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2017年2月17日金曜日
◆天皇杯決勝、2018年元日に埼スタで開催…優勝賞金は1.5億円に増額(サッカーキング)
日本サッカー協会(JFA)は16日、第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝を埼玉スタジアム2002で開催することが決まったと発表した。
JFAによると、16日に実施された理事会にて、埼玉スタジアムでの決勝開催が承認された。決勝は2018年1月1日(月・祝)に行われる予定で、関東圏での開催は2大会ぶりとなる。なお、埼玉県内の天皇杯決勝開催は、県営陸上競技場で行われた第36回(1956年)大会以来となる。
また、JFA公式HPに掲載された理事会報告資料によると、5位以下への賞金(以前は1000万円)が廃止され、優勝チームの賞金が1億円から1億5000万円に増額となることも決まった。各試合で勝利を収めたチームに支払われる強化費は、1回戦勝利は以前と同額の50万円だが、2回戦勝利は100万円、3回戦が200万円、ラウンド16以降は300万円と、それぞれ増額されることとなった。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/emperorcup/20170217/552802.html?cx_cat=page1
◆若手よ出てこい!ベガルタ最年長・野沢が喝「発信していかないと」(サンスポ)
J1ベガルタ仙台第3次キャンプ(15日、宮崎)若手よ、出てこい! ベガルタ4年目のMF野沢拓也(35)が、カウンター練習でピッチを縦横無尽に駆け回り、コンディションのよさを見せつけた。J1鹿島の黄金期を支えたプロ19年目のチーム最年長はチームが目標とする5位以上への貢献を誓う一方、定位置争いで若手のアピール不足に苦言。チームは午前中に7対7のミニゲームやカウンター練習など、約1時間半の練習を行った。
25日、J1札幌との開幕戦まであと10日となったこの日の練習後、チーム最年長の野沢がレベルアップを願った。
「まだまだ上を驚かす選手が出てきていないと感じる。もっと出てきてほしい。出ている人だけでなく自分から発信していかないと。強い気持ちを持たないと損をする」
ふだん口数が少ないベテランが放った言葉の重みは格別だ。ここまで約30日間のキャンプで渡辺晋監督(43)が「最後まで競争。若手には本気でポジションを取ってほしい」と例年以上にあおっているが、練習試合などで主力組に入ってアピールに成功しているのは、J1川崎から新加入したMF中野嘉大(23)くらい。野沢は物足りなさを感じている。
「苦しいときを乗り越えてこそ、2、3年後にスタメンのピッチに立っていられる。こういう時期を大切にしないと」
自らも小笠原満男、本山雅志らが所属して選手層の厚かった鹿島で24歳シーズン(2005年)に10得点を記録し、定位置を確保。06年には日本代表にも選出された。スター軍団でもまれ、のし上がってきたからこそ、もどかしさがある。
もちろん野沢自身、若手に負けるつもりはない。キャンプでは故障もなくフルメニューを消化。この日のカウンター練習でも自軍のゴールから敵ゴールまで、全速力で何度も駆け上がった。
「年も年なので徐々にだが、開幕でいい入りをするための体作りの場所という意識で取り組んでいる。(開幕は)いよいよ、待ち遠しいという気持ちでいっぱい」
今季からの新システムでは主にFW最前列でプレー。4日のJ1大宮との練習試合ではゴールも決めた。「やりがいがあるし、成長できる」という野沢に、渡辺監督は「厳しいポジション争いは本人も自覚しているし、精力的なのは目に見えて明らか。本人も期するものがあるんじゃないか」と、目を見張る。「5位という目標へ力を注ぐ」と力強く言い切るベテランが、若手の挑戦を待っている。 (井上幸治)
野沢の厳しい言葉に20歳のFW西村拓真
「(野沢からは)学ぶことが多すぎる。『これぞプロ』というオーラを持っている。自分もやらないといけない。チームのために貪欲にやっていきたい」
今キャンプの野沢★
故障もなく、順調にメニューを消化している。練習試合では、MF登録ながら、3-4-3の新システム時はFW最前列でプレー。4日のJ1大宮戦ではスタメン出場した3本目に1ゴール1アシストを記録するなど、存在感を発揮している。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20170216/jle17021610010001-n1.html
◆東京、甲府練習試合は非公開!鹿島戦へ鉄のカーテン(ニッカン)
FC東京は開幕1週間前の18日に、ヴァンフォーレ甲府と完全非公開で練習試合を行うことが15日、決まった。
サポーターの観戦はもちろん、報道陣に対する試合後取材もNGという徹底ぶり。25日の鹿島アントラーズ戦へ、篠田監督は「できる限りのことはしたいし、緊張感も持たせたい。ゲームだけに集中する環境をつくりたかった」と狙いを説明。主将のDF森重も「鹿島戦を見据えてのこと。年間優勝に向けた最初のゲームへの準備を進めたい」と歓迎していた。
http://www.nikkansports.com/soccer/news/1779619.html
◆宮崎出身の浦和FW興梠、プロ目指す子供達の道標に(ニッカン)
Jリーグのキャンプ取材で宮崎県を訪れた。今季から担当するFC東京の都城合宿を中心に、かつてベガルタ仙台や鹿島アントラーズの担当時代に訪れた宮崎市内の各所も再訪。さまざまな関係者と再会した中で、鵬翔高の松崎博美総監督(65)にもお会いすることができた。
昨夏のリオデジャネイロ五輪に、オーバーエージ枠で出場したFW興梠慎三(30=浦和レッズ)の恩師。興梠の高校入学の手助けをしただけでなく、1年春から夏にかけて、幽霊部員状態となっていたところを、昼休みのたびに職員室に呼び出したり、電話をかけて説得した。「今があるのは松崎先生のおかげ。両親以上の存在、恩人」と興梠から感謝される指導者だ。12年度には、監督として全国高校サッカー選手権で初優勝を果たしている。
そんな高校サッカー界の名将の1人から、ある画像を見せられた。携帯電話に映っていたのは石碑。興梠の五輪出場記念碑だった。4年に1度のスポーツの祭典に、サッカー競技で出場した宮崎県出身者は興梠が初めて。「地元のみんなの気持ちを持ってブラジルに行った慎三のために、何とか功績を形にしてあげたかった」と松崎氏が発起人となり、昨年9月に本格的な制作が始まった。同10月14日に受賞した「宮崎市栄冠賞」とともに今年1月、市から設置許可が下り、宮崎市生目の杜運動公園(多目的グラウンドB人工芝コート付近)に設置された。
松崎氏にとって、やはり教え子の五輪出場は感慨深いものだった。昨夏、日本協会と手倉森誠監督(49)からオーバーエージ枠での出場の打診を受けた興梠から、真っ先に相談された。「断ろうと思います」。実際、1度は辞退した興梠を松崎氏は説得した。鹿島在籍時、セリエAメッシーナからオファーが届いたが、断っていたことを思い出した。「あの時、お前は成長する機会を自ら逃した。『どうしましょうか?』やない。もう何年も現役でいられるわけやない。将来のお前のためにも、宮崎のためにも絶対に行けよ」と強く勧め、うなずかせた。
五輪の舞台に立った興梠は1次リーグ全3試合に先発。初戦のナイジェリア戦でチームの大会初得点となるPKを決めた。結果は1勝1分け1敗の敗退に終わったが、五輪後の8月中旬に帰省した興梠と宮崎市内で食事した。「『疲れましたわ~』と何度も言ってましたけど『悩んだし、決断も迷った。でも、最後に思ったのは、本当に行って良かった、ということ』と言ってくれました。PKの場面も、本来は蹴りにいく性格じゃない。でも、蹴りにいったところに成長と責任を感じた」。やんちゃだった教え子の晴れ姿が、素直にうれしかった。
その後、完成した記念碑だが、実はまだ見ることができない。興梠が除幕式に出席する日程を調整中だからだ。浦和は、2月11日まで沖縄で2度の合宿に取り組んだ。翌12日には、さいたまシティ杯でFCソウルとプレシーズンマッチ。キャンプ中に宮崎へ帰省する時間はなく、18日には富士ゼロックス・スーパー杯、21日には敵地オーストラリアでのACL1次リーグ初戦ウェスタンシドニー戦が控える。その後も25日のJ1開幕戦(対横浜)など、18日から15日間で5試合という過密日程だ。松崎氏は「早く帰ってこい、と何度も言ってるんですが」と笑いながら「さすがに調整が難しい。1日でもオフがあれば何とか来てもらい、県内の支援者に感謝する機会を設けられれば」と幕をかけたまま待っている。
今年の宮崎ではJ1の9クラブ、J2の9クラブ、J3の1クラブがキャンプをした。一方、これだけの環境・設備がありながら、宮崎は九州7県で唯一、Jクラブがない。その空白状態を解消しようと、松崎氏は14年に社会人クラブ「J.FC MIYAZAKI」を設立、取締役会長に就任した。昨季は九州リーグ(5部相当)で初優勝。元日本代表監督で、日本協会副会長の岡田武史氏(60)がオーナーを務めるFC今治(四国優勝)とともに、昨秋の全国地域チャンピオンズリーグにも出場した。
その中で、興梠の五輪出場が与える意義は深いという。松崎氏は「近年、宮崎では少年クラブの数が増えてきて、県内のサッカー人口は増加傾向にある。プロを目指す子供が多くなってきた中、目標となる選手が身近にいることの影響力の大きさは計り知れない。慎三のようなプロ、日本代表選手になることを目指してほしい」と期待する。
興梠が設立を喜んでいるというJ.FC MIYAZAKIも、今季から元日本代表の与那城ジョージ監督(66)を迎えてJFL昇格を目指し、将来のJ3参戦も見据えている。その中で、県勢初の五輪サッカー出場が大人から子供まで刺激したことは間違いない。J1通算100得点を超えた点取り屋の後を追い、新たなトップ選手が宮崎から続く日の到来も、早まるかもしれない。記念碑は「第2の興梠」育成へのマイルストーン。単なる式典にとどまらない意味を持つ除幕式の実現を、松崎氏は心待ちにしている。【木下淳】
◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。04年入社。初配属の文化社会部ではレプロエンタテインメントなど、東北総局ではJ1仙台や花巻東高の大谷翔平投手(日本ハム)らを担当。整理部をへて13年11月からスポーツ部。サッカー班で昨季まで鹿島、リオ五輪代表を担当し、今季から東京の番記者になる。
http://www.nikkansports.com/soccer/column/writers/news/1779842.html
◆テネリフェ女子チームが環境適応に苦しむ柴崎を支援(デイリー)
サッカースペインの女子1部リーグ、グラナディージャが環境適応に苦しむスペイン2部、テネリフェの日本代表MF柴崎岳(24)に助け舟を出した。セルヒオ・バティスタ会長が同じ島を本拠地にしているテネリフェと柴崎本人に対し全面協力を申し出た。
16日のスペイン紙マルカなどが伝えている。グラナディージャには元U-20日本代表MF堂園彩乃が昨季から所属しており日本人のチーム適応のノウハウを持つ“先輩格”にあたる。
すっかりテネリフェでの生活に馴染んでいる様子の堂園自身は「(柴崎は)偉大なプロ選手だからアドバイスなんてない。テネリフェでの生活は快適で人々は家族のように温かい対応をしてくれる。ただ1つ言うとすれば時間帯が(日本と)まったく違うことには注意しないといけない」と経験に基づいた助言をしている。
https://www.daily.co.jp/soccer/2017/02/16/0009921152.shtml
◆鹿島・石井監督、「世界2位」で国内外に知らしめた日本人指揮官の価値(サンスポ)
【No Ball、No Life】 「18分の13」。今季のJ1の日本人監督の割合である。一時期に比べ、随分と増えた印象だ。5年前、2013年シーズンは全体の半分以下の8人に過ぎなかった。
この流れは必然といえる。06年~11年までJ1優勝監督は外国人だったが、12年~16年までは日本人が5連覇を達成している。広島の森保一監督(48)、G大阪の長谷川健太監督(51)、鹿島の石井正忠監督(50)らが実績を残したことで、日本人指導者の評価が上昇。日本サッカー協会や各クラブが取り込んできた指導者育成の成果といえる。
1993年のJリーグ元年。日本人監督は「10分の8」と大半を占めていた。しかし、95年になるとあっという間に「14分の3」まで落ち込んでしまう。Jリーグバブル全盛だった当時、欧州や南米からやってきたスター選手の指導を、日本人監督が行うことは難しくなってきた。サッカーの知識においても、コミュニケーション能力においても、一流と呼べる指導者の養成が必要となった。
当時、Jリーグの監督に必要なS級ライセンスは2週間の集中講義で取得できたが、現在ではC級→B級→A級→S級と段階を踏まねばならない。S級取得まで4年はかかるといわれる。それだけの時間と情熱を費やさなければ、J1の舞台には上がれない。
今季のJ1はお手並み拝見の「新顔」監督が3人いる。就任3年目を迎える札幌・四方田修平監督(43)はJ1で初采配を振るう。98年フランスW杯では岡田武史氏の下で日本代表チームのスカウティング担当を務めた。いわば「岡ちゃんの右腕」である。昨季3位の川崎はコーチから内部昇格した鬼木達監督(42)が就任。前監督の風間八宏氏(55)の攻撃サッカーを継承する。新潟の三浦文丈監督(46)は昨年までJ3長野を指揮していた。いずれも、育成年代のコーチなどを経て、トップチームの監督に上り詰めた“たたき上げ”である。
昨年、鹿島の石井監督に対してFW金崎夢生(27)が途中交代をめぐって反発するという“事件”が起きた。現役時に華やかな経歴をもたない指導者は、とかく選手に軽く見られがち。しかし、クラブワールドカップでは石井監督の采配が的中してレアル・マドリード(スペイン)を苦しめ、鹿島を「世界2位」に引き上げた。日本の指導者をなめるなよと、国内外に知らしめたようで痛快だった。
初めて名前を聞くような若い日本人監督でも、今後は周囲の見る目が変わるのではないか。「石井効果」のおかげで、25日のJ1開幕が待ち遠しくなった。(浅井武)
http://www.sanspo.com/soccer/news/20170216/jle17021611430008-n1.html