこへ今年がワールドカップイヤーということも相まって、代表復帰に関する質問が飛んだ。

「よく聞かれますけど、代表に全然入っていないので。今は鹿島で勝ち点を積み重ねることしか考えていませんし、それができるチームだと思っているので。鹿島のためにしっかり働きます」

 この言葉の直後に、「鹿島での活躍の先に代表がある?」という質問が飛んだ。そして、冒頭で記したように、内田の声のトーンがちょっとだけ上がった。

 もっとも、ワールドカップ・アジア予選を戦う上で、AFC(アジアサッカー連盟)への提出が義務づけられた予備登録選手の中に、内田はシャルケでプレーしていた時から名前を連ね続けていた。

 実際、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の初陣だった15年3月27日のチュニジア代表戦(大分銀行ドーム)で、84分から酒井宏樹(マルセイユ)に代わって途中出場。4日後のウズベキスタン代表戦(味の素スタジアム)では、先発出場を果たしている。

 もっとも、前半で退いたウズベキスタン戦が現時点において、内田が日本代表としてプレーした最後の試合となっている。以前から痛めていた右ひざの膝蓋腱に、15年6月になってメスを入れた。この瞬間から長く、過酷なリハビリの日々が始まった。

 出場機会を求めて昨夏にウニオン・ベルリンへ移籍するまで、シャルケでの公式戦出場は1試合にとどまっていた。捲土重来を期した新天地でも2試合。前述のSVザントハウゼン戦を最後に、筋肉系のケガなどもあって試合に絡めない状況が続いていた。

 そうした状況でも、ハリルホジッチ監督は内田を気に留めていた。16年5月下旬に千葉県内で開催した、海外組を対象とした日本代表合宿にリハビリ中の内田も招集。その意図を「グループに加わることでいい雰囲気になるし、彼らもグループに戻ってきて喜んでいる」と説明している
 内田の右ひざは、グループリーグの3試合全てで先発フル出場した、2014年のワールドカップ・ブラジル大会から悲鳴をあげかけていた。この年の2月に右太ももの裏に肉離れを起こした内田は、精密検査で右ひざの腱も断裂していることが判明。シャルケのチームドクターから勧められた手術を受け入れれば、ブラジル大会にはまず間に合わない。一時帰国してセカンドオピニオンを求めた結果、保存療法に踏み切った。

 手術を受けていれば完治していたかもしれない。それでも、代表に選出されながら一度もピッチに立てなかった10年の南アフリカ大会の悔しさは、同じワールドカップの舞台でしか晴らせない。甘いマスクの内側に流れる熱い血潮に導かれた保存療法という決断に、その後に長期離脱を強いられたことに、全く悔いはないと語ったことがある。


「自分の中ではブラジル大会を休むつもりはなかったし、こうなるっていうのはある程度、覚悟してやってきた。変な話、あのときに休んでおけばという気持ちは全くない」

 4年の歳月が流れ、再びワールドカップイヤーを迎えた。3月27日には30歳になる内田にとって、ロシア大会はワールドカップに臨める最後の舞台となるかもしれない。節目となる年に古巣・鹿島へ復帰し、初練習を終えた1月9日にはこんな言葉を残している。

「僕はドイツでずっとやっていたので、みんなは知らないと思うけど、練習はずっとやっているし、右ひざがどうこうというのはまったく問題ないと思っている」

 この時も右ひざの状態に関する質問に対して、ちょっとだけ語気を強めた。同じ茨城県内をホームタウンとする水戸ホーリーホックとプレシーズンマッチで対峙する、2月3日のいばらきサッカーフェスティバル(ケーズデンキスタジアム水戸)で先発。81分までプレーした後には、ハリルジャパンを意識したこんな言葉を残して、周囲を取り囲んだメディアを笑わせた。

「練習から激しくやっているし、何かデュエル、デュエルって流行っているんでしょう。デュエルしたって書きたい感じだけど、別に昔からやっていることだから」

 球際の攻防で後塵を拝せば、ブンデスリーガ1部やチャンピオンズリーグの舞台で150試合以上も戦えない。清水東高校時代は「10番」を背負い、司令塔を担った攻撃センスと激しい闘争心を同居させる稀有な選手だからこそ、今現在でもハリルホジッチ監督は気にかけている。

 1月下旬に宮崎県内で行われた鹿島のキャンプ、水戸戦、そして上海戦と常に日本代表スタッフが視察に訪れていた。上海戦には日本サッカー協会の西野朗技術委員長の姿もあった。内田だけを見に来ているわけではないが、それでも状態が気になる選手の一人となるのだろう。

 ハリルジャパンの右サイドバックは、酒井宏樹が絶対的な居場所を築き上げている。左はトルコのガラタサライへ新天地を求めた長友佑都。各ポジションに2人ずつフィールドプレーヤーが必要とされる中で、センターバックの槙野智章(浦和レッズ)は左サイドバックで、酒井高徳(ハンブルガーSV)は左右のサイドバックでプレーできるユーティリティーさも武器になる。

 それでも、ヨーロッパの舞台で7年半にも渡って積み重ねられてきた経験は、内田のストロングポイントとなる。ハリルホジッチ監督はコンディションを何よりも重視する。だからこそ、内田が強調する「鹿島でのプレー」を極めていった先には、新たな挑戦の舞台が広がる可能性も高くなる。


「ドイツにはバイエルンという、抜けているチームが一つあったけど、日本では鹿島がそれにならなきゃいけない。ただ、タイトルを取るのは難しい。鹿島という名前で取れていた雰囲気が今まであったかもしれないけど、去年はガツンと言われた気がするよね。だからもう一回見つめ直して、鹿島らしくしっかり、コツコツとね。本当に上手い選手が多いし、いいチームに来たよ」

 選手ならば誰でも代表入りを目標に掲げる。内田も然り。ただ、空白の時間が長かったからこそ、日の丸に畏敬の念を抱いているからこそ、簡単に口にすることができない聖なる場所でもある。だからこそ、昨季はまさかの無冠に終わった鹿島を、タイトルに近づけさせる仕事に全神経を集中させる。

 例えるなら、人事を尽くした先に天命が待つことを楽しみながら、となるだろうか。敵地IAIスタジアム日本平で清水エスパルスと対峙する25日の2018明治安田生命J1リーグ開幕戦から、内田の新たな戦いが幕を開ける。

文=藤江直人


【コラム】内田篤人、ここに帰還…使命は愛する鹿島を“日本のバイエルン”に