日刊鹿島アントラーズニュース

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2024年5月5日日曜日

◆鹿島アントラーズつくばジュニアが2年ぶりのベスト4進出 チビリンピック(ニッカン)






<JA全農杯チビリンピック2024 全国小学生選抜サッカー決勝大会>◇4日◇神奈川・日産フィールド小机ほか◇8人制◇予選リーグ、決勝トーナメント準々決勝

鹿島アントラーズつくばジュニア(関東2位=茨城)が、2年ぶりのベスト4進出を決めた。予選リーグを1位で突破し、準々決勝でセンアーノ神戸ジュニア(関西2位=兵庫)を2-1で退けた。川崎フロンターレU-12(関東1位=神奈川)、レジスタFC(同3位=埼玉)、FC ZERO(関西1位=大阪)も4強入り。春の小学生サッカー王者の称号をかけて5日に準決勝と決勝が日産スタジアムほかで行われる。

▽準々決勝

レジスタFC2-0ベガルタ仙台

FC ZERO5-0北海道コンサドーレ札幌RED

鹿島アントラーズつくばジュニア2-1センアーノ神戸

川崎フロンターレ2-0名古屋グランパス

〈主催〉日刊スポーツ新聞社、横浜市スポーツ協会〈後援〉横浜市にぎわいスポーツ文化局、日本サッカー協会、朝日新聞社、文化放送〈協力〉神奈川県サッカー協会第4種少年少女部会〈特別協賛〉全国農業協同組合連合会(JA全農)







◆鹿島アントラーズつくばジュニアが2年ぶりのベスト4進出 チビリンピック(ニッカン)





◆【U23日本代表】病院直行のMF荒木遼太郎、脳振とうと診断 チーム関係者が明かす(ニッカン)



荒木遼太郎


パリ五輪アジア最終予選兼アジア杯カタール大会決勝ウズベキスタン戦で途中退場したU-23日本代表MF荒木遼太郎(22=東京)が、当地の病院で脳振とうと診断されたことが4日、分かった。チーム関係者が明らかにした。

後半から途中出場した荒木は、0-0の後半31分に相手DFラインの背後に抜け出し、飛び出してきた相手GKと激突し、顔面から落下した。倒れ込み、すかさずメディカルスタッフが対応するも、意識はしっかりしている様子でプレーを続行した。MF山田楓喜(22=東京ヴェルティ)の決勝点までアシストしたが、試合終了間際に様子がおかしく、担架で運ばれて、ベンチ前で優勝の瞬間を迎えていた。表彰式には出席せずに、病院へ直行していた。試合後、大岩剛監督(51)は「本当心配なんですけどね。自分がなかなか記憶がないという風に言っているので、少し慎重に様子をみたいなという風に思いますよね」と状況を明かしていた。現在は徐々に記憶が戻りつつあるといい、大事をとって予定されていた4日朝の便での帰国を取りやめた。ドーハ市内で静養し、近日中に帰国するという。





◆【U23日本代表】病院直行のMF荒木遼太郎、脳振とうと診断 チーム関係者が明かす(ニッカン)





◆常勝軍団復活へ 鹿島はなぜポポヴィッチを呼んだのか? 強化部長が明かす、選手強化のビジョンと課題(Sportiva)



吉岡宗重


今季から鹿島アントラーズの監督に就任したランコ・ポポヴィッチ。熱い指導に大胆なコンバートなどで鹿島に新たな息吹をもたらし、J1第10節を終えた時点で5勝4敗1分と5位につける。体制発足後間もないことを考えると、上々の出来と言えるだろう。そんなポポヴィッチ就任の裏側、そして現在の鹿島が考える補強のビジョンについて、強化責任者である吉岡宗重FD(フットボールダイレクター)に話を伺った。

―ポポヴィッチ招聘のプロセスについてあらためて聞かせてください。彼の指導するサッカーについてはどのように見ていたのでしょうか。

「最初の接点は2009年の大分トリニータですね。私はそこで強化の仕事をしていたわけですが、シーズン終盤に降格危機に陥って前任のシャムスカ監督を解任してポポヴィッチを呼びました。そこで、降格寸前で自信を失くしていた選手たちに対する熱いアプローチやチームをよみがえらせる様子を目の当たりにした。かなりの情熱を持って取り組んでくれて、最後は降格したけれど、10戦負けなしで優勝に手をかけていた川崎フロンターレを破った試合はすばらしい内容でした。

 当時の大分は(2008年に)ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を制してはいましたが、相手に合わせるリアクションサッカーでした。それを自分たちで支配するスタイルに切り変えていった。フィジカルや球際の強さ、切り替えの早さや、自らの意思でどう仕掛けるか、短い時間のなかで成し遂げたものは大きく、降格へのプレッシャーのあるなかで若い選手を躊躇なく使って、情熱を上手く掛け合わせていった。移籍したあともブレない姿勢を見ていました」

―ポポヴィッチ就任に至ってはネガティブな意見も散見されました。王者鹿島に迎えるうえで彼はまだタイトルを獲っていないじゃないか。常勝を求められるチームでそれでいいのか、と。

「推挙したなかで、いろんなネガティブなワードも出るんじゃないかという意見も出ました。ただし、すべては勝利のためにという鹿島のクラブミッションを考えたときに、現在のアントラーズにはフィットするんじゃないかと考えました。もしも私がポポさんという人間を知らなかったら、オファーは難しかったでしょう。

 彼が何を求めているのか、どんなチームを作るのかをウェブミーティングで何度もヒアリングし、そしてこちらからもポポさんに直してほしいこと、やってほしくないこともしっかりと伝えました。それに対して、すごく冷静に受け止めてくれた。こちらの思いをかなりすり合わせました。その結果、それならやれるだろうと判断しました。

 彼がタイトルを獲っていないという要素はありますが、今の鹿島において失われつつあるものを、彼なら情熱で取り戻してくれるだろうと。鹿島のベースに置かないといけないもの、それはジーコさんが来日するたびに語っていた『戦術以前に鹿島として切り替えや球際で戦う姿勢』――まさにポポさんはそこを第一に考えて、その土台の上で自分たちがどう戦うかを構築していく。いろんな批判があるのはわかっていますが、そこが明確になったので、会社のコンセンサスを得て依頼しました」

―クラブビジョンを大切にされての選択ですね。就任一年目のポポヴィッチが「苦しくなったら鹿島のエンブレムを見ろ」とロッカーで言うのは、違和感があったサポーターもいたと思いますが、彼自身、Jリーグで闘っているうちに鹿島のことがわかっていると判断された。

「勝ちにこだわる監督でこの熱量がなかったら、選手もついていかない。ポポさんにはクラブが求めている勝利に対する熱量と合致した熱量がある。

 また、鹿島のビジョンについては、サッカー界の推移に対応する必要があります。小笠原満男に象徴されるように、これまではひとりひとりの選手がチームで長くプレーしていた。しかし、今は3年ほどで海外のクラブに行く、そのサイクルが早くなったのでなかなかうまく伝えるのが困難になったという部分があります。

 だからこそクラブが伝えないといけない。そして、指揮官はピッチのなかでそれを示すことができる監督でないといけない。大分トリニータや町田ゼルビア、FC東京とそれぞれのカラーがあるように、鹿島には鹿島のアプローチの仕方があって、それをお願いしたところ、鹿島の歴史をあらためてものすごく勉強してくれた。それができる監督だというのは理解できていたのですが、案の定、至るところで鹿島の誇りを語ってくれています」

―実際、彼自身もJリーグでのキャリアを重ねて、鹿島としての闘い方もわかっていた。

「そうですね。特に鹿島は勝利にこだわるクラブです。だから、攻撃だけではなく、守備もキャンプからかなり頻繁に指示を出しています。攻撃も守備も主体性を持ってやっていて、守備からゴールに直結するようなプレーを求めている。川崎(フロンターレ)戦のチャヴリッチの同点ゴールなどそうですね。

 ポポさんはピッチのなかでも最後は選手の判断を大事にしています。試合に出ていない選手にもコミュニケーションを取るし、目配りもできている」

―チャヴリッチについては所属のスロヴァンとの交渉が難航し、「出すな」というブラツスラバのサポーターの圧力も大きく、ポポヴィッチも半ばあきらめていたそうですが、吉岡FDががんばって招いてくれたと聞きました。その経緯を教えてもらえますか。

「チャッキー(チャヴリッチ)の情報は、僕らのところにもポポさんのところにも入っていました。点を取る感覚や豊富なスピードはすぐに目につきました。ポポさんと誰を補強するか話を進めるなかで、すぐにチャッキーも移籍できると思っていました。ところが蓋を開けてみたら、進展しなくなっていきました。エチケットとして相手のクラブのことを言いたくないのですが、年末に一度まとまりかけていたものが年明けにダメになり、そこからどんどん後ろ倒しになって皆があきらめかけていました。

 しかし確認したら、何よりチャッキー本人が鹿島に来たがっていた。僕らも監督も欲しい。それならば、やり続けるしかない。僕は19年間、強化の仕事をしてきましたが、そのなかで一番大変なミッションでした。もうダメかと思うこともあり、困難な交渉でしたが、粘りに粘って1月の中旬に何とかなりました」

―チャヴリッチは、旧ユーゴスラビアの時代から、ボラ・ミルティノビッチ、スロボダン、サントラツなど、多くのファンタジスタを輩出したOFKベオグラードの育成システムで育ち、2013年にU19欧州選手権でセルビアが優勝したときのメンバーです。来日前にサポーターに軟禁状態にされたこともあって、キャンプに参加できず、まだポテンシャルを発揮しきれていない印象ですが、現段階での評価はいかがでしょう。

「日本のサッカーのテンポの速さに苦しんでいます。そのなかでもあれだけのパフォーマンスを出してくれています。彼は点が取れるのにエゴイストじゃないし、ポポさんのサッカーをわかっている。組織のなかで個が輝くということを体現しています。

 うちのチームは去年から、ビルドアップのテンポ、攻撃の迫力、3人目の動きというものが現状の課題でした。そこはポポさんも取り組んでくれていて、3人目の動きを出せるタイミングはまだ少ないですが、ジュビロ(磐田)戦の開始直後にチャッキーがシュートしたシーンなどはいろんな選手が関わってくれていました。負けてしまいましたが、(サガン)鳥栖戦の濃野(公人)もパスを出したあとに留まるのではなく、プレーに関わり続けて、それが最終的に3人目の動きに繋がりました。

 そこは組織として、メンバーが変わってもできるような落とし込みを練習で常にやっています。まだ最後のシュート精度やタイミングのズレはありますが、そこは伸びしろですね。ハマっていけば、これが鹿島のサッカーだとなっていくと思います」

―そこは吉岡FDが狙っていたものですか。

「仰るとおりです。得点できなくても、そこのリスクマネージメントはやってくれる監督なので、奪い返して二次攻撃に繋げる。リスクは冒しても守備はおろそかにしない。サイドバックの濃野が毎回前線まで上がって点が取れているのも、その証左です。まだまだ課題は多いですが、方向性について間違うことなく導いてくれていると思います」

―サポーターの関心事として、吉岡さんにこれもお聞きしたい。ウインドウの問題はありますが、今後の補強のビジョンを教えてもらえますか。

「話はさかのぼりますが、ポポさんが就任したときに『まず鹿島の選手を見てほしい』と伝えました。監督が戦力を実際に見たうえでどのポジションを補強すべきか、話し合っていこうと編成がスタートしました。そこをしっかりと共有して編成しないと獲得しても選手が出場できないことになりますから、そこは慎重になりました。

 外国人で言えば、CBのチャルシッチがメディカルチェックでNGになったときにポポさんも多くの選手を見ました。正直、これは取りたいと思う選手もいました。しかし、金額面で多くの要求をされました。ポポさんはそれについて、『そんな上積みをすることはない、クラブには適正な金額で選手を獲得してほしいから、そういう要求をしてくる選手は断ってほしい』と言ったんです。それで、こちらから破断にしたケースもあります。

 ただ納得する選手が獲得できなかったのは、僕も反省する必要があると思っています。CBの補強などについては日々話し合っていますので、そこは夏のウインドウで動こうと思っています」

―あと、ベオグラード大学でサッカーを学んできた塚田貴志通訳の存在は大きいですね。彼はかつてコンサドーレ札幌を指揮した(イビツァ・)バルバリッチの下でもやりましたし、サッカーを言語化する引き出しが多い。

「ポポさんの監督としての能力を高めるのは、塚田がいなければいけないと思っています。共に長くサッカーを指導しているから、出てくる言葉がある。ニュアンスがわかる。気になったことは私にも話してくれる。僕はまず、塚田にサッカー界に戻ってくる気があるかを聞きました。ポポさんを呼ぶうえで彼は不可欠だと思っていました」

―ウインドウが閉まる直前に補強したライコ(ミロサヴリェヴィッチ)についてはどのような意図があったのでしょうか。

「まずポポさんが来日したときに、こんないい選手がいると名前は上がっていました。補強についてはまずはCBだと思っていましたが、そこで納得できる選手と契約を結べなかった。ただ選手層を厚くしていく必要があった。ライコとも話しましたが、監督が求めるポジションはどこでもやるという意欲があった。そしてポポさんともやっているので、何をやりたいかがわかっている。彼を入れることでチームへの浸透度が早まるだろうという思いもありました」

―FWの知念慶のコンバートについてはどう見ていますか。

「キャンプの練習試合でボランチが足らなかったので、『知念を使う』とポポさんに言われました。以前、大分時代にも家長(昭博)をボランチで使っていたから、『面白いね』と返しました。実際、試合をしたらかなりしっかりとできていたんですね。

 知念も自分自身の新しい境地を開拓するのにとても前向きで、『ポポさんが本気で考えてくれるならボランチにチャレンジしたい』と言ったんです。『では、そう伝えておくよ』と言って(ポポヴィッチに)伝えたら、結構真顔で、『俺が冗談で選手をコンバートすると思うか、俺はあいつができると思ったからやったんだ』と。

 それからですね。いろんな選手が自分はこうだと思っていても、その先をポポさんが気づかせている。選手はもっともっとよくなっていくと思います」

―チャヴリッチはキャンプができずフィジカルができ上がっていなかった。また、CBのチャルシッチはメディカルチェックが予想外の結果で入団が叶わなかった。そんななかで10試合が終わって5勝4敗1分。この現在地をどう見ますか。

「監督が変わってまだ数カ月ですが、向かうべきベクトルはチーム全体が認識していると思います。まだまだ半分もでき上がっていませんが、これからが大事です。勝って自信を深めるのがいいですが、どんな状況でもブレずにがんばることだと思っています。鹿島の宿命は勝つことですが、方向性をサポーターも理解して後押ししてくれている。勝利への執着心から、チャッキーを認めてくれていることもうれしいですね」




◆常勝軍団復活へ 鹿島はなぜポポヴィッチを呼んだのか? 強化部長が明かす、選手強化のビジョンと課題(Sportiva)





◆【鹿島3-1湘南】キム・ミンテと鈴木優磨、試合後に時間をかけて語り合った内容とは!?(サカノワ)



キム・ミンテ


「鹿島からすると、『ザ・鹿島』と言える試合展開、湘南からしても『ザ・湘南』という感じでした。内容は良くても、その勝負強さは学ばなければ」


[J1 11節] 鹿島 3-1 湘南/2024年5月3日15:00/県立カシマサッカースタジアム

 J1リーグ11節、鹿島アントラーズ対 湘南ベルマーレの一戦は、鹿島が鈴木優磨の2ゴール・1アシスト、チャヴリッチの1得点の活躍で3-1の勝利を収めた。

 この試合後、2022年から昨季途中まで鹿島でプレーしたキム・ミンテのもとに、アントラーズの選手たちが来て会話をかわしていた。鹿島に在籍した選手やスタッフは永遠にみんなが“アントラーズファミリー”だとよく耳にするが、それを印象付けるような光景だった。

 もちろん何よりキム・ミンテの人柄の良さかもしれない。どの鹿島の選手も時間をかけて話していた。

 なかでも、じっくりと、時に真面目に、時に楽しそうに話し込んでいたのが鈴木優磨だった。キム・ミンテがこの日マッチアップを繰り広げたエースである。失点はいずれもセットプレーの流れからで、試合中の対応は体を張って封じ続けた。

 試合中は互いに絶対に負けないという白熱のバトルを繰り広げた。ただ試合後、友に戻った二人は将棋でいう“感想戦”のように振り返りつつ、それぞれの今後に向けて健闘を称え合った。

 キム・ミンテはこの日の試合について「鹿島からすると、『ザ・鹿島』と言える試合展開でした。湘南からしても、『ザ・湘南』という感じでした。内容は良くても、一発のセットプレーなどその勝負強さは学ばなければいけないと思います」と振り返った。

 そして鈴木とのマッチアップについて、「プレー中に何かをされたかというと、結構抑えることができていたと思います。ただ、セットプレーの流れから、なんだかんで優磨に2点を取られる。カウンターから優磨のクロスからアシストされた。優磨は流石だと思いました。僕は常に周囲と声を掛け合っていましたが、その勝負強さに関しては、湘南はまだまだだと感じた試合になりました」と、勝負どころでしっかり突かれてしまったと悔やんだ。

 ちなみに試合後に鈴木と何を話していたのかを問うと…ミンテは「内緒です(笑)」と言ったが、少しだけ明かしてくれた。

「それぞれのチームの状況についてや、また、鹿島の良さについて、僕が湘南に来てから思ったことを伝えました。優磨も今の湘南のサッカーは面白いし、良いと言ってくれて、ただ勝負強さはさすが鹿島だね、というような話をしました」

 湘南は5月6日、ホームで勝点1差の18位サガン鳥栖と対戦する。上昇気流に乗るためにも、勝点3が欲しい一戦だ。

「淡々とやります。いろいろ考えてしまうと落ち込んでしまう選手もいると思いますし、良くも悪くも次の試合が来ます。しっかり勝てれば、なんとか乗り越えられると思います。次に向けてやるしかありません」

 鹿島は6勝1分4敗の勝点19で3位タイの勝点19に。一方、湘南は1勝4分6敗の勝点7で最下位。

取材・文/塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI




◆【鹿島3-1湘南】キム・ミンテと鈴木優磨、試合後に時間をかけて語り合った内容とは!?(サカノワ)


◆【こどもの日企画】佐野海舟(サッカー日本代表、鹿島MF) 下駄でバランスを磨いた(スポニチ)



佐野海舟


 5月5日の「こどもの日」にアスリートたちが少年少女時代を振り返ります。

 気付いたらサッカーを始めていました。田んぼや道路、場所さえあればボールを蹴りました。遊びはずっと外。室内では全く遊びませんでした。

 心配した親が(ニンテンドー)DSを買ってきたくらい(笑い)。それだけサッカーが楽しかったんです。5歳から小3くらいまで下駄を履いて過ごしました。父の方針です。それが当たり前だと思っていました。バランス感覚は確実に身に付いたと思います。

 当時は1人で練習することも多く、無意識に考えながら工夫していました。今は情報がたくさんある時代。良い面もあるけれど、自分で考える力が少なくなっていると感じます。この練習にはどういう意味があるんだろうと、常に疑問から入ることが大事だと思います。





◆【こどもの日企画】佐野海舟(サッカー日本代表、鹿島MF) 下駄でバランスを磨いた(スポニチ)





★2024年J1第11節 鹿島vs湘南(カシマ)ツイートまとめ(日刊鹿島アントラーズニュース)





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