藤江直人(ノンフィクションライター)
ロストフ・アリーナのピッチに仰(あお)向けに倒れながら、夜空を見上げていたDF昌子源(鹿島アントラーズ)がおもむろに体を反転させた。突っ伏した体勢で何度も、何度も拳を芝生に打ちつけている。
悔しさ。ふがいなさ。無力な自分に対する腹立たしさ。ほんの数分前に刻まれた残像とともに、さまざまな思いが脳裏を駆け巡っている。あまりに残酷な幕切れとともに、憧れ続けてきたワールドカップの夢舞台から去る寂しさももちろん含まれていた。
国際サッカー連盟(FIFA)ランキング3位の強豪にして今大会の優勝候補、ベルギー代表と激突した日本時間3日未明の決勝トーナメント1回戦。後半に入って日本代表が奪った2点のリードを追いつかれ、もつれ込んだ4分間のアディショナルタイムの最後に、未知の世界だったベスト8へ通じる道を断ち切られる悪夢のシーンが待っていた。
勝ち越しゴールへの期待を託し、MF本田圭佑(メキシコ、パチューカ)が放った左CKを、GKティボー・クルトワ(英、チェルシー)が難なくキャッチ。199センチ、91キロのサイズを誇る絶対的守護神は、すかさずペナルティーエリア内をダッシュ。素早いハンドスローからカウンターを発動させた。
ターゲットに定められたのは、すでに右前方でスプリントを開始していたMFケビン・デ・ブライネ(英、マンチェスター・シティ)。プレミアリーグで2年連続アシスト王を獲得している司令塔が、ドリブルをどんどん加速させながら中央突破を図る。
日本のゴールへ近づく「7番」の背中に、大いなる危機感を覚えたのだろう。ゴールを奪おうと攻め上がっていた昌子が必死に追走を開始する。グループリーグで大会最多の9ゴールをあげた、ベルギーの強力攻撃陣と対峙(たいじ)し続けてきた。体力は削られようとも、気力は萎(な)えていない。
ボールはデ・ブライネから、右サイドを攻め上がるDFトーマス・ムニエ(仏、パリ・サンジェルマン)を介して、ゴール前にポジションを取っていた190センチ、94キロの怪物FWロメル・ルカク(英、マンチェスター・ユナイテッド)へ渡ろうとしている。
キャプテンのMF長谷部誠(独、アイントラハト・フランクフルト)がルカクのマークについていたが、昌子は自陣へ戻るスピードをさらに加速させた。デ・ブライネを追い越したその視界は、フリーで左サイドを攻め上がっていたMFナセル・シャドリ(英、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン)をとらえていた。
背後の状況を完璧に把握していたからか。シュートを放つと見かけて、巧みにスルーしたルカクのフェイントにGK川島永嗣(仏、FCメス)が体勢を崩す。走り込んできたシャドリがシュート体勢へ入った背後から、実に80メートル近い距離を突っ走ってきた昌子がスライディングを見舞う。
それでも届かないと見るや、執念で左足を伸ばす。しかし、あと50センチほど及ばない。これが土壇場でカウンターを仕掛けられる世界との差なのか。体勢を立て直し、ダイブしてきた川島と交錯したその先で、ボールは無情にもゴールネットを揺らしていた。
クルトワがボールをキャッチしてから、シャドリの左足から放たれた一撃がゴールネットを揺らすまで要した時間はわずか13秒。そのまま仰向けに倒れていた昌子が気力を振り絞り、立ち上がってから間もなくして、ロシアの地で繰り広げてきた波乱万丈に富んだ冒険が終焉(しゅうえん)を迎えた。
開催国代表としてアントラーズが臨んだ2016年12月のFIFAクラブワールドカップ。破竹の快進撃を続け、アジア勢として初めて立った決勝の舞台で、ヨーロッパ代表のレアル・マドリード(スペイン)に2ゴールを見舞ったMF柴崎岳(スペイン、ヘタフェ)とともに名を上げたのが昌子だった。
一時は逆転に成功し、世界中に驚きを与えたものの、最終的には延長戦の末に2-4で敗れた。ロシア大会でも4ゴールをあげたポルトガル代表のスーパースター、FWクリスティアーノ・ロナウドにはハットトリックを達成された。
後半終了間際にはそのロナウドがカウンターで抜け出し、アントラーズのゴールに迫った場面があった。必死に追走した昌子がファウルなしで止め、ボールを奪い取る場面をファンの一人として見ていた中村憲剛(川崎フロンターレ)は、昌子に対してこんな言葉を残している。
「試合ごとに成長していく彼の姿を見ていましたけど、特にレアル・マドリード戦では『最後は自分が守る』という気概を感じました。これだけたくましい日本人のディフェンダーが、若い選手のなかから出てきたことを、率直にうれしく思います」
もっとも、昌子は心の底から喜べなかった。その後にテレビの向こう側で、ラ・リーガ1部やUEFAチャンピオンズリーグを戦うレアル・マドリード、そしてロナウドの姿を見た時に、もやもやした思いの正体が分かったと明かしてくれたことがある。
「間違いなく自信になった大会ですし、あの時点では世界一をかけて戦いましたけど、彼らが本気じゃなかったことは対戦した僕たちが一番分かっている。ああいう選手たちともっと真剣勝負ができる舞台に立ちたいとあらためて思ったし、それはやっぱりワールドカップになるんですよね」
米子北高校(鳥取県)から常勝軍団アントラーズへ加入して8年目になる。青森山田高校(青森県)から加入した同期生、柴崎が瞬く間に居場所を築き上げたのとは対照的に、昌子は我慢の時間を強いられた。
「高校生の時にできていたことは、プロの世界では通用しないぞ」
プロの世界に入っていきなり、一からたたき直せという厳しい言葉を浴びせられた。声の主はアントラーズの最終ラインを支え、前年の2010シーズン限りで引退した大岩剛コーチ(現監督)だった。その言葉を額面通りに受け取ることができなかった昌子は、すぐに伸びかけていた天狗(てんぐ)の鼻をへし折られる。
高校時代はU-19日本代表候補に選出されたこともある昌子だが、最初の3年間はリーグ戦でわずか13試合に出場しただけだった。
主戦場とするセンターバックではなく、けが人や出場停止者が出た穴を埋めるために、不慣れな左サイドバックで出場したこともある日々を「あのころはホンマにヒヨッ子だったからね」と苦笑いしながら振り返ったことがある。
「やっぱり自信はあったわけですよ。高校の時にけっこう相手を抑えられていたから。それをそのままプロで出したら、まったく歯が立たんかったよね。(岩政)大樹さんや(中田)浩二さんに、何回同じことを言われたか。何回同じミスをするねん、何でそこでそんな余計な足が出るねんと。僕としては『いやぁ』と言うしかなかったですよね」
歴代のディフェンスリーダーが背負う「3番」の前任者、岩政大樹(現東京ユナイテッドFC)。アントラーズのレジェンドの一人、中田浩二(現鹿島アントラーズ・クラブ・リレーションズ・オフィサー)から落とされた、数え切れないほどのカミナリを糧に昌子は成長を続けてきた。
自信を打ち砕かれるたびに「絶対にうまくなってやる」と歯を食いしばりながら立ち上がってきた。機は熟したと判断したのか。2013シーズンのオフに、アントラーズの強化部は10年間在籍した岩政との契約更新を見送っている。
そこには当時21歳の昌子に、世代交代のバトンを託すという判断が下されていた。クラブの思いを尊重し、笑顔で退団した岩政から「お前なら絶対にできる」とエールを送られた2014シーズン。リーグ戦で全34試合に先発した昌子は、翌2015シーズンから「3番」の継承者となった。
もちろん、追い風だけが吹いていたわけではない。2015シーズン以降で、チームの低迷から2度の監督解任を経験した。2016シーズンこそチャンピオンシップを下克上の形で制し、クラブワールドカップを経て臨んだ天皇杯決勝も制覇。シーズン二冠を達成し、獲得した国内タイトル数をライバル勢に大差をつける「19」に伸ばした。
一転して昨シーズンは、J1連覇に王手をかけながら終盤戦に失速。川崎フロンターレの歴史的な逆転優勝をアシストする立場となり、あまりのふがいなさに人目をはばかることなく号泣した。サッカー人生に喜怒哀楽を刻んできた中で、今では独自のセンターバック像を確立している。
「ミスを引きずったら2点、3点とまたやられて負ける。失点に絡んだことのないセンターバックなんて絶対におらんと思うし、これまでのいろいろな人たちも、こうやって上り詰めてきたはずなので。大きな大会や舞台になるほど、失点した時の責任の重さは増してくる。そういう痛い思いを積み重ねながら、強くなる。もちろん無失点にこだわるけど、サッカーは何が起こるかわからんし、たとえまた失点に絡んだとしてもスパッと切り替えたい」
日本代表における軌跡も然(しか)り。アギーレジャパン、そしてハリルジャパンに継続的に招集されながら、なかなかピッチに立つ機会を得られなかった。それでも失わなかったファイティングポーズが、ワールドカップ出場を決めた昨年8月のオーストラリア代表とのアジア最終予選における先発フル出場につながった。
そして吉田麻也(英、サウサンプトン)とコンビを組むセンターバックのファーストチョイス争い。ロシア行きの切符を獲得した後、槙野智章(浦和レッズ)が台頭し、一時はレギュラーを不動のものとした。その槙野が不在だった昨年12月のEAFF(東アジアサッカー連盟)E-1サッカー選手権では、国内組だけで編成されたメンバーの中でヴァイッド・ハリルホジッチ前監督からキャプテンに指名された。
優勝をかけた宿敵・韓国代表との最終戦で1-4の歴史的惨敗を喫すると、会場となった味の素スタジアムに駆けつけたファンやサポーターから痛烈なブーイングを浴びせられた。観戦した日本サッカー協会の田嶋幸三会長、Jリーグの村井満チェアマンから「この悔しさだけは忘れないでほしい」と檄(げき)を飛ばされた。味わされてきた艱難(かんなん)辛苦のすべてが、昌子を成長させてきた。
「今回キャプテンをやらせてもらって、自分の未熟さをすごく感じた。でも、いい経験になった、という言葉で片付けるつもりはない。顔を上げて、ここからはい上がっていくだけなので」
迎えたワールドカップイヤー。開幕直前に行われたパラグアイ代表とのテストマッチ(オーストリア・インスブルック)で演じた好パフォーマンスで、西野朗監督が描く序列の中で槙野との序列を逆転させた昌子は、コロンビア代表とのグループリーグ初戦で先発フル出場を果たす。
しかも、前線で脅威を放ち続けた点取り屋ラダメル・ファルカオ(仏、モナコ)を封じ込めた昌子は、先発メンバーの中で唯一のJリーガーだったことと相まって、FIFAの公式サイトでこう報じられた。
「一番の驚きはゲン・ショウジだ」
同じ先発メンバーで臨んだセネガル代表との第2戦でも、スピードと強さを併せ持つFWエムバイェ・ニアン(伊、トリノ)と壮絶な肉弾戦を展開。攻めては果敢なインターセプトから、本田の同点ゴールにつながる鮮やかな縦パスを前線へ通した。
ベルギー戦でも今大会で4ゴールをあげているルカクを、吉田との共同作業で封じ込めた。最後の最後に目の当たりにした残酷なシーンもいつかきっと、あの悔しさがあったからと、笑顔で振り返ることができる時が訪れる。
今大会で与えたサプライズとともに、国際的な評価が急上昇した。もしかすると盟友・柴崎の背中を追うように、ヨーロッパへ活躍の舞台を移すかもしれない。もっとも、国内組から海外組に立場が変わったとしても、昌子の胸中に強く脈打つ信念は変わらない。
「目の前の試合で、自分が一番いいプレーをしようとは思わない。チームが勝つために何をしなければいけないのかを考え抜くことが、自分のいいプレーにつながる。だからこそ、チームを勝たせることのできる選手にならないといけない」
次回のカタール大会を29歳で迎える。経験も必要とされるセンターバックとして、ちょうど脂がのり切った年齢と言っていい。悔しさを次世代に伝え、夢の続編を追い求めていくためにも、強さと上手(うま)さ、そして泥臭さを融合させた昌子はロシア大会を通過点として、貪欲に未来へと進み続けていく。