日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年8月12日日曜日

◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)



三竿健斗 Kento.Misao

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(24)
三竿健斗 後編

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)


 アディショナルタイムに突入している。残り時間わずかで迎えたFK。それは多分、最後の得点機になると誰もが思っただろう。

 8月5日カシマスタジアム。清水エスパルスを迎えた鹿島アントラーズは、連戦の疲労を考慮し、ベテランの小笠原満男、若い金森健志、移籍加入したばかりのチョン スンヒョンとスターティングメンバーを大幅に入れ替えていた。試合開始前のウォームアップ中にGKのクォン スンテが負傷し、急遽、曽ヶ端準が出場するというアクシデントにも見舞われている。  

 堅い守備でゴールを守る清水相手に得点を奪えない。逆に清水のカウンターでピンチにさらされてもいた。シュートがポストに当たり救われるシーンは2度もあり、スコアレスドローで逃げ切ることができれば、幸いなのかもしれない、そんな試合展開だった。

 後半41分、大岩剛監督は遠藤康に代えて、内田篤人をピッチへ送り込み、3枚目の交代カードを切った。右サイドバックを務めていた西大伍が1列前にポジションをとる。

「僕は得点を決めるタイプの選手じゃない。だけど、考えたのは、ドログバのように途中出場すると、空気が変わってしまう選手のこと。相手が嫌だなぁと思う選手。そういうことを意識していた」と話した内田。スペースがあると感じていたサイドで、何度もパスを前線へ供給し、攻撃のリズムを作った。

 この試合、クサビのパスを受けるたびに相手の守備により、プレー続行が叶わないシーンが繰り返されていた鈴木優磨。アディショナルタイムでのFKも鈴木が倒されて得たものだった。永木亮太が蹴ったボールをゴール前でスンヒョンが落とす。そして、右手に立つ西がそれを蹴り、ゴールが生まれ、試合は1-0で終了する。

「粘り強い」

 以前、鹿島について訊いたとき、スンテはそう答えた。しかし、今季の鹿島はその粘りをなかなか発揮出来ていなかったのも事実だ(逃げ切ることはあっても、勝ち切ることは少ない)。だからこそ、これがジーコ効果なのかと、テクニカルディレクターに就任したばかりのジーコのことを思わずにはいられなかった。 

 試合前日の8月4日から、チームに帯同しているジーコは、鹿島アントラーズの礎を築いた人物だ。「アントラーズのユニフォームに袖を通すことの意味を改めて伝えたい」と、テクニカルディレクターとしての仕事について語っている。そんなジーコイズムのひとつが「どんな試合でも勝つこと」である。

 勝利がもたらす好影響は数多い。クラブ運営、選手育成、チーム強化に繋がるのは当然だが、同時に大きな喜びや希望を人々に与えてくれる。

 劇的な勝利によって、歓喜に揺れるスタンドがそれを示していた。





 2018年5月、ワールドカップロシア大会のメンバー選考合宿の一員に選出されながらも、大会メンバー入りは果たせなかった三竿健斗。ワールドカップ出場、そしてそこでの活躍は、2013年U-17ワールドカップ出場時からの目標だ。2022年のワールドカップカタール大会へ向けた森保一新日本代表監督就任を受けて「鹿島で活躍することが、一番代表入りのチャンスに繋がる」と語っている。

――U-17ワールドカップに出場したとき、自分と世界との距離をどんなふうに感じていましたか? 大会後には(ドイツ・ブンデスリーガの)ブレーメンが興味を持っているという報道もありました。

「僕たちは個というよりも集団で戦うチームだったので、そういう戦いをすれば、17歳同士であれば、世界とも戦えると。でも、差が出るのは17歳以降だと思ってもいました。僕ら日本人の選手は、高校生のチーム、ユースチームに所属しているけれど、海外の選手は早いと16歳とか17歳でトップチームでプレーをしている。そのトップチームも非常に高いレベルだから、そこで差が出るなと。だから、なるべく早くトップチームに上がって、どんどん上へ行きたいというイメージを描いていました。U-20とか、オリンピックというふうに段階を踏んでというよりも、ワールドカップ、フル代表を目標にしていました。年代別の代表に入っていなくても、フル代表で活躍している選手はたくさんいるので、そこはあまりこだわっていませんでした」

――「U-17ワールドカップの経験を忘れずに」という選手もいますが、やはりそれを大会後も維持するのは難しいものでしょうか?

「そうですね。スピードが違うので、最初の1週間くらいしか持たない。しかも、トップチームでプレーしている選手たちは、プロとして、生活を賭けてやっているから。高校生チームでプレーするのとではプレッシャーも違うので」

――当時所属していた東京ヴェルディは、下部組織のレベルも高く、トップへ上がる選手も多い。

「ユースをすごく大事にしてくれて、4,5人毎年上がっていたし、そういう場を作ってくれるクラブだったから、それはとてもありがたかった。高校生であっても2種登録でトップチームで活躍するのが当たり前という感じでしたから。そこを目指してやっていました」

――そして、高校卒業後の最初のシーズン、レギュラーとしてJ2で戦ったあと、2016年シーズンに鹿島アントラーズへの移籍を果たします。

「鹿島以外にもいくつかのクラブからオファーを頂いたんですが、鹿島でやりたいと思いました。実は、子どものころ、ヴェルディへ入る前には、鹿島のサポーターだったんです。夏休みには、父の運転する車でカシマスタジアムへも行き、ゴール裏で応援したり、味の素スタジアムにも何度も鹿島の試合を見に行っていたので、移籍が決まったときは、うれしかったですね」

――レベルも高いし、競争も厳しい鹿島で試合に出られるだろうかという不安はなかったですか?

「試合に出られないなんて思っていなかったですね。そんな弱気でいたら、この世界ではやっていられない。もちろん自分がスタメンで出るというふうに思って鹿島へ来ました。チームメイトのプレーを見ることで学べるし、成長のきっかけが鹿島ではたくさんつかめると」

――しかし、移籍後の最初のシーズンは4試合しか出場できませんでしたね。

「プレッシャーの速さが全く違いました。パスコースが空いていると思ってパスを出したら、すぐに奪われる。パスを誘われていたんですよね(笑)。そのうえ自分が強みだと思っていた守備も、誰もが普通にやっていた。レベルが本当に高かった。自分がやるべきこと、伸ばさないといけないことがたくさんあると痛感しました。力不足を感じることばかりでしたね。(小笠原)満男さんを見て、(永木)亮太君を見て、(柴崎)岳君を見て、学ぶことも多かった。僕はサッカーノートを書いているんですけれど、当時はいろいろと書くことがたくさんありましたね。いろんなタイプの選手がいるから」





――試合出場までの道のりは長い。悔しさが大きかったのでは?

「まだ19歳だったし、最初のころは全然できないと思っていました。試合にも出られないし、ヤバいなぁって。でも、できなかったことができるようになったり、失敗が成功へ変わったときの達成感があったんです。誘われてパスを奪われることがなくなったり、逆に僕が相手を油断させて、ボールを奪ったときとか、小さな達成感を味わえる喜びがありました」

――移籍前は試合に出ると思っていたけれど、出られない毎日を過ごしたと。

「時間があるので、結構本を読むようにもなりました。試合に出られない自分の気持ちを持ち上げてくれる言葉や文章に出会って、人間的にも成長できたと思います。そういう言葉によって、心が豊かになったなと思います」

――サッカー以外の時間も上手に使っていたと。

「そうですね。試合に出られないから、練習もたくさんしました。鹿島では、試合に出られない選手がめちゃくちゃ努力しているので、『自分も負けられない』という感じで、相乗効果が生まれていました。試合に出られない現状について、理解はしていたし、納得する部分もあったけれど、同時に『すぐにでも試合に出たい』という気持ちは常にありました」

――鹿島で試合に出るための準備期間だったんですね。

「自分に足りないものを補う時間に使えました。試合をスタジアムの上から見て、戦術や人の動きを見ながら、自分の能力をあげる時間にもなりました。それに控えチームが強いときって、本当にチーム自体が強いんですよね。2016年は、紅白戦をやっても、控えのチームが勝つことが多かったし。それは『スタメンで出てやる』という気持ちや気合が入っていたからだと思います。(鈴木)優磨は当時、ベンチ入りし、途中から試合に出て、点も決めていた。あいつの『やってやろう』という感じは、僕にはまだ足りないものだなと思っていました。だから、自分もギラギラした姿勢で練習していたし、それが試合出場に繋がった。出られていない選手が、なんで出られないんだという悔しさを、ぶつけることは大事だと思います。現状を理解しつつ、でも、俺を出せっていう気持ちも持たなくちゃいけない。理解できていないと、ただの不満にしかならないから」

――ワールドカップロシア大会の最終メンバー選考合宿に招集されましたね。連戦を経て、膝の負傷もあったなかでの選出でした。

「コンディション的にはよい状態ではなかったですけれど、呼んでもらえたのだから、痛いとか言っている場合ではなかったですね」

――それでも、メンバー入りは果たせませんでした。

「メンバーに選ばれることを目標にしていたので、悔しかったです。でも、よくよく考えたら、自分はワールドカップの半年前に初めて代表に呼ばれた。J1で試合に出られるようになったのは、その半年前。鹿島で1年通して試合に出られてなかったことを考えたら、頑張ったなという感じもあります」

――次のワールドカップへ向けた4年間がスタートしましたが、ワールドカップというのは三竿選手にとってどういう大会なのでしょうか?

「現在の僕にとって、結構重いし、大事な大会です。ワールドカップに出るために、そこで仕事をするために、いうのは、いつも考えていることだから。ワールドカップでチームを勝たせる選手になること、活躍したいから、海外でプレーしたいという気持ちもあります。でも、ワールドカップでプレーすれば、自分の足りないものを痛感できるだろうし、そこで活躍することが、欧州チャンピオンズリーグ出場が当然というクラブに所属するチャンスになるだろうし。だから、ワールドカップは一番でもあるけれど、一部でもある……難しいところですね」




◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)

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