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2023年2月23日木曜日

◆知念慶はフロンターレにいたら「選手として終わっていくなって」アントラーズ移籍を伝えた家長昭博からは「心に響くメッセージ」が届いた(Sportiva)



知念慶


知念慶(鹿島アントラーズ)インタビュー前編

 水色から深紅へ──。

 知念慶が川崎フロンターレから鹿島アントラーズに移籍した決意を語る。それは、決意というにはいささか安易で、むしろ心根と表現したほうがいいだろう。

「スタメンで試合に出たい、チームの主力になりたいという思いも少なからずありましたけど、もっと自分自身が精神的に強くなりたかった。そうじゃなければ、選手として、このまま終わっていくなって思ったんです」

 2020年の1年間、大分トリニータに期限付き移籍したが、愛知学院大学を卒業して加入した川崎では5シーズンを過ごした。

「フロンターレで5年過ごし、チームメイト、スタッフ、環境にも馴染めていて、すごい居心地がよかったんです。その居心地のよさが、逆に自分の気持ちをもマンネリ化させてしまっていたというか......」

 加入した2017年に、川崎はJ1で初優勝を飾った。そのルーキーイヤーはリーグ戦4試合1得点の成績に終わったが、川崎がJ1連覇を達成した2018年はリーグ戦27試合に出場して4得点の数字を残した。

 期限付き移籍から復帰した2021年もリーグ戦22試合に出場して4得点を挙げると、再びJ1優勝に貢献した。2022年の昨季はリーグ戦27試合に出場して7得点と、自身にとってキャリアハイとなる記録を叩き出した。

 毎年のように優勝争いを繰り広げるチームで着実に出場数を増やし、ストライカーの指標となる得点数も伸ばしていた。

「ある程度は試合に絡めるけど、完全にスタメンの座は掴めてはいないというか。1軍というよりも、1.5軍のような立ち位置が毎年続いていました。そうした状況のなかで、その環境に慣れてしまっている自分がいた。

 本来は、その立ち位置に対して葛藤したり、もがいたりしなければいけないと思うんですけど、試合に出れば1試合1試合に対する課題はありながらも、自分が置かれている状況に対しては、別に何も思わなくなっている自分がいました」


【新天地を鹿島に選んだ理由】


 これといったきっかけやタイミングがあったわけではない。だが、日々すごしていくなかで、自分の心境を実感した瞬間はあった。

「プロになって5年も経つと、その週の練習で自分が先発か控えかどうかは、肌感覚でわかるようになってくる。だから、スタメンで試合に出られるということがわかった時にはモチベーションが上がるはずなのに、『よっしゃ、やってやるぞ!』という気持ちが湧いてこなかった。

 心のどこかで、『今週、先発で頑張っても、次の週にはまた控えに戻ってしまうんだろうな』というくらいの感覚というか。どこかで、自分の立ち位置を自分で決めつけてしまっていました」

 知念はそれを自ら「甘え」と表現した。

「精神的に自分は甘いところが多いと自己分析しています。フロンターレの選手たちはみんな日々努力していますけど、自分はそこも『周りがやっているから自分も』というところがどこかにあった」

「だから」と、言葉を続ける。

「このままフロンターレにいたら、甘えてしまう、絶対に。自分もある程度、試合に絡んで、ある程度、試合に勝つことができたら、少なからずちょっとした満足感は得られてしまうと思ったんです」

 知念の「だから」はさらに続く。

「自分自身がやらなければ本当にやばいぞ、という環境に身を置こうと思ったんです。プロのサッカー選手なので、結果や数字を意識するところもありますけど、それ以上に自分がもっとやり続ける姿勢みたいなものを、自分のなかでも明確に決めなければいけないと思いました」

 出場試合数や得点数といった数字以上に、自分に対する強さを求めた理由だった。

「自分の性格的にも、本来はその場に居続けたほうがきっと楽というか、いいんでしょうけど、一度しかないサッカー人生なので、チャレンジしたいなって思ったんです」

 知念は「ある程度」から脱却しようと、移籍を決意した。新天地を鹿島に求めたのは、自分自身を追い込むためだった。


【変わることができるのでは...】


「アントラーズって、もともと自分のなかでは特別なイメージがありました。試合で対戦する時は、いつもすごく燃えるんですよね。Jリーグの日程が発表された時も、ここでアントラーズと対戦するのかと確認していたように、特に熱くなる1試合でした。

 アントラーズと対戦する週は気合いが入りましたし、試合前も緊張感がものすごくあった。そう自分が思っているようなチームに行ったら、自分のなかに燃え上がるものが自然と沸き上がってくるのではないかと、オファーがあった時には真っ先に思いました」

 対戦相手としていつも以上に燃えるチームの一員になれば、自分自身の闘志にさらに火がつくのではないか──。

「誰かに相談することはなかった」という知念だが、5年間を過ごした川崎のチームメイトに移籍することを報告すると、みんながみんな「さみしくなる」と返信をくれた。そのなかで、少し異なる反応で、また心に響くメッセージを送ってくれたのが、家長昭博だった。

「相当な覚悟があることはわかるよ」

 知念は言う。

「うれしかったですね。アキさん(家長)自身もここまで幾度も移籍をしていて、その時々でいろいろな出来事や経験をしてきた人だと思いますし、そのすべてを成長の糧にしてきた人だとも思います。

 その人に、自分の覚悟を感じ取ってもらえた。そう思ったら、アキさん自身もそういう決断をして、今に至っているのかなと思うことができました。自分自身もアントラーズという厳しい環境に身を置くことで、変わることができるのではないかと思ったんです」

 鹿島で選手としてのたくましさを身につけ、自分のなかにある甘さを払拭する──。完全移籍により加入したのは、自身の退路を断ち、自分自身を追い込むためだった。






◆知念慶はフロンターレにいたら「選手として終わっていくなって」アントラーズ移籍を伝えた家長昭博からは「心に響くメッセージ」が届いた(Sportiva)