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2018年1月4日木曜日

◆明秀日立がPK戦で競り勝ち、“難敵“を撃破…大阪桐蔭は3回戦敗退(サッカーキング)




 第96回全国高校サッカー選手権大会の3回戦が3日に行われ、大阪桐蔭(大阪)と明秀日立(茨城)が対戦した。

 前半は決め手がなかった両チームだったが後半早々試合は動く。41分に大阪桐蔭のFW菊井悠介がクロスからのこぼれ球を押し込み、先制ゴールを挙げる。しかし、明秀日立も負けてはいない。61分にコーナーキックを再度チャンスに結びつけ、クロスからFW荒井慧伊大がゴール。明秀日立が同点に追いつく。試合はこのままPK戦へ。

 PK戦では明秀日立が全員成功を収め、3-5と勝利し、準々決勝へ。大阪の強豪、大阪桐蔭は3回戦で姿を消すことになった。勝利した明秀日立は、準々決勝で上田西(長野)と対戦する。

【スコア】
大阪桐蔭 1-1(PK:3-5) 明秀日立

【得点者】
1ー0 41分 菊井悠介(大阪桐蔭)
1-1 61分 荒井慧伊大(明秀日立)

明秀日立がPK戦で競り勝ち、“難敵“を撃破…大阪桐蔭は3回戦敗退

◆長友佑都、鹿島復帰の盟友・内田に「篤人の能力にどれだけ羨んだか…」(GOAL)




かつてチャンピオンズリーグでもしのぎを削った2人。長友が熱いメッセージを送る。

インテルに所属する日本代表DF長友佑都が、内田篤人の鹿島アントラーズ復帰に際してメッセージを送っている。

長友と内田は日本代表の両サイドバックとして長年に渡り活躍。欧州の舞台でもそれぞれインテル、シャルケの選手としてチャンピオンズリーグで凌ぎを削った過去もある。長友は自身のツイッターで「内田篤人鹿島復帰」と始め、このように続けた。

「篤人の能力にどれだけ羨んだか。。代表の時も俺が何も考えず、好き放題やってる時、篤人はいつもバランスとってくれてた。長友さん好きにやっていいっすよって。後輩に気を遣わせてたんやな。と今更気づくダメ先輩。。。苦笑」

そして最後には「Jリーグを盛り上げてほしい!」と熱い言葉を送った“先輩”。来年のロシア・ワールドカップで再び2人がピッチに揃う姿は見られるのだろうか。


長友佑都、鹿島復帰の盟友・内田に「篤人の能力にどれだけ羨んだか…」

◆鹿島アントラーズ復帰の内田篤人に独誌「ケガを抱えながらもシャルケでインパクトを残した」(GOAL)




2010年から7年間シャルケに所属していた内田。『キッカー』はそのシャルケ時代を高く評価。

ブンデスリーガ2部所属のウニオンは2日、DF内田篤人の鹿島アントラーズへの復帰を正式に発表した。ドイツ誌『キッカー』は、同選手について「シャルケでインパクトを残した」と伝えた。

内田は昨夏、7年間過ごしていたシャルケを去り、当時恩師でもあるイェンス・ケラー監督が指揮を執っていたウニオンに加入。だが、新天地でも負傷に悩まされ、出場は2試合にとどまっていた。そして、昨年12月初旬にケラー監督が解任されたあと、本人もわずか半年での退団の決断に至った模様だ。

ウニオンのプロサッカー部門を統括するヘルムート・シュルテ氏は声明で「残念ながらアツトは、彼の持つポテンシャルを我々の下で見せることができなかった。そのため、我々は彼の故郷に戻る希望に応じることにした」と説明。また「彼には幸運を、あちらでもう一度活躍できることを祈る」とのエールを送りながら、別れを告げている。

もちろん、『キッカー』も内田の日本への復帰について報道。その際、「ケガの問題を抱えながらも、2010年に加入し、昨年まで過ごしていたシャルケでインパクトを残した。彼は2011年、ロイヤルブルー(シャルケのチームカラー)とともにDFBポカールを獲得し、リーグ戦104試合(1ゴール)に出場。”ウッシー”はシャルケでは人気選手で、ウニオンデビュー戦直後ヴェルティンズ・アレーナに急ぎ、そこでは絶大なオベーションとともに送り出された」と伝えている。

内田は、ドイツでは特にシャルケ選手として記憶に残ることになりそうだ。

鹿島アントラーズ復帰の内田篤人に独誌「ケガを抱えながらもシャルケでインパクトを残した」

◆「内田のドイツでの冒険は終わった」 シャルケで愛された日本人右SBのキャリアにブンデス公式も賛辞(the WORLD)




7年半の冒険が終わる

2010年からドイツでプレイしてきたDF内田篤人の鹿島アントラーズ復帰が決まった。

内田は怪我の影響で満足なプレイができず、2017年夏に7年を過ごしたシャルケを退団。ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンに挑戦の場を移していた。しかしウニオン・ベルリンを指揮していた恩師イェンス・ケラーもクラブを去り、内田の出場機会も思うように増えなかった。2018ロシアワールドカップまで半年という段階で、Jリーグ復帰を決断することとなった。

その内田をブンデスリーガ公式サイトも特集している。「元シャルケ内田のドイツでの冒険は終わった」と取り上げられており、ブンデスリーガ通算104試合に出場したことや、チャンピオンズリーグではあのレアル・マドリードを4-3で撃破した伝説の一戦にも出場したことなどが紹介されている。内田はシャルケを退団する際にもセレモニーが行われるなど、愛された存在だったことが分かる。他にも日本人初となるチャンピオンズリーグ4強入りを経験するなど、シャルケにとって右サイドバックの内田は貴重な存在だった。

鹿島は西大伍や伊東幸敏など右サイドバックを担当できる選手は多いが、チャンピオンズリーグでも戦った内田の経験は鹿島の若い選手たちにとっても財産となるだろう。ワールドカップ出場の目標も捨ててはいないはずで、、早く赤いユニフォームをまとった内田の姿を見たいものだ。

「内田のドイツでの冒険は終わった」 シャルケで愛された日本人右SBのキャリアにブンデス公式も賛辞

◆内田篤人、今年は鹿島で完全復活…地元で初蹴り(報知)




 サッカー元日本代表DF内田篤人(29)=ドイツ2部ウニオン・ベルリン=が2日、母校・清水東高での初蹴りに2年ぶりに参加。「まず試合にしっかり出ること」と今年の目標を掲げた。

 内田が母校で旧友らとのミニゲームを楽しんだ。15年6月に右膝の手術を受けて復活に時間がかかった。昨夏にシャルケからウニオン・ベルリンへ完全移籍。左太もも裏の肉離れもあり、半年間でリーグ戦出場は2試合(先発1)に終わった。昨年末に帰静し、2018年を地元で迎えた内田は「膝の方は大丈夫。今年は試合にちゃんと出ることが目標です」と笑顔。気さくに初蹴りに訪れた関係者との記念撮影に応じていた。

 今年はロシアW杯が開催される。「チャンスはなくはないが、厳しいと思う。悔いのないように頑張るだけです」。8季ぶりに鹿島復帰する今季、3月で30歳となるウッチーの一日も早い完全復活劇が待たれる。

内田篤人、今年は鹿島で完全復活…地元で初蹴り

◆内田篤人が鹿島復帰、複数年契約で背番号は以前着用「2」(報知)




 元日本代表DF内田篤人(29)がドイツ2部ウニオン・ベルリンから古巣・鹿島に完全移籍することが決まった。ウニオン・ベルリンが2日、公式ツイッターで発表。すでにクラブ間では、移籍金20万ユーロ(約2700万円)で合意していた。鹿島と内田の契約は複数年で、背番号は06~10年まで鹿島でつけ、現在空き番の「2」になる可能性が高い。チーム始動日の9日から合流予定。

 内田が移籍を決めた理由は2つある。まずはロシアW杯のメンバー入りを実現させるため。ウニオン・ベルリンでは半年でリーグ戦出場は2試合。日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)から試合出場を重ねれば、招集リストに入れるとの考えを伝えられており、状況を変える必要があった。そして昨季無冠に終わった鹿島のタイトル奪取に貢献するためだ。

 内田はこの日、母校・清水東校で初蹴りに参加。ロシアW杯について「チャンスはなくはないが、厳しいと思う。悔いのないように頑張るだけ」と話した。


内田篤人が鹿島復帰、複数年契約で背番号は以前着用「2」

◆内田、8季ぶり鹿島復帰!背番号は以前の「2」用意(サンスポ)




 【ベルリン2日】元日本代表DF内田篤人(29)の所属するブンデスリーガ2部、ウニオン・ベルリンがクラブの公式サイトで内田の鹿島移籍を発表した。内田にとっては2010年7月以来、8シーズンぶりの古巣復帰となる。

 内田はベンチを外れた昨年12月15日(日本時間同16日)のインゴルシュタット戦後に今後の去就について「あと半年、ここでの契約がある」とした一方で「(冬の移籍を)考えていなくはない」と話していた。ウニオン・ベルリンとの契約は今夏まで残っているため、違約金200万ユーロ(約2億7000万円)がかかるとされるが、両クラブ間で合意したとみられる。

 15年6月に右膝を手術した内田は昨夏、7シーズン所属した1部のシャルケからウニオン・ベルリンに移籍。左太もも裏肉離れなどもあり出番に恵まれず、リーグ18戦で2試合の出場にとどまる。シャルケ時代に指導を受けたケラー氏が昨年12月4日にウニオン・ベルリンの監督を解任され「残念だし寂しい」と胸中を明かしていた。

 鹿島はかつての背番号「2」を空き番とし、右サイド要員とする方針。人気者が古巣で輝きを取り戻す。

内田 篤人(うちだ・あつと)
 1988(昭和63)年3月27日生まれ、29歳。静岡・函南町出身。静岡・清水東高から2006年に鹿島入団。08、09年Jベストイレブン。10年7月にシャルケ(ドイツ)、17年8月にウニオン・ベルリン(ドイツ2部)へ移籍。A代表デビューは08年1月のチリ戦。W杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会でメンバー入り。J1通算124試合3得点。ブンデスリーガ通算104試合1得点。代表通算74試合2得点。1メートル76、62キロ。

内田、8季ぶり鹿島復帰!背番号は以前の「2」用意

◆鹿島も発表、内田篤人の復帰決定!「やはり!帰ってくることになりました」(サッカーキング)




 鹿島アントラーズは3日、ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンに所属するDF内田篤人が完全移籍で加入することが決まったと発表した。

 現在29歳の内田は2006年、清水東高校から鹿島へ加入した。1年目のリーグ開幕戦で先発出場を果たすと、レギュラーを獲得して中心選手として活躍。2007年からのJ1リーグ3連覇に大きく貢献した。そして2010年7月、シャルケへ移籍。7シーズンに渡って同クラブに所属し、公式戦152試合に出場して2ゴール18アシストを記録した。2010-11シーズンにはDFBポカール優勝に貢献している。

 そして今夏の移籍市場で、ウニオン・ベルリンへ移籍した内田。新天地では負傷の影響もあって出場機会に恵まれず、今冬の移籍市場で鹿島へ復帰する可能性を取り沙汰されていた。鹿島の発表に先駆けて、ウニオン・ベルリンは2日に移籍決定をリリース。今回の正式発表により、2010年以来8季ぶりに日本でプレーすることが決まった。


鹿島復帰にあたり、内田は同クラブの公式HPにて以下のようにコメントしている。

「やはり!鹿島へ帰ってくることになりました内田篤人です。2010年にシャルケへ移籍した時から、また鹿島でプレーしたいという思いは常にあり、ドイツにいる時もずっとアントラーズを応援していました。伝統あるこのクラブの選手として、どう振る舞い、どういう姿勢で戦うべきか、自分なりに理解はしているつもりです。当時はチームメイトでも良き先輩でもあった大岩剛監督のもとで、鹿島のために仕事ができるよう全力で頑張ります。アントラーズを応援する皆さん、是非一人でも多くの方にスタジアムへ足を運んでいただき、勝つために一緒に戦いましょう!」


鹿島も発表、内田篤人の復帰決定!「やはり!帰ってくることになりました」

内田篤人