日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年4月12日日曜日

◆非常事態宣言から4週間…柴崎岳が近況報告、奥さんの誕生日迎え「何を作ろうかな」(サッカーキング)







 デポルティーボに所属するMF柴崎岳は11日、自身のnote( https://note.com/gakushibasaki )を更新し、「今日は奥さんの誕生日」とのタイトルで近況を報告した。

 新型コロナウイルス感染拡大による影響で、スペインでは3月14日に非常事態宣言が出され、4月11日で4週間が経った。柴崎は期間延長の可能性に触れつつ、「恐れている事は、再び感染者が急増する事です」と非常事態宣言の解除後を懸念していることを明かした。

「規制緩和されたからと言って、ウイルス発生前の生活に切り替える事は難しく、人々が自宅待機期間と同じか、それ以上に周りの環境に配慮する必要があると思います」

「人々の意識が変わらないまま、規制緩和をしても再び同じ事が繰り返されるでしょう。僕自身は、この非常事態宣言が解けた後も細心の注意を払って行動したいと思っています」

 懸念している理由について、「スペインに3年半程住んでいる僕の目から見たスペイン人の一般的な文化や習慣、気質がこういった状況の時に悪い方向に転がるんではないかと考えているからです」と見解を述べ、さらに柴崎独自の視点でスペインの人たちの生態をつづっている。

 また、日本でも緊急事態宣言が出されたことに言及し、「大事なのは自分が感染するリスク、感染させてしまうリスクを頭に入れ、予防の為の行動形式を取り入れる事です。いずれそれらのエチケットが当たり前になれば、今後新型コロナウイルスだけに関わらず、自分の健康を維持する事は可能になります」と記した。

 そして最後に、4月11日が妻である女優の真野恵里菜さんの誕生日であることを切り出し、外出制限のせいで事前の計画が台無しになったことを明かしつつ、「いつも家の事をしてくれたり、ご飯を作ってくれたりして大変だと思うので、今日くらいは代わりにやろうと思います。何を作ろうかな」と、家事を行うことを明かした。

柴崎岳の公式note:「今日は奥さんの誕生日」より



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◆非常事態宣言から4週間…柴崎岳が近況報告、奥さんの誕生日迎え「何を作ろうかな」(サッカーキング)


◆Jリーグ伝説の5チーム。強力な布陣、憎らしいほどに強い…歴史に残る最強のクラブは?【再掲】(フットボールチャンネル)






◆◆サッカーダイジェスト / 2020年4月23日号




鹿島アントラーズ(2009年)


鹿島アントラーズ
09年シーズン成績
・リーグ戦:1位(勝ち点66/20勝6分8敗)
・リーグカップ:ベスト8
・天皇杯:ベスト8
・ACL:ベスト16
監督:オズワルド・オリヴェイラ(ブラジル/当時58歳)

2009年の主な先発メンバー
GK:曽ヶ端準
DF:新井場徹、伊野波雅彦、岩政大樹、内田篤人
MF:青木剛、小笠原満男、本山雅志、野沢拓也
FW:マルキーニョス、興梠慎三

 過去に5つのクラブが2連覇を達成しているJリーグ。チームの状況も年々変わるなか、3年連続で頂点に立つのは非常に難しい。しかし、3連覇を達成したクラブが一つだけある。鹿島アントラーズだ。

 2007年に大逆転で優勝すると、翌年は安定した強さを発揮して連覇を達成。そして、2009年も鹿島の年となった。終盤にかけて5連敗を喫するなど、決して圧倒的な強さを誇ったわけではない。それでも、他クラブが追いつけなかったということは年間通しての強さがあったからに他ならない。小笠原満男、本山雅志ら黄金世代は円熟の時を迎え、岩政大樹は『鹿島の3番』として壁を築いた。興梠慎三はエースとなり、大迫勇也という希望も台頭した。そして、内田篤人は日本を背負うまでになった。

 また、前人未踏の3連覇で満足しないのが鹿島。今季は念願のACL制覇も果たし、クラブとしての成長は止まることを知らない。

【了】


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◆鹿島・上田綺世“反骨心”に導かれ成長/プロに聞く(ニッカン)



上田綺世 Ayase.Ueda


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トップアスリートは、いかにして生まれたのか? 東京オリンピック(五輪)世代のU-23日本代表FW上田綺世(21=鹿島アントラーズ)は、周囲からプロは無理だと言われた悔しさや父に認められたいという“反骨心”を胸に、プロの世界へ駆け上がってきた。時系列にあわせて心の変化を追うと、たくましい精神の形成過程が見えてきた。Jリーガーを夢見るサッカー少年へ、上田の半生をお届けする。

 ◇  ◇  ◇

茨城・水戸に生まれた上田は、小学1年生でサッカーを始めた。所属していた少年団の練習は日曜日のみ。平日は学校が終わると、近所の公園で日が暮れるまでボールを蹴った。ただただ、サッカーが楽しかった。土曜日は父とシュート練習に励んだ。どんなクロスにも泥臭く反応して、無人のゴールに何本も蹴り込んだ。

小学5年生からは、サッカースクールにも入った。市選抜より上に行けなかったことで向上心に火が付き、プロになりたいと思い始めたのがきっかけだった。スクールで学んだのは個人戦術。

「1対1や2対2、狭い局面でのボールさばき、駆け引きなど。週4回くらいは通いました。常にボールを蹴っていたかったのもあるけど、(週末の試合という)“本職の舞台”で活躍するために必要な戦術を学びました」





小学6年生では関東選抜まで上り詰めた。自分よりうまい選手が多い環境に、ひたすらワクワクした。

ライバルより上に行きたい-上田の向上心は止まらなかった。中学校進学を前にセレクションを受け、鹿島の下部組織に加入した。スクールにも引き続き通った。

「サッカーをしない日はなかった。もちろん遊びたいとか、サッカーが嫌になった時期はあったと思う。サッカー漬けにすればいいわけじゃないけど、ハードなスケジュールでサッカーをやり続けたから、今があると思う。中学生のころは体の成長に悩んでいて、上達したかったんです」

中学入学時の身長は150センチ弱だった。中学3年時に訪れた成長期にはケガや病気が重なり、約1カ月、サッカーができなかった。復帰後は体のバランスに慣れず、うまくいかない日々が続いた。卒業時にも身長は170センチと、現在182センチの上田からすれば、まだ小さかった。

「父が大きかったのもあって、背は伸びると信じてヘディング練習に取り組んできました。仮に大きくなったとき、デカいだけの選手にはなりたくなかった。デカくなっても、何でもできるような選手を目指していました」

中学時代を過ごした鹿島の下部組織では、周囲との温度差に驚いた。当然のように全員がプロを目指すものと思っていたが、意外にも実際に目指していたのは1人、2人のみ。

「その志の違いに違和感を覚えて、それに対する反骨心があった。『無理でしょ、本当に目指すの?』と言われるのが悔しくて、『じゃあ、なってやるから覚えておけよ』と見返したいのもあった。それと、叱ってくれる父に対する反骨心というのが、小さいころからありました」

父に送迎してもらい試合に向かっていた幼少期は、車で帰る時間が怖かった。

「思い通りのパフォーマンスができなかったときは、それに対する悔しさよりも、父に何と言われるかが怖かった。向上心や反骨心を持つ対象は、人それぞれあっていいと思う。全員がプロを目指す必要はないし、親にほめられたい、監督に認められたい、昨日の自分が悔しかった…どこに向かってもいい。やり続けることがいちばん大事」

上田が中学年代までに抱いた反骨心の源は「父」と「同世代」だった。反骨心-それは上田が自身のキャリアを振り返るとき、よく口にする言葉だ。プロを目指す子どもたちにも、同じ言葉を届けたいという。

「負けたときとか、悔しさを感じることはあると思う。それを内に秘めて『いずれ自分の力に変えてやる』という反骨心を持ってほしい。人に当たって爆発させるのでなく、反骨心を自分の力に変えてほしい」

反骨心ではい上がってきた上田だから、言える言葉。一流のアスリートが語る“心の持ちよう”は、本人の言葉からしか学べない貴重な教材だ。【杉山理紗】

◆上田綺世(うえだ・あやせ)1998年(平10)8月28日、水戸市生まれ。小学年代は吉田ケ丘SSS、中学年代は鹿島アントラーズノルテでプレー。鹿島学園を経て法大に進学、2年時の18年に全日本大学サッカー選手権優勝に貢献した。19年7月には同大サッカー部を退部、予定を前倒しして鹿島入りし、公式戦17試合4得点。世代別代表には17年のU-20代表で初招集されて以来、東京五輪世代に名を連ねている。19年5月に南米選手権のメンバーとしてA代表に初招集された。国際Aマッチ6試合0得点。182センチ、76キロ。




◆鹿島・上田綺世“反骨心”に導かれ成長/プロに聞く(ニッカン)





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