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2018年11月10日土曜日

◆鹿島アントラーズが20年以上も常勝軍団で居続けられるワケ(ダイヤモンドオンライン)






鹿島アントラーズの先勝を受けたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦が、日本時間11日午前零時にペルセポリス(イラン)の本拠地アザディスタジアムでキックオフを迎える。悲願のアジア制覇へ向けて万全の心技体で臨むアントラーズは、過密スケジュールの中で行われた明治安田生命J1リーグも若手中心のメンバーで連勝。暫定3位にまで順位を浮上させた。シーズン終盤に入って発揮されている強さの源泉と、ライバル勢の追随を許さない19個ものタイトルを獲得し、いつしか常勝軍団と呼ばれるようになった理由を、他のJクラブとは完全に一線を画すチーム作りをたどりながら振り返った。(ノンフィクションライター 藤江直人)


20年以上、常勝軍団を支える
61歳の強化部長と「ジーコスピリット」


 常勝軍団と呼ばれるようになったのは、いつ頃からだろうか。少なくともJリーグが産声をあげた黎明期の鹿島アントラーズは、当時の日本サッカー界を牽引した二強、ヴェルディ川崎と横浜マリノスを追う第2集団に何とか食らいついていた存在だった。

 何しろ日本リーグ2部所属だった前身の住友金属工業蹴球団が、Jリーグへ加盟申請した時には事務局側から「99.9999%不可能」と非情通告されたほどだ。しかし、日本初となる屋根付きのサッカー専用スタジアムの建設計画を立ち上げ、絶望的な状況を逆転させた経緯がある。

 迎えたJリーグ元年の1993シーズン。サントリーステージを制したアントラーズが見せた変貌ぶりは衝撃的であり、ライバル勢を驚かせた。それでも、年間王者を決めるチャンピオンシップでは黄金期にあったヴェルディに屈し、初タイトルには手が届かなかった。

 ターニングポイントは1996シーズンに訪れた。加入して3シーズン目のMFレオナルド、2年目のDFジョルジーニョのブラジル代表コンビに牽引されながら実力を伸ばしてきたアントラーズは、名古屋グランパス、横浜フリューゲルスとの三つ巴の激戦を制してリーグ戦を初めて制覇する。

 常務取締役強化部長として、61歳になった今も辣腕を振るう鈴木満が、ヘッドコーチから強化の最高責任者としてフロント入りしたのも1996年だった。今では54を数えるJクラブの中で20年以上も強化の青写真を描いてきた人物は、もちろん鈴木の他には見当たらない。

「コーチを務めながら、然るべき立場のフロントの人間が諸問題を調整する必要性を、誰よりも僕自身が感じていた。なので、強化を専門に担当する人間が必要だ、というクラブの説明も理解できました」

 Jクラブの監督を務めるのに必要な指導者公認S級ライセンスを取得したばかりの鈴木は、フロント入りを青天の霹靂だったと振り返ったことがある。親会社から出向してきた社員が、強化などのフロント業務に期間限定で当たっていた時代。鈴木を奮い立たせたのは神様ジーコの檄だった。

「フロントは監督を選任して、選手を揃えます。ただ、そのシーズンを戦う陣容を整えたからといって、それで仕事は終わりではない、とジーコからはよく言われました。後は監督以下に任せるのではなく、グラウンドにフロントの人間がどのように絡んでいくのかが大事だ、チーム全体を同じ方向に導きながら組織が持つポテンシャルを100%発揮させる人間が必要だ、と」

 ブラジル代表で一時代を築いたジーコが電撃的に現役復帰し、住友金属工業蹴球団入りしたのは1991年5月。今も「ジーコスピリット」としてチームに脈打つ哲学を、ジーコはピッチ内外の立ち居振る舞いを介して伝授した。その一丁目一番地は、どんな状況でも「敗北」の二文字を拒絶するメンタリティーとなる。

 ウォーミングアップを兼ねた練習前のミニゲームだけでなく、例えばジャンケンで負けただけでもジーコは顔を真っ赤にして悔しがった。アマチュアからプロの集団への過渡期にあった時期。当時のジーコとのやり取りを、鈴木は苦笑しながら振り返ったことがある。

「具体的なレクチャーを受けたわけではなく、ジーコの言葉でボコボコにされながらいろいろなことを覚えていった、という感じですけどね」

 ジーコにもたらされたブラジル伝統の[4-4-2]システムは、今もアントラーズの基本的な戦い方として、鈴木を介して受け継がれている。チームを家づくりに例えれば揺るぎない土台を築いた上で、監督候補と交渉する際に必ずある要望を出してきたと鈴木は言う。

「選手起用や戦い方などはもちろん監督の判断で自由に決めていいけれども、3割は鹿島アントラーズの考え方というものを受け入れて、その上に家を建ててほしいというスタンスはずっと変わりません。他のチームのことに関しては分かりかねますけど、アントラーズはフロントと監督の間とのコミュニケーションや連携を、最も密に取っているクラブだと思っています」


伝統を選手から選手へ受け継がせる
独自のチーム作りの設計図とは


 1996シーズンに手にした初タイトルは、アントラーズという確固たるブランドを作り上げるための先行投資が形になっていた。1994年のワールドカップ・アメリカ大会を制したブラジル代表のビッグネーム、レオナルドとジョルジーニョを獲得するには決して小さくはない資金を要した。

 実際に赤字決算が続いた。それでも、地方の小都市をホームタウンとするクラブがJリーグの中で生き残り、2002年の日韓共催ワールドカップの開催都市に選ばれ、カシマサッカースタジアムを改修して収容人員を倍増させ、クラブの収入を増やしていくには大きなインパクトを与えなければならない。

 果たして、1997シーズンはヤマザキナビスコカップと天皇杯全日本サッカー選手権の二冠を獲得。1998シーズンには再びリーグ戦を制覇したアントラーズは、Jリーグを代表する強豪として認知され、将来性ある日本人の新卒選手や日本代表クラスの移籍組が望んで集まってくるブランドを手にした。

 例えば1998シーズンには高卒ルーキーとして、今も現役でプレーするMF小笠原満男、MF本山雅志(現ギラヴァンツ北九州)、2014シーズン限りで引退したDF中田浩二が加入。GK曽ヶ端準もユースから昇格した。いわゆる「黄金世代」の台頭とともに、鈴木はチーム作りの設計図を180度転換させた。

 1990年代はブラジル人選手を幹に、日本人選手を枝葉としてチームを形成した。翻ってJリーグ全体で健全経営が謳われた2000年代に入ってからは、日本人選手を幹にすえて、足りない枝葉の部分を外国籍選手で補う方針が今現在も継続されている。

 そして、加入して3年目になる小笠原たちが一本立ちした2000シーズン。J1、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯の国内三大タイトルを独占した史上初のチームになったアントラーズは、いつしか常勝軍団と呼ばれるようになった。

「加入して3年目、高卒ならば20歳すぎでレギュラーになった選手が、30歳くらいまで主軸を張っていく中で、最後の3年間を次の幹と上手く重ねていくことで、アントラーズの伝統を選手から選手へと受け継がせる。ウチは常に同じ方法で世代交代を進めてきました」

 鈴木が振り返るように、1996シーズンに幕を開けた第一次黄金時代を支えたDF秋田豊、DF相馬直樹、MF本田泰人らの背中を見ながら、小笠原たちはアントラーズで生き残っていくための鉄則を学んだ。その一項目として、練習中における一切の妥協を許さない雰囲気がある。

 前線からプレスをかける方法を巡り、秋田や本田と司令塔ビスマルクが忌憚なく意見をぶつけ合い、ピッチに険悪な空気が充満することは日常茶飯事。紅白戦で控え組が主力組を蹴散らすことも然り。鈴木はそうした光景を笑顔で歓迎した。チームがどんどん強くなる、と。

 しかし、日本サッカー界に訪れた潮流がアントラーズにも波及する。次の幹になる存在だったDF内田篤人、FW大迫勇也、MF柴崎岳らが次々にヨーロッパへ移籍。選手たちの意思を尊重し、一方でジレンマを抱えながらも、鈴木はアントラーズ独自の設計図を堅持してきた。


「小笠原と曽ヶ端の存在が伝統」
2人のレジェンドが若手と中堅を引っ張る


 そして今、米子北高校から加入して8年目のDF昌子源が、名実ともにリーダーとしての存在を築いた。J1年間王者と天皇杯の二冠を獲得した2016シーズン。著しい成長曲線を描き、日本代表でも存在感を増していた昌子はこんな言葉を残している。

「何が伝統かと言われたら、(小笠原)満男さんとソガさん(曽ヶ端)がいることが伝統なんじゃないかと。あの2人についていけば優勝できるんじゃないか、という背中を見せてくれる。いつまでも頼るわけにもいかんけど、本当にあの2人あってのアントラーズだと思うので」

 小笠原と曽ヶ端が39歳になった今シーズン。夏場にDF植田直通がベルギー、FW金崎夢生がサガン鳥栖へ新天地を求めた中でもAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を勝ち抜き、必然的に過密日程となった終盤戦になって、2人のレジェンドが放つ希有な存在感が再びクローズアップされる。

 アントラーズは先月31日にセレッソ大阪との明治安田生命J1リーグ第31節を戦い、中2日の11月3日にはホームにペルセポリス(イラン)を迎えたACL決勝第1戦を2-0で快勝。再び中2日の同6日には、柏レイソルとの同第32節を戦っている。

 サッカーでは原則として試合翌日はクールダウンに、前日はセットプレーなどの確認にあてられる。中2日では追い込んだ練習ができなくなる中で、アントラーズはリーグ戦とACLで大幅にメンバーを入れ替えた。そして、リーグ戦で経験の乏しい若手や中堅を引っ張ったのが小笠原と曽ヶ端だった。

 小笠原はボランチとして2試合ともに先発フル出場。曽ヶ端もレイソル戦でゴールマウスを守った。主力を温存したアントラーズは雄々しく連勝をもぎ取り、暫定3位にまで順位を浮上させてきた。

 セレッソ戦でチームを勝利に導くプロ初ゴールをゲット。レイソル戦では勝ち越された、と誰もが観念した日本代表MF伊東純也のシュートを、ヘディングで弾き返す大活躍を演じた高卒2年目のDF小田逸稀(東福岡卒)は「ベテランの選手たちに引っ張られている」とリーグ戦を振り返る。

「アントラーズはどんな状況でも、絶対に勝たなければいけないので。こうやって試合に出られるのは嬉しいけど、やはりACLの方に出たい。悔しいですけど、セレッソに勝ったことがACL決勝第1戦の勝利に続いたと思うので、レイソル戦の勝利で決勝の第2戦も勝ってくれると思う。僕自身も今は確実に成長しているという実感がある。日々の練習から質の高いプレーが求められるし、紅白戦の方がハイレベルのこともある。そこでも絶対に負けたくないと思っているので」

 小笠原と昌子の間の世代として、伝統を伝える役目を担ってほしいとして、アントラーズは今シーズンから30歳の内田を約7年半ぶりに復帰させた。そして、セレッソ戦を前にして、サイドバックを主戦場とする小田に「緊張しているの?」と耳打ちした内田は、うなずいた後輩にこんなアドバイスを授けている。

「緊張感がパフォーマンスの質を上げることもあるんだよ」

 大先輩とのこんなやり取りを明かした小田は「内田さんのあのひと言で、緊張感を受け入れようと思いました」と笑顔を浮かべた。ポジションを争うライバルは、イコール、家族でもある。クラブの創成期にジーコが授けたイズムは秋田たちから小笠原たち、内田をへて未来を担うホープたちに受け継がれている。

 チーム愛だけではない。紅白戦から火花を激しくぶつけ合う本気モード。負けることを心の底から拒絶するメンタリティー。鈴木が築く強固な土台の上でジーコの魂が色濃く受け継がれてきた、ぶれない軌跡がアントラーズの強さの源泉。そして、今夏にはジーコ本人がアントラーズに電撃的に復帰し、コーチとして登録された。

「もともと強かったわけじゃない。タイトルを獲得するたびに強くなってきた」

 伝統のバトンを握り続ける小笠原が、かつて残した言葉だ。日本時間の今夜零時、8万人以上の大観衆で埋まるテヘランのアザディスタジアムでACL決勝第2戦がキックオフを迎える。クラブの悲願でもあるアジアの頂点に立ち、1996シーズンのリーグ戦制覇から数えて20個目のタイトルを手にした時、Jリーグ屈指の常勝軍団が身にまとうオーラはさらに凄味を増す。

(文中一部敬称略)




◆鹿島アントラーズが20年以上も常勝軍団で居続けられるワケ(ダイヤモンドオンライン)


◆ACL決勝、の前にわかった強さの源。 鹿島で個人アピールは許されない。(Number)



小笠原満男 Mitsuo.Ogasawara


「欧州の選手にとって(欧州)チャンピオンズリーグはレベルがグッとあがる。Jリーグの選手にとってACLの決勝はアジアで1番の舞台。そういう試合の前日練習でのピリピリした緊張感を経験できるというのは、若い選手にとってはすごくいいことだと思う。

 こういう経験を積み重ねることで、明日の試合でも普通に入って、プレーできる選手になって行くんだと思うし。これから代表へ入ったり、海外へ出ていく若い選手にとっては、この決勝が入り口になるから」

 11月2日、ACL決勝戦対ペルセポリス、ファーストレグ前日、内田篤人が語っている。彼自身は10月10日のルヴァンカップで負傷し、リハビリの真っ最中だ。しかし、ロッカールームや別メニューでのトレーニングを行いながらも、トップチームの様子を感じることはできる。

 シャルケ時代には何度も欧州チャンピオンズリーグを戦い、W杯なども含めてビッグマッチの経験は多い。試合前日の緊張感から始まるメンタルコントロールは、平常心で試合に挑むうえで重要なポイントだ。何度もそれを経験してきた内田の言葉は重い。

「普通にできれば、やれると思う」と内田はアントラーズの勝利を予想した。

鹿島は落ち着き払っていた。

 そして、迎えたファーストレグ。アントラーズの選手たちは、非常に落ち着いてプレーしていた。アグレッシブに試合を始めたペルセポリスの圧力にも慌てるところがない。GKのクォン・スンテは相変わらず好セーブでチームを救ってくれたし、昌子源を中心に守備陣も安定感を見せていた。

 前半を0-0で終えると、アントラーズは後半に2ゴールを決める。10分余りの間に2失点したペルセポリスは、退場者を出すなどプレーが荒れた。ファールまがいの強烈なタックルや抗議など、イライラを募らせる相手にも鹿島イレブンは動じなかった。

 2-0の完封で試合を終えたが、実は主力組が完封勝利したのは、9月29日の神戸戦以来のこと。ACL決勝へと駒を進めてはいたものの、10月は7試合を戦って2勝3分2敗。そのうちの1勝がACL準決勝のファーストレグであり、もう1勝は10月31日、控え組の選手たちを起用して戦ったセレッソ大阪戦である。普段出場機会のない選手たちが、「ここで勝って、ACL決勝へ繋げる」という強い気持ちのこもったプレーを見せてくれた。


「今日で引退が延びたんじゃないかな(笑)」

 3日後にACL決勝戦を控え、大岩剛監督は大幅にメンバーを代えた。前線には若い選手の名前も並んだが、小笠原満男と永木亮太というベテランのダブルボランチと昌子が背骨となり、チームを支えた。久しぶりに試合間隔が1週間あったおかげか、選手たちのコンディションはよく、生き生きとプレーする若手が輝いていた。

 そしてこの男も――。昌子が小笠原について話した。

「走行距離のデータでは、一番走っていたのは満男さんじゃなかったけど、俺には満男さんが一番走っているように見えた。俺なんかは試合中にいろいろ言うけど、球際ひとつとっても満男さんは背中で語る。今日の満男さんのプレーを見た若手が感じることっていうのは本当に大きかったと思う。そういう姿勢を見て、僕もここまで育ちました。

 39、40になってもあのプレーができるというのは、俺は本当にすごいと思うし。あれは50だな、引退。今日で引退が延びたんじゃないかな(笑)」

 久しぶりの完封勝利に、主力選手たちの気持ちも引き締まったに違いない。

「この勢いを決勝へ」

 そんな気持ちですべての選手がACL決勝戦へと向かう。

ミスを責めるのは試合の後でいい。

 しかし決勝戦ファーストレグは、「勢い」というよりも「落ち着き」が印象深い試合となった。セレッソ戦の闘志が「動」ならば、決勝戦の闘志は「静」だったように感じた。チームの空気を三竿健斗が証言している。

「今までは試合中に何かうまく行かないとき、誰かのせいにするというか『もっとやろうよ、やってくれよ』と思うことがあった。でもそうじゃなくて、たとえば誰かがミスをしたら、それを叱るとかそういうことを言うよりも、そのミスをカバーしてあげる。今チームにはそういう雰囲気がすごく強くあるんです。

 水原戦で軽いプレーがあってピンチを迎えたとき、スンテが『大丈夫、大丈夫、怒るな』と言ってくれた。そういうときは誰かを責めるよりも、チームを落ち着かせるような言葉が大事だと思うようになった。心の余裕ができた」

 三竿の言葉で、思い出した小笠原の言葉があった。今から10年前くらいだっただろうか。「ミスをした瞬間、一番それを悔いているのはミスをした選手本人。だから、そこで怒る必要はない。あとで話せばいいこと」

 誰かが言葉で導くのではない。チームの空気が選手を育てるのだ。


非主力組を「勝ってこい」と送り出す。

 11月6日の柏レイソル戦も、小笠原を中心に「非主力」と言われる選手がスタメンに並んだ。そして、金森健志、町田浩樹、山口一真がゴールを決め、3-2の逆転勝利を収めている。逆転弾を決めた山口は大卒ルーキー。プロ初ゴールだ。「これを外したらクビになるかもしれない」という覚悟と「だから絶対に決める」という強い気持ちが生んだ得点だと笑った。

 先制しながらも2失点。うまく行かない守備を中盤の並びを微調整し、立て直したのは、小笠原を中心としたベテラン陣だった。

「小笠原、曽ケ端、遠藤(康)、永木は、今日だけを見ても非常に頼りになる。頼りになるという表現は失礼だが、非常に評価している。彼らの経験を若手が吸収していることが、成長できている要因、自信を持てている要因だと思う」

 大岩監督も大きな信頼を寄せている。

 ACL決勝を優先するための主力温存。だから、Jリーグは非主力で戦う、いわゆるターンオーバーのC大阪戦と柏戦。それでも「勝ち」を捨てたというわけではない。普段試合に出せる機会が少ない選手たちを「勝ってこい」と送り出したのだ。リーグ優勝は消えたものの、来季のACL出場権争いは熾烈だ。勝ち点を落とすわけにはいかない。

個人のアピール、ではない。

 リーグ戦2連勝。この成果は非常に大きい。選手層が厚みを増すだけではなく、チームとしての方向性をひとつにしたからだ。C大阪戦後に昌子が語っている。

「試合に出たすべての選手が、この勝利の意味を理解してやっていた。このメンバーで勝てば、ACLにどれだけの影響を与えるのかを理解したうえで戦っていた。全員が割り切った考えをしていたんじゃないのかなと。

 この試合で活躍してACLに出てやる、という考えを持った人たちじゃなかった。ここで、めちゃくちゃいいプレーをして勝って、ACLへ勢いをつけるという考えを持ってやってくれていた。それが、今日の結果を生んだんだと思います」

 出場機会の少ない選手にとっては、絶好のアピール・チャンスだ。しかし、最優先すべきはチームの勝利だ。自分の良いプレーではなく、チームの勝ち。それが鹿島アントラーズというクラブの掟なのだ。

「初めてのアジアのタイトルが懸かった決勝で、俺が目立とう、点を獲ろう、MVPになりたい……選手たちにそういうエゴが出てくると、タイトルを逃すことになる」とジーコも言っている。

「誠実、尊重、献身」

 この精神のもとに選手は集まり、チームがひとつになる。

昨季、1ゴールが足りなかった。

 11月10日の決勝戦セカンドレグ。テヘランのスタジアムには8万人以上が集まる。完全アウェイの地で、果たしてタイトルを手にできるのか?

「ACLのタイトルは本当にチームの悲願なので、しっかりタイトルをとらなくちゃいけない。Jリーグも獲れないし、ルヴァンも落としました。だから、残りの2つ(ACLと天皇杯)は絶対に獲らなくちゃいけない」

 自信に満ちた表情で、永木がそう語った。

 昨季、あと1ゴール足りずにJリーグを獲れなかった。それを雪辱する大きなチャンスが訪れた。しかしまだチャンスでしかない。まだ何も手にはしていないのだから。




◆ACL決勝、の前にわかった強さの源。 鹿島で個人アピールは許されない。(Number)





◆アジア初制覇王手の鹿島、完全アウェイで迎える“後半90分”。今こそJのチカラを示すとき(GOAL)






アジア初制覇へ、負けられない決勝第2戦は11月10日に開催。

AFCチャンピオンズリーグは10日に決勝第2戦が開催。ホームでの第1戦を先勝した鹿島アントラーズが、イランのテヘランでペルセポリスと対戦する。クラブ史上初のアジア制覇へ、鹿島が負けられない大一番に臨む。

■最高の形で迎える第2戦

鹿島は3日に県立カシマサッカースタジアムで行われた第1戦を2-0で完勝。ペルセポリスにアウェイゴールを許さず、最高の形で“前半90分”を終えた。前半、主導権を握ったペルセポリスに対して鹿島は押し込まれる展開が続いたが、GKクォン・スンテを中心とした守備陣がビッグチャンスを阻止。

前半の度重なるピンチを切り抜けると、後半に大声援を背にアントラーズが徐々に流れをつかんでいく。すると58分、土居聖真とのワンツーで中へ切り込んだレオ・シルバが思い切り良く左足一閃。完璧なコースへ放ったシュートは、イラン代表でも守護神を務めるGKアリレザ・ベイランヴァンドも防げず。

劣勢だった前半とは裏腹に鹿島が1点を先行した。先制点奪取で流れを引き寄せた鹿島は、さらに畳み掛ける。70分、FKのチャンスから三竿健斗が落とすと、走り込んでいたセルジーニョがきっちりゴールに叩き込み、追加点を獲得。その後のペルセポリスの反撃をゼロに抑え、理想的な形でタイムアップの笛を聞いた。

特筆すべきは、ACLで5試合連続ゴールをマークしたセルジーニョだ。その決定力はもはや説明不要だが、チャンスメイクの精度もピカイチ。献身的な姿勢は、周りを活かすプレーにも表れている。

また、U-19日本代表でもあり、東京五輪世代の安部裕葵もアンダー世代ながらアジアでの厳しい戦いを経験していることもプラス材料になる。そして、7日発表された11月のキリンチャレンジカップ2試合に臨む日本代表に選出された鈴木優磨も、ここ一番での勝負強さが光る。

日本代表の森保一監督も「鈴木は鹿島でAFCチャンピオンズリーグ決勝に臨み、アジアのチャンピオンを目指す力のあるチームの中で得点という結果を出し、FWの選手として存在感を発揮してくれているので招集した」と、その決定力を評価。物怖じしない強靭なメンタルを武器に、完全アウェイで行われる第2戦で相手を黙らせる一撃が期待される。

鈴木もまた代表選出にあたり「クラブでのパフォーマンスが評価されたから代表に選ばれたということを常に忘れず、鹿島アントラーズのチームメイト、スタッフ、サポーターへの感謝の気持ちを持って、クラブの名に恥じないようなプレーを見せたい」とコメントしている。目に見える結果を残し、森保監督へのアピール材料にしたい。


■鹿島の優勝条件は?





▲ペルセポリスの熱狂的なサポーター

鹿島は第2戦、1点差での敗戦でも優勝が決まる。仮に2点差で敗れても、鹿島が1点以上を奪えばアウェイゴール数により、アジア初制覇を手にすることができる。0-2となった場合は、15分ハーフの延長戦に突入し、それでも結果がつかない場合はPK戦となる。仮に3点差以上となった場合は、敗戦となる。

ペルセポリスのホーム、アザディスタジアムはイラン代表の国際試合も実施する大型スタジアムで、8万人を収容できる。試合当日はペルセポリスのサポーターで埋め尽くされる超アウェイの雰囲気の中、戦うことになりそうだ。

7度目の出場で初のファイナル進出を決め、悲願の初優勝を目指すペルセポリスは、今季ここまでのACLホーム戦で5勝1分けと無敗を築いている。ノックアウトステージではラウンド16、準々決勝でそれぞれ第1戦で敗れながらも、ホームでの第2戦で無類の強さを見せつけて勝ち上がってきた。準決勝では元バルセロナのシャビ、元アトレティコ・マドリーのガビ擁するアル・サッドに競り勝ったことも、警戒すべきポイントだろう。

またJFAによると、ペルセポリスは5日に予定されていた国内リーグ戦を延期する優遇措置を受けており、日本からの帰国後はテヘラン市内で合宿を直行しているようだ。一方で鹿島は6日にリーグ戦で柏レイソルと対戦している。大岩剛監督は第2戦を見据えて大幅なターンオーバーを敷いていた。移動を含めた疲労面では若干鹿島の分が悪いが、持ち前の勝負強さをしっかりと発揮したい。

鹿島は優勝すれば、通算タイトルで20冠目を達成する。すべてが決まる“後半90分”。今こそ日本の、Jリーグのチカラを見せたい。試合は日本時間11日の0時にキックオフする。




◆アジア初制覇王手の鹿島、完全アウェイで迎える“後半90分”。今こそJのチカラを示すとき(GOAL)


◆鹿島昌子、仲間の支えでたどり着いた大一番(ニッカン)



昌子源 Gen.Shoji


アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦は10日午後6時半(日本時間11日午前0時)からテヘランで行われ、初優勝を狙う鹿島アントラーズがペルセポリス(イラン)と対戦する。ワールドカップ(W杯)ロシア大会で日本の16強入りに貢献したDF昌子は「勝って優勝を決める」と気持ちを高ぶらせる。

W杯の余韻も冷めぬうちの7月25日、セレッソ大阪とのJ1戦で左足首を強くひねるアクシデントに見舞われた。当初は全治3週間の診断。だが傷ついた軟骨に痛みが残り、リハビリは長引いた。

その頃、先輩の内田に掛けられた言葉で肩の力が抜けた。「おまえはみんなに頼られて、試合に出てほしいと思われる。だからけがしない限りは休めなかった。今のうちにリフレッシュしろよ」。長期離脱を受け入れて目標をACL決勝に定め、約3カ月後の10月14日に公式戦に復帰した。

昌子が不在の間は代役が必死に穴を埋めた。仲間の支えでたどり着いた大一番だ。守備の要は「改めてチームメートやスタッフの力をすごく感じた。みんなのために体を張って頑張りたい」と特別な思いを抱いて臨む。


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◆鹿島昌子、仲間の支えでたどり着いた大一番(ニッカン)




◆ACL決戦前日…イランで4万人が「鹿島ガンバレ」の声を上げていた!(Qoly)





『Varzesh3』は9日、「AFCチャンピオンズリーグ決勝戦の前日、イランで4万人のサッカーファンが鹿島アントラーズを応援した」と報じた。

10日にイラン・テヘランのアザディ・スタジアムで行われるAFCチャンピオンズリーグ決勝戦2ndレグ。ペルセポリスと鹿島アントラーズが衝突する注目の一戦が、いよいよ迫ってきた。

そんな中、なんとイラン国内で「鹿島頑張れ」の声が上がったという。そこはイランの街タブリーズ。発したのはあの杉田祐希也が所属するトラクトル・サジのサポーターだ。

9日に行われたホームゲーム、ゾブ・アハン戦に訪れた4万人のファンが、「鹿島アントラーズがんばれ、ペルセポリス負けろ」と叫んでいたとのことだ。

その声は一部のファンからスタジアム全体に広がり、試合に駆けつけたほぼ全員が叫んでいたとも。

ペルセポリスと鹿島アントラーズが戦うAFCチャンピオンズリーグ決勝戦2ndレグは、11日の日本時間午前0時にキックオフを迎える。




◆ACL決戦前日…イランで4万人が「鹿島ガンバレ」の声を上げていた!(Qoly)


◆【鹿島】「超アウェー」 磐田・名波監督が19年前語った過酷だったスタジアム体験(報知)







 ◆アジア・チャンピオンズリーグ2018 ▽決勝第2戦 ペルセポリス-鹿島(10日、イラン・アザディスタジアム)

 【テヘラン(イラン)8日=岡島智哉】悲願のアジア制覇を目指し、敵地イランでの第2戦に臨む鹿島は8日、約17時間をかけて当地に到着した。第2戦が行われるアザディスタジアムは、日本代表が過去3度イランと対戦し一度も勝てていない“魔境”。8万5000人以上の相手サポーターが来場する“超アウェー”状態が予想される。1999年にACLの前身・アジアクラブ選手権決勝で同スタジアムのピッチに立った磐田の名波浩監督(45)が当時の壮絶な体験談を語った。

 名波監督は磐田で現役時代の99年4月30日、アジアクラブ選手権決勝でエステグラル(イラン)と対戦。その会場こそ、今回、鹿島がACL決勝を戦うアザディスタジアムだった。

 名波監督(以下名)「アザディスタジアムの外で(敵チームに)投げるための石が売っていた。爆竹やリンゴが足元に飛んできたことも覚えているな。試合前、『バンバンバーン』って爆竹が鳴って、偶然、跳ねたものがMF久藤(清一)の短パンに当たり焦げてたね。そもそもイランはサッカーに懸ける思いが強くて、サポーターも軍隊チックなんだよ。日本代表もなかなか勝てない難しいスタジアム。(8万人以上といわれる)観客数の多さは断トツ。試合後、スタジアムから出るのに2時間半かかったのを覚えている」

 当時、2―1で勝ったが意外な落とし穴もあった。

 名「会場は標高が高い(1274メートル)。空気抵抗が小さいから、前々日練習でロングボール蹴ったらスーって飛んでいった。試合では、サイドチェンジのボールが飛びすぎてラインを割ってしまったし。あの程度の標高なら心拍数は問題なかったけど、セットプレーでは気をつけたね」

 サポーターにとっても完全アウェーだった。

 名「日本人サポーターは100人程度だった。日本から来た人はあまりおらず、現地の日本企業に勤める方や日本人学校の方が来てくれた。でも女性は入れなかった」

 名波監督と鹿島・大岩剛監督(46)は清水商(現清水桜が丘)高時代の同級生でもある。

 名「16年に鹿島がクラブW杯で準優勝した時、当時ヘッドコーチの大岩は賞金をもらっているはず。でも俺は、あいつに何もしてもらってない。鹿島がACL優勝したら大岩払いの晩餐(ばんさん)会を開いてもらうからな(笑い)」

 ◆アザディスタジアム

 ▼開場 1971年

 ▼使用チーム ペルセポリス、エステグラル(イラン)、イラン代表

 ▼収容 約8万5000人。過去最多動員は12万8000人だが、老朽化に伴う工事のため座席数が減少

 ▼標高 1274メートル

 ▼地の利 ペルセポリスは今季ACLで5勝1分けと無敗。決勝T1回戦、準々決勝はともに第1戦のアウェー戦で敗れたがホームで逆転

 ▼日本代表も苦戦 過去3度イラン代表と対戦。06年ドイツW杯の最終予選で1―2で敗れるなど2分け1敗と未勝利

 ▼女人禁制 宗教上の理由から、イラン人は男性のみが来場可能。日本の女性サポーターは肌を極力露出させないことを条件に来場が許可されている




◆【鹿島】「超アウェー」 磐田・名波監督が19年前語った過酷だったスタジアム体験(報知)






◆【鹿島】アウェーで万全調整!“洗礼なし”試合会場へ警察先導(報知)





 ◆ACL決勝 ▽第2戦 ペルセポリス(イラン)―鹿島(10日、イラン・テヘラン)

 【テヘラン(イラン)8日=岡島智哉】悲願のアジア初制覇を目指し、イランでの第2戦に臨む鹿島は9日、会場のアザディスタジアムで最終調整を行った。日本勢は決勝で過去7戦5勝2分けと一度も負けていないが、日本代表MF三竿健斗は「受けの姿勢は絶対にダメ。しっかり先制点を取りにいきたい」と気を引き締めた。

 ■ポリス・エスコート、うなぎ

 同スタジアムは、1999年にACLの前身・アジアクラブ選手権決勝へ進んだ磐田に8万人超の大観衆から多数の石や腐ったリンゴが投げつけられた会場。だが今回は選手がスタジアム入りする際、現地警察がチームバスの前後を固める「ポリス・エスコート」体制を敷く。遠征には日本代表専属シェフの西芳照氏が同行。日本から白米60キロや納豆250パックなどを持ち込み、試合前日の9日夜はうなぎ20キロを振る舞う予定だ。

 ■スタッフの尽力

 3日の第1戦でペルセポリスが来日した際、鹿島はクラブハウスを練習場として提供した。チームバスの停車位置など細かい要求があったが、鹿島側はその全てに応えた。クラブ関係者は「イランでやり返されないためです」と振り返る。8日のイラン入り後、チーム側からの妨害行為は一切なし。第1戦翌日の4日に日本を出発したスタッフの尽力もあり、試合2日前の練習はペルセポリスクラブハウスでの調整に成功。サポーターが安全に観戦できるようにホテルと会場間をつなぐバス7台も確保した。

 ■11度目のアジア挑戦

 過密日程や時差など避けられない諸問題を抱えながらも、裏方スタッフを含めチーム一丸となって最善を尽くしてきた。相手は今季ACLのホームゲームで5勝1分けだが、大岩剛監督(46)は「今季のACLで初めてアザディスタジアムで勝つチームになれるように頑張りたい」と気持ちを込めた。11度目のアジア挑戦でようやくたどり着いた決勝の大舞台。歓喜の瞬間へ、準備は整った。




◆【鹿島】アウェーで万全調整!“洗礼なし”試合会場へ警察先導(報知)


◆鹿島イレブン、イランで舌鼓!専属シェフが帯同、決戦前夜の“勝負飯”はうなぎ(スポニチ)





 銀ダラの西京焼きにチキンケバブ、えびのバジル風味にスパゲティ、ステーキ、ポテト、温野菜。字にするだけでおいしそうなメニューの数々は、鹿島の選手が8日に食べた夕食だ。10日にクラブ主要タイトル20冠目を懸け、イランでペルセポリスとのACL決勝第2戦に臨む鹿島。今回はクラブ史上初めて、日本代表の専属シェフで、昨季は浦和のアジア制覇にも一役買った西芳照氏がアウェーの遠征に帯同した。

 米60キログラム
 銀ダラ4キログラム
 うなぎ10キログラム
 さんま20本
 サバ10本
 塩鮭1本
 さわら3キログラム
 キムチ3キログラム
 豆腐30丁
 味噌4キログラム
 ドレッシング3種類×1リットル
 梅干し10パック
 納豆250個
 パスタ5キログラム
 ふりかけ
 のり佃煮
 なめたけ
 ニンニク醤油漬け

 これらは西シェフがイランに持ち込んだ食材。決戦前夜の9日には、日本代表で試合前夜の“勝負飯”として定番となっているうなぎが夕食で振る舞われる。

 日本からも200人以上のサポーターが駆けつける予定のアサディ・スタジアムでは、大一番への着々と準備が進んでいる。大会のレギュレーションや規定に合わせて、約10日間という急ピッチでスタジアムを改修工事中。VIP席を新設し、元々存在しなかった女性用トイレは男性用トイレの看板を外して用意、記者会見場も新たに準備された。

 試合前日にも関わらず、9日にはスタジアムの敷地外にペルセポリスのサポーターが集結。「3―0、ペルセポリス」と激しいジェスチャーで訴えてくる人がいた。街を歩けば、空港でもホテルでも、多くの人から「カシマ!!」と声を掛けられる。それほどに、現地では決勝が注目されており、鹿島アントラーズの名前が浸透している。チームも、スタジアムも、人々も、準備は万端。いよいよ決戦の火ぶたが切られる。(波多野詩菜)




◆鹿島イレブン、イランで舌鼓!専属シェフが帯同、決戦前夜の“勝負飯”はうなぎ(スポニチ)


◆ACL イランで第2戦 鹿島、いざ決戦(茨城新聞)






サッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦は10日午後6時半(日本時間11日午前0時)からテヘランで行われ、初優勝を狙うJ1鹿島がペルセポリス(イラン)と対戦する。チームは9日、試合会場で最終調整し、大岩監督が記者会見に臨む。

決勝はホームアンドアウェー方式で争われ、2戦合計スコアが並んだ場合はアウェーゴール数で勝敗を決める。鹿島は3日にホームで行われた第1戦を2-0で制した。

優勝チームは12月にアラブ首長国連邦(UAE)で開催されるクラブワールドカップ(W杯)に出場する。

■優勝の条件

鹿島は本拠地での第1戦を2-0で勝利しているため、第2戦は勝利か引き分け、1点差の敗戦、1得点以上の2点差の敗戦で優勝。0-2となった場合は15分ハーフの延長戦を行う。延長戦ではアウェーゴールルールは適用されない。それでも決着がつかなかった場合はPK戦を行う。







◆ACL イランで第2戦 鹿島、いざ決戦(茨城新聞)


◆内田に輝く舞台を 鹿島今夜アジア制覇&20冠へ(ニッカン)



内田篤人 Atsuto.Uchida


【テヘラン9日=今村健人】篤人らのために-。悲願のアジア王者に挑む鹿島アントラーズは10日(日本時間11日)に敵地で、ペルセポリス(イラン)とのACL決勝第2戦に臨む。

前日の9日は試合会場で公式練習を行った。ホーム第1戦は2-0で勝ち、少なくとも引き分け以上で優勝が決まる。今回の遠征メンバーは20人。負傷のDF内田篤人らは国内待機だが、彼らにクラブ・ワールドカップ(W杯、12月12日開幕、UAE)での出場機会をもたらすためにもアジアを制する。

いよいよ決戦の地へやってきた。第1戦を終えてから国内で食事や睡眠、練習の時間を、この試合のために合わせてきた。時差ぼけもない。9日は8万人以上の観客が見込まれるアザディ競技場で練習した。FW鈴木は「普段とやることは変わらない。明日はチームを助けられるプレーをして、最終的にチームが勝っていればいい」と話した。

遠征に臨んだのは20人。だが、国内で待機する11人も含めた全員で、このACLのタイトルに向かってきた。昌子は特に、肉離れで離脱中の内田を思って言った。「篤人くんの輝く舞台、帰る場所はオレら次第である。それをつくりたい」。アジア王者となって臨むクラブW杯を指していた。

今季、内田は4つのタイトル…特にACL初制覇を念頭に、8年半ぶりに古巣に戻ってきた。後半戦は徐々に調子を上げ、ACLでも水原(韓国)との準決勝第1戦で後半ロスタイムに決勝ゴールを決めるなど、チームを押し上げてきた。その直後に負傷で離脱。決勝の舞台に立てなかった。

「このために帰ってきたのに…」と悔しがる思いを誰もが分かる。鹿島では練習後、特に試合に出ていない選手を食事に誘い、声を掛けてきた。そうした行動や振る舞いの1つ1つが団結を生んできた。だから今度は内田のためにも、クラブW杯の舞台をつくる。

初めて出場した16年クラブW杯は開催国枠で出場し、レアル・マドリードとの決勝まで進んだ。今度は自力で勝ち取る好機。12月の大会では初戦を勝てば準決勝でRマドリードと対戦する。クラブだけでなく、内田もシャルケ時代の15年、欧州CLでRマドリードと対戦経験がある。ともに「リベンジ」の機会がかなう。「クラブW杯は『対世界』。慣れた人がいてくれるのは、すごくありがたい」と昌子は復帰を待ち望む。

泣いても笑っても、あと1戦。全ては「鹿島」のためにアジア制覇に向かう。







◆内田に輝く舞台を 鹿島今夜アジア制覇&20冠へ(ニッカン)




◆【鹿島】ACL決勝第2戦前日会見 優磨「アグレッシブに」日本時間11日0時キックオフ(報知)



大岩剛 Go.Oiwa


 ◆ACL決勝▽第2戦 ペルセポリス(イラン)―鹿島(10日、イラン・テヘラン)

 悲願のアジア制覇を目指し、ホームでの第1戦を2―0で勝利した鹿島は9日、第2戦会場のアザディスタジアム(テヘラン)で最終調整を行った。

 公式会見には大岩剛監督と日本代表FW鈴木優磨が出席。大岩監督は「アウェーの戦いというのは非常に難しいが、これまで戦ってきた中で毎回体験してきたこと。立ち上がりをしっかり入ることで自分たちの流れのゲームにしたい」と話し、鈴木は「自分たちから積極的に。試合の入りからアグレッシブにやっていきたい」と意気込んだ。




◆【鹿島】ACL決勝第2戦前日会見 優磨「アグレッシブに」日本時間11日0時キックオフ(報知)





◆鹿島公式練習 土居が緩い土、高地の気圧に警戒(ニッカン)






悲願のアジア制覇に向けてペルセポリス(イラン)とのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦を翌日に控えた9日、鹿島アントラーズの選手はテヘラン市のアザディ競技場で公式練習を行った。

芝生が長い上に土が緩く、また、高地による気圧の関係でボールが思ったよりも伸びるという。日本にはない環境。MF土居聖真は「予測のさらに予測をしておかないといけない」と警戒した。

また、8万人以上のサポーターが訪れる競技場では、ピッチ上で声が通らない可能性がある。DF山本脩斗は「歴史がある感じがしたし、客が入りそうだなと。常に声を出すことも必要だけど、今までやってきたことが大事になってくる。90分間、集中を切らさないことが大事」と話した。




◆鹿島公式練習 土居が緩い土、高地の気圧に警戒(ニッカン)





◆バストラブル、相手サポーター…選手のタフさに期待(ニッカン)






運が良かったのか、悪かったのか。

9日、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦の前日公式練習を取材するために、アザディ競技場へ移動する。厳戒態勢のさなか、イランの日本大使館やアジア・サッカー連盟、あるいは地元警察などから警備の都合上、メディアもまとまって行動することが命じられていた。そこでチャーターした大型バスに日本メディアと一部のクラブスタッフが乗車し一路、競技場へと向かっていた。その途中だった。「ガコンッ」と激しい音がしたのは。

恐らく、高速道路上の予期せぬ段差にバスの底部が衝突し、エンジントラブルが生じた関係でタイヤの空気圧に異常が発生した。結局、治らないと判断。関係者は大いに焦った。競技場まで、まだ道半ば。歩ける距離ではない。急きょ、タクシーを何台も手配するか-。そう迷っていたとき、地元の通訳を兼ねたガイドが、すぐ近くを通るレンタカーのマイクロバスを見つけた。「本当に偶然。すごく運が良かった」と関係者。全員乗り移るまで、さほど時間はかからなかった。

そして着いた競技場では、しかし、厳戒警備か、バスが小型になったためか、なかなか中に通してもらえない。そうすると、中の「日本人」を見つけたペルセポリスサポーターが徐々に輪をつくり、囲み出した。何度も指を立てて「3-0」もしくは「4-0」のポーズを取る。中には、首を切るマネをする人も。1人のイラン人が突然、ドアを開けて中に入り、動画撮影を始める一幕もあった。なかなかの状態だった。

実は、鹿島の選手たちのバスも、数人にだが囲まれていたという。DF安西幸輝は「オレはびっくりしました。今までのACLではない雰囲気は感じましたね」。DF昌子源は「ペルセポリスのサポーターがみんな『4』って指を立てていた。3点じゃない、4点。(第1戦2-0の)倍取ってお前らに勝ってやる、という意図だと思う」と読み取った。

これが入りの際の出来事。夜の帰りの際はもっと多くのペルセポリスサポーターが集まっていて、バスにとりつき、何度もたたかれた。前日でこれ。8万人以上が収容できるとされるアザディ競技場で、当日は果たしてどれだけの相手サポーターが集まるのか。

街中では、日本人と見れば「カシマ!」と声を掛ける人たちが多い。イランで、少なくともテヘランで注目度の高い一戦。それだけ厳しいアウェーになることが予想されるが、乗り越えるだけのタフさを、選手たちに期待したい。【今村健人】


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◆バストラブル、相手サポーター…選手のタフさに期待(ニッカン)





◆鹿島昌子、ストレスの原因は西の歌?も笑い流す(ニッカン)






悲願のアジア制覇に向けて、鹿島アントラーズは10日(日本時間11日0時)、テヘラン市のアザディ競技場でペルセポリス(イラン)とのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦に挑む。

今回の中東遠征には、クラブとして初めて日本代表専属シェフの西芳照氏に頼み、同行して食事を担当してもらっている。肉や野菜は現地調達だが、米60キロやうなぎ10キロ、豆腐30丁、納豆250個などを日本から大量に食事を持ち込み、8日の夕食は銀だらの西京焼きなどが振る舞われ、9日の夕食もうなぎだった。

DF西大伍は「ご飯はいいですよ、普通に。ストレスは全然ないっす…あっ、でも昌子は、ストレスがあったらしいです」と突然、打ち明けた。

何がか、と聞くと「僕の歌声がうるさかったんで。昼間に全力で歌ったので」。聞けば午前10時半ごろ、西はロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」の歌「スパークル」を大声で歌い出したという。なぜか、と聞くと「そういう気分でした(笑い)」。

これに対して、隣の部屋の昌子は当時、2度寝に入っていたという。2人の部屋の間にはドアがあり、声がよく通る仕組みだった。「だからバッと起きて『えっ、日本語? 何かヤバイ。遅刻したんか』と焦りを感じてしまった」。

これがストレスの原因? だったようだ。それでも昌子は「(歌声が)バリうまかったから、良しとしよう」と笑い流していた。


◆鹿島昌子、ストレスの原因は西の歌?も笑い流す(ニッカン)