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2020年9月9日水曜日

◇Jリーグ・NPBが政府に要望書「観客上限2万人、50%」Jでは独自基準30%、アウェー席も段階的解禁へ(ゲキサカ)






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 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)と日本野球機構(NPB)は7日、オンラインで共同記者会見を行い、観客入場制限の緩和を求める要望書を政府に提出したと発表した。現状の「上限5,000人、収容率50%のどちらか小さいほう」から「上限20,000人、収容率50%のどちらか小さいほう」に変更するよう求めたという。

 要望書はJリーグの村井満チェアマンとNPBの斉藤惇会長よる連名で、新型コロナウイルス対策を担当する西村康稔経済再生担当大臣にメールで提出。今後、郵送でも再度提出する。

 Jリーグやプロ野球における観客入場制限は、政府が定める大規模イベント開催制限に伴う措置。政府は現状、9月末までをステップ3として「上限5,000人、収容率50%のどちらか小さいほう」という基準を設定している。ステップ4では「収容率50%」という基準への移行が視野に入っているが、両団体側は「上限20,000人」という中間基準も加えて提案した。

 村井チェアマンは「多くのファン・サポーターの皆さんのご協力もいただき、ガイドラインを遵守していただく形で、スタジアムでは大きなクラスターとか感染連鎖が起こらずにここまで来ることができた」とし、「Jリーグの場合はスタジアムの形状、大きさに差異がある。これまで(5,000人という)一律の基準で見ていくと、大きな日産スタジアム、埼玉スタジアムでは90%以上が空席となり、収容率が一桁台になっていた」と現状を説明した。

 その上で「地域の感染状況が異なるが、クラブの裁量範囲を一段階引き上げることで、柔軟に対応できるかなと考えている。サッカーは多くのクラブが行政所有を使わせていただいており、公共交通も利用させていただくことから、政府の見解、行政のご判断を丁寧にお聞きしながら今後も進めていく」と述べ、クラブ単位で柔軟な対応をしていく方針を示した。

 緩和が行われた場合、Jリーグでは当面の間、自主基準として「収容率30%」を目安に緩和を進めていく予定。村井チェアマンは「今回20,000人基準を示していただければ裁量範囲が広くなるが、クラブが自主的な安全管理を見極めながら増やしていくというステップを踏んでいく。いきなり20,000人とはならない可能性がある」と先を見据えた。

 またJリーグ独自のガイドラインでは現状アウェー(ビジター)観客の入場を禁止しているが、この点も段階的に緩和を進めていく構えだ。村井チェアマンは「人数の緩和とアウェーの緩和を同時にすると、クラブも対応に神経を使うことになるので、Jリーグではアウェーはワンステップ置いてしっかり対応していく。どこかのタイミングではアウェーのお客様にもお越しいただける努力をしていこうと考えているが、(観客上限緩和と)同時ではないと考えている」と述べ、時期をずらして対応していく方針を示した。

(取材・文 竹内達也)




◇Jリーグ・NPBが政府に要望書「観客上限2万人、50%」Jでは独自基準30%、アウェー席も段階的解禁へ(ゲキサカ)





◆「彼のプレーに目が釘付けになった」宮澤ミシェルが思い出す、引退した内田篤人デビュー時の衝撃(週プレNEWS)






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サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第165回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマは、内田篤人について。先日のガンバ大阪戦を最後に、32歳にして現役を引退した内田篤人。宮澤ミシェルは、彼のプレーを初めて見た時のことを振り返り、「目が釘付けになった」と当時の驚きを語った。


*****

内田篤人が8月23日に現役を引退したけど、ひとつの時代が終わったような感じがするな。

彼がJリーグにデビューしたのは2006年。清水東高から入団して間もない選手が、"あの"鹿島アントラーズで開幕戦からスタメンで起用された。初めて彼のプレーを見たときの驚きは、つい昨日のことのように思い出せるよ。

当時のアントラーズは、内田が入団する前年の2005年はG大阪と浦和レッズに押され気味でリーグ戦は6位だったけれど、Jリーグカップは準優勝で、天皇杯もベスト4。

高卒ルーキーの開幕戦スタメン起用が弱小クラブでのことなら特別な驚きはなかったと思うけど、Jリーグ屈指の強豪クラブでのことだったからね。初めてそのプレーを見たときから目が釘付けになったな。

どこに惹かれたかと言ったら、プレーする姿がカッコよかったんだよな。ウッチーのルックスがいいという話ではなくてね。

高卒ルーキーで体も今よりは細くて、当然だけどパワー不足。だけど、それが気にならないくらいスピードと柔軟性があってさ。自分が現役選手として持っていなかった能力でもあったらか本当に羨ましかったんだよね。

なにより憧れたのが、ボールの置き方。内田はパスを受けると自分の体の正面にボールを置くんだよ。いろんなサイドバックを見たらわかることだけど、その位置にボールを置ける選手はあまりいない。

理由はSBがトラップしたボールをそこに置けば、相手に晒すことになるから、相手のプレッシャーを受けたときに奪われるリスクが高まるからなんだ。

それなのに内田がそこにボールを置けるのは、プレッシャーをかけられたらポンッとボールを動かせば相手をかわせる感覚を持っていたからだし、それができるスピードがあったから。解説席から内田のプレーを見て、「あのスピードが自分にもあればなあ」と何度も思ったものだよ。

だけど、内田のすごさは、そうした特別な才能を持ちながらも、常に向上しようとしたとこだろうね。

2010年のW杯南アフリカ大会はメンバー入りし、チームはベスト16まで勝ち進んだけど、試合に出場できないまま終わってさ。W杯後にその悔しさを持ってシャルケに移籍して、チャンピオンズリーグのベスト4を戦った唯一の日本人選手になった。

右サイドを駆け上がる内田の勇姿には、いつもワクワクさせられたよな。

2014年W杯ブラジル大会は試合に出場できたけど、今度はチームが惨敗。きっと「次こそは!」っていう思いを強くしたなかで、右ヒザを手術することになって。現役生活の後半は ほとんどが右ヒザとの戦いになっちゃったよね。

2018年にJリーグに復帰したときは、キャンプに内田を見に行ったんだよね。強度の高い練習は外れたりしていたけど、全体練習はできていたし、個別にスタンドの階段を上り下りをガンガンやっていてさ。

その姿を見たときは、もしかしたらW杯ロシア大会のメンバー入りも大逆転であるかもなと思ったほど。結果的にメンバー入りはできなかったけど、W杯はウッチーのサッカー人生にとっていつも転機になったという印象があるな。

それにしても、まだ32歳だぜ。日本代表で同じ時代を戦った同世代の本田圭佑や岡崎慎司、香川真司はまだ現役でやれていることを思えば、ウッチーだってもっと現役でやれたはずだし、もっと彼のプレーを見たかったよ。

もちろん、本人がそれをできなかった悔しさは一番強く持っているのはわかるんだけど、それでも悔しいよな。どうしたって右ヒザさえと思っちゃうもの。

ウッチーが引退後はどうしていくのかわからないけど、やっぱりサッカー界に戻ってきてもらって、現役時代の経験を後進に伝えてほしいよな。

ヒデ(中田英寿)にしろ、俊輔(中村)にしろ、本田にしろ、香川にしろ、ほかの日本選手たちが経験できなかったチャンピオンズリーグでのベスト4の戦いという財産を、ウッチーは持っているわけだからね。

ヒデのように引退後は自分のやりたいことに向かう可能性はもちろんある。だけど、ウッチーはあの甘いマスクの裏にはサッカーへの熱い想いを秘めているから、きっとサッカー界に戻ってきてくれると期待しているんだ。

まずはしっかり休養を取って、しばらくは家族孝行をしてから決めればいい。

ウッチー、14年間おつかれさまでした!



◆「彼のプレーに目が釘付けになった」宮澤ミシェルが思い出す、引退した内田篤人デビュー時の衝撃(週プレNEWS)


◆福田正博が内田篤人に見た理想の日本人SB像。圧倒的な賢さの中身(Sportiva)






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■内田篤人が引退を表明した。20代後半からはケガとの戦いになってしまったが、鹿島、シャルケ、日本代表ですばらしいプレーを披露し、日本人選手のサイドバック像をつくりあげた。そんな内田のすごさ。そして、プロ選手にとってケガとの対峙がいかに大変なものなのかを、福田正博氏に明かしてもらう。


 まずはお疲れ様と伝えたい。

 内田篤人が8月23日のガンバ大阪戦で現役を退いた。だが、まだ32歳。右ヒザの故障もあって、この5年くらいは本人が納得のいくプレーができなかったなかでの決断だったのは理解できる。それでもやっぱり早すぎるし、もっと彼のプレーを見たかったというのが率直な気持ちだ。

 清水東高から鹿島アントラーズに進んだ2006年、高卒ルーキーながらも開幕戦からスタメン出場。07年には日本代表合宿に初招集され、翌08年1月にはチリとの親善試合で日本代表にデビュー。若くして日本のトップ選手へと駆け上がった。

 しかし、10年南アフリカW杯ではメンバー入りしたものの、試合出場はなし。その悔しさから、成長するために選んだのが海外移籍だった。W杯後の7月にブンデスリーガのシャルケへ移籍し、1年目の2010-11シーズンにはチャンピオンズリーグ(CL)ベスト4の舞台に立った。

 シャルケと日本代表で不動の右SBとして存在感を高めて迎えた14年ブラジルW杯大会を控えたシーズンで右ヒザを痛めたが、リハビリに励んでW杯に間に合わせた。

 ただ、この反動だったのかはわからないが、その後は思うようにプレーができなくて右ヒザの手術に踏み切った。これが彼のサッカーキャリアの転換期になった気がしてならない。

 シャルケには7シーズン在籍したが、彼が満足にプレーできたのは実質3年半ほど。まばゆい輝きを放った20代前半に比べ、手術以降の内田は右ヒザの故障との戦いの日々になってしまった。

 18年1月に鹿島に復帰したが、その背景にはロシアW杯があった。内田にとって10年W杯は出場ゼロ、14年は惨敗。18年はやり返したい思いが強かったのだろう。鹿島に復帰し、当時の大岩剛監督も積極的に内田を起用したが、やっぱりヒザが思うようにならず、代表入りはならなかった。

 内田のキャリアを振り返ると、フィジカル面の負荷が相当なものだったのだなと感じてしまう。

 大柄で屈強な選手が多く、接触プレーが激しいブンデスリーガで、判断のよさや戦術理解度、技術力に加えて、試合を重ねるなかで相手と体を当てるタイミングやポジショニングを見直して、内田はフィジカル面でのハンディを克服した。

 ただ、サイドバック(SB)というポジションであっても、身長差のある体格の大きな相手選手とヘディングで競り合うケースはいくらでも生まれる。たとえば、SBは逆サイドから攻め込まれた時にはゴール中央にポジションをスライドし、クロスボールがあがってくれば相手FWとの空中戦をしなければならない。

 こうしたフィジカルコンタクトの積み重ねに、右ヒザが悲鳴を上げた可能性は否めない。

 内田にとって、ケガからここまでの間が相当に辛かったことは想像に難くない。私の場合、現役時代にグロインペイン症候群に苦しんだが、回復を目指す道のりが右肩上がりではない故障は、やはり精神的に苦しいものがある。

 よくなったり、悪くなったりしながらでも、少しずつ回復している実感があれば励みになる。しかし、よくなったと思ったら、一気にまた振り出しに戻る。再びよくなるようにリハビリに励んで、行けるかなと思ったら、また突き落とされる。出口が見えないなかでも黙々と故障と向き合うのは、相当に辛い。

 しかも、選手は自分のトップフォームを忘れない。故障から復帰を目指す時もそこに向かっていく。これは若ければ若いほど、高いレベルを知っていればいるほど顕著になる。内田は26歳で故障を抱えたが、常にベストな状態だったそれ以前の自分を追いかけてしまったのではないかと思う。

 もし内田が30歳を超えたくらいで故障とつき合っていくことになっていたら、若かった頃のトップフォームとはまた違う新たな自分のプレースタイルを模索し、それを受け入れてまだ現役をつづけていた可能性はあるだろう。

 だが実際の内田は、最終的には現状の自分を受け入れ、「自らの引き際を自分で決断できるタイミングで」という美学を貫いて引退を決めた。

 彼の切り拓いた道は、日本サッカーにとっては大きいものがあった。

 体格に恵まれていない日本人SBがヨーロッパでもプレーできることを、長友佑都(マルセイユ)と共に証明し、その後の酒井宏樹(マルセイユ)や酒井高徳(ヴィッセル神戸)の海外移籍にもつながった。

 SBとしての内田のすばらしさは、まずパスを受けた後にボールを置く場所にあった。相手に対してボールを晒して奪われる危険性を承知のうえで、攻撃的なプレーに移行しやすい場所に置いた。そして、戦況を判断して攻撃参加するタイミングもよかった。これは圧倒的な賢さがあればこそのプレーだった。

 日本代表では左SBの長友、右SBの内田というのが14年までのベストチョイスだったが、そのプレースタイルは好対照だった。

 左サイドで長友が激しくアップダウンを繰り返し、右サイドでは内田が状況を見ながら気の利いたプレーをする。その違いが当時の日本代表の魅力になっていた。

 今夏には室屋成がFC東京からハノーファーへと移籍したが、内田、長友、酒井宏樹、酒井高徳と、一時期はSBの人材に事欠かなかった日本代表も、いまではその勢いがなくなっている。

 引退後の内田が何をするかは聞いていないが、以前は「指導者には興味がない」と言っていた。だが、年齢を重ねていくと考えは変わるもの。少し休養したら、サッカー界に戻ってきてもらいたいと思う。

 CLでベスト4を経験した貴重な日本人として、彼にしか伝えられないものがある。それを後進にしっかりと伝えていってほしい。そして、いつの日か内田のようなすばらしい選手を育ててくれることを願っている。






◆3年ぶり4連勝へ鹿島監督「できていること継続を」(ニッカン)






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鹿島アントラーズのザーゴ監督が8日、オンライン取材に応じ、約3年ぶりの4連勝がかかったベガルタ仙台戦(9日、カシマ)に向けて「相手の長所を消すのも大事だけど、自分たちがここ数試合でできていることを、いかにやり続けるかがポイント」と継続を要求した。

8月26日のFC東京戦、同29日の柏レイソル戦、9月5日の名古屋グランパス戦と現在3連勝中。直近の名古屋戦では、先制して試合を優位に進める理想的な展開で勝利をつかんだ。

ザーゴ監督は「相手にゴールの遠くでプレーさせたり、高い位置からプレッシャーをかけてボール奪取ができるようになった。相手ペナルティーエリア付近でのパス交換、動きだし、シュートを求めていたが、それを自然体に表現できるようになった」と、攻守両面でのチームの成長を高く評価。今季は最下位からのスタートだったが、内容と結果を手にし、現在9位まで順位を上げている。

仙台戦に勝利した場合、他会場の結果次第では4位まで浮上できる。川崎フロンターレの独走状態を考えるとタイトルは難しいが、指揮官は「最低限ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)出場枠(3位以内)をとらないといけない」と自らに言い聞かせた。


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◆3年ぶり4連勝へ鹿島監督「できていること継続を」(ニッカン)




◆【鹿島】土居聖真「プレッシャーをかけられるように」9日仙台戦 1か月ぶりのホーム勝利で3年ぶり4連勝狙う(報知)






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 鹿島のMF土居聖真が7日、仙台戦(9日・カシマ)に向けて鹿嶋市内で行われた練習後のオンライン取材に応じ、8月8日の鳥栖戦(2〇0)以来となるホームでの勝利を見据えた。

 直近2節で3発とアウェー3連勝に貢献した土居。5日の名古屋戦(3〇1)では1点差に詰められ、流れが傾きかけた場面で試合を決定づける貴重な追加点を挙げ、堅守の名古屋を打ち崩した。

 好調の裏には「ひとつの転機」があった。7月4日の再開後は右サイドが主戦場だったが、8月23日のG大阪戦(1△1)からはトップ下で出場。臨んでいたポジションでパワーを爆発させた。中央に位置することで左右どちらの攻撃にも加勢し、得意なスペースへの飛び出しなどで攻撃を活性化。自身のゴールにもつなげた。「思いっきりやれるようになった。チームの攻撃の部分を担えている。いい流れがきているのかな」と本人も手応えをつかんでいる。

 その言葉通り、G大阪戦からは3勝1分と、チーム全体としても復調の兆しを見せている。この勢いを継続し、3年ぶりとなる4連勝をつかみたい。「上位陣に負けずにくらいついたことは自信。ホームで負けたら無駄になってしまうので、気を引き締めて戦えれば」と気持ちを新たに意気込んだ。

 今季は開幕4連敗とクラブ史上ワーストの滑り出し。首位の川崎とは勝ち点17差だが「正直なところ見ないようにしている」。それでも20のタイトル獲得を誇るクラブの生え抜きらしい言葉も出た。「いつの間にこんなつまってたの? ってプレッシャーをかけられるように。目の前の試合を戦うのが重要になってくる」。静かに、そして力強く言い切った。


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◆【鹿島】土居聖真「プレッシャーをかけられるように」9日仙台戦 1か月ぶりのホーム勝利で3年ぶり4連勝狙う(報知)




◆【鹿島】Jリーグ再開2か月、土居聖真が語った『5人交代枠の本音』「ちょっと違和感。サッカー自体がガラっと変わってしまう」(サカノワ)






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「たくさんの選手が出られて、勢いを変えられるのはいいところだと思います」その一方で――。3連勝中、明日、ホームで仙台戦!


[J1 15節] 鹿島 – 仙台/2020年9月9日19:00/カシマサッカースタジアム

 J1リーグ鹿島アントラーズの土居聖真が9月7日、オンラインによるメディア取材に応じて今季これまでの戦いぶりとともに9日のベガルタ仙台戦に向けた抱負を語った。

 リーグ戦2試合連続、計3ゴールと好調の土居は、名古屋グランパス戦(〇3-1)のゴールについて、「ファーを狙ったのですが、キーパーの取りにくいところに飛んで、結果的に入ってくれて嬉しかったです。ペナルティエリアのところを攻略できた結果だと思います」と振り返った。

 また、一時期は右サイドハーフでのプレーが続いた。チームは一進一退を繰り返し、トップ下(2トップ)で出場したいという思いもあった。そうしたなかガンバ大阪戦(△1-1)からトップ下で起用。そこから4試合、チームは3勝1分と負けていない。最近は3連勝中だ。

「ちょっと力を溜めて、そこ(トップ下)で出たいという欲が解放されました。自分らしいスペースへの飛び出しであり、組み立てやチャンスメイクのところをより思い切りできるようになりました。チームの攻撃の部分をより担えて、そこからチームの得点も増えて、負けずにいます。右サイドでやり続けたからこそ一つの転機になり、いい流れになってきています」

 そして仙台戦に向けて、「アウェー3連戦からホームに戻り、3連勝した自信や強さをホームで見せなければいけない。ホームで負けてはこの3連勝も無駄になってしまいます。ここでもう一度、気を引き締めて、連戦でもありますし、チーム全体で戦えればと思います」と意欲を示した。

 また、新型コロナウイルスの影響への配慮から、7月のリーグ再開から「5人交代制」がFIFAの推奨ルールとして特別に導入されている。再開から2か月、賛否さまざまな意見(どちらかというと賛成が多いようだが)が出ているなか、土居はこんなことを思っているという。

「交代枠については、いい点、悪い点があると思います。個人的には、5人が代わるとちょっとサッカーっぽくなくなってしまうというか、チーム自体が変わってしまう。もちろんいい面はありますが、少し違和感を覚えています。その感じのほうが大きいです」

 土居はメリットを挙げながらも、「違和感」を拭えずにいると語る。

「サブや試合に出られずにいる選手にとってはチャンスで、たくさんの選手が出られて、勢いを変えられるのはいいところだと思います。一方、ちょっとサッカーがガラッと変わりすぎるのかな、と。もしも僕がファンだとすると『ズルイな』という見方になってしまうと思います」

 基本的にはゴールキーパー、センターバックなど守備の選手は90分フル出場することが多い。一部の選手はフル出場を前提に戦っている。一方、攻撃の選手は、運動量が落ちれば積極的に交代されていく。負けているチームは早めに手を打っていく。

「5人の勢いある選手が入ってくると、ルールで認められているのは分かりますが、全く別のサッカーになってしまう。試合を重ねてきて、それは感じています。いい面もありますが、そう感じることもあります」

 鹿島は下位の苦しい時期も、好調な勢いにある時期も戦っている。それだけに、土居の言葉は説得力がある。

 鹿島は9月9日、4試合ぶりにホームで仙台と対戦する。







◆【鹿島】Jリーグ再開2か月、土居聖真が語った『5人交代枠の本音』「ちょっと違和感。サッカー自体がガラっと変わってしまう」(サカノワ)