日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年6月7日水曜日

◆鈴木優磨5分退場、HondaFC1-0鹿島…Jリーグが公式サイトの誤表示で謝罪(サカノワ)



鈴木優磨


天皇杯2回戦の複数カード、昨日開催された神戸-バルセロナ戦で。


 Jリーグは6月7日、13時30分頃からシステム障害によりJリーグ公式ホームページ(J.LEAGUE.jp)で、一部誤った情報が表示される事象が発生したと報告し、「当該クラブのファン・サポーターの皆さま、ならびにクラブ関係者の皆さまに多大なご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。Jリーグによると、ホームページの修正は完了し「今後同様の事象が起きぬよう再発防止に努めてまいります」としている。

 同日13時30分から16時40分頃まで、Jリーグ公式ホームページ(J.LEAGUE.jp)の「日程・結果」(「試合速報」も含む)、「ニュース」、「テレビ放送」、「試合詳細」、「フォト」、「動画」などの各ページで問題が発生。6日に行われたヴィッセル神戸-FCバルセロナ戦、7日に組まれた天皇杯2回戦のツエーゲン金沢-FC町田ゼルビア、鹿島アントラーズ-Honda FC戦の試合結果でも誤表示が起きた。誤ってテスト環境用のデータを本番環境に取り込んでしまったために起きたという。

 このうち鹿島対HondaFC戦では、Hondaが1-0で勝利、5分に鈴木優磨が退場処分と表示されていた。そのため、テスト用とはいえ、鹿島のファンから多くの怒りの声が上がった。





◆鈴木優磨5分退場、HondaFC1-0鹿島…Jリーグが公式サイトの誤表示で謝罪(サカノワ)


◆【鹿島】今季の天皇杯初陣となる2回戦Honda FC戦へ。藤井智也「簡単なゲームにはならない」(サッカーマガジン)



藤井智也


6月5日、鹿島アントラーズの藤井智也が練習後のオンライン取材に応じた。J1リーグでは前節浦和レッズ戦でスコアレスドローに終わり、3試合連続で引き分け。次は7日に行なわれる天皇杯2回戦でカシマスタジアムにアマチュアシードのHonda FCを迎える。


「Honda FCは、とても強い印象があります」


 6月7日、鹿島が今季の天皇杯初陣を迎える。昨季は準決勝まで駒を進めたものの、カシマスタジアムで甲府に屈してベスト4に終わった。あの敗戦から8ヵ月が経ち、再び頂点を目指して戦う初戦(2回戦)の相手は、アマチュアシードのHonda FCだ。

「Honda FCは、毎年のように天皇杯でJクラブを破っているので、とても強い印象があります。大学時代の先輩もいますので、そういう意味でも負けられない試合だと思っています」

 5日にオンライン取材に応じた藤井智也はそのように話し、Honda FCを警戒する。負けたら敗退となる大会なだけに、カシマスタジアムで勝利をつかんで、次のステージへと進みたいところだ。

「まず最初に、簡単なゲームにはならないことを意識して試合をしなければいけないと思います。相手に先制される可能性だってあるので、そういうときにはいかに落ち着いてプレーできるかがすごく大事です。相手のカテゴリーが下だということをまったく考えずに、いつもどおりの試合だと捉えて臨むことも大事だと思っています」

 スピードを武器にサイドを突破する背番号「15」が、鹿島を高みへと導く。




◆【鹿島】今季の天皇杯初陣となる2回戦Honda FC戦へ。藤井智也「簡単なゲームにはならない」(サッカーマガジン)





◆なぜサポーターの居座りは起こる? 鹿島「IN.FIGHT」設立者を直撃、その始まりと”真意”(FOOTBALLZONE)



INFIGHT(インファイト)


【識者コラム】「IN.FIGHT」設立者の河津亨氏の思い「クラブとサポーターは、一緒に『アントラーズを作っている』」


 5月13日には、試合後にACミランのサポーターと監督や選手がスタンドとピッチで話をする場面があった。日本でも、サポーターが試合後に居残ってクラブとの話し合いを要求したという場面が今シーズンもいくつか見られている。

「敗戦に頭に来ているのなら、後半途中で帰ればいいじゃないか」という意見もあるが、そこには「選手たちの前にサポーターが諦めるわけにはいかない」というサポーター独特の美学も見える。

 たしかに、居座るという行為や、監督や選手、クラブ関係者をスタンドの前に呼びつけるという行動は、それ自体が暴力的に映る。だが、いろいろな国で起きている敗戦の後の破壊活動と、試合後のブーイングや居座りにはちょっと違ったニュアンスがありそうだ。

 実は、選手に対するブーイングはJリーグ発足前からあった。きっかけは1984年9月30日にソウルで行われた日韓戦で、蚕室競技場のこけら落としとして行われたこの試合に日本が2-1と勝利を収めると、試合後は韓国人の観客から自国代表チームに対して激しいブーイングが起きたのだ。

 その風景に衝撃を受けた日本のサポーターたちは、1988年10月26日に国立競技場で行われた日韓戦に敗戦を喫すると代表チームにブーイングを浴びせた。1990年イタリアワールドカップ(W杯)アジア1次予選で早々に敗退すると、当時の監督に対する辞任要求の署名活動も行われ、チームとサポーターの関係が冷え切っていた時代もあった。

 もっとも、実業団チームに対するブーイングは起きたことがなく、クラブに対するブーイングはJリーグ発足後になる。では、今の「居座り」はどのようにして始まり、どんな考えで行われていたのか。鹿島アントラーズのサポーターグループ「IN.FIGHT(インファイト)」の設立者であり、現在も名目上は代表を務める河津亨氏に話を聞いた。

「クラブとサポーターは、一緒に『アントラーズを作っている』という意識がありました。クラブの人たちも『地元の人たちとの関係を構築したい』という気持ちが前面に出ていて。だからよく僕は相談しにクラブハウスに行ってました。例えば、『紙吹雪を使った応援をしたい』という要望を出すと、『それだったら試合前に清掃の時間を作るよ』とか、いち早くスタジアムの中に横断幕の置き場を作ってくれたりとか」





スタジアムの熱狂度を保ち続ける手段の1つがクラブとの直接対話


 それでも、試合後にサポーターが居座ることはあった。

「僕が前に立っていたころは、負けたから、といって怒ったりすることはなかったと思います。サポーターが頭に来たのは選手の移籍に関しての話が多かったですね。『この選手はチームにとって必要なはずなのに、どうして移籍させるんだ』って。それで文句を言うことが一番だったと思います」

「ただし」と、河津氏は続ける。

「熱を持って応援していると、どうしても不満が出ることはあるんです。だから事前に『今日のみんなの怒りは止められないよ』とクラブに連絡しておいたりしました。そうすると、クラブ側も『だったら社長に説明に行ってもらうから』と準備してくれていたりしました」

 そして、スタジアムの熱狂度を保ち続ける手段の1つがクラブとの直接対話だった。

「熱狂度って抑えるのは簡単なんですよ。日本人って『止めろ』といえば止めちゃうんです。でも、サッカーにとって熱を持っていることはすごく大事じゃないですか。だから、当時クラブからは『事前に分かってるのだったらやめさせてくれ』ではなくて、どうやってみんなの熱狂度をしっかりと保ったうえ、で問題を解決できるかというのを考えてくれました」

 Jリーグ発足前、日本サッカーリーグ時代の最後は2部に所属していた企業チーム、「住友金属工業」が本田技研サッカー部から選手を補強して「鹿島アントラーズ」になった。地域の人々から応援してもらえるようになるための努力は大いにあったことだろう。それにはサポーターが果たした役割も大きかったはずだ。

 それでは、どうやって鹿島にサッカーの火が燃えさかるようになったのか。

 鹿嶋市出身の河津氏が地元にできるプロチーム、鹿島アントラーズに興味を持ったのは1991年、22歳の時。地元で「若者が行くバーは1軒しかなかった」という場所で選手たちと話す機会があり、そこから応援しようと心に決めたという。だが、当時の応援団は前身の住友金属の社員などが中心で、入れてもらうことができなかった。そのため自分でサポーターグループを作ろうと決心した。

 音楽活動もやっていた河津氏はさっそくバンド仲間と活動を開始し、「サポーター募集」と市内のいろいろな場所に貼り紙をして回った。河津氏が演奏していたパンクロックとサッカーは、本場イギリスで相性が良かったものの、プレー経験がなかった河津氏にはサッカーの知識がまだ多くなく、同時にいろいろな試合を見て勉強を重ねるとともに、仲間を募っていった。


新型コロナの影響もあり、サポーターとクラブが密接に話をできない状況はマイナス


 だが、当初障害になっていたのが「全ホームゲームが見られて1万円」というチケットを購入することだった。1試合あたりにすれば格安なのだが、Jリーグ発足前とあっては果たしてサッカーにそこまでの価値があるのかということをなかなか理解してもらえない。人数は次第に増えていったが、1993年5月16日のホーム開幕戦の時には約40人程度だったという。

「いろいろ駆けずり回って20人ぐらい集まったところで、初めて公民館で練習することにしたんです。ところが、その日祖母が危篤になってしまったんですよ。僕は元々『おばあちゃん子』だったので、すごく悩みました。僕が行かなければ、今日の20人はもう集まってくれないかもしれない。それで練習に行き、そこから病院に駆けつけました。祖母はギリギリ待っていてくれたんです」

 その時、病院で思ったことが河津氏のそのあとを決めた。

「その時『ここまでやったんだったら、もうとことんやろう』と思って。こんな思いをするんだったら、あの、やりかけたこと、途中で投げ出したら、うん、ちょっとかっこ悪いと思って。やれるとこまでとことんやってやろうと思ったんですよ」

 1993年5月16日の入場者数は1万898人。満員ではなかった。河津氏はそれからも試合ごとにスタジアムで若い人たちに声をかけていき、みんなで集まって応援の練習をして、鹿島のスタンドに熱狂を次第に作り上げていく。

 河津氏は1999年にゴール裏を退いて、鹿嶋市議会議員になった。現在で7期目、5月からは副議長を務めている。特に力を入れているのは、観光や祭り、そしてサッカー関連。今でも「IN.FIGHT」の代表を務めているのは「自分のあとを誰がやるかということで争いが起きてはいけないから」と言う。

「今は若い人たちに任せて自分は一切口を出していない」というが、SNSを通じて非難の声がどんどん届くそうだ。「選挙間近にサポーターたちがバス取り囲んだ時や、ツイッター見て『イン・ファイト』がトレンドワードに入っていた時は目がくらみましたよ。『やりやがった』って(笑)」。

「だけど」と、河津氏は続ける。

「今のサポーターは大変だと思います。新型コロナウイルスの影響もあって、クラブとサポーターが密接に話をすることができなかった。その間に運営会社にはいろんな人が入ってきて、地元と関係を作ろうと思ってもできなかったと思います。接点が少なくなっている中で、サポーターがクラブハウスに相談に行くような関係はなかなか築けないですからね」

 今のクラブに対する思いを聞くと、「僕たちは、地元の人たちがスタジアムにできる限り多く足を運べるように努力しますから、クラブはチームを強くしてください」という答えが返ってきた。そのままサポーターとしてのセリフと言ってもいい内容だった。

(森雅史 / Masafumi Mori)




◆なぜサポーターの居座りは起こる? 鹿島「IN.FIGHT」設立者を直撃、その始まりと”真意”(FOOTBALLZONE)





◆【鹿島】“強敵”Honda FC戦へ岩政監督「天皇杯ではカテゴリーは関係ない」(サカノワ)



岩政大樹


「今獲得しつつある自分たちのスタイルをしっかり出せれば、相手は嫌がるはず。それが自分たちにとっても有効に」


[天皇杯 2回戦] 鹿島 – Honda FC/2023年6月7日19:00/カシマサッカースタジアム

 鹿島アントラーズ(J1リーグ)の岩政大樹監督が6月6日、オンラインによる取材に応じて、翌日の天皇杯2回戦 Honda FC(JFL)戦に向けて抱負を語った。天皇杯初陣に向けて指揮官は「鹿島にとって、どの大会も、どの試合も一戦必勝です。特にこの大会は、一回でも負ければ終わってしまいます。難しい試合になると思いますが、必ず勝ち上がらなければいけません」と引き締め、同大会ではリーグのカテゴリーは関係ないと強調した。

「(Honda FCの“番狂わせ”が天皇杯では多いが?)僕個人の考え方として、番狂わせという考え方は持っていません。天皇杯はみんな同じ条件で試合が始まり、勝ったほうが残り、負けるほうが落ちていきます。周りはカテゴリーの話をしますが、それはリーグのカテゴリー。天皇杯はトーナメントにみんなが入り、何回戦から出場するかの違いはあるものの、条件が異なりません。そういうメンタリティで、選手にも試合に入ってほしいですし、そういうものだと思っています。どこのカテゴリーが勝っても関係ないと思います」

 おそらく現在のベストメンバーで挑んでくるHonda FCに対し、岩政監督は次のように対策などを語った。

「鈴木(雄也)選手がいろいろな面の中心だと思いますが、それぞれのポジションに、それぞれ特徴のあるタレントが揃っています。いずれにしても、自分たちが攻守において今獲得しつつある自分たちのスタイルをしっかり出せれば、相手は嫌がるはずです。それが自分たちにも有効です。その力を出せるメンタリティとバランスを見つけられればと思います」

 アントラーズのスターティングメンバーは直近のリーグ戦の浦和レッズ戦(△0-0)から入れ替わることになる。指揮官は約20人ほどはレギュラーの域にあり、そのなかで競争が起きていると語っていた。そこから、誰がピッチに立っても、これが鹿島だという強みを示したいと意欲を示した。

「チームとしてのスタイルは固まってきています。そこで選手たちが切磋琢磨し合い競争し、そこで結果を残す選手になれるのかという戦いが始まり、それが続いています」

 タイトル獲得へ。鹿島はさっそく強敵との重要な一戦を、カシマスタジアムで迎える。




◆【鹿島】“強敵”Honda FC戦へ岩政監督「天皇杯ではカテゴリーは関係ない」(サカノワ)





◆鹿島・岩政監督“ジャイキリ”常連のホンダFCを警戒「優勝してもおかしくない」7日天皇杯2回戦(スポニチ)



岩政大樹


 J1鹿島の岩政大樹監督(41)が6日、天皇杯の初戦となる2回戦ホンダFC戦(7日、カシマ)に向けてオンラインで取材に応じ「難しい試合になると思うが、必ず勝ち上がらなければいけない」と意気込みを語った。

 4部相当の日本フットボールリーグ(JFL)に所属するホンダFCは、21年の天皇杯2回戦で横浜をPK戦の末に下すなど、過去に何度もJクラブ相手にジャイアント・キリング(大番狂わせ)を演じてきた。

 岩政監督は「僕個人は番狂わせという考えは持っていない。天皇杯は同じ条件で試合が始まって、勝った方が残って負けた方が落ちていくだけの大会」と淡々と語った。「周りはカテゴリーの話をするが、それはリーグのカテゴリー。選手にもそういうメンタリティで試合に入ってほしい。昨年はJ2クラブが優勝したが、どのカテゴリーが優勝しても別におかしくない」と警戒感を強めていた。

 前回大会は準決勝でカテゴリーが下のJ2甲府に敗れた苦い記憶もある。敗戦直後には「クラブ史に残る大失態」と肩を落としていた岩政監督だったが「正直なところ、あまりあの試合は頭にないです。新しい大会に対して、今のチームをどう進めていくかというところで頭がいっぱい。あそこを取り返す意識は残念ながら一切ない。いま言われるまで覚えていなかったですね。そういうものですね。現場って」と話していた。





◆鹿島・岩政監督“ジャイキリ”常連のホンダFCを警戒「優勝してもおかしくない」7日天皇杯2回戦(スポニチ)





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