日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年12月7日木曜日

◆鹿島内定の関学大DF濃野公人は「内田篤人2世」負けず嫌いの強さと記者仕込み?ラボーナにも注目(ニッカン)



濃野公人(中央)


11月28日、兵庫・西宮市にある関学大の上ケ原キャンパスで行われた、Jリーグ内定5選手合同会見の取材に足を運んだ。

山見大登(24)ら4人がJリーガーとなった21年を上回り、今季は過去最多の5人を輩出することになった関学大。しかも今年はJ1クラブに3選手が進むというレベルの高さだ。

J1組の名古屋グランパス内定MF倍井(ますい)謙(4年=名古屋グランパスU18)、ガンバ大阪内定MF美藤倫(みとう・りん、4年=東海大大阪仰星)、鹿島アントラーズ内定DF濃野公人(4年=大津)は特に、パリ五輪出場を本気で狙う逸材たちだ。

その中でも個人的に注目するのが、大津高(熊本)時代に続いて主将を務め「内田篤人2世」の呼び声も高い濃野だ。

関学大の高橋宏次郎監督によると「最初はBチームからのスタートだった」ということだが、この4年間で能力を引き出されたことで、プロへの道を切り開いた。

高校まで攻撃的なポジションを務めてきた濃野は、1年時はFW、2年時は右サイドハーフを主戦場とした。Jリーガーとなるための転機となったのは、3年時の右サイドバック(SB)へのコンバートだった。高橋監督から提案され「このままじゃプロになるのは難しい」と考えていた濃野が前向きに受け入れ、取り組んだ。

ポジション変更後の成長は著しく、才能が開花した。近年のSBは外に位置取るだけでなく、インサイドに入ってプレーすることも求められるが、濃野は相手ゴール前まで頻繁に顔を出す積極性が持ち味。動きで相手を混乱させ、ゴール前での落ち着きと精度で得点に絡むことができる“超攻撃的SB”として知られるようになった。

今春のデンソーカップでは、関西選抜の一員として優勝に貢献。SBながら背番号7を付ける理由を「アタッカーのプライド」と笑う濃野は、一気に注目株となった。

そこに注目したのが、鹿島の椎本邦一スカウト担当部長、牛島真諭スカウトだった。椎本氏からは最大限の評価を受けた。「鹿島っぽいSBを久々に見た。上下動ができて、最後の質も高い。デビュー当時の内田篤人に似ている」。数々の名SBを輩出してきた鹿島を長年見てきた椎本氏からそんな言葉をもらえば、素直にうれしいものだろう。

複数クラブから興味を持たれ、オファーも受けていた濃野は、施設見学の際に「椎本さんから、チームが大事にしてきたものや根底にあるDNAの説明を受けて、入団を決めた」という。プロ1年目に向けては、早くも強い意気込みを見せている。「パリ五輪も視野に入れて頑張っています。食い込んでいくためには、鹿島で結果を出すことが一番の近道だと思うので、開幕からスタメンを狙って、貪欲に取り組んでいきたいと思います」。

これは余談だが、記者は彼が幼稚園児の頃、コーチとして接していたことがある。所属歴では大阪DREAMからとなっているが、その前に入っていた北摂地域のクラブがあり、そこで一緒にボールを蹴らせてもらった。兄の文人(あやと)とともにプレーし、小さいながら技術があったこと、強烈な負けず嫌いだったことを鮮明に覚えている。

課題を簡単にクリアするような際に、一気に難しくすると、クリアできない悔しさをにじませ、ミニゲームで負けそうになるだけで涙を流すような兄弟だった印象だ。

その後はお互いがクラブを離れて、交流はなかったが、J内定選手として取材させてもらうことになった。「こんなに大きくなって」と親戚のおじさんのような目線で記者会見に参加したのは初めてだった。次はプロの舞台でも取材することが楽しみになった。良い選手で、見ていて楽しい選手でもあるので、鹿島のみなさんにはぜひ楽しみにしてもらいたい。

濃野家では、記者のことを「ラボーナを教えてくれたコーチ」と伝えてくれたようなので、濃野のラボーナでアシストやゴールをした時は、取材を受ける側としてコメントを準備したいと思っている。【永田淳】





◆鹿島内定の関学大DF濃野公人は「内田篤人2世」負けず嫌いの強さと記者仕込み?ラボーナにも注目(ニッカン)

◆「あれ嫌い」 吉田麻也、好きだけどめちゃくちゃ嫌なマークをしてくる日本人選手を明かす(Qoly)



植田直通


189cmの長身を持つセンターバックとしてチームのピンチを救ってきた元日本代表DF吉田麻也。

彼が本当に苦手だったマークをしてくる日本人選手がいたと明かした。

TOKYOFMをキーステーションに放送中の「チャレンジ&カバー」で、コーナーキックでのマークについてこんな話をしていたのだ。


「マークを外すのがうまい選手は結構いるんですけど、チームとして連動して…例えば、味方が自分のマーク役をブロックしてフリーになるパターンもあれば、個の能力でマークを外すパターンもあるんですよ。

これがねぇ、難しい。マークを外すのが難しい。

僕が嫌いなタイプは、めちゃくちゃ…簡単に言うと、鹿島アントラーズにいる植田直通。

めちゃくちゃマークしてくる(笑)もう、あれ嫌い、本当に…直通は好きだけども、あのマークが本当に苦手で。

でも、逆にあんまりベタベタついているとボールを見失うパターンもあるので。これもまた難しくてね、センスと経験と判断力が求められるんですけども。

直通、元気かなぁ…」


名指ししたのは、鹿島アントラーズDF植田直通!

吉田は彼と日本代表でともにプレーしたこともあるが、対戦相手としてはガツガツしたマークが嫌だったようだ。




◆「あれ嫌い」 吉田麻也、好きだけどめちゃくちゃ嫌なマークをしてくる日本人選手を明かす(Qoly)



◆日本代表デビューした佐野海舟がピトゥカに感謝「鹿島の象徴。自分を引き出してくれた」(サカノワ)



佐野海舟


ボランチコンビを組み、それぞれが高め合う相乗効果を生み出す。「上手いなかであれだけ闘える選手はいません」


 J1リーグ鹿島アントラーズの佐野海舟が12月3日の今シーズン最終戦となったJ1リーグ34節の横浜FC戦のあとメディアの取材に応じ、激動のシーズンを振り返るとともに、今後への抱負などを語った。

 FC町田ゼルビアから加入1年目となった2023シーズン、4月の離脱期間を乗り越えてリーグ27試合に出場。11月の北中米ワールドカップ(W杯)2次予選のミャンマー代表戦で日本代表デビューも果たした。

 今季限りでの退団が決定的なディエゴ・ピトゥカとのボランチコンビは迫力があり、ボールを奪ったあとの推進力は凄まじかった。佐野はピトゥカとコンビを組んだこの1年について、次のように頷いて語った。

「ピトゥカはすごく上手い。しかも、上手いなかであれだけ闘える選手はいません。本当に鹿島を象徴する選手。ピトゥカと隣でずっと組ませてもらって、本当に成長できました。自分をより引き出してくれたと思っています」

 鹿島の2023シーズンのダイナモとなった二人。そのように22歳のボランチは互いを認め合い、互いに力を引き出し合ったブラジル人レフティへの感謝を惜しまなかった。

 そのなかで佐野自身も鹿島の中心としての自覚も強めていった。

「1試合に対する責任であり、懸ける思いはより強くなっています。(上手くいっている時だけではなく)逆に上手くいっていない時に、どのように自分が振る舞い、どのような変化をつけるかを考えるようになりました。チームの雰囲気が分かってきて、そのなかに自分も入り込んでいかないといけないし、自分の存在をチームにどのように還元するかが大事だと思います」

 そして2024シーズンへ。佐野は2年目のアントラーズでの戦いに向けて、次のように決意を示した。

「個人としても、チームとしても、やるべきことはたくさんあり、タイトルを獲るためにはやはり何かが足りなかった。足りなすぎた。(そのなかでプラスの面は?)確実に前進しているところはあると思うし、本当に最初の頃の練習ではビビッてやっていたけれど、今はそういったことはありません。もっと、いろんなところを前進させて、チームに還元していきたいです」

 12月7日には、2024年元日に国立競技場で開催されるタイ代表戦に臨む日本代表メンバーの発表がある。佐野はさらにその先のアジアカップを含め招集されるか。さらなる躍進が期待されるシーズンになる。 




◆日本代表デビューした佐野海舟がピトゥカに感謝「鹿島の象徴。自分を引き出してくれた」(サカノワ)



◆鹿島GKクォンスンテが“引退試合”出場を固辞した理由 家族のセレモニー参加も断っていたが…(報知)



クォン・スンテ


 今季限りで現役を引退した鹿島の元韓国代表GKクォン・スンテ(39)が6日、鹿嶋市内で引退会見を行った。鹿島に7年間在籍し、公式戦通算163試合に出場。記録にも記憶にも残る選手として、ファン・サポーターに愛された。

*  *  *

 自身の引退に際し、クォン・スンテは2度、断った。

 最初は家族に対して。最後の勇姿を見届けるべく、家族は最終節後に行われる引退セレモニーへの参加を望んでいたが…。

 「家族は行きたいと言ってくれたが、その日の主役はチームであり、鹿島が輝かないといけない日だと。家族には来なくていいと伝えました」。家族のセレモニー参加により、試合そのものの価値が下がることを懸念したという。

 それでも、そんな性格を熟知しているクラブ側の計らいで「サプライズゲスト」として家族は参加。「家族が見えた時は、申し訳なさと嬉しさと、複雑な感情があって、家族を見た瞬間に涙が出てきてしまいました」と苦笑いで振り返った。

 2度目は最終節の試合中、岩政大樹監督に対して。指揮官は最後の交代カードとしての投入を準備したが、固辞した。正GKの早川友基が、第1節から連続フルタイム出場を続けていたことが理由にあったという。

 「18年間プロでサッカーをやりましたし、全試合でフル出場することがどれだけ難しいかわかっています。そういう状況を考えて断りました。配慮してくれた大樹さんには、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい」

*  *  *

 17年に全北(韓国)から鹿島入り。18年にACLを制し、自身3度目となるアジアの頂点に立った。「鈴木満さん(当時強化部長)から『ACLを何が何でも獲りたい』という話をされて鹿島に来た。厳しい戦いを勝ち抜いて優勝したことは財産」と誇った。

 準決勝の水原戦(第1戦)で相手に頭突きをするそぶりを見せたこと、試合後の「韓国のチームには負けたくなかった」というコメントが一人歩きしたこともあり、母国開催の第2戦で大ブーイングを受けた。それでも「大きな試合ほど小さなミスが勝敗を分ける」の信条を崩さず、毅然とゴールマウスに立った。

 20、21年は計12試合の出場にとどまった。足元の技術が求められる戦術に懸命にトライし、通訳なしの環境で生活した2年間でもあった。27試合に出場した22年は引退する意思を固めていたが、出場機会がないことを覚悟した上で、チームに残った。「自分にも役割があると思った。ベテランとして貢献できるところがあると。自分が教えられるのは技術よりメンタルの部分。それが今年はうまくいき、若い選手たちがいいプレーを見せてくれた」

 現役引退は、自身のパフォーマンスではなく後輩GKの成長を見て決断した。「若手が飛躍する姿をみて、自分の役割は果たしたという感覚があった」とユニホームを脱ぐことを決めた。サッカー人生に「悔いはない」と言い切った。

*  *  *

 鹿島は今季も無冠に終わった。鹿島を「7年連続国内無冠」と表現する記事が、何本か流れていた。

 毎年のことだが、あれには正直、ムッとしている。確かにACLは「国内」タイトルではないし、誤報ではないのだが。これを機に言わせていただきたい。

 「偉大なGKが最後尾から鬼の形相でチームを鼓舞し、クラブ悲願のアジア制覇に導いた通算20冠目をなかったことにするな」と。「スンテさんがどれだけの覚悟で日本に来て、アジア制覇2度の経験をどれだけチームに還元したのか、知ってるのか」と。18年間の現役生活、本当にお疲れさまでした。(18~19年鹿島担当・岡島 智哉)








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