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2018年9月23日日曜日

◆鹿島復帰は喜びだけではなかったジーコ。 「非常にがっかりしている」(Sportiva)



ジーコ Zico


遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(29)
ジーコ 前編


◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
◆森岡隆三が鹿島で過ごした日々は 「ジレンマとの闘いだった」(Sportiva)
◆清水への移籍を迷った森岡隆三。 鹿島と対等での戦いに違和感があった(Sportiva)
◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)
◆安部裕葵は断言。「環境や先輩が 僕をサッカーに夢中にさせてくれる」(Sportiva)


「最後に不用意なミスがあったからな」

 取材を受ける犬飼智也の後ろを通り過ぎた羽田憲司コーチは、顔見知りの記者ばかりだと確かめたうえで、犬飼にツッコミを入れる。勝利の喜びを浮かべていた犬飼の表情が一瞬で引き締まる。

「さっき、羽田コーチにも言われましたけど、やっぱりああいうミスをしてはいけなかった」

 ACL準々決勝対天津権健戦。ファーストレグに続き、セカンドレグも完封勝利を飾った鹿島アントラーズ。

 多くの怪我人に悩まされたシーズン開幕から半年が過ぎた。リーグ優勝が困難な状況は未だ続いてはいるが、ACLだけでなく、ルヴァンカップの準々決勝も突破した。苦しい時間がやっと実になろうとしているのかもしれない。若いチームは着実に進化を示しているという手ごたえもある。

「行くところと自陣に引いて守るところ。そういう意識をチーム全体で共有できている」と対天津権健戦のセカンドレグ後、三竿健斗は振り返った。

「昔のチームのレベルと比べたら、今の11人がめちゃめちゃレベルが高いかって言ったら、そういうわけでもない。それでも僕自身の過去に跳ね返されてきた。それを次のラウンドに進めるというのは、素晴らしいこと。今の鹿島には若い選手がいるし、俺とか(小笠原)満男さんとか、ソガさん(曽ヶ端準)とか、昔からやっている人もいるし、(大岩)剛さんも含めて、ハネさん(羽田コーチ)とか、悔しい経験をしたスタッフもいます。そういう人たちの想いがあるから。準決勝は韓国のチーム、うちにはふたりの選手、ひとりの通訳と3人の韓国人がいるから絶対に勝たせてあげたい」と内田篤人は、チームの、そしてチームメイトや仲間たちの「想い」について口にした。

 これもまたひとつの自己犠牲精神なのだろう。

 試合後、ロッカールームから出てきた大岩剛監督の手には、試合で使用した用具があった。ACLのアウェイ戦ではスタッフも総力戦で荷物を運ぶ。鈴木満強化部長が台車を押す姿を見たこともある。立場に関係なく、手の空いた人間が助け合う。こんなところにも『スピリット・オブ・ジーコ』の「献身・誠実・尊重」が感じられた。

 小笠原満男はその日も取材対応はしなかった。それでも「壁をひとつ越えましたか?」と声をかけると、人差し指と中指を立てた。Vサインにも見えるし、あと2ステージあるというふうにも見える。どちらかはわからないが、その表情は柔らかかった。

 クラブ史上初のベスト4進出を飾った9月18日マカオの夜、鹿島アントラーズは温かな空気に包まれていた。




 2018年夏、16年ぶりにジーコが鹿島アントラーズに戻ってきた。テクニカルディレクターとして、トップチームの試合に帯同し、毎日そのトレーニングを視察し、育成年代のチームの練習にも姿を見せるなど精力的に仕事を行なっている。インタビューは来日から3週間が経った8月22日に行われた。この時間はジーコがクラブの現状を把握することに費やされたようだ。

――鹿島アントラーズの仕事に再び就いて、一番うれしかったことはなんでしょうか?

「サポーターが変わらずチームを支えている姿というのは、非常に喜ばしい姿でした。そして、私が以前から言っていた下部組織の整備、強化ができていること。下部組織の選手たちがトップチームで活躍しているのもうれしいことでした。日伯友好カップ(1998年から毎年開催されるU-15チームによる大会。鹿島アントラーズやJリーグ選抜などが参加し、ブラジルの同世代のチームと対戦している)などの海外遠征の機会は、選手としての成熟を促したと考えています。そして、昔、アントラーズでプレーし、象徴となった選手たちが現在クラブで仕事をしていることも喜ばしいことでした。それは、現役の若い選手にとっての励みになるでしょう。今後自分が活躍すれば、引退後にこんな立場、仕事に就けるという新たな夢、目標にもなるはずで、非常によかったかなと思います」

――いろんなクラブでお仕事をされてきたわけですが、鹿島アントラーズはジーコさんにとってどのように特別なクラブでしょうか?

「特別なクラブといえば、最初にブラジルのフラメンゴを挙げなければなりません。子どもの頃から20年間、私を育ててくれたフラメンゴは特別なクラブです。選手として、人間として、構築し、教育してくれた場所ですから。

 そして、アントラーズも非常に特別な存在です。クラブを作るときから、私は携わってきたのですから。アントラーズでは11年間仕事をしました。その後、4年間は日本代表での時間を過ごしましたが、私の中では、日本で仕事をした15年間は鹿島アントラーズに関わったという気持ちなのです。というのも、鹿島アントラーズがあるから、私は日本代表の仕事に就いた。アントラーズの人間として、アントラーズを代表して、日本代表の監督をやっているという自覚を持っていました。

 その後、トルコやギリシャなど多くの国でも仕事をしましたが、私のキャリアのなかで、『結果』を残したのは、フラメンゴに次いで鹿島アントラーズだなと思っています。クラブ創設時から、アントラーズでの仕事については、いろいろなことにこだわり、愛情を注いできたという自負があります。

 だからこそ、シーズンの途中で、テクニカルディレクターとして、クラブに関わることは、あまり好ましいタイミングではないという風にも思いました。しかし、要請があるということは、鹿島アントラーズが何か問題を抱えているということだと思い、この仕事を承諾したわけです。

 そして、来日から20日ほどが過ぎました。正直に言うと、私が作ったアントラーズは別のアントラーズになってしまったと感じ、非常にがっかりしています」

――問題点があるのでしょうか? それはなんでしょう?

「問題点というよりも、修正しなくてはならないことがあるんです。人生のなかで、あなたも私も、問題は多く抱えているでしょう? そのなかでも仕事については、修正すれば改善できることも多いはずです。だから私は『こういうふうに改善すれば』と提案させてもらうわけです」

――どういう点でしょうか?

「すべてをここでは話せませんが、ひとつ挙げれば、下部組織の整備というのは、私がずっと求めてきたことです。そして、現在、下部組織で育った選手がトップチームのレギュラーとして活躍できるようになり、安定しているなと感じています。けれど、今後も若い選手たちが『鹿島に来たい』という気持ちにさせる必要があります。そういう意味では、創設から25年余りが経ったインフラ面での整備を進めるべきではないかと思っています。今以上にクラブとしてのレベルアップが必要です。若い選手が鹿島へ来たときに、サプライズというか、感動してもらえるようにしなくてはいけないと」

――インフラというと、クラブハウスについてということでしょうか?

「今、アントラーズは下部組織とトップチームは同じ施設で練習をしています。しかし、世界のトップクラブの多くでは、トップチームと下部組織は別の設備、環境で活動しています。トップにはトップの、下部組織には下部組織のクラブハウスやトレーニングセンターが整備されている。アントラーズもそろそろ、下部組織を独立させる必要があると考えています。これはクラブが成長するためにやむを得ないことでもあります。

 もちろん、新しい施設を作り、運営するには資金が必要となります。新たなスポンサーや施設を作る業者を探さなければなりません。そういう力を貸してくれる企業にとっても、鹿島アントラーズは必ず優勝する、もしくは優勝争いをするとなれば、メリットはあるでしょう。この25年間、鹿島アントラーズがピッチの上で表現してきた、残してきた結果を今後も続けていくと示すことで、企業も興味を持ってくれるのではないかと考えています」

――鹿島アントラーズのサポーターだけではなく、日本のサッカーファンが鹿島アントラーズに戻ってきたジーコさんが、どんなふうに鹿島を変えるのか注視しています。そんな期待を感じていますか?

「鹿島アントラーズがこの25年間作り上げたものがあります。しかし、私がここを離れてからの間に起きたことに対しては、私は関わっていません。なので、今はアントラーズの現状を把握しなければなりません。今起こっていることは、急に始まったことではなく、おそらく、以前からその予兆があったはずです。そして、現在のいろいろな問題、課題になったのだろうと推測しています。だから、私が来て、いきなりそれを変えられません。

 ただ唯一できるとしたら、選手個々の成長を促すための助言でしょう。もちろん、私自身の今までの経験を活かして、『こうしたほうがいいんじゃないか』と助言をすることもできます。そのうえで、変えるか、変えないかというのは、助言を受け止める側の意識になります。強制はできないし、短時間で変えるのはなかなか難しい。

 本当に変えるとしたら、シーズン前から関わって、スタッフ、選手など、いろいろなものに対して、昔のように私が権限を持ち、行なうことが必要だと考えています。それは、来年、来シーズンの話になってくる。なので、今年中にすべてを変えられるわけではないと思っています。それでも今は少しずつ修正を提案していくということしかできない。半年間で何かを変えようとしても、数年前から起きていることを変えるのは、難しいでしょう」

(つづく)


◆鹿島復帰は喜びだけではなかったジーコ。 「非常にがっかりしている」(Sportiva)